茶道や華道と同じように、香道にもいくつかの流派があり、それぞれに歴史や流儀があります。

今回は香道の主な二派である「御家流おいえりゅう」と「志野流しのりゅう」、そして主流から分かれた流派を取り上げ、その特徴を解説していきます。

香道の流派は大きく分けて二派

現在、香道の流派には「御家流おいえりゅう」と「志野流しのりゅう」の二派があります。

室町時代中期、八代将軍足利義政を筆頭として、武家、公家、禅僧らの文化が融合した東山文化が花開きます。

当時は応仁の乱に代表されるように、戦乱に明け暮れる時代でもありましたが、一方で能、茶道、華道、庭園、建築などの多様な芸術が確立され、香道も皇室や将軍家と親交の深かった公家の三条西実隆さんじょうにしさねたかによって、茶道や華道と並ぶ芸道として確立されます。

実隆の流れを汲んだ貴族・公家の流儀は、「御家流香道」として継承されていきます。

同じ頃、京都に香道や茶道に精通した志野宗信しのそうしんという人物がいました。

室町幕府の八代将軍・足利義政から香の様式を考案するよう命じられ、「志野流香道」の始祖となります。

当時の香道には流儀という意識がなく、時代が下った桃山時代になってから流儀や流派が意識され始めます。

戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の豪商・山上宗二やまのうえそうじが記した『山上宗二記』には、「公家にては三條殿、武家にては篠殿」という記述があり、この頃になって香道の流儀・流派は意識されていったと考えられます。

戦国時代を経て江戸時代になると、香道は貴族や武家といった特権階級の人々の嗜みとなり、江戸時代に最盛期を迎えます。

明治時代以降は他の芸道と同じように衰微していきますが、近年は国内だけでなく海外でも親しまれるようになり、盛り返しています。

現在は茶道や華道ほどではないものの、初心者向けに体験会や講習会などが開かれています。

御家流香道

室町時代の文化人として茶道や華道を体系化し、東山文化を支えた三条西実隆は、香道を古典文学や歌道の深い知識と教養を内包した高度な遊びとして確立します。

実隆を始祖とする御家流は、平安時代の貴族・公家たちの間で行われてきた和歌と香遊びを源流とする流派です。

江戸時代に後半に版本の刊行が盛んになると、香道書の出版がさかんになり、将軍・大名の後宮や富裕な町人層の女性に拡まり大流行します。

御家流には長らく家元制度がなく、師匠が弟子に伝えていく完全相伝制が伝統とされており、その系譜は多岐にわたります。

幕末明治維新により御家流香道は一時的に衰退しますが、戦後になってようやく民間の香道家の手により近代御家流宗家が確立され、以降は三条西家の当主が御家流家元を継承しています。

御家流は貴族の遊びがルーツであるため、香りと雰囲気を楽しみ、心の余裕を得ることを目的としています。

※家元制度: 家元が自らの流儀を体系化して弟子たちに伝え、 免状や資格を与える制度

志野流香道

志野流は室町時代、三条西実隆と親交があったとされる大坂の文化人・志野宗信が確立した流派です。

江戸時代の享保年間(1716~1736年)に家元制度が完成され、現代まで志野流蜂谷家によって継承されています。

幕末期(1853~1869年)には戦乱に巻き込まれ、家元存続の危機に陥ることもありましたが、尾張徳川家を中心とする尾張地方の名士たちの助けにより、家元が守られます。

現在では、志野流蜂谷家は愛知県尾張の名古屋城近くを拠点としています。

志野流は主に武家の中で培われてきた流派であるため、精神修練が目的となっており、作法や礼儀を通して精神を鍛練することが目的とされています。

わずかに残る流派

現在の香道は御家流と志野流が主流ですが、江戸時代に最盛期を迎えたものの明治時代に衰微し、わずかに残る流派があります。

米川流香道

武家に支持された志野流の流れを汲み、織田信長の近臣きんしんで優れた香道家であった米川常伯よねかわじょうはくをルーツとする流派です。

常伯は徳川秀忠ひでただの娘で後水尾ごみずのお天皇の中宮であった東福門院和子とうふくもんいんまさこに香道を指南し、その流儀は諸大名から高い支持を得たとされています。

米川流は江戸時代の一時期に他派を圧倒するほどの勢いがあり、幕末を迎えるまでに大量の書物を残します。

しかし、近代化を推し進め、旧来の文化芸能を廃止しようとする明治時代の文明開化で衰退し、現在では旧磐城平藩いわきたいらはん(現在の福島県)の安藤家にわずかに継承されています。

香道翠風流

福岡県の旧柳川藩に伝わる香道を大正時代の文化人である江頭環翠えがしらかんすいが再興し、香道翠風流すいふうりゅうとして始めた地域密着型の流派です。

環翠はこの新しい流派が香道の衰退した明治時代以降に生まれた流派ということで、大胆な改良を加え、シンプルで分かりやすく、学びやすい翠風流香道を生み出しています。

風早流香道

風早かざはや流は明治時代の近代化によりほとんど衰退してしまった流派です。

現在では江戸時代前期の公家・姉小路公景あねこうじきんかげ(1602~1652年)を祖とし、主に華道を継承してきた家系で伝承されているようです。

おわりに

香道のそれぞれの流派は、作法や礼儀、使用する道具も違いますが、基本的な「香を楽しむ」という姿勢は同じです。

日本の芸道、流派や流儀と聞くとどうしても敷居が高いと感じてしまいますが、まずは気軽に体験して、香を楽しんでみることをおすすめします。