雪国・秋田県にて、約200年にもわたり継承されてきた民俗行事「なまはげ」。
『悪い子はいねがー、泣く子はいねがー』のセリフは、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
恐ろしい鬼のような面を付けたなまはげの姿は、子どもにとっては恐怖でしかない存在です。
平成30年(2018年)にユネスコ無形文化財にも登録され、全国的に注目を集めました。
「なまはげ」の名やその恐ろしい容貌は知っているけれど、どのような行事なのかと聞かれると、よくわからないという方も多いでしょう。
なまはげとは、いったい何なのか。
この記事ではなまはげの歴史や特徴、なまはげに会える場所についてご紹介します!
なまはげとは
「なまはげ」とは、秋田県の男鹿半島を中心に行われてきた伝統的な民族行事です。
鬼のようなお面と藁の衣装、そして出刃包丁を手にした特殊な佇まいで、各家庭を訪問します。
年の節目に厄払いや怠け者を戒めることを目的として行われます。
な まはげの語源
なまはげの語源は「ナマミ」「ナモミ」という方言が元になっており、それぞれが「ナマミ剥ぎ」「ナモミ剥ぎ」と訛り、さらに「なまはげ」へと変化したと言われています。
「ナマミ」「ナモミ」とは、囲炉裏にあたってばかりいると皮膚の表面にできる、赤い斑点模様のことをいいます。
な まはげの正体は鬼?山から下りてくる神様?
恐ろしい形相で叫び、家々を回って子ども達に迫るなまはげ。
恐怖に泣き叫ぶ子どもの様子を見ると、悪い鬼のように思えますが、なまはげの正体は男鹿の山々に住む神の使いだと言われています。
囲炉裏にあたってばかりいる怠け者を戒めるだけのようななまはげですが、本来は無病息災や豊作を願い、年神様として迎えるありがたい存在です。
わざと大きな音を立てるのは悪いものを払い落とすためで、ケデ(衣装)から落ちた藁は、縁起物としてお守りにされてきました。
なまはげは地域の人たちにとってはありがたい存在と言えます。
なまはげの歴史(起原)
文政5年(1822年)に旅行家兼博物学者の菅江真澄が記した『菅江真澄遊覧記』の中で紹介されている「牡鹿乃寒かぜ」が、なまはげに関する最も古い書物だと言われています。
約200年近い歴史をもつ「なまはげ」。
なまはげの伝説は数多くあり、正確な起原は謎に包まれたままです。
その謎に包まれた4つの伝説について、紐解いていきましょう。
漢 の武帝説
むかしむかし、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて現在の男鹿にやってきました。
コウモリは鬼に姿を変え、武帝の家来として働いていましたが、正月の15日、1日だけ自由を得た鬼たちは村里で畑を荒らし、娘をさらうなど大暴れをしたそうです。
困った村人たちは「一晩で千段の石段を築けたら1年に1人ずつ娘を差し出す。もしできなければ、2度と村には来るな。」という賭けを鬼たちに申し出ました。
鬼たちはどんどん石を積み上げ、あと1段というところまで差し掛かったとき
「コケコッコー!」
夜明けを告げるニワトリの鳴き声が聞こえてきました。
しかし、これは鬼たちの速さに慌てた村人が、ニワトリの鳴き声名人に頼み一番鳥の鳴きまねをさせた、嘘の鳴き声だったのです。
夜明けまでに千段の石段を築くことができなかったと勘違いした鬼たちは、約束通り村を去っていきました。
こうして鬼が去った後も、村人たちは祟りを恐れ、鬼をもてなす“なまはげ”をしているという説です。
修 験者説
男鹿の真山と本山は、修験道※1の霊場として古くから栄えていました。
時折、修験者達は山伏※2姿で村里に下り、家をまわって祈祷をしていました。
その山伏姿になまはげを重ねあわせたという説です。
※1修験道:山を神として崇拝し、そのご神体である山に籠って修行をすることで悟りを開くという日本特有の宗教。
※2山伏:修験道の教祖的存在。山岳で修行し、超自然的な力を身につけ宗教活動を行う。
山 の神説
遠くの海上から見ると、ぽっかり浮かぶ山のように見える男鹿半島。
そんな海に浮かぶ山には、村人の生活を守る山神が鎮座していると言われてきました。
そしてその信仰の対象となっていた山の神が具現化され、なまはげになったという説です。
漂 流異邦人説
その昔、外国船が難破し、男鹿の海岸にロシアやスペインの異国の人々が漂着しました。
異国の人々は山の奥に住み着き、冬になると食料や物資を求めて里村を訪れたそうです。
その際、村人たちにとっては見慣れない異国の顔立ちや髪の毛などが鬼に見え、なまはげはそんな異邦人を指しているのではないかという説です。
なまはげの特徴
なまはげは、各集落において独自の形で継承されてきましたが、特徴は基本的に同じです。
ここでは、なまはげの訪問の仕方や衣装、行われる時期などの特徴についてご紹介します♪
な まはげはどうやってやってくる?
地域によっても異なりますが、赤と青のなまはげと、先立という案内人とがセットになり、3人以上で各家庭を訪問します。
赤い面のなまはげを「じいさんなまはげ」、青い面のなまはげを「ばあさんなまはげ」と呼び、2対1組で「夫婦なまはげ」と呼ぶそうです。
まず、先立が玄関先で、なまはげが入っても良いかを家主に確認します。
なまはげは、その年に不幸や出産があったり、病人がいたりする家には入れないしきたりがあるからです。
家主から了解を得ると、大きな足音と共に「悪い子はいねがー、なぐ子はいねがー」と叫びながらなまはげが登場し、隠れた子どもを探して家中を駆け巡ります。
主人はそんななまはげをなだめ、料理やお酒でおもてなしをします。
なまはげは家族の様子などを問答し、翌年の無病息災や豊作を祈願し、次の家へと移動します。
移動する際に、家主や子どもたちに「山にむかって三回手を叩いたら、すぐに山から降りてくるぞ」という言葉を残します。
この言葉は、なまはげは子どもたちが悪さをしていないかいつも山から見張っていて、子どもの悪さをみた親が山にむかって3回手を叩くとすぐに山から降りてきて叱るぞ、という意味が込められています。
それを聞いた子どもたちは、親のいうことを聞くようになると言われています。
な まはげの衣装
恐ろしいお面と藁の衣装、手には出刃包丁という独特な佇まいのなまはげ。
それぞれについて、詳しく解説します。
①お面
昔は木の皮やザルで作られていました。
現在では木彫りやプラスチック素材で、赤や青のお面が主流となっています。
日本でたった1人のなまはげ面彫師・石川千秋さんは、半分にした丸木を小刀とミノで彫って、一つのお面完成までに平均1ヶ月かけて制作しているそうです。
②ケデ
ケデとは、藁でできた衣装のことです
地域によって「ケラミノ」「ケダシ」などと呼ばれています。
なまはげは神様の使いなので、落ちた藁にも神様がやどっており、頭に巻き付けると頭が良くなる、体に巻くと「病気」が治るなどのご利益があると言われています。
③出刃包丁・桶
なまはげの語源である「ナモミ剝ぎ」に使用する出刃包丁と、その時に剥いだナモミを入れるための桶です。
④ハバキ・藁グツ
ハバキは脛(すね・はぎ)あてのことを言い、藁グツとは靴を指します。
どちらも藁で作られています。
藁の靴は暖かく歩きやすいうえに、雪が浸透してこないので雪国にとても適していると言えます。
⑤御幣(ごへい)
なまはげは、神のしるしである“御幣”をつけた杖を手に持って家々を巡ります。
地域によっては御幣を持たないなまはげもいます。
子 どもを怖がらせるなまはげのセリフ
なまはげのセリフには、「なぐ子はいねがー」「悪い子はいねがー」など、子どもに対するものが多いのはなぜでしょうか?
さまざまな説がありますが、恐怖体験を再現する教育の手段として理解されてきました。
また、怯えた子どもを親が庇うと、なまはげはそれ以上責めません。
その姿を見て子どもは親を尊敬し、家族の団結に繋がると言われています。
大 晦日に現れる来訪神、なまはげ
なまはげ行事は、ほとんどの集落で12月31日の夜に行われてきました。
もともとは小正月の1月15日に行われていましたが、明治の改暦によって前倒しとなったため、昭和以降は大晦日に行われるのが一般的となりました。
なまはげに実際に会える場所
なまはげに魅了され、実際に会ってみたいと思う方もいるのではないでしょうか?
本場秋田でなまはげを体験できる場所と、なまはげを堪能できる東京のお店を紹介します♪
本 場秋田でなまはげに会う!
なまはげ館
なまはげに関する資料映像や、たくさんのなまはげが展示されています。
実際に使われていた150枚以上の多種多様ななまはげのお面は大迫力。
なまはげの行事やしきたり、伝承者の精神などを映像で学ぶことができます。
他では買えないなまはげグッズが充実した売店もあるので、ぜひチェックしてみてください♪
男鹿市真山伝承館
なまはげの伝統を特に厳粛に受け継いできたとされる「真山地区」。
そこにある男鹿市真山伝承館では、大晦日の夜に執り行われる、なまはげ行事の再現を見ることができます。
学習講座もあり、なまはげ行事について解説してくれます。
なまはげについて詳しくなってから目の前で体感すると、さらに楽しいかもしれませんね!
なまはげ柴灯祭り(なまはげせどまつり)
みちのく五大雪祭りの一つである、なまはげ柴灯祭り。
なまはげ行事の再現があり、大晦日の夜の様子を見ることができます。
なまはげ踊り、なまはげ太鼓と壮大な演舞を披露。
クライマックスで松明を手にしたなまはげが山を降りてくる姿は圧巻です!
毎年2月の第二金・土・日曜日の3日間で開催されます。
東 京でもなまはげに会える!
【AKITA DINING なまはげ 銀座店】
きりたんぽやハタハタなど、秋田の郷土料理を楽しめるお店で、横手のかまくらをイメージした可愛らしい個室があります。
AKITA DININGなまはげでは、なまはげが店内を練り歩くなまはげショーが大人気!
ぜひ一度訪れてみてください♪
※緊急事態宣に伴い休業しています。ご利用の際は公式HPをご確認ください。
アンテナショップ「あきた美彩館」
たくさんの秋田名物を購入することができる、アンテナショップです。
「いぶりがっこ」や「しょっつる」など定番商品はもちろん、話題のお菓子や曲げわっぱといった民芸用品など、秋田が誇る自慢の逸品のお買い物を楽しむことができます!
ここでは月に1回なまはげが登場する「なまはげ夜会」が開催されているので、なまはげを間近で見ることができますよ♪
おわりに
この記事では、なまはげの歴史や特徴、実際に会える場所についてご紹介しました。
大人にとっても少し怖いなまはげですが、厄払いや無病息災を願うために必要な存在だったからこそ、独自の形で長い間受け継がれてきたのでしょう。
大晦日の夜は、なまはげを思い出してみたり、なまはげに会える場所へ出かけたりしてみてはいかがでしょうか?
なまはげの迫力を味わい、なまはげからパワーをもらえること間違いなしです!
ユネスコは、国際連合教育科学文化機関(United Nations Educational Scientific and Cultural Organization)のことです。本記事では、日本で登録されているユネスコ無形文化遺産を一覧でご紹介します。
秋田県秋田市で8月3日から6日にかけて行われ、青森のねぶた祭りと同じく、七夕の行事である「眠り流し」がもとになって発展したお祭りです。本記事では、秋田竿燈まつりとはどのような祭りか、またその見どころなどをご紹介します。
「曲げわっぱ」とは「曲物(まげもの)」とも呼ばれる、薄く加工した木材を曲げて作られる伝統工芸品のことです。
なめらかな曲線を生かしたお弁当箱やおひつなど、蓋付きの入れ物が製品として多く見られます。
特に秋田県大館市の「大館曲げわっぱ」は有名で、1980年に日本の曲物の中で唯一、国の伝統的工芸品に指定されています。
ワゴコロ編集部による、秋田県大館市にある「大館工芸社」さんでの“曲げわっぱ体験”レポートです。
恐ろしい鬼のような面を付けた“なまはげ”で有名な秋田県。そんな秋田県では、何百年も前から受け継がれてきた技術で作り上げた、20品目以上の伝統工芸品が存在します。この記事では、経済産業大臣によって秋田県の「伝統的工芸品」として指定されている樺細工、川連漆器、大館曲げわっぱ、秋田杉桶樽をご紹介します。