奈良県桜井市三輪にある、日本最古といわれる『大神おおみわ神社』。

三輪明神みわみょうじんとして広く親しまれ、古くは“古事記”や“日本書紀”にもその記述があります。

古来、大神神社についてさまざまに語り継がれてきたのは、それだけ人々から尊ばれる神様だということ。

この記事で大神神社が祀る神様の物語を紐解くことでその魅力を再発見し、実際に霊地へ足を運んでみませんか?

大神神社とは?

大神神社とは、御祭神として大物主大神おおものぬしのおおかみ、配祀神として大己貴神おおなむちのかみ少彦名神すくなひこなのかみを祀る、長い歴史を持つ神社です。

奈良の神社で一番社格が高い「大和国一之宮やまとのくにいちのみや」と称されるだけでなく、数ある日本の神社の中でも大変歴史ある神社の一つです。

室町時代頃から明治時代にかけては「三輪明神」と呼ばれており、そちらの名称で親しんでいる方も多いかもしれません。

※配祀神:主神・主祭神ではないが、縁あって祀られている神のこと。

ぜ大神神社には本殿がないのか?

大神神社の最大の特徴は、本殿を持たず、三輪山を直接崇拝することです。

大神神社は多数の摂社・末社を持ちますが、神社自体は拝殿と神門(三ツ鳥居)のみから成り、山を含めた境内には古杉が茂っています。

古代、神様は天から山や森に降りるとされており、人々は神様が宿る神聖な地を「神奈備かんなび」と呼んで信仰していました。

三輪山はその一つだったのです。

全国の神奈備には山の他に、神木や鎮守の森などがありますが、どれも本殿を別に設けていることがほとんど。

ところが大神神社は、三輪山そのものを御神体としているため本殿を持たず、神聖な自然を直接拝するという原初の信仰を守り続けているのです。

ぜ「神=みわ」?

ところで、「神」と書いて「みわ」と読むのを、不思議に思った方もいるのではないでしょうか。

これには諸説ありますが、神体山である三輪山の読みから来ていると考えられます。

つまり、神といえば三輪山(三輪明神)を指すくらい、人々に知れ渡った存在だったのですね。

神神社のご利益は?

大神神社が祀る大物主大神は、国造りの神様として有名です。

大物主大神の“物”は精霊や魔物、“主”は頭領を示しており、いわば、精霊たちのリーダー的存在です。

人間のあらゆる営みに精通しているため、生活全般の守護神として稲作豊穣・酒造・縁結び・医薬・方除ほうよけなど、さまざまな種類のご利益があります。

大神神社の歴史

奈良時代に編纂された記紀ききによると、以下のように記されています。

遥か昔のこと、大己貴神(以下、オオナムチ)と少彦名神(以下、スクナヒコナ)が協力して豊葦原中国とよあしはらのなかつくにの国造りをしていました。

ところが、仲違いのためスクナヒコナが常世とこよの国に去ってしまい、オオナムチは独力で国を造ることに。

そこへ大神神社の御祭神となる大物主大神が出現し、大物主大神を三輪山に祀ることを条件に、国造りに協力するといいました。

大物主大神が三輪山に祀られた後、崇神天皇の時代には疫病の蔓延を沈め、五穀豊穣をもたらしたとされ、人々にそのご利益が広まることとなりました。

※記紀:古事記と日本書紀の総称。

大神神社に伝わる伝説や逸話

大物主大神は、なんと蛇体(蛇の姿)で人々の前に現れることで有名です。

古代、蛇神は水の神とされており、即ち農業の守護神でした。

そこから豊作の神様として仰がれていたのです。

また、蛇は龍の姿に変じ、雷雨を呼ぶとも考えられていたため、雷神としても信仰されています。

そんな大物主大神、さまざまな書物でその姿が伝えられています。

だまきの糸伝説(三輪山伝説)

おだまきの糸伝説とは、「三輪山伝説」の名でも知られる、大物主大神と活玉依姫いくたまよりひめの恋物語です。

これは『古事記』にも記される伝説で、大神神社の初代神主・意富多々泥古おおたたねこの出自が語られています。

活玉依姫には、夜な夜な訪ねてくる男があり、ついに身ごもります。

怪しんだ父母が男の正体を突き止めようと、糸巻き(苧環おだまき)に巻いた糸を針に通して、男の衣の裾に刺すよう活玉依姫にいいます。

翌朝、男の裾に刺していた糸は戸の鍵穴から外へと抜け出ており,糸巻きには3巻きだけが残っていました。

外へ抜け出た糸を辿っていったところ、三輪山の神の社(現在の摂社・若宮神社)に辿りつきます。

つまり、男の正体は三輪山の神、『日本書紀』では三輪山の蛇だったのです。

生まれた子は神の子であり、その子こそが初代神主・意富多々泥古でした。

また、残った3巻の糸(三勾みわ)の糸にちなんで、この地を「みわ」と名付けたということです。

この伝説は境内の“夫婦岩”に伝えられおり、縁結び・夫婦円満のご利益があります。

後ほど詳しくご紹介しますので、気になる方はぜひチェックしてみてください。

酒を生み出す酒どころ三輪

大物主大神を篤く信仰した崇神天皇の命令で、高橋活日命たかはしのいくひのみことが三輪の地で神様に捧げる御酒を造ると、たった一晩で美酒ができたといいます。

しかし高橋活日命は、美酒は彼の力で造ったものではなく、大物主大神が醸した神酒であると話しました。

それ以降、大物主大神は酒造の神としても敬われるようになりました。

三輪は味酒うまさけを枕詞に、『万葉集』の歌にも“味酒の三輪”として詠まれています。

古くから美酒を生み出す地として、広く知られていたのですね。

輪山の麓、箸墓古墳に眠る悲恋のお姫様

三輪山の麓には、“箸墓はしはか古墳”と呼ばれる巨大な前方後円墳があることをご存じですか?

この古墳に眠っているといわれるのが、第7代・孝霊天皇の娘である倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめのみこと(以下、百襲姫)で、彼女は巫女としての霊力があり、大物主大神の妻となった人物です。

神様である夫の大物主大神はいつも夜中に訊ねて来るため、百襲姫はその姿を見たことがありませんでした。

そこである日、百襲姫は「姿を見たいので朝までいてほしい」と頼みます。

朝になると、そこには美しい蛇体の大物主大神が。

百襲姫が驚き叫んだことで、恥じた大物主大神は三輪山に帰ってしまいます。

彼女はこれを深く後悔し、陰部を箸で突き絶命したのでした。

大神神社の見どころ

さて、さまざまな物語を持つ大神神社。

本殿がない代わりに、三輪山一帯には数々の摂社や、所縁のある霊地が存在します。

代表的なものだけでも、ざっと30箇所!

何度も足を運び堪能したいところですが、もし一日で周りたいのであれば、しっかりと計画を立てることが重要です。

その中でも特にオススメの8箇所と、季節の祭事をご紹介します。

殿(国重要文化財)

国の重要文化財に指定されている大神神社の拝殿は、寛文4年(1664年)に、江戸幕府の第4代将軍・徳川家綱によって再建されました。

ここから神体山である三輪山を仰ぎ見ることができます。

また、令和2年(2020年)4月から、新しい御朱印の授与がはじまっています。

御朱印には巳の神杉(後述)越しの拝殿が描かれており、“大和国一之宮”や“大神神社”という文字のほか、参拝した年月日が記されます。

拝殿でお参りした証を、御朱印で形として残せるのは嬉しいですね。

ツ鳥居(国重要文化財)

三ツ鳥居みつとりいとは、一つの明神鳥居の両脇に、小規模な二つの鳥居があるという珍しい形式のこと。

同じ形式の鳥居は、本社周辺にある摂社・檜原神社でも見ることができます。

本社の三ツ鳥居は拝殿の奥にあり、こちらも国の重要文化財に指定されています。

拝殿ができるまでは、三輪山周辺にはこの三ツ鳥居と、それに続く瑞垣みずがきしかなく、大神神社の中枢として本殿に代わって長きに渡り敬われてきました。

聖域と人間世界を区切るようにして立っており、神秘的な趣が感じられます。

の神杉

樹齢400年にもなるといわれる、巳の神杉みのかみすぎ

御祭神・大物主大神の化身である白蛇が隠れ棲むことから名付けられました。

また、江戸時代には雨降杉と呼ばれ、人々は恵みの雨を求めて参拝したそうです。

白蛇は杉の根元にある洞に住むとされており、参拝者の願い事を聞き入れてくれるそうで、「さん」と呼ばれ親しまれてきました。

好物の卵とお酒がいつもお供えされていて、参拝者が後を断ちません。

運が良ければ、白蛇を実際に見られるのだとか!?

もしかしたら、大物主大神があなたの前に姿を現してくれるもしれませんよ♪

婦岩

おだまきの糸伝説】のところでお話しした夫婦岩。

神様が宿る磐座いわくらの一つです。

二つの岩が寄り添うようにして鎮まる様は、まるで大物主大神と活玉依姫のよう。

鮮やかな緑色に苔むしているという点にも、一緒に年月を重ねてきた深みが感じられますね。

良縁や夫婦円満を願う人々から信仰を集めています。

でうさぎ

元文5年(1740年)に現在の一の鳥居前に奉納された、鉄のうさぎの置物。

なでた部分の痛みが和らぎ、福徳をもたらしてくれるといわれています。

なぜ奉納された置物がうさぎだったかは諸説ありますが、大神神社で最も重要な祭祀・大神祭が、崇神天皇8年の“卯の日”にはじまったことからとする説が有名です。

大神祭は「卯の日神事」とも称されていますし、神事とご縁の深い干支なんですね。

また、大物主大神と同一神になった大国主神は、因幡いなばの白兎を助けたエピソードを持つ神様なので、そこからきたのではないかともいわれています。

ちなみに、「卯」のかわいいお守りがあるので、こちらも要チェック!

卯には“日の出”や“出発”などの意味があるので、新しい季節や人生の転機に加護を与えてくれそうです。

掛杉

大神神社の境内にある衣掛杉ころもがけのすぎは、謡曲・三輪の舞台となっています。

ある寒い日、三輪に山居する僧都・玄賓げんぴんのもとに一人の美女が訪ねてきて、衣を貸して欲しいといいます。

玄賓は美女に衣を貸し、どこに住んでいるのかと尋ねると、美女は三輪山の杉の辺りだと答えます。

不思議に思った玄賓が後を追ったところ、杉の木に貸した衣が掛かっていました。

その美女は、三輪明神の化身だったのです。

この衣掛杉は「三輪の七本杉」の一つで、落雷のため現在は株だけが残っています。

蛇神や水神、雷神、さらには美女まで。

昔の人も、三輪明神にさまざまな魅力を感じ、あらゆる姿を連想させてきたのかもしれません。

の祭典「鎮花祭」と摂社・狭井神社


鎮花祭ちんかさいとは、毎年4月18日(旧暦3月)に行われる、疫病の流行を防ぐための儀式です。

春の花が飛び散るときに、疫神が分散して疫病を流行させるといわれており、それを鎮めることから「はなしずめのまつり」とも呼ばれ、大神神社と摂社・狭井さい神社にて執り行われてきました。

疫病除けとしてのご利益で知られる狭井神社には、忍冬・百合根などの薬草が供えられ、全国の製薬業者が参拝に訪れるので、俗に「薬まつり」とも呼ばれています。

境内には万病に効くという薬井戸があり、湧き出る薬水は万病に効果があるそう。

飲めば体の内側から清められ、明日を元気に迎えられるはず。

美和の杜展望台

神々しい神体山や三輪の地を、視界いっぱいに味わいたい!

そんな方は、ぜひ大美和の杜展望台へ。

奈良県景観資産に指定されており、東に三輪山、西に大和盆地が一望できる展望台です。

春には青々とした三輪山を背景に、桜が美しく咲き誇ります。

季節に応じた顔を見せるのも、自然と共に生きる神社ならでは。

大神神社へのアクセス・境内マップ

所在地

〒633-8538
奈良県桜井市三輪1422 大神神社

アクセス

JR「三輪駅」から徒歩5分

JR西日本「三輪駅」改札を出て、正面にある商店街を抜けると、大神神社「二の鳥居」に着くことができます。

JR「桜井駅」北口2番乗り場からバスで20分

JR西日本「桜井駅」北口2番乗り場から大神神社二の鳥居前まで運んでくれる路線バス。

運行期間は土・日・祝日のみで、お休みの日もあるので注意が必要。

運賃は大人190円、小人100円となっています。

情報は変更となる場合がございます。詳細は、公式サイト等をご確認ください。

神神社の拝観時間・拝観料

拝観料はありません。

受付は午前9時から午後5時までですが、参拝自体は終日開放されています。

ご祈祷を希望する場合は、事前の申込が必要です。

輪山への入山(登拝)はできるの?

摂社・狭井神社で受付をすることで、三輪山への入山(登拝)が可能となっています。

三輪山は神様が鎮まる神聖な場所のため、長い間入山は禁止されていたのですが、三輪山を崇拝する信者の強い要望により現在は許可されています。

ただ、昨今の世情や大祭日、天候など、状況に応じて入山の可否は異なりますので、公式ホームページ等での確認が必須です。

登山道の入り口から急な階段や坂道が続く上、天候によっては道がぬかるむため、くれぐれも装備や体調管理は万全に!

神域に足を踏み入れるということなので、敬虔けいけんな心構えと覚悟が大切ですね。

また、撮影や水分補給以外の飲食は禁止など、入山の際の注意事項がいくつかありますので、事前にチェックしてからいきましょう!

情報は変更となる場合がございます。詳細は、公式サイトをご確認ください。

チェック!境内マップ

大神神社は本殿を持たない代わりに、多くの摂社や所縁の霊地があります。

行きたい所を逃したり、迷ったりしないためにも、訪れる際は境内マップを入念にチェックして行きましょう!

マップは公式HPなどで確認することができます。

情報は変更となる場合がございます。詳細は、公式サイトをご確認ください。

おわりに

古くから大切に守られてきた、大神神社の物語。

それは文字の上だけでなく、景観や儀式など、伝統的な精神が受け継がれてきたからこそ、現代にまで残っているのです。

神々は霊地そのものに息づき、現代の私たちにも恩恵を与えてくれます。

三輪は、神々と自然、そして人間が出会う神聖な地。

自然に宿る神様を訪ねていけば、きっと応えてくれるでしょう。

ぜひ足を運び、古代の風を感じてみませんか?