木曽川のほとり、断崖にそびえたつ『国宝・犬山城』は、現存する12天守の一つで、日本最古の天守の形を誇る名城です。
川のほとりに凛とそびえる雄姿は、中国の城にちなみ「白帝城」とも呼ばれてきました。
戦国時代には東西の連結点にあったため、数々の合戦の舞台にもなった城です。
そんな犬山城が令和3年(2021年)、大きな話題を呼びました。
城に使われた木材の伐採時期が科学的な見地で明らかになり、諸説あった築城時期について仮説が立てられたのです。
そこで今回は、犬山城の築城時期にまつわる従来の諸説と新たな発表のほか、城の歴史や見どころ、周辺の観光スポットなども紹介していきます。
犬山城とは
愛知県犬山市に建つ犬山城は、江戸時代までに建造された現存する12天守の一つで、国宝に指定されています。
築城以降、何度か争奪戦の舞台となり、城主がめまぐるしく入れ替わりました。
現在の天守の築城年代については、この地に城が最初に築かれた室町時代後期(1530年頃)とする説や江戸時代初頭(1600年頃)とする説などがありました。
しかし、令和3年(2021年)3月29日に愛知県犬山市教育委員会は、城に使用されている梁や柱の伐採年から、科学的に安土桃山時代中期(1585~1590年)頃に築城されたと発表しました。
その後、江戸時代初期(1617年)に徳川家重臣の成瀬氏が犬山城に入り、現在の形に改修したとされています。
いずれにしろ、現存する天守の中でも最古の様式で、3層4階地下2階の望楼型の建物です。
その天守が木曽川のほとりにそびえる姿はとても美しく、のちに江戸時代の荻生徂徠が中国の長江流域にあった城になぞらえて“白帝城”とも呼びました。
犬山城の歴史と主な城主
織 田家の時代
犬山城の歴史は戦国時代にはじまります。
天文6年(1537年)に織田信長の叔父、織田信康が築城しました。
従来、この時に建てた城が現在の1、2階部分で、のちに上階部分が追加されたのではないかとみられていましたが、令和3年(2021年)の新たな発表で、この時期のものではない可能性が高いとわかりました。
この発表で新たに築城の時期として有力になった安土桃山時代中期(1585年~1590年)に至るまでの歴史に関しては、従来の考え方でご説明します。
この地は信長の宿敵である美濃斎藤氏との国境に近い最前線の場所。
ところが信康の子・信清は斎藤氏と組んで信長に対抗したため、信長は城を何重にも取り囲み信清から城を奪います。
以降、信長の家臣の池田恒興や信長の子・勝長など複数の武将が城主となりました。
豊 臣秀吉・徳川家康の時代
本能寺の変で織田信長が亡くなった後、この地は信長の次男信雄が領有し、その家臣中川定成が城主となりました。
天正12年(1584年)の小牧長久手の戦いでは、羽柴秀吉陣営と徳川家康・織田信雄陣営が争います。
そして、かつての城主・池田恒興が夜半に乗じて木曽川を渡って犬山城に侵入し、攻め落としました。
ここに秀吉が入り、小牧山城に布陣した家康と対峙したといいます。
戦いの後、犬山城はいったん織田信雄に返却されました。
なお、犬山城に使われた木材の伐採年代(1585年~1588年)から、織田信雄陣営にあった安土桃山時代中期(1585年~1590年)に、現在の犬山城の築城が始まったと推測されています。
天正18年(1590年)に信雄が改易され、犬山城は天下を統一した秀吉の支配下に置かれました。
そして秀吉の命で犬山城主は次々と変わりますが、関ヶ原合戦の時に城主だったのは秀吉に仕え、石田三成の西軍に属した石川貞清。
犬山城は東西の接点となり、関ヶ原合戦の直前に東軍に攻められた犬山城は敵方にわたりました。
関ヶ原合戦後、犬山城には何人かの徳川方の武将が入城しました。
そして最終的に城主となったのは、徳川家重臣で尾張徳川家の家老を任された成瀬正成です。
従来、現在の犬山城は成瀬氏が築城したという説もありましたが、今回の発表で現在の天守は成瀬氏が入城した時には既に建っていたと考えられます。
とはいえ天守は築城当時とあまり変わらない、実戦向けで、無骨な姿をした建物だったでしょう。
装飾などを施して現在のような天守に整備し、その後は幕末まで成瀬家の居城となりました。
ただし、成瀬氏は城主であっても大名ではなく、尾張徳川家の家老だったそうです。
明 治維新後も成瀬家が城主
明治維新後、犬山城は愛知県の所有となり天守以外取り壊されます。
しかし、明治時代に天守の修繕を条件に成瀬家に譲渡され、昭和10年(1935年)に旧国宝、昭和27年(1952年)に国宝に指定されました。
そして、犬山城は戦後も成瀬家が所有するという全国でも珍しい個人所有の城となりますが、平成16年(2004年)に法人の犬山城白帝文庫に移管されました。
犬山城の特徴
断 崖に建つ後ろ堅固の城
犬山城天守は、木曽川にのぞむ絶壁の上に建っています。
なぜ崖の上に建つのかというと、城の背後から攻められないためです。
このように城の背後、ここでは北の防備をかためた城のことを後堅固の城といいます。
断崖と川という天然の要害に守られた場所からは、敵も攻めにくいですよね。
このように、背後の守りをかたくしたうえで、南側には本丸が建ち、さらに階段状に杉の丸、樅の丸、桐の丸、松の丸が配置されていたようです。
また、城下町も総構えとなり、城下町の外側に堀が設けられていました。
個 人所有の城
犬山城は全国でも珍しく、平成の時代まで城主がいたお城です。
つまり個人所有だったわけですが、それは次のような経緯がありました。
明治時代に犬山城はいったん愛知県の管理下に置かれ、天守以外のほとんどの建物が破却されています。
ところが、明治24年(1891年)の濃尾地震で天守が半壊したため、困った愛知県は修繕と保存を条件に旧領主の成瀬氏に譲渡したのです。
成瀬氏は義援金などを募り、修復したといいます。
こうして犬山城は昭和、平成も個人所有の城として受け継がれ、国宝にも指定されました。
成瀬家の方が城主として実際に住んでいたわけではありませんが、何かあってはいけないと、個人で城を守るのに苦労は絶えなかったようです。
膨大な維持費の問題もあり、平成16年(2004年)に財団法人犬山城白帝文庫に城の所有が移りましたが、現在でも成瀬家の方々を中心に城を守っています。
犬山城の見どころ
デ ザイン性の高い天守
日本最古の犬山城天守。
それだけでも歴史的な見ごたえがありますが、ぜひ注目してほしいのが、犬山城天守に施されたさまざまな装飾がみせる“表情豊かな外観のデザイン性”です。
三角形の入母屋破風と、東南に弓なり状の緩やかな曲線の唐破風の対比が印象的で、唐破風が城に優しい雰囲気を添えていますね。
天守の最上階には、釣り鐘形の華頭窓が取り付けられています。
これは、神社仏閣などで使われる格式の高い窓ですが、面白いことに犬山城天守では窓枠だけの飾りとなっており、お城に格式と装飾性を取り入れようとした心意気が感じられます。
そして、最上階の梁と柱をむき出しにして見せる真壁造りも、しっかり城のアクセントに。
最上階に一周めぐらされたベランダのような廻縁と、その手すりの高欄も華やかですね。
犬山城に装飾性を加えたのは成瀬氏だったといわれており、城が戦いの施設から城主の権威の象徴へと変わったことを示すものだったようです。
ちなみに写真でもわかる通り、天守閣の最上階には赤いじゅうたんが敷かれています。
これは、7代城主の成瀬正壽が、親交のあったオランダ商館長を通して当時貴重だった絨毯を入手し、敷いていたのを再現したものです。
当時のお殿様がここで優雅にくつろいでいたのかもしれませんね。
とはいえ、お城なので防備は万全で、天守の南東と北西には本丸に攻め込んできた敵を側面から攻撃する防御施設である付櫓が2つも備え付けられています。
東南の櫓は大きく建物が飛び出た場所なので分かりやすいのですが、天守正面から見て左の奥にある北西は少しわかりづらいかもしれません。
天守の中は石垣の中の地下2階が入り口になっており、地下1階では内部から石垣を見ることができます。
そして上階へと上ると、なんといっても最上階からの眺めが抜群。
遠くは岐阜城や名古屋城まで望むことができます。
しかも、全国の城でも珍しく開放的な廻縁に出られるので、スリルと開放感を味わいながら360度の眺望を楽しめますよ。
殿様気分になって景色を見渡してみましょう。
天 守以外の見どころ
犬山城のご神木「大杉様」
天守の東側に、城のご神木「大杉様」が祀られています。
築城以前から存在する樹齢650年の杉の老木で、もとは天守よりも大きかったとか。
城の身代わりとして雷に打たれ、台風の時には風よけになるなど、天守を守るご神木とみなされてきました。
昭和の中頃に枯れてしまいましたが、現在でも大切に祀られています。
石段の階段 空堀
敵が攻めにくいよう、天守への道はまっすぐではないのが普通です。
犬山城でも、天守に行き着くためには曲がりくねった石段を登る必要がありますが、その途中には空堀や石垣など数々の遺構も。
特に、黒門跡から本丸へ向かう西側を取り巻く空堀は、当時のままの姿が残されています。
その幅約8mもあり、深さも相当なものなので、落ちたら大変ですね!
鉄門
犬山城本丸の門は、鉄門と呼ばれていました。
本丸を守るために門の上に櫓という建物をのせた、櫓門だったと考えられています。
櫓門は防御の施設であるとともに、格式の高い門でした。
現在は模擬の門が作られていますが、当時の雰囲気を今に伝えています。
四季で楽しむ犬山城
犬 山城×桜
犬山城では、春になると昭和時代中頃に成瀬家の自宅から分け木して植えた桜が咲き誇ります。
また、犬山城近くを流れる木曽川河畔一帯に並ぶ約400本の桜並木も見逃せません。
何より、犬山城天守から見下ろす満開の桜は圧巻の美しさですよ!
犬 山城×花火
犬山市では、国宝の犬山城を背景に約10日間にわたって花火大会が行われます。
毎日200発、最終日は「日本ライン夏祭り納涼花火大会」と題し、3,000発もの花火が木曽川から打ち上げられます。
(※2020年はコロナの影響で開催されませんでした)
ライトアップされた犬山城をバックにした、城と花火のコラボは感動ものです♪
犬 山城×紅葉
毎年11月下旬から12月初旬にかけて、犬山城でも紅葉を楽しむことができます。
登閣道の石段の真っ赤な紅葉のアーチの中を通り、天守前広場の目にも鮮やかな紅葉を楽しんだ後は、天守閣へ。
ここから一望にする紅葉の眺めは絶景です!
犬 山城×雪
冬は雪が降り積もり、犬山城も雪化粧となることがあります。
白く染まった木々に浮かぶ雪化粧のお城は、異次元に迷い込んだかのように幻想的。
城内からも、銀世界に染め上げられて白く輝く街並みを一望にすることができますよ。
雪の犬山城もぜひ写真におさめたいビュースポットです!
犬山城へのアクセス・営業時間・入場料金
ア クセス
【所在地】
〒484-0082
愛知県犬山市犬山北古券65-2
電車を利用する場合
名鉄「犬山駅」から徒歩約20分
車を利用する場合
名神高速小牧IC、名古屋高速小牧北IC、中央道小牧東IC、東海北陸道岐阜各務原IC、それぞれから約25分
営 業時間・入場料
営業時間:9時~17時(入場は16時半まで)
入場料:一般 550円
小中学生 110円
情報は変更となる場合がございます。詳細は、公式サイトをご確認ください。
犬山城周辺の観光スポット
【 犬山城下町】食べ歩きを楽しもう!
犬山城の南に広がる城下町は、木戸や土塁で囲まれた総構えの役割を果たしていました。
現在も江戸時代と変わらない町の区画が残り、古い町屋も立ち並びます。
人気の手づくり五平餅など、串物を食べ歩きしながらそぞろ歩きをするのもオススメです。
【 三光稲荷神社】ハートの絵馬で縁結び♡映えスポットもたくさん!
三光稲荷神社は犬山城のふもとにあり、城主だった成瀬家の守護神としてあがめられてきました。
商売繁盛などのご利益で知られていますが、近年は縁結びや安産祈願のご利益でも知られています。
ハート型の絵馬や連なる朱塗りの鳥居などは、映えスポットとしても大人気です!
【 どんでん館】ユネスコ無形文化遺産“犬山祭”を体感しよう!
どんでん館では、毎年4月に行われるユネスコ無形文化遺産“犬山祭”に登場する、大迫力の車山を4輌展示しているほか、犬山祭の映像や資料を展示しています。
実物の車山には圧倒されますよ!
実際の犬山祭を見たくなること間違いなしです♪
ユネスコは、国際連合教育科学文化機関(United Nations Educational Scientific and Cultural Organization)のことです。本記事では、日本で登録されているユネスコ無形文化遺産を一覧でご紹介します。
【 城とまちミュージアム・からくり展示館】犬山城の歴史を知ろう!
江戸時代の犬山城と城下のジオラマが展示されており、当時の様子や暮らしぶりを知ることができます。
犬山の歴史や文化を知るのにオススメの場所です。
その別館にある「からくり展示館」は、からくり人形のミュージアム。
犬山祭の車山で披露するからくり人形を始めとした人形が展示され、日によってはからくりの実演や制作風景も見学できます。
【 昭和横丁】昭和レトロを感じよう!
昭和レトロな建物の中に、焼き鳥や団子などの名物の屋台が並んでいます。
フードコートのような感覚で、いくつものお店から注文して楽しむこともできますよ♪
また、駄菓子屋、占いなど懐かしい昭和のお店や昭和のディスプレイも。
ぜひ、タイムスリップしたような感覚を味わってみてください!
【 旧磯部家住宅】
江戸末期に建てられた商家で、国の登録有形文化財です。
奥行きが細長いウナギの寝床のような造りと、ゆるやかなカーブが特徴の“起り屋根”などを見ることができます。
犬山の町屋で起り屋根を見ることができるのは、この旧磯部家住宅だけです。
まとめ
犬山城と城下町についてご紹介しました。
国宝の犬山城は、令和の時代に入っても築城の時期について新たな発見がなされるなど、いまだ多くの注目を集めています。
今回明らかにされた築城の時期から考えても、現存する日本最古の様式の可能性が高い名城です。
400年以上前に建てられた天守が残されているとは、奇跡ともいえますよね。
実際に城を見て触れれば、当時の人々に思いをはせることができるでしょう。
そして、最上階からは当時の人々も見ていたであろう四季折々で違う絶景を楽しんでみてください!
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