青森県弘前市にある「弘前城ひろさきじょう」は、現存する12天守の一つで、重要文化財に指定された名城です。

江戸時代を通じて弘前藩津軽氏の居城となり、現在は弘前公園として整備され多くの人で賑わいます。

今回は、そんな弘前城の歴史や特徴、見どころのほか四季折々の景観や周辺の観光スポットなどをご紹介していきます。

弘前城とは

弘前城は、現存する12天守のうち東北地方唯一の城で、400年の歴史を誇ります。

弘前藩を創立した津軽為信つがるためのぶが築城を計画し、その息子の津軽信牧つがるのぶひらが慶長16年(1611年)に完成させ、江戸時代を通じて弘前藩津軽氏の居城となりました。

城郭は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6つで構成された平山城で、天守は3重3階。

弘前城はこれら城郭の縄張りが当時のまま残っている、大変珍しい城としても有名です。

今では天守と3棟の櫓と5棟の城門が現存し、国の重要文化財に指定されています。

現在の天守は3重ですが、津軽信牧が築城した当時は5層の大きな天守でした。

なぜ江戸時代に天守が変わったのか、その理由も含めてまずは城の歴史を見ていきましょう。

弘前城の歴史

鷹岡城として築城

当時、青森県周辺を納めていた南部氏から独立して津軽を統一した津軽為信は、徳川幕府の成立とともに慶長8年(1603年)に4万7千石の弘前藩を成立させました。

そして、鷹岡(現在の弘前)に築城を計画します。

その跡を継いで2代藩主となった津軽信牧が、慶長16年(1611年)に5重6階の立派な天守を持つ弘前城を完成させました。

なお、この時の弘前は城地が高台にあり、鷹が生息していた森だったことに由来して高岡、または鷹岡と呼ばれており、城も当初は鷹岡城と呼ばれていました。

5層の天守が落雷で爆発!鷹岡城から“弘前城”に

ところがその津軽のシンボルともいえる5重天守は、寛永4年(1627年)に落雷のため焼失してしまいます。

シャチホコに雷が落ち、灼熱で真っ赤になった吊り鐘が地下に落下して火薬に引火し大爆発が起こったのです。

この時の爆発は凄まじく、火柱は約20㎞離れた地からも見えるほど高く舞い上がり、火の粉は周囲約8㎞も飛び散ったといいます。

弘前城の本丸御殿、天守、他の櫓などが一瞬にして焼け落ちてしまいました。

翌年、魔除けの意を込めて城を鷹岡城から弘前城へと改名します。

弘前の名の由来はこの地が以前、広崎と呼ばれていたことなどいくつかの説があり、一説には津軽信牧が帰依していた天台宗の天海僧正の提案で、天台密教の魔除けの意味があるともされています。

爆発から200年、ついに3重天守を再建

当時、幕府は新しく城を築くことを規制していたため、弘前城は天守のないままの状態が約200年も続きました。

やがて津軽藩9代藩主・津軽寧親つがるやすちかの時代、ロシア船が津軽海峡付近に出没していたため、弘前藩は幕府から警備を命じられます。

津軽寧親はその防衛と称し、幕府の許可を得て文化7年(1810年)に隅櫓を改築する形で、西南隅に3層3階の天守を復活させたのです。

ただし、表向きはあくまでも「櫓」の再建でした。

約100年ぶり?動く弘前城

明治維新を迎え、明治28年(1895年)に弘前城は弘前公園として整備され、一般に開放されます。

昭和12年(1937年)には、当時の国宝(現在の重要文化財)に指定され、昭和25年(1950年)に国の重要文化財に指定されました。

そして平成23年(2011年)には弘前城築城400年祭が開催され、平成27年(2015年)から膨らみがあり危険だとされていた本丸石垣の修理工事が始まります。

この工事には、約100年ぶりに天守を解体せずに引っ張って数十m移動させる、“曳屋ひきや”という方法が用いられました。

工事に伴い展望台ができたことにより、岩木山をバックにした天守という光景がみられるようになりました。

この光景は天守が元の位置に戻されるまでの期間限定となりますので、ぜひチェックしてみてください♪

※元に戻るのは早くても2025年とされています。

弘前城の特徴

ここからは、弘前城の特徴についてご紹介します。

東北を代表する桜の名所

現在、弘前公園となっている弘前城は日本三大桜名所の一つで、毎年「弘前さくらまつり」が開かれます。

春になると、東京ドーム約10個分の敷地に、樹齢130年を超えるソメイヨシノをはじめ、シダレザクラや八重桜など約2600本の桜の木が咲き誇ります。

この美しい桜の景観は、明治時代に荒れた城跡をみかねた旧藩士らが、ソメイヨシノなど桜の木を植えたのが始まりとされ、その後も植樹されて今のような桜の名所となりました。

弘前城の桜がとくに美しいのは、“桜守”と呼ばれる樹木医が桜を管理して見守っているからです。

リンゴの剪定技術を生かし、桜の枝を目線と同じような低い位置で横に広がるように剪定しているため、間近に迫るような迫力のある桜景色がみられるのです♪

雪国ならではの工夫

弘前城には雪国ならではの工夫も随所に見えます。

例えば、青森のように寒さが厳しい地域において、屋根に普通の土瓦を使用すると雨や雪が染み込み、寒さで瓦が凍り割れてしまうことがあります。

そこで弘前城では、天守の屋根に木製の瓦に銅を貼った金属の銅瓦を使ったようです。

耐水性、耐寒性を高めるとともに、中は木製のため軽量化にも成功しています。

また、弘前城の現存する門は、間口の高さが他の城の物よりも高いことが特徴的です。

これは積雪時でも槍を掲げて門を通過できるように施されたとされています。

弘前城にまつわる女たちの悲劇

弘前城には、2人の女の悲しい伝説が伝えられています。

前述したように、弘前城の最初の5重の天守は、寛永4年(1627年)の落雷により焼失しました。

実はこの火災、当時の藩主であった津軽信牧の伯母の祟りだと恐れられたそうです。

この伯母は初代・津軽為信の妻・阿保良おうらの姉でした。

津軽為信が南部氏に反旗を翻したため、この伯母は南部氏一族の夫から離縁され、津軽為信を恨みながら死んでいったのです。

それは落雷から30年以上も前の出来事でしたが、それでも城内にはこの伯母の怨霊が出没すると恐れられていました。

この祟りから逃れるため津軽信牧は落雷の翌年、天海僧正の助言で弘前へと改名しています。

もうひとりの女性は、弘前城に嫁いできた津軽信牧の妻・満天まて姫(徳川家康養女)です。

満天姫の連れ子である直秀は、成長すると実父の福島氏のお家再興を図るべく、幕府に訴え出ようと計画します。

満天姫は説得をしても息子が考え直さないと知ると、江戸に行くという直秀に別れの盃を与えました。

ところが、これを飲み干した直秀は直後に苦しんで絶命したとか。

満天姫が津軽家に禍が及ぶのを恐れて、泣く泣く息子を葬ったのではないかともいわれています。

津軽家を守ろうとした悲しい母の伝説ですね。

弘前城の見どころ

ここからは、弘前城の見どころをご紹介します。

東北の青空に映える天守

天守は3重3階の白漆喰総塗籠しろしっくいそうぬりごめで、屋根は銅瓦をいています。

東と南面には大きな出窓と狭間窓を用いて小さな建物を大きく華美に見せる一方、北と西面や内部は質素に作られているのでこの違いを楽しんでみてください。

青空に佇む白い天守は、息をのむ美しさですよ。

現存するその他の建物

二の丸には南東の辰巳櫓、南西の未申櫓さるひつじやぐら、北東の丑寅櫓うしとらやぐらの3重3つの櫓があり、いずれも土蔵造りです。

門は5つ現存していますが、そのうち規模の大きい北門の亀甲門かめのこもんは、築城時は正門でしたが、のちに裏門になりました。

戦国期に建っていた門を移築したため、柱には多数の矢傷が残っています。

弘前城の季節ごとのイベント

ここでは、弘前城の季節ごとの様子とイベントをご紹介します。

桜の絶景が彩る春の弘前城

日本三大桜の名所の一つに数えられる弘前城。

毎年、約2600本の桜に弘前城が華やかに彩られます。

桜のトンネルを造りだすほりの桜、そして桜の花びらが水面に舞い落ちてピンクのじゅうたんを作り出す“花筏はないかだ”は、一見の価値ありです!

また、天守が移動している間だけ見ることができる、展望デッキからの天守・岩木山・桜がコラボした眺めも必見ですよ♪

そしてもうひとつ、城内には桜の隠れスポットが!

桜の枝で作られるハートの形がSNSで話題となっています。

場所は公開されていないため、どこにあるのか探してみてくださいね。

満開の時期には“弘前さくらまつり”が開催され、公園は多くの出店や観光客で賑わいます。

夜にライトアップされた桜と弘前城も幻想的ですよ♡

菊と燃えるような紅葉が美しい秋の弘前城

例年10月下旬から11月上旬にかけて、「弘前城菊と紅葉まつり」が開催され、1000本以上の楓が弘前城を彩ります。

燃えるように真っ赤な楓は圧巻!

弘前公園内の植物園には、ねぷた絵と菊人形のコラボなど、美しい菊のモニュメントが飾られています♪

雪燈篭が幻想的な冬の弘前城

2月には「弘前城雪燈篭まつり」が開催されます。

弘前公園内には、ねぷた絵をはめこんだ雪燈篭ゆきどうろうやミニかまくらが数百基も並びます。

夜には雪燈篭やミニかまくらにろうそくが灯されて、えもいわれぬ幻想的な世界が浮かび上がります♪

メインの四の丸に登場する大雪像も大迫力なので、ぜひ見てくださいね!

弘前城へのアクセス・営業時間・入場料金

アクセス

所在地
〒036-8356
青森県弘前市下白銀町1

公共交通機関利用する場合

【東京から弘前駅まで】
・東京駅から新幹線はやて「新青森駅」下車、「新青森駅」から特急つがる「弘前駅」
 下車
・羽田空港から飛行機で「青森空港」に行き、そこからバスで「弘前駅」
・上野駅からバス(スカイ号・パンダ号)で「弘前バスターミナル」
・品川・浜松町からバス(ノクターン号)で「弘前バスターミナル」

【弘前駅から弘前公園】
・弘前駅から徒歩約30分
・弘前駅から循環バス「市役所前」下車 徒歩約4分
(循環バス乗車時間は約15分)

車を利用する場合

・東北自動車道大鰐ICから国道7号線で約25分
・弘前駅から約10分

営業時間・入場料

営業時間
営業時間:9時~17時(ただし時間や休館日は要確認)

入場料
弘前城公園内はいくつかの有料区域に分かれています。

弘前城本丸・北の郭入場料
・大人 320円
・子供 100円

弘前城本丸・北の郭、弘前城植物園・藤田記念庭園の共通入場料
・大人 520円
・子供 160円

情報は変更となる場合がございます。詳細は、公式サイトをご確認ください。

弘前城周辺の観光スポット

弘前城のある弘前公園と、城周辺の観光スポットをご紹介します♪

【弘前公園】植物園や博物館も

「弘前公園」は、弘前城を公園として開放したものです。

園内には天守をはじめとした文化財のほか、観光スポットや子ども広場、休憩スペースなどがあり、1日では足りないぐらいです!

4月~11月に開館する弘前城植物園は、城の三の丸の場所にある植物園で、23のゾーンに分かれ、さまざまな庭園や1500種の草花を観賞することができます。

標準散策時間は1時間ですが、自由広場もありピクニック気分で楽しめますよ♪

三の丸の一角には弘前市立博物館があり、弘前藩の歴史資料や美術工芸品などが展示されています。

【津軽藩ねぷた村】ねぷたを体験できる施設

ねぷたをテーマにした体験型の観光施設である「津軽藩ねぷた村」。

弘前ねぷたの常設展示や金魚ねぷたの製作体験、囃子や津軽三味線の生演奏の実演を聴けるなど、ねぷたと津軽の魅力を楽しめますよ♪

体験エリアは有料ですが、物販エリアは無料で入ることができます。

※東北地方各地で行われる七夕のお祭り“ねぶた”を弘前市では“ねぷた”と発音する。

【弘前市りんご公園】でりんごの収穫体験♪

「弘前市りんご公園」では80種、約2300本のリンゴの木が植えられ、8月から11月上旬までリンゴの収穫体験ができます。

1年を通してリンゴを販売しているほか、リンゴにこだわった商品も販売されています。

“すり鉢山展望台”からは、岩木山が一望できますよ。

【モダンな洋館巡り】ハイカラな洋館

城下町弘前は明治以降、積極的に外国人教師を招いて教育に力を入れてきたため、モダンな洋館が多く建ち並んでいます。

弘前公園近くの洋館をいくつかご紹介します。

藤田記念庭園

広い庭園のある洋館から、岩木山を眺めることができます。

広大な敷地には、主座敷と岩木山を借景にした離れからなる和館や茶室もあります。

旧弘前市立図書館

左右八角形の赤いドーム屋根が印象的な洋風3階建ての建物。

1階は図書館の様子を復元しています。

青森銀行記念館

木造ルネサンス様式で完成度の高い和洋折衷の建物。

令和3年(2021年)にリニューアルオープンし、建物の魅力を紹介する展示などがあります。

日本キリスト教団弘前教会

東北初のプロテスタント系教会で、重厚なゴシック様式が特徴。

カトリック弘前教会

ロマネスク様式の建物で、内部のステンドグラスの美しさも魅力です。

【岩木山神社】岩木山をご神体とする古刹

創建1200年以上の歴史を持つ岩木山をご神体とする「岩木山神社」。

鳥居からは、その山容の美しさから“津軽富士”ともいわれる岩木山を望むことができます。

本殿まで木々に囲まれた厳かな参道が続き、江戸時代に建てられた秀麗な本殿や拝殿は国の重要文化財に指定されています。

おわりに

現存12天守の一つ、弘前城を紹介しました。

弘前城は津軽氏の城で、5重の天守から3重の天守になるという歴史的な出来事もありました。

いまでは桜、雪など季節の見どころも多く、季節を変えて訪れると全く異なる風情を楽しむことができます。

とくに現在は天守が移動中のため、今しか見ることのできない光景がありますので、見逃さないでくださいね。