陶磁器(焼き物)とはなにか。

陶磁器(焼き物)の歴史や種類について解説していきます。

読むだけで陶磁器の知識が身につくので器選びが楽しくなるはずです。

器にこだわるようになると食卓が豊かになって食事が楽しくなります。

料理にもこだわるようになるでしょう。

奥深い陶磁器の世界。入口までみなさまをご案内します。

日本の陶磁器(焼き物)の歴史

日本では縄文土器以来、長く土器の時代が続きました。

5世紀に朝鮮から高温で焼く須恵器が、7世紀には唐から釉薬の技術が伝わり、やがて平安末期から鎌倉時代にかけ、現在も操業が続く「六古窯ろっこよう」(瀬戸、常滑、信楽、越前、丹波、備前)で陶器の生産がはじまりました。

室町時代から安土桃山時代にかけ、「茶の湯」の流行とともに独自の焼き物文化が華開きます。

この時期に多くの茶陶器の名品が作られ、現在まで伝わっています。

そして文禄・慶長の役(1592年~1598年)の際に朝鮮半島から連れて来られた陶工が、西日本各地で窯を開き、日本の陶器製造の技術力や生産力は飛躍的に向上しました。

17世紀初頭、李参平りさんぺいが肥前有田で磁器の焼成に成功し、磁器の製造法は九谷や瀬戸、京都、砥部、会津本郷など全国各地に伝わります。

磁器は庶民の間にも流通し、日本の陶磁器文化はいっそう豊かなものになりました。

また、独特の赤色絵具と金彩を施した「柿右衛門様式」「金襴手きんらんで」などの有田の優美な色絵磁器は「伊万里焼」としてヨーロッパに輸出され、当時の王侯貴族を魅了しました。

明治になると、政府は「殖産興業」の政策を掲げ、万国博覧会に陶磁器を出品し、好評を得ます。

日本ブーム(ジャポニズム)が広まり、各地で装飾性の豊かな欧米向け貿易品が製作されるようになります。

明治後期から大正、昭和にかけて個人作家の活動が活発になる一方で、柳宗悦やなぎむねよしをリーダーとする「民芸運動」も起こりました。

これは、民衆の作った工芸品の中にある美しさを見出す動きで、日用雑器を得意とする窯業地の再評価につながりました。

各時代における陶磁器(焼き物)

き物が登場した縄文時代~古墳時代

陶磁器(焼き物)の歴史はとても古く、縄文時代(約1万5000年前~約2300年前)までさかのぼります。

その後、弥生時代から古墳時代にかけて土師器はじきや埴輪が登場します。

弥生時代の土師器は縄文時代の土器と製造方法や様式が著しく異なっており、大陸からやってきた渡来人の影響がうかがえます。

5世紀頃には朝鮮半島から新しい製陶技術が伝わり、高温で還元焼成した須恵器が登場します。

須恵器には日本陶磁史上ではじめて釉薬が使用されました。

釉薬とは器の表面を覆うガラス質のことです。

この時代の釉薬は草木の灰を主原料としています。

器ができた飛鳥時代~平安時代

飛鳥と奈良時代(538年~794年)を経て平安時代(794年~1185年)に入ると、地方豪族が力を持つようになり、各地に陶器を製造する窯が登場します。

中でも愛知県の猿投窯さなげようでは、高温焼成した灰釉陶器かいゆうとうきが大量に生産されるようになりました。

猿投窯さなげようでは、名古屋市東部から瀬戸市南部、豊田市西部一帯の広大なエリアに1000基を越す古窯跡が点在しています。

日本三大古窯(大阪府堺市陶邑窯跡群、愛知県名古屋市猿投窯跡群、愛知県渥美窯跡群)の一つです。

平安時代(794年~1185年)の終わりには、硬く焼きしめた耐水性のある陶器が常滑や渥美半島の周辺、滋賀の信楽、兵庫の丹波、岡山の備前といった地域に登場します。

庶民が食器として陶器を使うようになったことが、各地で実用に耐える陶器の大量生産がはじまった要因です。

器の黄金時代!鎌倉時代~桃山時代

鎌倉から室町時代(1185年~1568年)に入り、京都では中国渡来のいわゆる唐物からものとよばれる陶器が珍重され、さかんに唐物写しが焼かれるようになりました。

しかしそのブームは長続きすることなく、やがて東山文化の時代を迎えます。

室町時代の後期からは日本独自の文化を重んじる美意識が生まれ、千利休の登場で日本ならではの「侘び寂び」を感じさせる和物の地位が急上昇します。

桃山時代(1568年~1615年)には、長次郎による楽茶碗をはじめ、美濃の黄瀬戸や瀬戸黒、志野、織部をはじめ、信楽や伊賀、唐津など、茶道道具の名品を産出する窯が次々に現れ、日本陶磁史における黄金時代を迎えました。

器が誕生した江戸時代

江戸時代に入ると京都に御本手とよばれる技術を確立した野々村仁清が登場し、尾形乾山などの陶芸家も現れて京焼は黄金時代を迎えます。

御本手とはお手本という意味です。

日本でお手本となる器を作って釜山などの窯へ送り、その通り焼いてもらいました。

赤みのある斑紋が特徴です。

絢爛豪華な京焼がもてはやされているころ、九州の有田一帯で、朝鮮半島の陶工(李参平たち)が伝えた磁器が焼かれるようになります。

有田で最初に磁器が焼かれたのは1610年代のことです。

有田焼は積み出し港である伊万里の名にちなんで「伊万里焼」と呼ぶことがあります。

中国景徳鎮の青花磁器を手本にした「伊万里焼」は、上絵付である色絵の技法も吸収しました。

やがて「伊万里焼」は世界的に知られる磁器の生産地へと発展していきます。

17世紀後半から18世紀前半にかけて、オランダ東インド会社を通じてヨーロッパなど世界各国に磁器を輸出するようになりました。

また、1640年代に中国人陶工による技術革新で、一次焼成の後に上絵付けを行う色絵磁器が登場します。

これが「古九谷様式」と呼ばれる磁器です。

1660年代には「柿右衛門様式」が登場。

磁器生産トップブランドとして不動の地位を有田にもたらすことになります。

おわりに

陶磁器(焼き物)とはいったい何なのか簡単に解説してきました。

日本の焼き物は朝鮮半島や中国の景徳鎮などから技術を導入して、日本独自の姿へと成長させていきました。

一汁一菜の昔から引き継いできた食事様式が、茶道文化を生み出し、美しい器を創り出す原動力になっています。