「伊万里焼」といえば、高級陶磁器の代名詞ともなっていますよね。

日本のみならず、世界的にもその名が知られているほど。

皆さんは、「伊万里焼」と聞いて、どのような焼き物かすぐに頭に浮かべられますか?

有田焼と混同される方も多いのではないでしょうか。

そこで、今回は伊万里焼について、有田焼との違いも含めて詳しく解説していきたいと思います。

伊万里焼と古伊万里とは?


テレビなどで骨董品の「古伊万里」が紹介されると、その値段に皆さんびっくりしますよね。

実は古伊万里とは、江戸時代に有田地方で生産された磁器製の有田焼のこと。

伊万里の地は波が穏やかな伊万里湾に面し、貿易船の停泊に大変適した土地でした。

ちょうど山一つ隔てた場所に有田焼の産地であり、同地を治めていた肥前藩が貿易商品の有田焼を伊万里港まで運び、ヨーロッパや東南アジア、及び日本国内に出荷していました。

※肥前藩:肥前藩、佐賀藩、鍋島藩は呼び名が違うだけで歴史上全て同じ藩である。藩庁があった場所が佐賀だったので佐賀藩、国名が肥前なので肥前藩、同地を治めていたのが鍋島家だったので鍋島藩と呼ばれている。

当時、磁器は中国と日本以外では生産が不可能で、特にヨーロッパでは大人気でした。

しかし、ヨーロッパでは日本の情報はほとんどなかったため、出港地の伊万里港の名を取って有田焼を「Imari」と呼ぶようになりました。

古伊万里と呼ばれる有田焼は、貿易品として当時としては非常に高い技術で作られていたため、骨董的な価値も加味し非常に高値で取引されています。

つまり、「古伊万里」をはじめとする古い時代の伊万里焼は、伊万里港から出荷された焼き物の総称だったのです。

伊万里焼と有田焼の違い

実は現在、伊万里焼と呼ばれているのは、明治以降に伊万里地区で焼かれている磁器のことなんです。

かつて肥前藩が治めていた佐賀、長崎両県は陶業が盛んで、有田焼以外にも波佐見はさみ焼、三河内みかわち焼、唐津焼、高取焼などが点在する日本有数の陶磁器産地であり、伊万里焼もその中の一つでした。

基本的に有田焼とは歴史的に親戚関係にあり、細かな違いはあれども大まかな技法は有田焼と大差はなく、雰囲気も似た感じなので素人目ではその違いがほとんどわかりません。

実際に伊万里焼が焼かれる伊万里市と有田焼が焼かれる有田町は隣り合わせで、生産地区自体が山一つ隔てただけ。

今も問屋などを通じ互いに交流があるので、作風も似ています。

現在は行政地区が違うので、それぞれ個別に組合を作り活動しています。

伊万里焼の歴史

先ほど伊万里焼は有田焼と親戚関係にあると述べましたが、どのような関係にあるのか、まずは歴史的背景についてお話しましょう。

伊万里の地で焼かれていたのは鍋島焼

古伊万里は江戸時代の有田焼のことでしたが、実は当時も伊万里の地で焼き物は作られていました。

それが肥前藩の御用窯である「鍋島焼」。

肥前藩を治めていた鍋島家がその名の由来です。

有田焼が貿易品だったのに対し、鍋島焼は将軍や朝廷に贈呈する献上品でした。

肥前藩では当時最新の科学技術であった「磁器」の生産法や、中国の職人から習得した絵付け技法を極秘にするため、優秀な有田焼の職人を選び伊万里の大川内山おおかわちやま地区に集約させました。

大川内山の地は四方を山に囲まれ、さらに磁器の生産に必要な豊かな水を確保する川が中央に流れています。

まさに磁器の生産と世間からの隔離に大変適した土地柄で、大川内は「秘窯の里」とも呼ばれており、肥前藩はこの地でそれこそ金銭に糸目を付けず高品質な磁器を作らせました。

鍋島焼がはじまった当時、日本の上流階級では茶道具として中国製の染付磁器が大変もてはやされていました。

鍋島焼でもその流れを汲み、呉須染付や、呉須染付に色付けをした色鍋島と呼ばれる焼き物が製作されました。

※呉須染付:コバルトを含んだ釉薬で絵付けをすること、およびその技法を用いた陶磁器のこと。焼成すると青から紺色に変わるので、中国では青花と呼ばれる。

当初は中国の模倣でしたが、徐々に日本の上流階級向けに和風で洗練された絵付けに昇華していきます。

鍋島焼は江戸時代の一般庶民の眼に触れることはほとんど無く、生産数も極めて少量で、たまに払い下げ品として市中に出回るだけでした。

そのため、市場の価値も非常に高額です。

現在の伊万里焼は明治以降に発展

肥前藩の庇護を受け発展した鍋島焼ですが、明治維新で廃藩置県が行われると政府の窯も取り潰され、職人たちも自前で生活の糧を得なければならなくなります。

そこで、鍋島焼の職人たちは政府の窯のあった大川内山おおかわちやま地区の坂を中心に自ら窯を建て、民間向けの磁器の生産を開始しました。

現在では、大川内山地区がある伊万里市で生産された陶磁器を「伊万里焼」と称します。

特に大川内山地区の窯元は自らを「伊万里鍋島焼」と称し、鍋島焼の伝統を受け継ぐ高級磁器の「伊万里焼」の産地としてその名を全国に轟かせています。

伊万里焼の魅力や特徴

伊万里焼は将軍や朝廷など、国内の上流階級向けに制作された鍋島焼が前身なので、素材は磁器。

基本的な絵付けは呉須染付を基調とし、本焼きの後、赤・黄・緑の3色で色を挿す「色鍋島」が主流です。

また、題材も多くは日本画のように花鳥風月から採られていかにも和風で、白磁の余韻を活かす絵付けは、筆遣いも繊細で緻密。

全体的に上品な雰囲気を醸し出しています。

もちろん、これだけ手間と高い技術が必要なので、お値段も相応です。

一方で、有田焼は中国の景徳鎮の絵柄の模倣からはじまり、中国陶磁器に良く用いられる龍や鳳凰といった吉祥紋が多く採用されます。

白磁の余韻を活かした作品もありますが、多くは海外輸出用に容器を絵柄や派手な色彩で埋め尽くし、見た目も絢爛豪華。

他の日本の焼き物では見られない、いかにも欧米の方が好きしそうな東洋趣味の雰囲気を漂わせます。

伊万里焼と有田焼は地域的に近く、問屋などを通じ互いに交流があるため描かれる絵柄も互いに似てきています。

それぞれ特色ある作品が欲しければ、上記の内容を参考に伊万里のギャラリーを散策してみてください。

伊万里焼の窯元が集まる大川内山地区とは?

伊万里焼の里である大川内山地区は伊万里市の市街地から南の山間部にあります。

豊かな自然が残る大川内山地区には、現在、肥前藩の窯があった鍋島藩窯坂を中心に鍋島焼の伝統を受け継ぐ31件もの窯元が軒を連ね、伊万里市の観光名所になっています。

他の陶磁器産地では工房やギャラリー、また職人が住む家は別々なことが多いのですが、この大川内地区では明治時代の生活スタイルがそのまま残り、工房・ギャラリー・住居が一緒になっています。

各窯元のギャラリーには鍋島焼の伝統を受け継ぐ上品な絵付けの作品や食器類が並べられ、訪れる人の眼を楽しませるばかりではなく、街道からはそこで暮らす人々の生活の息吹も感じられます。

また、観光地として公園や散歩道なども整理され、憩いのひと時も楽しめますよ♪

JR伊万里駅からバスが出ており、県道251号線を車で走って15分ほど。

バスはローカルバスが1、2時間に1本しかありませんが、大型駐車場もあるので自家用車で行っても問題ありません。

伊万里焼の陶器市について

伊万里焼の里である大川内山地区では毎年春と秋の2回、陶器市が開かれます。

春の陶器市はゴールデンウィーク中に開催されます。

かつて肥前焼きとして肥前藩の御膝元であった有田焼、波佐見焼、唐津焼などもこの期間に合わせて陶器市を開催します。

連休中にじっくり陶磁器市のはしごができるため、九州はもとより全国から陶芸ファンが集まります。

秋は11月初旬に鍋島藩窯秋まつりと称した陶器市が開かれます。

こちらは大川内地区のみの陶器市で、ちょうど紅葉シーズンに当たるので赤く色付く山々を楽しみながらお得な作品を探索できます。

他にも、伊万里の里の大川内山地区では春の磁器ひな祭りや、夏の風鈴祭りなどのイベントも催されます。

イベントの内容は、下記の大川内山伊万里鍋島焼協同組合のホームページで確認できるので、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。

おわりに

明治時代以前の伊万里焼とは有田焼のことであり、江戸時代に伊万里の地で焼かれていたのは将軍や朝廷への献上品として製作された鍋島焼です。

現在の伊万里焼は献上品だった鍋島焼の伝統技法を受け継ぎ、呉須染付や色鍋島など清楚で気品に溢れた色絵磁器が生産されています。

伊万里焼の里・大川内山地区では、美術的な価値の高い作品から毎日の食卓を彩る手軽な食器類まで多様な磁器が手に入るので、ぜひ一度訪れてみてくださいね。