皆さんは、「こけし女子」略して「こけ女」をご存知ですか?
こけしの第一次ブームは昭和の初め頃、第二次ブームは戦後の高度成長期に起こりました。
そして第三次が「こけし女子」を生み出した2010年からのブームです。
以降、人気は衰えず、さらなる盛り上がりをみせています。
こけしはその産地や技法によって11の系統に分けられ、中でも「三大こけし」と呼ばれるのが鳴子こけし、土湯こけし、遠刈田こけしの三つです。
三大こけしの一つ、鳴子こけしのふるさとである鳴子温泉郷では、全国のこけしが一同に会する「全国こけし祭り」が開催され、期間中は町中がこけしファンの熱気に包まれます。
頭部分を胴体部分にはめこむ手法をとっている鳴子こけしは、首を回すとキイキイ、キュツキュツと鳴るのが特徴です。
まるでこけしが鳴いているような可愛らしさは、今も昔も人気を集める理由の一つです。
今回は、そんな鳴子こけしの歴史や魅力についてご紹介していきたいと思います!

人気再燃!鳴子こけしの歴史
江戸時代後期の文化文政時代、木材をロクロで加工し、お椀やお盆などの生活用品を作っていた「木地師」たちが作り始めたといわれています。
東北地方の山々には、多くの湯治場(温泉地)がありました。
それぞれの温泉地に来る子どもたちに向け、作られたおもちゃの一つが「こけし」でした。
その後、こけしは子どものおもちゃから、大人の観賞用へと広がりをみせていきます。
鳴子温泉のある宮城県の伝統こけしは、「鳴子こけし」「作並こけし」「遠刈田こけし」「弥治郎こけし」「肘折こけし」といった系統に分かれています。
この五つの系統は「宮城伝統こけし」として、昭和56(1981)年に国の伝統的工芸品に指定されました。
そして、伝統こけしを作る職人たちは「こけし工人」と呼ばれるようになります。
鳴子温泉郷観光協会公式サイトによると、現在でも約50人の工人が鳴子こけしを手掛けているのだとか。
鳴子温泉周辺でこけしを作っていた工人たちの技術は、今も親から子、師から弟子へと受け継がれ続けているのです。
鳴子こけしの特徴
は めこみ式でかわいく鳴くこけし
鳴子こけしの大きな特徴は、はめこみ式を採用していること。
頭部を胴体部分に差し込んだ技法のことで、首とまわすとキイキイ、キュツキュツと独特の音が鳴ります。
鳴子こけしの首にあたる部分は、胴体に開いている穴よりも少し大きめに作り、ロクロを回しながら摩擦の力を使って一気にはめこみます。
これを首入れといい、鳴子こけし工人の技が光るところでもあります。
肩 が盛り上がっている胴、可憐な前髪
胴体は肩が盛り上がり、真ん中部分が少しスリムになった後、裾(下)部分が再び広がる、安定感のあるシルエットです。
胴に描かれるのは菊模様などの写実的な花模様。
頭には御所人形 のような可愛らしい前髪が描かれており、そのあどけない表情も魅力的です。
鳴子こけしの工人(作家)たち
江戸の時代から、令和の今に生きる鳴子こけしの伝統。
伝統を育み、受け継いでいる新旧の鳴子こけし工人(作家)をご紹介します。
大 沼岩蔵
木地業を生業とする家に生まれた大沼岩蔵。
一時は鳴子を去りましたが、明治38(1905)年に30歳で帰郷。
しばらくは木地業をしたり、山林の監視人をしたりしていたようですが、昭和13(1938)年初めにこけし作りを再開。
昭和20(1945)年には現在も鳴子に工房を構える桜井こけし店の櫻井昭二も弟子入りしています。
後のこけし工人たちにも大きな影響を与え、「岩蔵型」というかたちで写しを復元しています。
櫻 井昭二
両親の櫻井万之丞・コウが木地業を営む家に生まれました。
早くからこけしの描き方を母に習い、伯父の大沼岩蔵に木地を学びます。
昭和25(1950)年頃、土産物店「さくらい」を開店し、店の隅にはロクロを置いていました。
昭和35(1960)年代~昭和45(1970)年代の戦後のこけしブームを牽引。
岡崎斉司
遊佐福寿
大沼秀雄
高橋正吾
とともに、昭二は鳴子の「若手五人組」と呼ばれていました。
昭二の開いた「さくらい」は、「桜井こけし店」として現在も営業中。
五代目櫻井昭寛は、平成28(2016)年に「全国こけしコンクール」において内閣総理大臣賞受賞したほか、数々の受賞歴を持つ工人です。
息子である六代目尚道とともに、伝統を大事にしつつ、新しいこけし作りに挑戦しています。
高 橋武蔵
高橋武蔵は、鳴子系こけしの基礎、流れをつくった工人の一人。
基本に忠実で、実直な作品を残しました。
父の高橋亀三郎の後を継ぎ、老舗「高亀」を継承。
多くの工人を輩出しました。
高 橋正吾
高橋正吾は鳴子こけしのシンプルな美しさを表現する工人。
鳴子こけし工人の高橋武蔵を父に持ち、父の型を継承した作品を製作しています。
父子ともに、鳴子温泉湯元の老舗「高亀」の工人です。
頭の前髪まわりに赤色で描かれた模様、「水引手」が特徴です。
小 林繁男
小林繁男は、山形県最上郡最上町生まれ。
東京で働いていたこともあったそうですが、ロクロに興味があり木地修行を始めました。
鳴子工人から指導を受けた三浦光美に技術を学び、鳴子系こけし製作を開始しました。
こけし以外にも木地玩具、アクセサリー、木工芸品、組み木細工なども製作しています。
佐 藤こずえ
鳴子の育ちではなく秋田県由利本荘市出身で、保育士を経た後、こけしコレクションを始めます。
自らもこけし雑貨などを手掛け、平成27年7月に開催された仙台市しまぬき主催の「手作りこけし雑貨コンテスト」で佐藤が作成した「こけしマグネット」が入賞し、しまぬきオリジナル商品として販売されるように。
鳴子こけしのイベント
鳴子こけしの魅力を知って、「もっともっと、鳴子こけしを知りたい」という思いがふくらんできたのではないでしょうか。
鳴子こけしに触れることができるイベントや、施設をご紹介します。
日 本こけし館
鳴子に来たなら、ぜひ訪れたいのが「日本こけし館」。
鳴子だけでなく、東北各地のこけしが約五千点も展示されています。
高松宮宣仁親王が収集した貴重なこけしも拝見することができます。
また、工人による木地挽きやロクロ描彩などの製作実演が見学できたり、自分だけのオリジナルこけしが作れる絵付け体験も可能。
こけしビギナーならまずは押さえておきましょう!
宮城県大崎市鳴子温泉字尿前74-2
0229-83-3600
全 国こけし祭り
シュールなハリボテこけしがSNSでも話題となったこけし祭り。
・こけし供養祭
・こけし奉納式
・各産地の伝統こけしの制作実演展示販売
・こけしの絵付け体験
・こけし座談会
・こけし祭りコンクール
・こけし柄の浴衣でのフェスティバルパレード
など、こけしイベントがてんこ盛りです。
こけし祭りの情報は公式HPからご確認いただけます!
おわりに
郵便ポストや電話ボックス、街灯や側溝にもこけしが描かれている鳴子。
豊富な湯の町でもある鳴子にでかけて、のんびり旅をするのもオススメです。
また鳴子こけしの人気にともない、地元以外でも鳴子こけしに触れるイベントが増えています。
ぜひ、足を運んでその魅力を堪能してみてくださいね!


東北を中心に作られてきた伝統こけしですが、中でも最も生産が盛んな県はどこかご存知ですか?
答えは「宮城県」。
宮城県には伝統こけし11系統のうち、鳴子系・遠刈田系・弥治郎系・作並系の4系統があります。
この記事では、宮城県内のそれぞれのこけし産地の特徴と、こけしを見たり購入できたりするスポットをご紹介します!

部屋の中にひっそりとたたずみ、独特な表情をたたえるこけし。
そのなんともいえない魅力にひかれ、こけしをコレクションする「こけ女(こけし女子)」も増えているといいます。
また、古くからつくられてきた伝統的なこけしだけでなく、モダンで新しい創作こけしや近代こけしも人気を集めています。

木のぬくもりを感じさせる日本の伝統工芸品こけしは、古くから子どものおもちゃとして親しまれてきました。中でも伝統こけしは、東北地方を中心に11系統存在し、職人や産地によってその工法や製法は異なります。シンプルに見えるこけしですが、どうやって作られているのでしょうか?今回はこけしの基本的な作り方を説明していきます。

日本の民芸品として愛されてきたこけし。
そのこけしは、大きく2つのタイプに分けられることをご存知しょうか?
こけしといえば、江戸時代後期の文化文政時代(1804-1830年)あたりから、東北の土産物として作り続けられている「伝統こけし」が有名です。

東北の温泉地を中心に発展し、古くから日本人に親しまれてきたこけし。
こけしの起源には諸説あり、原型ともいわれる最古のものは、今から1300年以上前の奈良時代に作られていたという説もあります。
江戸時代後期には、子どもの顔や、さまざまな模様をほどこした木の人形が作られるようになります。

戦前から戦後にかけ、何度かブームを巻き起こしてきたこけしですが、2010年頃から「第三次ブーム」が来ており、海外からも「クールジャパン」を体現する商品として、こけしが人気急上昇中!いるといいます。そこで、今回はこれまでのこけしの歴史について、その成り立ちや由来、特徴にフォーカスしてみました。