東京都墨田区に工房を構える、むさしや豊山ほうざん

明治元年に創業して以来150年、墨田区の下町で江戸押絵羽子板を作り続けている。

もともと羽子板は女児の厄除け・玩具といった用途以外に、現代でいう人気アイドルのブロマイドの役割を果たしていた。

江戸時代に入ると町人文化が盛んになり、大衆芸能で人気を博していた歌舞伎役者らを模写した「役者羽子板」が作られるようになったのが、江戸押絵羽子板のルーツである。

それまでは板に直接絵を描いた「描絵羽子板」、布や紙を板に貼った「貼絵羽子板」などがあったが、押絵羽子板は厚紙や布に綿を包んだ立体的な部品を使って作られた。

当時、女性達はこぞって贔屓ひいきの役者の羽子板を買い求めたという。

むさしや豊山五代目の野口豊生とよお氏は、美人画を題材にした江戸押絵羽子板を中心に、手描きの柄にこだわった作品を制作している。

父・野口誠之助氏のもと、子供の頃から江戸押絵羽子板の世界に携わっていた豊生氏。

当時は修行として行っていたのではなく、簡単な箱詰めなどを手伝わされていただけなのだと笑いながら語ってくれた。

今回は、むさしや豊山五代目の当主となる野口豊生氏に、江戸押絵羽子板の魅力や、職人となったきっかけなどを詳しく伺った。

豊生氏が得意とする面相描き

江戸押絵羽子板は分業制で制作されており、顔を描く面相師と、身体を作る押絵師が連携して一つの羽子板を完成させる。

豊生氏は父のもとで押絵師の技術を学び、そして23歳の時には面相師・桜井春山氏のもとへ弟子入りすることで面相師としての技術も習得した。

江戸押絵羽子板は面相でその良し悪しが決まるという。

豊生氏は、そんな江戸押絵羽子板の命ともいえる、「面相書き」を得意としているのだ。

面相書きは、綿を包んで布を薄く張った厚紙などの台紙に、何本もの筆を使いわけ顔を描いていく。

面相は基本的に一発で描いており、同じように指先まで手描きで表現されている。

女性の優しさや、しなやかさを正確に描くことにこだわりを持っているそうだ。

「面相書きはそれなりに数をこなさないと一人前にはなれない。一人前になるまでには10年以上はかかると思っている。」と語る豊生氏。

描く上で一番難しいのは「目」で、表情を決める上で非常に重要なパーツなのだそうだ。

野口豊生×つづみ

日本画家の上村松園うえむらしょうえんが描いた "つづみの音"(松伯美術館藏)を題材とし、それを末広がりの限られた羽子板の中だけで表現した名作「つづみ」。

江戸押絵羽子板は歌舞伎を題材にした作品が多い中、数多くある日本画から豊生氏が直感的に“良い”と感じ、つづみの制作に至ったのだそうだ。

艶めかしい美女を押絵羽子板の中に

この“つづみ”は女性目線で美人を描いた日本画家"上村松園"の画風を取り入れ、繊細にして上品な表情を描けたのだという。

衣装の中には程よいボリュームで綿が詰め入れられ、まるで生きているかのような立体感を演出したことで、女性のしなやかなで自然なラインが艶めかしく表現されている。

衣装には本絹を使用しており、その絹に手描きの柄を描くことにもこだわったそうだ。

つづみを制作する上で難しかった点

“つづみ”の基は日本画の作品であるため、図案に起こすところから始める。

しかし、絵は四角い紙に対して描かれているので、羽子板の末広がりの形に美しく収めるためにはどうすべきか考えながら図案にするのだが、それにえらく苦戦したそうだ。

いくら頭で考えても、図を決め、衣装を決め、実際に作業してみないと出来具合はわからない。

なので、とにかく何度も布の配色や全体のバランスを修正し、形にしていったのだという。

野口豊生×江戸押絵羽子板

豊生氏が江戸押絵羽子板の職人になろうと思ったきっかけや、魅力などをインタビューさせていただいた。

江戸押絵羽子板の職人になろうと思ったきっかけ

子供の頃から、父である野口誠之助のもとで仕事の手伝いを始めました。

幼少期は本格的な仕事というよりは、箱詰めや簡単なことなどを行っていたんです。

なので、学校を出るまでには、仕事のある程度の流れなんかは覚えていたと思います。

学校を卒業後、22歳から本格的に羽子板の制作を始めることになりました。

仕事にしようとか、家を継ごうとか、考えるまでもありませんでした。

江戸押絵羽子板の職人になるという事が、レールで敷かれているような感じでしたから。

自分にとっては、ごく自然な流れで職人になったのだと思います。

修行して初めてわかった江戸押絵羽子板の世界

押絵羽子板というのは、台紙を切って綿を入れ、布で包んで膨らみを持たせてから組み立てるという押絵師の作業と、衣装の柄や顔をすべて手書きで描く面相師の作業と、それぞれが全く違うことを行なっています。

業界では当時、分業制が主流だったため、むさしや豊山でも面相描きは行っていなかったんです。

そこで、自分ができるようになれば!と思い、2年間面相師の先生の元で修行をしました。

絵が特別に得意だったという訳ではなかったため、2年で売れる絵が描けるようになるわけではなく、その大変さを知りました。

だから、2年間の修行が終わり、自分の工房に帰ってきてからも、できるだけ数をこなしました。

とにかく描き続けることが、成長に繋がるのだと思います。

豊生氏が感じる江戸押絵羽子板の魅力

江戸の中期、後期くらいから歌舞伎が流行りだして、その歌舞伎役者のブロマイドのような形で出てきたのが江戸押絵羽子板。

そのため、未だに歌舞伎の作品が多く作られています。

舞台役者の臨場感や華やかさを、限られた板の中で再現しているところが、江戸押絵羽子板の魅力です。

ここ20~30年の間には、羽子板からはみ出したような技法も出てきています。

しかし、私は古典的な末広がりの形にこだわっています。

決められた形の中で、いかに美しい作品を生み出せるかが腕の見せ所になります。

江戸押絵羽子板職人として譲れないこだわり

いかに正確に、歌舞伎役者の舞台での姿を羽子板の中で再現するか。

というところにこだわっています。

そのため直接、歌舞伎を見に行ったりもするんです。

役柄によって表情も隈取りの仕方も違うので、面相の描き方も違ってきます。

しかし、顔を歌舞伎役者に似せすぎてしまうと、肖像権の関係で販売できないという難しい事情もあります。

また、歌舞伎は役により衣装が決まっているので、この役柄の人はこの衣装だ!というのを、忠実に再現するようにしています。

しかし、現在着物離れが進んでいることもあり、なかなか生地が手に入りません。

希望の柄入りの生地を頼むと、ロット単位で注文しないといけないので、そんなにたくさんの量を抱えられない。

だから、友禅や金襴の生地で望む柄が手に入らない場合は、自分たちで布の上から手描きで描くこともあります。

豊生氏の作品の特徴

人物の顔を全て手で描いているということが、こだわりでもあり、自分の作品の最大の特徴でもあります。

あと、歌舞伎はそれぞれの決めポーズがあるのですが、それを板の中で出来るだけ動きがあるように絵を描くことを心がけています。

そして、独自の色で生地を染めることもあるため、オリジナル絹の色彩感覚も大事になります。

また、衣装には本絹を使用しているのですが、望むような柄の生地が手に入らなかった時は衣装の柄も手書きで描くことで、実物の歌舞伎役者が着ている衣装と同じものを作れるのというのも、他とは大きく違うところだと思っています。

布の状態で描くと、伸びたり縮んだりズレたりするので、型紙に綿を入れて包んだ状態で描いていきます。

うちの魅力は、あくまでも昔ながらの伝統技法でやることなんです。

江戸押絵羽子板の制作工程

作業工程は大きく分けると6工程に分かれている。

①全体構想(構想→下地)

②押絵作り(型取り→切り取り→綿入れ→スガ植え)


③面相描き(ドウサ引→下塗り→ぼかし→上塗り→目鼻描き)

④組上げ(粗上げ)


⑤板作り(木取り→はぎ合せ→型取り→仕上げ→裏絵かき)

⑥取付け(柄巻き→向張り→板付け)

今回は、この作業の中からいくつかの工程を紹介しよう。

押絵作り(型取り→きれ取り→綿入れ→スガ植え)

型取り

下地を厚紙の上に乗せ、ヘラで押し付けながらそれぞれの箇所の型を写し描いていく。

そのあとに鋏を使って切り取っていく。

スガ植え

押絵羽子板の髪の毛には、「スガ糸」と呼ばれる絹糸が使用されている。

黒く染めたスガ糸を櫛でよくとかしてから、髪の毛の部分に糊付けしていく。

面相描き(ドウサ引→下塗り→ぼかし→上塗り→目鼻描き)

目鼻描き

顔の白い部分は、胡紛ごふんと呼ばれる白色の顔料を使って白く塗っていく。

そこに目や鼻、口などのパーツを描いていくのだが、この作業は職人の技術が試される、重要な工程である。

組上げ(粗上げ)

出来上がった各部分の押絵が重なり合うところを糊付けし、組み立て、一つの作品に仕上げていく。

とある1日の流れ

自宅は作業場の二階にあるため、出勤時間は特に決まっていないそうだ。

店のオープンは10時なので、そこから18時までの営業時間は作業を行っている。

江戸押絵羽子板はお正月に飾るものなので、販売の最盛期は12月、それに向けて作っていく。

年が明けると一年の販売数を予測し、次の年に作る数を決め計画を立てる。

販売数を予測するのは大変難しく、なかなか当たらないのだと笑って語ってくださった。

押絵のパーツを作り溜めていき、秋くらいまでには途中まで作成しておく。

なぜ途中までかというと、すべてを組立て完成させてしまうと、スペースをとってしまうからだ。

秋口になってくると、途中まで作成しておいた羽子板を組み立てて出荷するので、忙しくなってくる。

その頃には、残業になることもあるのだとか。

取材をさせていただいた時期は、比較的落ち着いている時期だったようで、皆さん10時~18時で勤務されていた。

野口 豊生×Q&A

お客さんに言われて心に残っている言葉は?

女の子が産まれて、初めてのお正月に羽子板を飾るという習慣が昔からあるので、おじいちゃん、おばあちゃんが孫のために購入してくれることが多いんです。

そのため、「孫に買って行って喜ばれました!」とか言われると、嬉しいですね。

やりがいを感じる瞬間は?

やりがいというよりも、新しいものを考えている時や「次はどうゆうものを作ろうか?」とか考えている時が楽しいです。

年に一度の商売なので、毎年、今年は何やろうかと考えます。

何でもできるわけではないので、それが悩みでもあるけれど、制限があるからこそ一番楽しい時間です。

時代の変化に合わせて工夫していることはありますか?

昔の日本家屋には鴨居がありました。

鴨居とは、和室にある引き戸や障子、ふすまなどをはめる部分の上部に渡した、溝のついた横木のことです。

そこに押絵羽子板を掛けて飾るのが、一般的で、場所も取りませんでした。

天井近くに掛けていれば、大きな部屋でなくても数を飾ることが出来たので、需要も多かったんです。

しかし、時代の流れと住環境の変化で和室が減り、マンション世帯も増えてきました。

今の家は羽子板を飾る場所がそもそもないので、ケースを付けたり、羽子板の大きさを小さくしたり、今の住環境に合うように工夫をしています。

今後挑戦してみたいことはありますか?

挑戦していくことよりも、江戸押絵羽子板という文化をどうやったら残していけるかを考えることの方が多いです。

羽子板自体の需要も減ってきていますが、作る人も減少しているのが現状です。

昔から身についた固定観念があるのですが、今後、作る側も時代の変化に合わせていかなければならないし、若い人の柔軟な考えも大事になると思っています。

インタビューを終えて

野口さんが作る江戸押絵羽子板は、一つひとつの作品のお顔が透き通るように美しく、見ているとうっとりしてしまうほど繊細です。

衣装も手描きで描かれていて、色彩豊かで綺麗なものばかり。

「羽子板」という言葉を聞くと、お正月に羽根つきで遊ぶイメージが一般的だと思いますが、女の子が生まれて初めてのお正月に羽子板を飾る風習が、特に関東から西の方面で根強く残っている文化だそうです。

羽子板には子供の無事を願い、邪気を跳ね除け、すこやかに成長してほしいという想いが込められています。

野口さんは「江戸押絵羽子板は、観賞用で見て楽しむものなので、飾り物として目で楽しめる、しっかりしたものを作りたい」と、作品へのこだわりを語ってくださいました。

さらに、どれだけ早く正確に描けるかが勝負となるため、道具を置く配置も考えて作業をしているそう。

まさに職人の技と言えます。

年末に近づくと、ニュース番組の中継などで映る羽子板市は、年が暮れる訪れを教えてくれます。

その年に話題となった人物の羽子板がよく紹介されますが、実は肖像権の関係で販売は行っていないのだと教えていただきました。

現代でも、年の瀬の風物詩として江戸の風情が楽しめる、浅草の浅草寺境内で行われる「羽子板市」。

ぜひ、今年は美しい江戸押絵羽子板を観に、足を運んでみてはいかがでしょうか?

野口豊生氏の略歴

昭和25年 四代目むさしや豊山
      押絵師・野口誠之助の長男として東京墨田区に生まれる。

昭和47年 むさしや豊山へ入社。

昭和48年 面相師・桜井春山氏のもとに2年間弟子入りをする。

平成6年  東京都雛人形工業協同組合青年部会長に就任。

平成7年  東京歳之市羽子板商組合副会長に就任。

平成8年  東京都雛人形工業協同組合理事に就任。

平成10年 墨田区マイスターに認定される。

平成12年 中小企業庁長官賞を受賞。(十号本絹藤娘)