大包平おおかねひらは、平安時代に活躍した古備前派の刀工である包平かねひらによって作られた太刀で、国宝に指定されている日本刀です。

包平の作った刀のなかでも、最も優れた作品として「大包平」と名付けられました。

現存する日本刀のなかでは最高傑作との呼び声も高く、天下五剣てんがごけん(てんかごけん)童子切安綱どうじぎりやすつなとともに、「日本刀の東西の両横綱」にたとえられる名刀です。

この大包平は、安土桃山時代の播磨はりま(現在の兵庫県)姫路城主の池田輝政いけだてるまさの愛刀として知られ、その後に岡山藩主となった池田家が昭和時代まで代々受け継いできました。

今回はこの大包平の特徴と魅力、来歴とともにこの刀を守り通した逸話、刀剣乱舞との関係についてもご紹介します。

※天下五剣:日本刀の中でも特に傑作として名高い五振の刀のこと。

大包平とは

刃長39.2cm
反り3.4cm
制作時代平安時代末期
作刀者包平
現在の所蔵東京国立博物館

包平の特徴と魅力

国宝の大包平は、池田輝政が「一国にかえがたい」と称したともされる日本刀の最高峰ともいわれる名刀です。

長大で幅広く高い腰反りの刀身は、雄大さのなかに気品を称えています。

きめ細やかでまっすぐな地金と、細かい変化に富んだ刃文の美しさも見逃せません。

さらなる大包平の魅力の一つとして、刃長が89.2cmと長大で幅の広い刀でありながら、驚くほど軽く、しかも丈夫に作られていることが挙げられます。

この長さの刀であれば、通常2㎏以上の重さがありますが、大包平は刀身を薄くして(溝)を入れるなどの軽量化により、刀身の重さは1.35kgに抑えられています。

さらに、反りのカーブを含めた重心バランスが実に絶妙で、持った時に重さを感じずに振るいやすいのも特徴です。

昭和のはじめに大包平を再現しようとしたところ、この大きさにしてこの強度と軽さの刀を作ることができなかったとか。

大包平は、まさに神業ともいえる作刀技術で作られた、奇跡の一振なのです。

者の包平について

包平は平安時代末期に活躍した、備前国(現在の岡山県)の古備前こびぜん派を代表する刀匠です。

備前国は古くから日本刀の名産地で、五箇伝ごかでんの一つ備前伝びぜんでんでも知られています。

古備前派は備前伝のはじまりの一つで、平安時代中~後期に活動した刀工集団です。

気品と強さをあわせ持つ作風の大包平の作者である包平は、同時代の助平すけひら高平たかひらとともに「古備前三平こびぜんさんひら」と称されました。

※五箇伝:刀剣制作の5つの名産地。大和伝(奈良県)、山城伝(京都府)、備前伝(岡山県)、相州伝(神奈川県)、美濃伝(岐阜県)がそれにあたる。


池田輝政が所持したとされる刀

大包平の最初の所有者として知られるのは、池田輝政です。

池田輝政は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた勇将で、姫路藩初代藩主となり、姫路城を現在のような絢爛な城に大改築しました。

刀剣の愛好家としても有名で、大包平をどこからか入手し「一国にもかえがたい」と大切にしたといわれています。

田家伝来の刀

池田輝政が大切にしといわれる大包平ですが、その所有について正式な記録が残っているのは、池田輝政の孫で初代岡山藩主となった池田光政いけだみつまさ以降のことです。

池田光政が大包平に一目惚れをして、高すぎるという家臣の反対を押し切って購入したという逸話もありますが、既に池田輝政が持っていたとすれば、これは事実ではないでしょう。

池田家では毎年正月の「具足祝ぐそくいわい」に甲冑とともに大包平を飾り、池田家の宝刀として受け継ぎました。

池田家では明治以降も大包平を門外不出の宝として扱い、明治天皇が見たいと希望された時でさえも「岡山までお越しいただきたい」と返答したと伝えられます。

また、昭和11年(1936年)に当時の国宝に指定する審議のため、文部省から大包平の貸し出しの要請があった時も、池田家では「門外不出」とこれを断りました。

そこで、親戚の細川護立もりたつが「門外不出なら門ではなく塀越しに渡せばいい」と説得して運ばせたというエピソードもあります。

包平事件

そんな大包平に、太平洋戦争のあと最大の危機が訪れます。

太平洋戦争後、日本を占領したGHQの最高司令官マッカーサーにこの大包平を求められ、「自由の女神と引き換えなら」と返答したとも。

この話の真偽は不明ですが戦後、大包平は存亡の危機に見舞われることになりました。

当時、GHQは刀を含む日本の武器を没収する決定をします。

没収された刀は国外に持ち出されたり、破壊されたりしていました。

そして突然、岡山の進駐軍から池田家にも「刀をすべて提出せよ」と命令が下ります。

慌てた池田家では、せめて大包平だけでも助けたいと動きました。

その結果、刀剣研究家の本間順治ほんまじゅんじや日本刀の保護に理解のある憲兵司令官のキャドウェル大佐の協力を得ます。

そして、大包平をはじめとした池田家、熊本の細川家、広島の浅野家の刀を電車の一両に入れて東京の上野博物館(現在の東京国立博物館)に運び込み、ことなきを得たのです。

こうして生き残った大包平は、昭和26年(1951年)に国宝に指定され、昭和42年(1967年)に当時の文部省が6,500万円で池田家から買い上げます。

ちなみに、これを現在の価値に換算すると、4倍の約2億7000万円になります。

実に、横綱級の刀にふさわしい破格の値段といえますね。

現在は東京国立博物館が所有し、数年に一度実物を公開展示しています。

大包平と刀剣乱舞

日本刀を擬人化した付喪神つくもがみである刀剣男士が活躍する刀剣乱舞は、平成27年(2015年)年のリリース以降、舞台、アニメ、映画など幅広いメディアミックスを展開して人気を博してきました。

大包平は、赤い髪に銀色の瞳を持つ、学ラン風の洋装を基調とした衣装をまとった刀剣男士です。

勝気な性格で、日本刀の最高傑作であること、池田輝政に見出されたことを誇りにしています。

一方で天下五剣を意識しており、「見出されるのが遅かった(だから天下五剣に選ばれなかった)」と嘆くことも。

天下五剣のなかでも、特に童子切安綱をライバル視しています。

刀剣乱舞の大包平がこう嘆くように、大包平は最高傑作とうたわれながらも天下五剣に選ばれていない不思議な刀です。

その理由は、刀として実戦で使われていないことや、インパクトのあるエピソードが少ないこと、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑に関わる華々しい来歴がないことも関係しているといわれています。

しかしその反面、大包平はその姿をじっくり見て欲しい一振ともいえます。

なぜなら、池田家のみで大切に扱われてきた大包平は平安後期以来、磨り上げられることもなく、研ぎ減りもしていない、造られた時の姿で残っているからです。

そのため、刀の最高傑作ともいわれる大包平そのものの姿を今も目にすることができます。

雄大で鋭くものびやかな姿と、一点のムラなく鍛えられた刀身は、凄味さえ感じられる圧巻の美しさです。

おわりに

大包平は池田輝政からはじまり、昭和時代の半ばまで池田家で所蔵されてきました。

その一途な来歴ゆえに、今も誕生したときの姿で残り、今日においてもその素晴らしさを目にすることができます。

派手なエピソードはありませんが、大包平の持つ存在感は見る人の心に訴えかけます。

大包平は日本刀の真髄に触れられる一振です。

住所:〒110-8712
   東京都台東区上野公園13-9