令和6年(2024年)1月に発生した能登半島地震。
震災から半年以上が経過した同年8月現在でも、復旧・復興に時間がかかっており、震災以前の生活に戻るにはほど遠い状況となっています。
今回は、そんな能登で伝統的工芸品の「輪島塗」を製作している「田谷漆器店」の田谷昂大さんに独占取材。
輪島塗存続への想い、そして、震災を乗り越えたこれからの展望を伺いました。
「輪島塗」とは?
「輪島塗」は、石川県輪島市で、木と天然漆、地の粉を使って作られている漆器です。
分業制によって高度な技術を持つ職人たちが、124もの工程を踏んでようやく完成する、全国でも類を見ない製造工程の多さが特徴です。
材料に使われる地の粉は、植物プランクトンが化石になってできた珪藻土を蒸して、粉状にしたもの。
輪島市のみで採掘される貴重な材料で、輪島漆器協同組合に登録のあるメーカーだけが使用を許されています。
珪藻土の粒子には、無数の穴が開いており、この穴に上から漆を塗ることで、乾いた際にギュッと固まり、より頑丈で、熱を通さない漆器が出来上がります。
長く使えるという利点の他にも、なめらかな手触りや装飾の美しさで人気を集め、昭和50年(1975年)には国の伝統的工芸品に、昭和52年(1977年)には国の重要無形文化財に指定されました。
経済産業大臣が指定した「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて認められた伝統工芸品のことを指す。
要件は、
・技術や技法、原材料がおよそ100年以上継承されていること
・日常生活で使用されていること
・主要部分が手作業で作られていること
・一定の地域で産業が成り立っていること
輪島塗とは、石川県輪島市で作られる漆器で、“輪島地の子”という土を漆に混ぜて下地塗りに使うのが特徴です。ケヤキやヒノキを用い、120以上の工程を分業制で手掛けるため丈夫で使いやすく、その芸術性の高さから堅牢優美と讃えられます。今回は、輪島塗の特徴や魅力、歴史、作り方、体験できる場所をご紹介します。
田谷漆器店とは?
「田谷漆器店」は、文政元年(1818年)から続く、輪島塗の専門店です。
一般の方向けの輪島塗製作・販売のほか、料亭や旅館で使用する漆器製作、木製漆器の修復などを行っています。
地球環境に優しいプロダクトとしても注目されている漆の歴史を未来に繋げていくために、丁寧な手仕事で、高品質な漆器を作り続ける田谷漆器店。
その他にも、ユネスコ無形文化遺産にもなっている“唐津くんち”の修復や、輪島塗漆器と石川県の食材のマリアージュを楽しむレストラン“CRAFEAT”のプロデュースなど、さまざまなことに挑戦し続け、漆器の魅力を人々に伝える活動をしています。
田谷漆器店・田谷昂大が描く輪島塗への想い
今回ワゴコロは、田谷漆器店の田谷昂大さんにお時間をいただき、独占取材。
ここからは、その様子をお届けします。
能 登半島地震の当日の状況はどのようなものでしたか。
当日、僕は輪島市の実家にいました。
2回目の大きな揺れの後、なんとか窓から外に出て避難しました。
幸い、正月だったので親戚一同揃っていて、全員かろうじて逃げ出すことができました。
しかし、田谷漆器店は事務所と工房が全壊してしまい……。
朝市で新しく開業予定だったギャラリーも、大火事で全部なくなってしまいました。
幼い頃から遊び場だった朝市の全焼した姿を見た時は、本当に残念で涙が止まりませんでした。
現 在の活動状況はどのようになっているのでしょうか。
地震後は、僕も含め、職人たちも復興に向けて前向きな意思がある人ばかりで。
能登の人って、頑固なのが良いところなんです(笑)
朝市や輪島の為なら何でもする、仕事をすると言ってくれた人もいました。
まずは、どんな状況でも輪島塗を作り続けることが文化継続の一歩だと思って、1月末にクラウドファンディングを立ち上げ、全国の皆さまから多大なるご支援を頂きました。
現在は、他の漆器屋さんにもお力を借りて、クラウドファンディングの返礼品を、工房とは別の場所でなんとか作り続けている状況です。
全壊した工房は、最近やっと解体が完了しました。
自分が生まれた時からあった建物がなくなっていくところを見た時は、やはり寂しい想いもありました。
でも、ここからがスタートだと思っているので、これからは、跡地にトレーラーハウスやコンテナを入れて、輪島塗ビレッジを作るつもりです。
たくさんの方が、いろんな漆器店の輪島塗を直接見て触れられる、皆が集まって一緒にわいわい楽しめるような、そんな場所を作っていきたいと思っています。
未 来への展望・現在の目標
こういう状況になった今だからこそ、輪島に来てくれる人達に目を向けていきたいなと思っています。
これまでは、海外や外に向けての活動が多い部分もあったのですが、今回のことで、輪島に訪れる方が、輪島塗を手に取り買って下さることの尊さを改めて実感しました。
新しい能登の未来を作っていくために、その時自分にできることを考え、恐れずに一歩踏み出していく。
輪島で育ってきた輪島塗を、この土地で繋いでいくためにも、田谷漆器店をまた復活させるためにも、これからも奮闘し続けようと思っています。
記 事を読んでいる方に伝えたいこと
今回の震災で、ローカルのお客様に向けて営業をしていた輪島の観光業や飲食店は、すさまじい大打撃を受けました。
でも、みんな前を向いて、必死に毎日動いています。
これから、能登のことを気にかけて来て下さる方が増えていくことで、それが人々のモチベーションにもなって、直接的に能登の復興に繋がっていくと思うんです。
まだまだ元に戻ったとは言えないですが、今後、できるだけ多くの皆さまに能登に遊びに来ていただきたい。
それが今の僕からのお願いです。
取材を終えて
今までテレビやニュースでしか能登半島地震の情報を得ていなかった私にとって、現地の方の声を直接伺うのは、今回の取材がはじめてでした。
地震から半年が経ち、思うように復興が進んでいないと、ニュースでも度々目にしています。
そんな状況下でも、能登のため、自分の愛する地域を守るために、できることをひたすらがむしゃらに取り組んでいる田谷さんのお話を聞いて、胸が熱くなりました。
幼いころ、家族と輪島に観光に行った際に体験で作った輪島塗のお箸は、10年以上経った今でも、まったく劣化することなく、私の食卓を彩ってくれています。
日本が誇る素晴らしい技術である輪島塗を残していくため、美しい能登の土地や人々を守り続けるため、現地の職人のリアルな声を、読者に届けるお手伝いができるよう、これからも自分ができることをみつけて少しでも行動に移していこう、と強く思いました。
田谷昂大氏の略歴
平成3年 輪島市で生まれる
平成27年 輪島に帰郷し、田谷漆器店入社
令和3年 輪島塗と石川の名産を楽しむ飲食店「CRAFEAT」オープン