日本独自の進化を遂げた漆器
漆器は日本だけでなく、アジアの広い地域でみられます。
中国の浙江省河姆渡遺跡から発見された、約7500~7400年前に作られた木製の弓矢に漆が塗られていたことから、これが最古の漆器とされています。
その後、技術と漆木が日本へと伝わり、日本独自の進化を遂げ今のような芸術性の高い漆器となっていった、と考えられていました。
しかし、北海道函館市にある垣ノ島遺跡から出土した、漆が塗られた装飾品は、アメリカでの放射性炭素年代測定により約9000年前のものであることが判明しました。
さらに、福井県若狭町の鳥浜貝塚から出土した漆木の枝は、分析の結果、世界最古である約12600年前のものでした。
こういったことから、漆木も中国から持ち込まれたものでなく、もともと日本に自生していたのではないかと考えられています。(2002年、残念ながら垣ノ島遺跡から見つかった漆工品は、他の6万点の出土品とともに焼失してしまいました)
黒 漆が大陸から伝来~縄文時代~
縄文時代前期から日本で使われていた漆ですが、弥生時代には大陸から伝来したといわれている「黒漆」(透き漆に油煙や鉄を混ぜて黒く色を付けたもの)が中心となっていきます。
仏 具に漆絵が施される~飛鳥時代~
飛鳥時代には仏具の装飾に使用されるようになりました。
法隆寺が所蔵する飛鳥時代の仏教工芸品「玉虫厨子」には漆を用いて描かれた漆絵が施されています。
蒔 絵・螺鈿技術の伝来~奈良時代~
奈良時代には「脱乾漆」という技法を用いて仏像が作られるようになりました。
国宝にもなっている、奈良県興福寺にある阿修羅像もその一つです。
また、遣隋使から蒔絵や螺鈿の技法が伝えられ、今の漆技術のもとにもなっています。
当時、正倉院では金銀を用いた蒔絵や、螺鈿が施された漆器が数多く奉納されました。
煌 びやかなデザインの漆器~平安時代~
豪華絢爛な漆器が好まれるようになったのが、平安時代です。
貴族が使用する用具はすべて、棺から宝飾品、仏像、宮殿などの建物に至るまで漆塗りの装飾品が広がっていきました。
また、「蒔絵螺鈿」と呼ばれる、蒔絵によって描かれた絵の中に螺鈿を組み込む技法が誕生したのも平安時代です。
武士の勢力が盛んになってくる鎌倉時代には、兜や鎧などの武具にも漆で装飾が施されるようになります。
根 来塗の誕生~鎌倉時代~
また、黒漆で下塗りした上に朱漆を塗る「根来塗」という技法が誕生したのも鎌倉時代です。
根来塗は和歌山県岩出市にある根来寺の僧が寺内で使用するために作った漆器に施したことからこの名前がつきました。
根来塗された漆器は長い年月をかけて使用されることにより、上に塗られた朱漆が磨耗していき、黒漆が表面に出てくる、とても趣がある技法なのです。
漆 器技術の確立~室町時代~
蒔絵も開発が進み、使用する金粉・銀粉はごく微細な粉が作れるようになるなど、室町時代には現在使用されている漆工芸の技術がほぼ確立されていたようです。
室町時代の末期には、北政所ねねの夫である豊臣秀吉の霊を祀るために京都「鷲峰山高台寺」を開きました。
ねねが眠る高台寺の霊屋には華麗な蒔絵を施した階段や厨子があります。
この、黒漆を背景とし、様々な蒔絵を施した工品と同じ技法で作られた品や、類似した品は「高台寺蒔絵」と総称されるようになりました。
庶 民へと広がっていった漆器~江戸時代~
江戸時代は様々な文化が生まれた時代でしたが、漆においてもたくさんの芸術家が現れます。
また、後期には一般庶民の間にも漆器が広がります。
それまでは日本に入ってくる海外の文化は、中国や朝鮮に限られたものでしたが、開国を機にヨーロッパから西洋文化が入ってくるようになります。
同時に、西洋人が漆器を自国に持ち帰るようになったため、海外での漆器の認知度が上がります。
このころから海外では漆器のことを「Japan」と呼ぶようになりました。
西洋には、日本の漆工品に使われている蒔絵の技術がなかったため、漆黒に浮かび上がる金銀螺鈿の装飾は、とても魅力的だったのでしょう。
明治時代になると、欧州各国で博覧会が開催されるようになりました。
日本を代表する工芸品として発表された漆器は、海外諸国の人々から称賛されます。
鎖国により閉ざされていた未知の国の工芸品は、鎖国解禁とともにその精工さと優美さで欧米人を魅了し、「ジャポニズム」という日本ブームが興ります。
漆 器の衰退から復活~大正・昭和時代~
大正・昭和時代になると日本は工業化が進み、工芸品は衰退していきました。
また、戦争が続き、国家予算が軍事費へと集中しました。
戦時中はお祝い事が控えられるようになったため、お盆やお膳などの漆器はほとんど注文されることがなくなってしまいました。
若い職人は戦争へ招集されてしまい、生産する量も減ってしまいます。
しかし、戦争で金属が大量に必要とされると、食卓に並んでいた金属製品は姿を消してしまいます。
そこで金属食器に変わるものとして漆器が利用され始め、漆器産地ではほそぼそながら漆器作りが続いていました。
戦後、人々の生活がもとに戻り始めると、再び漆器の需要が増えていきました。
そして、漆業界に変化が現れます。
それまでは天然の漆を使用していましたが、中国との貿易が不調となり、天然の漆を輸入することが困難になります。
結果、漆に代わる塗料の開発が余儀なくされ、近い塗料としてカシュー塗料やウレタン塗料が誕生します。
漆器は大きく分けると「木地」、「下地塗り」、「中塗り・上塗り」、「加飾」の4つの工程で作られます。その工程の中でも、素材や品質によってさらに種類があり、高価なものから安価なものまで分かれています。
おわりに
漆器はこうしてそれぞれの時代に合わせて変化し、新たな技術が生み出され、現代に繋がってきました。
近年では、時計やスマートフォンケースにも漆が取り入れられるなど、新たな進化を遂げています。
今後、どのように進化を遂げていくのか楽しみです。
普段、どんな食器をお使いですか。ずっと触れていたい手触りや口当たりを、食器に感じたことはありますか。食器を変えれば、食卓が変化します。手になじむ優しい漆器は、食器を手にとって食べる日本食のスタイルに非常に適しています。
竹細工と漆器を合わせた総合芸術の籃胎漆器は、お盆や花入れ、お手拭き置きなど日常の道具として使われています。
とは言っても、籃胎漆器と知らずに使っている方も多いかも知れませんね。実は身近にあるけどあまり知られていない、そんな籃胎漆器についてお伝えします。
日本には漆器の産地が30近くありますが、中でも「山中漆器」は生産額が産地全体の70%を占め、日本一を誇ります。古くから木地挽物技術に優れ、高齢化が進む全国の産地から木地の注文がくることもあり、山中は木地の生産規模でも日本一です。
皆さんは、「琉球漆器」という沖縄の伝統工芸品をご存知ですか?
琉球漆器とは古くから沖縄に伝わる漆器で、多種多様な加飾技法が特徴です。
その芸術性の高さから、結婚祝いや生年祝いなどの贈答品として人気がありますが、実は日常生活で使いたくなる品々が豊富にあるんですよ!
漆器というと、「手入れが大変そう…」や「敷居が高そう…」といったイメージを持ってはいませんか!?
しかし、実は漆器のお手入れはそれほど難しくなく、いくつかのポイントを押さえておけば、他の食器同様に使えるんですよ♪
「石川県の食器」「石川県の器」といえば、多くの人が輪島塗や九谷焼、あるいは山中漆器を思い浮かべるのではないでしょうか。これらは伝統的工芸品の一つであり、昔から多くの人を魅了してきました。石川県には上記以外にも、「金沢漆器」と呼ばれる伝統的工芸品があります。今回は、この美しい「金沢漆器」について取り上げていきます。