島根県出雲市大社町にある、縁結びで有名な出雲大社。
その歴史は古く、日本最古の歴史書である古事記にもその名がでてくるほど。
「いずもたいしゃ」の呼び名で知られていますが、実は「いずもおおやしろ」と読みます。
今回はそんな出雲大社のお膝元で、江戸時代から続く檜物職を営む藤本木工芸さんをご紹介したいと思います。
藤本木工芸とは?
藤本木工芸は、江戸時代初めから現代に至るまで300年以上続いてきた、縁結びの神様で名高い出雲大社のお膝元で檜物職をしています。
檜物職とは、檜・杉などの木材で曲物(檜・杉などの木材を曲げ、合せ目を樺・桜の皮などで綴じて作った容器)などを造る職人を意味します。
そんな藤本木工芸の作業場は、出雲大社にほど近い、神迎え通りから少し入った家並みの一角にあります。
檜の香りが満ちた作業場では藤本家十一代目の藤本確郎さんの跡継ぎである、十二代目の藤本剛さんが中心となって檜物を制作しています。
藤 本木工芸が制作しているもの
藤本木工芸では、檜・杉などの木材を使って、大社造りの家庭用のお宮や神具に関する木工調度品を、真心を込めて制作しています。
「お宮」とは屋内神殿(神棚・神具)のことであり、木工調度品は日常生活において用いられる木でできた道具や家具のことです。
お宮は「大社づくり」と「神明づくり」という形が主ですが、藤本さんが作るのはもちろん、出雲大社と同じ構造である「大社づくり」のお宮。
全国のお客様からの注文も、大社づくりのお宮が最も多いのだそうです。
大社づくり
ご覧いただくとわかるように、大社づくりのお宮にはほとんど装飾がなく、直線を基調としているので、見た目はシンプルで素朴。
また、ほとんど金具は使われないにもかかわらず、長い年月に耐えることができる造りになっています。
だからこそ、ごまかしも手直しもきかず、熟練の技術が必要になるのだそうです。
藤本木工芸 十二代目・藤本剛さんが檜物職人になった経緯
【出雲大社の境内から発見された大木の杉柱から、はるか昔の出雲大社は上記写真のような巨大な神殿であったと予想されている】
現・十二代目の藤本剛さんがこの道に入ったのは、高校を卒業してからでした。
お父様である十一代目の藤本確郎さんが病気がちで、9人いる兄弟も全員既に家を出ていたことから、末っ子だった剛さんが跡を継ぐことになりました。
剛さんはすぐに現場に入ったわけではなく、最初の2年間は職業訓練校に通い、木工の基礎技術を学びました。
職業訓練校を卒業した後はすぐに現場に入りましたが、手取り足取り指導を受けたことはないのだとか。
師匠である父や通いの職人さんの仕事を見ながら、自らの体で覚えていったそうです。
そのため、自信がつくレベルに達するまでの10年はとにかく大変で、徹夜を繰り返し自分の技術を磨き、技術だけでなく精神的な面も鍛えていきました。
大社づくりのお宮ができるまで
大社づくりのお宮(高さ約40㎝)を一社完成させるのには、7日程度かかります。
制作手順として最初に行うのは、神に祈ることから。
イライラして心が穏やかでないと、怪我の原因にもなりますし、作品もしっくりくる良い作品には仕上がりません。
なにより、自分が造るのはお宮(神様の家)。
雑念を払い精神を込めるために、毎日欠かさず祈っているそうです。
神に祈った後は、よく乾いたヒノキの良材を切って削り、宮の背面部分である胴板を元に、木クギや接着剤で柱、扉、屋根、台座と組み立てていきます。
注文価格に応じて大きさ、造作を変えて規格を揃えます。
木の厚さや幅、長さなどを揃えるときは機械を使いますが、仕上げは手作業で行っています。
基本的な設計図は頭の中に入っており、作業中はゆがみや狂いがないことに集中しているそうです。
非常に根気のいる作業なので、心が乱れないように真心を第一に取り組んでいるのだとか。
おわりに
【左から2番目が藤本剛さん、一番右が剛さんの妻・栄子さん】
藤本木工芸さんのお話を伺って感じたのは、300年以上も前から続く伝統の重みです。
十二代もの間受け継がれ続けてきた、知恵や技術が大社づくりのお宮に込められていると思うと、非常に尊いですよね。
そして、藤本さんも自分たちが造っているものが尊いものであることを理解し、誇りを持って日々制作されているのが伝わってきました。
手作業で一つひとつ丁寧に制作していくことは、魂を込めることにも繋がります。
これは、機械だけではできないこと。
改めて職人さんの手で制作することの大切さを考える機会となりました。
住所:〒699-0751
島根県出雲市大社町杵築西2306(神迎え通り 浜の四ツ角から20m)
Tel:0853-53-2514
メール:[email protected]