「一枚…二枚……」
悲しげな女の幽霊が、夜ごと井戸に現れては皿を数える……という怪談、番町皿屋敷。
古くから知られている怪談話の一つですが、幽霊となった女は誰になぜ殺されたのかと訊かれたら、答えられますか?
この記事では、知っているようで意外と知らない「番町皿屋敷」について解説します。
まずは、「番町皿屋敷」がどんな怪談かお話していきましょう。
番町皿屋敷のあらすじ
時は江戸時代。
舞台となるのは、番町にある旗本の屋敷。
この屋敷には十枚一揃えの皿があり、主である青山主膳はこの皿を大層大事にしていました。
しかし、あるとき下女・お菊が揃え皿のうち1枚を誤って割ってしまいます。
これにより青山から厳しい折檻を受けたお菊は、縄で縛られたまま屋敷にあった井戸に身を投げて命を絶ちました。
その後、この井戸からは悲しそうな声で「1枚、2枚…」と皿を数える声が聞こえるというのです。
さらに、青山の妻が生んだ子には、生まれつき中指がなかったのだとか。
これを見た青山は、折檻の際にお菊の中指を切り落としたことを思い出し、不気味に思ったといいます。
そうするうちに、誰ともなくこの屋敷を「皿屋敷」と呼ぶようになり、事件の噂が広まりました。
やがて、一連の騒動は幕府の知る所となり、青山家は領地召し上げになったそうです。
その後も皿数えの声が一向に止まないのを受けて、読経を依頼されたのが文京小石川・傳通院の了誉上人でした。
いつもの通り皿数えが始まったので、その声が「9枚…」と数えたあと、すかさず上人が「10枚」と数えます。
すると「あら、嬉しや。皿が揃った」という女性の声が聞こえ、それから皿を数える声はピタリと止んだのでした。
番町皿屋敷の舞台はどこ?お菊の正体
では、ここからは「番町皿屋敷」に登場するキーワードの解説を交えながら、詳しい内容を見ていきましょう。
番 町ってどこ?
番町皿屋敷の“番町”とは、現在の東京都千代田区。
江戸時代、ここにあったのが江戸城や要地の警護を担う「大番衆」の屋敷です。
その屋敷には一番町から六番町という区画が割り当てられていたので、これをまとめて“番町”と呼ぶようになりました。
屋 敷の主、青山主膳
屋敷の主は、火付盗賊改方の青山主膳という人物。
火付盗賊改方とは、江戸時代に横行していた放火や強盗といった犯罪を取り締まるための役職です。
青山は非常に厳しく、残虐な性格の持ち主だったようで、「10枚のうち1枚を割ったのだから」とお菊の指を一本切り落としたとも言われています。
殺 された「お菊」
お菊は水仕という台所での水仕事を担当する下女でした。
彼女は、青山が捕らえて死刑にした盗賊の娘だったともされています。
手打ちにするため監禁されたお菊は、殺される恐ろしさに耐え切れず、縄で縛られたまま井戸に身を投げたそうです。
さまざまな「皿屋敷」のルーツ
ところで「皿屋敷」と呼ばれる話は、一つではないことをご存知でしょうか?
ここからは、皿屋敷のルーツと考えられる物語や、江戸と播州の皿屋敷について解説していきます。
逆 恨みが事件の発端となる「竹叟夜話」
皿屋敷のルーツの一つではないかと考えられているのが、安土桃山時代永良竹叟によって書かれた『竹叟夜話』です。
竹叟夜話の舞台は現在の兵庫県姫路市で、殺されるのはお菊でなく花野という女性だったり、さらに事件の原因となるのは皿でなく鮑貝の盃だったりと、番町皿屋敷とは少し異なっています。
花野は家老・小田垣主馬助の妾でしたが、下層武士である笠寺新右衛門という男からも想いを寄せられていました。
花野が笠寺からの想いを断り続けていたところ、相手にされないことを逆恨みした笠寺は、小田垣家の家宝ともいえる鮑貝の盃を隠し、花野に罪を被せます。
そうとは知らない小田垣は、厳しい折檻で花野を責め立てました。
過酷な折檻の末に絶命した花野の怨念は、小田垣家に仇をなしたと言います。
確立された「番町皿屋敷」と比べると、井戸や皿といったキーワードが欠けているものの、皿屋敷につながる部分は多いですね。
人 間の愛憎を描く「牛込の皿屋敷」
皿屋敷のルーツとされるもう一つのお話、江戸時代に宍戸円喜によって書かれた『当世智恵鑑』の舞台は、現在の東京都牛込で、皿を損じたのは妾でした。
牛込に住む服部氏の妻は大変嫉妬深く、ある時、妾が十枚揃いの皿の一枚を割ってしまったことを酷く責め立て、幽閉した末に絞め殺してしまいます。
妻は下男に指示し、妾の死体を始末させようとしますが、死んだと思っていた妾は途中で息を吹き返し、下男にお金を渡して命乞いをしますが、下男に殺され埋められてしまいます。
その後、妾の呪いにより妻は喉が腫れて塞がり死んでしましました。
こちらは“女の争い”の様相を呈しており、嫉妬に狂う妻だけでなく、彼女を祟り殺す妾の怨念も見どころです。
この、江戸を舞台とした牛込の皿屋敷では、人間の愛憎や痛切な感情がつぶさに描かれます。
井戸というキーワードが欠けているものの、十枚の皿という部分ではとても「番町皿屋敷」に近いですね。
お 家騒動がからむ「播州皿屋敷」
皿屋敷の中で“番町”と双璧をなす物語が、兵庫県が舞台の“播州”皿屋敷です。
こちらの核となるのは「お家騒動」。
その中で、下剋上を狙う家老の計略を聞いてしまったのが侍女のお菊でした。
お菊の口を封じるために、家老はお菊に皿損じの冤罪を掛けて殺してしまうのです。
作品によって、お菊が殺される前に計画を密告するパターンや、殺されて幽霊となってから家老の悪事を暴くパターンなどがあります。
番町皿屋敷の楽しみ方
ここまでは、書物に記された皿屋敷の筋書きを紹介してきました。
ここからは、さまざまな形で人々に愛された「皿屋敷」を紹介していきます。
浄 瑠璃・歌舞伎で大衆化
現代でも売れ筋の小説は頻繁に映画化されますね。
江戸時代にも、はやりの読み物が浄瑠璃や歌舞伎として上演されたようです。
もともとの筋書きだけでなく、人気役者が演じる美しいお菊、感情に訴えかける脚色などが人気を博し、多くの民衆が皿屋敷を浄瑠璃や歌舞伎で楽しみました。
美 人な“お菊”が浮世絵に
葛飾北斎作の『百物語皿屋敷』で、お化けの首が皿になっているのは、お菊が主人の秘蔵の皿を割ってしまい、井戸に放り込まれて亡くなったからです。 pic.twitter.com/McrmJHpexC
— 浮世絵_Love (@ukiyoelovers) June 24, 2021
もう1つ、ビジュアルを楽しむといえば浮世絵です。
幽霊を題材とした浮世絵は“幽霊画”と呼ばれ、名だたる浮世絵師も皿屋敷をテーマに創作を行いました。
同じテーマでも趣向はそれぞれで、葛飾北斎は妖怪のような不気味なお菊、月岡芳年は美人なお菊を描きました。
そしてなんと、歌川広重は焼継屋(陶磁器の修理屋)に皿の修理を頼むコミカルなお菊を描いています。
「皿やしき於菊の霊」、月岡芳年
— Bangshing (@bangshing) August 12, 2014
少し透けているお菊さん。こちらが一番の別嬪さんではないかな。 pic.twitter.com/qiNjw5xPmd
愛 嬌のある落語「お菊の皿」
皿屋敷の流行を背景に、それを前提とした二次創作的な娯楽も広まりを見せはじめます。
その1つが落語の「お菊の皿」、通称“皿屋敷”です。
落語「お菊の皿」では、美人な幽霊・お菊の“皿数え”に毎日見物客が殺到します。
そんなある日、普段なら9枚までの皿数えが18枚まで続いたことに驚く見物客。
「お菊ちゃん、一体今日はどうしたんだい」と訊くと、お菊は「今日は2日分やったので明日はお休みいただきます」と答えたとさ、という愛嬌のある噺ですね。
悲 恋物としての戯曲「番町皿屋敷」
大正時代に岡本綺堂が戯曲化した「番町皿屋敷」は、なんと悲恋の物語。
ここでは、主である青山と女中のお菊は身分違いの恋仲です。
お菊のためなら縁談も断ると言い切る青山でしたが、お菊は彼の心を試すために故意に皿を割るという行動に出ます。
愛するお菊の失敗であれば、家宝の皿であろうと許すと語る青山。
しかし、それが自分の愛を試すためと知るや、逆上した青山は最愛の女性を手に掛けてしまうのでした。
皿屋敷に必須の要素を大胆に取り払ったにもかかわらず、見事な新解釈で今も観客の心を打つ舞台となっています。
皿屋敷の豆知識
では最後に、皿屋敷とかかわりの深い神社や名跡をご紹介します。
番 町皿屋敷ゆかりの場所
桐生稲荷神社(皿明神)
『江戸砂子温故名跡誌』という書物には、皿屋敷の怪異が現れるようになったが、皿明神として祀ったところ、声が止んだという記述があります。
その皿明神が祀られたとされる神社と推測されるのが、こちらの桐生稲荷神社です。
住所:〒102-0071
東京都千代田区富士見2-3-7
帯坂
帯坂は、市ヶ谷駅から徒歩数分の場所にある坂です。
この坂はお菊が髪を振り乱し、帯を引きずりながら通ったという伝説から、この名前が付いたとされています。
住所:〒102-0074
東京都千代田区九段南4-8-1
「 播州皿屋敷」は観光資源になっている
お土産品や市蝶にも
播州皿屋敷の舞台ともなっている兵庫県姫路市では、主君の危機を救ったお菊はかなり人気があります。
市政100年の節目には「お菊虫」の別名を持つジャコウアゲハが市蝶に指定されており、さらに現在でも「播州皿せんべい」といったお土産品が見られます。
戦前は、他にも餅や飴、筆や火箸に至るまでお菊の名前を冠した商品があったようですよ。
姫路城 お菊井戸
“お菊井戸”という井戸をご存じでしょうか?
このお菊井戸は白鷺城として有名な姫路城にあり、お菊の身が投げ込まれた井戸だと言われています。
昔は釣瓶取井戸と呼ばれていたそうですが、現在では柵で囲われています。
「姫路城」は、兵庫県南西部に位置する姫路市の姫山と呼ばれる高台にあり、日本三大名城の一つです。別名「白鷺城」とも呼ばれ、白亜の天守群が青空に翼を広げた白鷺のように優美な姿で親しまれています。この記事では、国宝でありユネスコ世界文化遺産にも登録されている姫路城の歴史や伝説、逸話、見どころなどをご紹介します♪
十二所神社(境内社:お菊神社)
十二所神社は、姫路駅と姫路城の中間にある神社で、お菊が参拝していたということから境内にはお菊神社があります。
姫路城のお菊井戸と合わせて参拝してみてはいかがでしょうか?
住所:〒670-0911
兵庫県姫路市十二所前町120
全 国に残る皿屋敷伝説
今回は、番町と播州の皿屋敷にスポットを当てましたが、お菊の墓だけでも、群馬県の宝積寺、神奈川県のお菊塚、東京都の栖岸院、滋賀県の長久寺など、数多くの皿屋敷の伝説が残っています。
また、お菊を祀ったという神社は兵庫県だけでなく福岡県にも。
他にも、和歌山県の窓誉寺や岩手県の大泉寺には、皿屋敷に登場したものと伝わる皿まで残されているのだとか。
もしかしたら、みなさんの身近にも皿屋敷伝説があるかもしれませんよ。
おわりに
古くから日本で有名な怪談「番町皿屋敷」ですが、多くのバリエーションがあり、時代ごとにさまざまな楽しみ方がありました。
それだけではなく、東北から九州まで広い範囲に番町皿屋敷と類似した伝説が多く残っています。
もしかしたら、あなたの住んでいる地域にも皿屋敷の伝説があるかも……。
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