日本にはかつて檀家制度というものがありました。

どこの家も、かならずお寺に所属し、お葬式や法事などを行ってもらう代わりに、お布施を払う、というものです。

ところが現在では多くの人が都市へ移住するようになり、宗教的意識も希薄になったため、檀家制度が崩れ、自分の実家がどこのお寺に所属しているか分からない人も増えてきました。

しかし普段意識していなくても、近親者が亡くなると菩提寺ぼだいじ(先祖代々が祀ってあるお寺)に連絡し、葬儀を執り行ってもらうことになります。

お墓参りや法事などで帰省した際には、菩提寺の名前と併せて自分が所属する宗派を知っておくとよいでしょう。

いざというときだけではありません。

長い間、お寺は人々にとって大切な役割を果たしてきました。

お寺では、ご利益を願ったり、座禅を組んだり、仏教についてのお話を聞くこともできます。

この記事ではさまざまな宗派の種類と特徴についてお伝えします。

宗派とは何か

もともと仏教に「宗派」という概念はなく、教義や儀式などの違いから、さまざまな宗派が誕生していきました。

「宗派」という言葉の「宗」とは、その団体独自の教義や考え方によって分類したカテゴリーを表し、「派」はさらに枝分かれしたグループを意味します。

明治時代、日本仏教は13宗56派に整理されました。

時代の移り変わりに伴い、独立したり分派したりする寺院もありましたが、基本的には今でも13宗に集約されると考えられています。

宗派の種類と特徴

それでは、各宗派がどのように誕生していったか、歴史的な流れに沿ってその特徴を見ていきましょう。

奈良仏教系

奈良時代に中国から伝えられた南都六宗である法相ほっそう三論さんろん華厳けごんりつ倶舎くしゃ成実じょうじつのうち、今日までも残っているのが法相宗、華厳宗、律宗の3つです。

法相宗

法相宗ほっそうしゅうは、日本最古の宗派です。

法相宗の大本山は、奈良の興福寺と薬師寺です。

始祖は『西遊記』で知られる玄奘三蔵げんじょうさんぞうです。

玄奘三蔵は629年、経典をもとめてインドへ出発。

17年間学んだのち、中国に戻って唯識を広め、その弟子の慈恩が教えを受け継いで法相宗をひらきました。

唯識というのは、インドの僧である無著むじゃく世親せしんによって大成された思想です。

唯識の「識」とは、私たちの心です。

私たちは目や耳、鼻や舌、また身体や意識の6つの「識」でものごとを認識します。

そのほかにも、人間には末那識まなしきという自我意識や、そうしたすべてを包括するような阿頼耶識あらやしきが備わっています。

阿頼耶識とは、それ以外のもの、つまり世の中のあらゆるものは、自分自身の「識」によって仮に現れたものにすぎない、という考え方です。

「ものごとなど存在しない、ただ認識があるのみ」という思想で、心のありようを瑜伽行ゆがぎょう(ヨガの一種)によって整え、悟りを得ようとするものです。

現在の信者数は約52万人です。

華厳宗

華厳宗けごんしゅうは、奈良の東大寺が大本山で、奈良時代から続く古い伝統や儀礼を伝えている宗派です。

とくに東大寺の二月堂にがつどうのお水取りは、毎年、春を迎える行事として、ニュースでも取り上げられますね。

華厳宗の開祖は中国の杜順とじゅん

華厳宗の教義によると、あらゆるものは縁によっておこり、相互に関係しあいながら、調和して存在している、というものです。

東大寺の大仏は、正式には毘盧遮那仏びるしゃなぶつで、太陽を意味します。

宇宙はこの毘盧遮那仏によって統一が保たれ、太陽の陽のもとにあらゆるものは生成躍動していると考えるのが華厳宗の特徴です。

信者数は約4万人です。

律宗

律宗りっしゅうは、日本史の教科書に、12年の歳月を費やして日本に渡ったというエピソードとともに載っている鑑真がんじんの像。

その鑑真和上がんじんわじょうが律宗の開祖です。

総本山は奈良の唐招提寺とうしょうだいじです。

律宗は、現在寺院数が約30の小さな宗派です。

戒律を守ることが修行の中心に置かれています。

とくに生活の上でのルールを厳しく定め、出家した男子には250もの戒律が設けられているほか、在家信者に対しても、殺生や盗み、邪淫じゃいん、妄語、飲酒の五戒が定められています。

信者数約3万人の規模の小さな宗派です。

平安仏教系

平安時代になると、最澄と空海が登場し、日本の仏教の土台ともいえる天台宗と真言宗を開宗しました。

それまでの仏教は、中国から渡ってきた僧が伝えたものだったのに対し、日本独自の仏教として生まれたのが、このふたつの宗教です。

天台宗

開祖である最澄は、東大寺の僧侶でした。

しかし、奈良仏教の世俗化に失望し、奈良から京都比叡山に逃れ、そこで13年間にわたって修行し、経典を研究します。

そこからさらに中国へ渡り、法華経ほけきょうや密教などを学んだあと、天台宗を開きました。

天台宗は法華経の教えを根本として、誰にでも宿っている仏性ぶっしょう(仏になれるという原因)を信じ、他のためにつくす菩薩行ぼさつぎょうを実践するように説いています。

天台宗の総本山は滋賀県にある比叡山延暦寺で、信者数は約140万人です。

真言宗

真言宗のことを知らなくても、開祖である空海や弘法大師(こちらは亡くなった後に贈られた名前)の名を聞いたことはあるでしょう。

仏教ばかりでなく、総合大学に当たる綜芸種智院しゅげいしゅちいんを開設して庶民の教育機関としました。

書家や文人として、日本文化の基礎を築いた人でもあります。

空海は31歳のときに唐に渡って密教を学びました。

密教とは、言葉通り「秘密の教え」ということです。

一般の仏教が、大勢の人々にわかりやすく教えを説くものであるのに対し、密教は、私たちが普段使っている言葉ではこの世界の底に隠された真実に到達することができない、と考えます。

この隠された真実に到達するために密教があるとするのです。

空海は33歳で帰国すると真言宗を開きます。

密教でいう「仏」とは、修行し悟りを開いた人ではなく、宇宙の真理そのものを指します。

その真理が目に見える形をあらわしているのが「大日如来だいにちにょらい」です。

真言宗の「真言」とは、仏の真実の言葉という意味で、マントラとも言います。

この真言を唱え、修行を行うことで、仏の真理を悟ることができる、と考えるのです。

現在、真言宗は多くの寺院が各派を形成しており、
・高野山金剛峰寺こんごうぶじを総本山とする高野山真言宗
・京都大覚寺を本山とする真言宗大覚寺派
・東寺を本山とする真言宗東寺派
・京都醍醐寺に本山を置く真言宗醍醐寺派
この中で最大宗派の高野山真言宗は信者数が約380万人です。

浄土系

平安時代後期になると、新しい仏教の流れが起こります。

お釈迦さまが亡くなって2千年が経ち、教えはあっても修行する者もなく、悟りを開く者もない末法まっぽうの時代に入った、という末法思想が広まりました。

当時の世相は乱や災害、飢えが相次ぐ中、多くの僧侶は貴族化したり、僧兵として争いごとの先兵となったりしていたため、この末法思想が広く受け入れられたのです。

多くの人々は、この世で救われるのが無理なら、死んだ後は仏の住む世界(浄土)に行きたいと考えるようになりました。

そこに広まったのが、阿弥陀仏を思い浮かべて「南無阿弥陀仏」と念仏を称えれば、浄土に行くことができるという浄土信仰です。

融通念仏宗

融通念仏宗ゆうずうねんぶつしゅうは平安時代後期、良忍りょうにんという僧侶によって開宗されました。

良忍はもともと天台宗の僧侶で天台と密教を学んでいましたが、やがて比叡山を去り、大原の来迎院でひたすら念仏を称える修行の日々を送ります。

その後、46歳のとき阿弥陀仏の啓示※1を受け、融通念仏宗を開宗します。

※ 啓示:神が人に、知らなければならない真理を知らせること。

融通念仏とは、「念仏を称えることで、自分自身の身と心を正し、万人に奉仕する人間になることを目指す」というものです。

総本山は大阪にある大念仏寺、信者数は約12万人です。

浄土宗

浄土宗は現在、信者約600万人を擁する大きな宗派です。

開祖である法然ほうねんは、もともと比叡山で戒律かいりつや念仏を学び、さらに25年にわたって経典研究に励みました。

その中で、唐の僧侶、善導ぜんどうの『観無量寿経疏かんむりょうじゅきょうしょ』の一節に感銘を受け、そこから念仏をひたすら専修するようになります。

さらに、『往生要集』をきっかけとし、比叡山を降りて「阿弥陀仏の名号を称えれば、誰でもそのまま往生でき、阿弥陀仏の救済を受けることができる」という専修念仏の教えを説いてまわりました。

この教えは、仏教と無縁だった武士や民衆を惹きつけるようになります。

しかし、念仏を称えるだけで浄土に行ける、という教えは、厳しい修行を行っていた従来の宗派(南都六宗と天台宗、真言宗)の目から見ると、許しがたいものでした。

彼らが朝廷に訴えたために法然は弾圧され、四国の讃岐さぬきに流されました。

しかしその地でも、75歳の高齢にも関わらず、あちこちを歩いて布教を続けたのです。

浄土宗に対する弾圧は法然の死後も続きましたが、弟子の努力によって、次第に朝廷にも認められるようになりました。

総本山は京都の知恩院ちおんいんです。

浄土真宗

浄土真宗は本願寺派、大谷派とともに約800万人の信者数を擁する大きな宗派です。

ほかにも真宗十派として、多くの寺院・信者がいます。

開祖の親鸞しんらんも、もともと天台宗の僧侶として比叡山で学んでいました。

しかし29歳の時、比叡山を下りて先週念仏を称えていた法然の弟子となります。

法然が弾圧を受けたときは、親鸞もまた越後に流されました。

そこで親鸞は「非僧非俗ひそうひぞく」の立場をとるようになります。

非僧とは、自分は朝廷の支配下にあるような既成の僧侶ではなく、俗人でもない、ということです。

この言葉によって親鸞は、出家・在家の区別なく、阿弥陀仏の前では、ただひたすらに念仏を称える仲間である、と言おうとしたのです。

流罪を許されても、京都には帰らず越後にとどまり、のちに常陸の国に移り、90歳で生涯を終えるまで布教を続けました。

浄土真宗の教えとは、阿弥陀仏を絶対的に信じることによって往生成仏できる、というものでした。

その教えは多くの民衆の心を惹きつけ、やがて非常に多くの信者を持つようになります。

のちに本願寺派、大谷派と分かれていったのは、教義上の違いではなく、その勢力の大きさを恐れた徳川家康が、政治的な配慮からふたつに分けたことによるものです。

本願寺派の本山は京都の西本願寺、大谷派の本山は東本願寺です。

時宗

時宗は鎌倉時代後期から室町時代に盛んになった宗派で、現在も信者約5万人を擁しています。

開祖は一遍いっぺん

浄土宗に入門して浄土教を学び、修行に励みます。

36歳のとき、他力念仏の奥義を悟ります。

それは、「人は誰でも念仏を称えれば必ず往生できるので、縁ある者には念仏札を配るように」というものでした。

そこから一遍は東北から九州まで、全国をあるいて念仏札を配ります。

念仏札を手にすれば、誰でも浄土に往生できると伝えたのです。

また、民衆に教えを説く際に、踊り念仏を取り入れました。

ありのままで救われる喜びを、踊りで表現したのです。

今日まで残る盆踊りの元型は、この踊り念仏にあるといわれています。

総本山は神奈川県にある清浄光寺しょうじょうこうじです。

禅系

禅宗は達磨大師によって開かれました。

達磨大師はインドの僧で、六世紀半ば、中国へわたり禅を広めました。

中国では唐の時代に、禅宗の流れをくむ五つの宗派が生まれます。

日本にはその五家の中から、臨済宗と曹洞宗が伝わりました。

臨済宗

臨済宗りんざいしゅうは鎌倉時代、栄西えいさいが興した宗派です。

多くの派があり、最大の臨済宗妙心寺みょうしんじ派は、本山が京都の妙心寺であり、信者数34万人で全体の1/4を占めています。

開祖である栄西もまた、若い時代は比叡山で学んだ学僧でした。

28歳の時、そうに渡って密教を研究し、帰国。

18年後、ふたたび宋に渡りますが、今度は臨済宗の僧侶から、禅の教えを受けます。

4年後帰国して、日本に臨済宗を伝えました。

しかし、新しい禅の教えは天台宗の僧侶たちから攻撃されたために、栄西は鎌倉で寿福寺じゅふくじを開きます。

やがて、鎌倉幕府の支持を受けるようになり、京都に建仁寺けんにんじを創立しました。

その後、臨済宗は室町幕府によって保護されるようになり、宗教だけでなく、文化の中心となっていきます。

さらに江戸時代に入り、白隠はくいんによって臨済宗の体系が完成されました。

臨済宗は「不立文字ふりゅうもんじ教外別伝きょうげべつでん直指人心じきしにんしん見性成仏けんしょうじょうぶつ」をおもな教義としています。

これは、仏道とは言葉によるものではなく(不立文字)、心から心へと伝えられるものである(教外別伝)、命あるものと仏心とはもとは一つであるから、自分自身の心の中に仏を求めなければならない(直指人心)、悟りとは、自己の心のありようを徹底して見ることにある(見性成仏)というものです。

曹洞宗

曹洞宗そうとうしゅうは現在の信者数約150万人の宗派です。

福井の永平寺えいへいじと神奈川の総持寺そうじじの二つが大本山です。

開祖である道元どうげんは、14歳の時、比叡山で出家しますが、天台宗の「人は誰もみなが仏性を持っており、人は元来、仏である」という教えに対し、「人がもともと仏なら、なぜ修行しなければならないか」と疑問を抱き、栄西の下を訪れて、栄西の弟子の明全みょうぜんのもとで修行するようになります。

やがて明全みょうぜんとともに宋に渡り、曹洞禅を学びました。

帰国後は禅道場を開き、禅の普及に努めますが、道元自身は「宗派」という考え方を否定し、宗派名を名乗ることをしませんでした。

そのため、自分たちを「禅宗」と考えることもしていませんでした。

「曹洞宗」と名乗るようになったのは、第四祖瑩山けいざんからです。

そのため曹洞宗では道元を「高祖こうそ」、瑩山を「太祖たいそ」と呼びます。

曹洞宗の宗旨しゅうしは、「只管打坐しかんたざ」、ひたすら坐禅を組み、坐禅するその姿こそが仏であると信じることにあります。

黄檗宗

黄檗宗おうばくしゅうは中国の禅宗にルーツを持つ宗派ですが、江戸時代の初期、明の僧、隠元いんげんによって開かれました。

現在の信者数は約35万人で、大本山は京都にある万福寺です。

隠元が広めた禅は、それまでの禅と大きく異なり、坐禅のあと念仏を称える念仏禅を行ったり、明朝みんちょう風の修行やお勤めを行うことで、多くの禅宗の僧侶を惹きつけました。

また、隠元が与えた影響は、仏教にとどまらず、普茶ふちゃ料理や、今日でも「隠元豆」と呼ばれている豆、スイカなどを明からもたらしました。

黄檗宗の教義は、人が生まれながらにして持っている仏心を、坐禅を組み、修行することによって発見し、仏陀と同様の境地を体得することが大切だというものです。

法華系

日蓮宗

日蓮宗にちれんしゅうは、現在350万人の信者を持つ宗派です。

総本山は山梨県の久遠寺です。

宗祖の日蓮は、鎌倉で浄土宗と禅宗を学び、さらに京都に移って仏道の修行に励みます。

32歳のとき、この末法の時代を救う教えは法華経ほけきょうであると考え、日蓮宗を故郷の千葉で開きます。

しかし、故郷で受け入れられなかったために、鎌倉の町角に立って、人々に説教を始めるようになります。

やがて、続発する天災や蒙古もうこ襲来、鎌倉幕府内での争いなどによって苦しむ民衆の姿を目の当たりにして、日蓮は『立正安国論りっしょうあんこくろん』を著し、法華経の理念に基づいて政治を行えば、国を安泰に治めることができる」と主張します。

鎌倉幕府の弾圧を何度も受けますが、日蓮は、仏法にもとづかない鎌倉幕府の政治を強く批判すると同時に、天台宗の説いた法華経は衆生を救う力はない、「南無妙法蓮華経なむほうれんげきょう」と題目を唱えることこそが衆生は救われる、と説きました。

おわりに

今回は日本仏教の十三宗について、その特色を挙げていきました。

自分の属する宗派がどのような特色を持っているか、お分かりいただけたでしょうか。

観光地にある名所旧跡のひとつとして、有名なお寺を訪れた際も、そこが何宗で、どのような歴史を持ち、どのような教義のところなのかを理解していると、一層興味深く見ることができます。

また、私たちの日常生活や、普段の考え方の中に、仏教の影響を受けていることにも気づくかもしれません。

殺伐とした事件が起こったり、何かとイライラしがちな毎日のなかで、お寺を訪れれば修行などしなくても、不思議と心は落ち着くもの。

そこからもう一歩踏み込んで、坐禅に参加したり、お坊さんのお話を聞いたりすることで私たちの日常が少しでも豊かになれば、すばらしいことですね!