都と庭園(飛鳥時代)

今からおよそ1400年前の飛鳥時代と呼ばれる時代に、朝鮮半島にあった百済(くだら)という国から、日本に初めて庭園の技術が伝えられました。

しかし、この時代の庭園は真四角の池に石像を置いて水を流すもので、ほとんど「日本庭園」らしさを感じられないものでした。

710年に平城京が造られますが、このとき都の計画に合わせて大規模な庭園が造られることになりました。

この庭園は、自然の形をした池を造り、そこに注ぐ水の流れを川や滝として再現しており、石をありのままの形で用いるようになりました。

私たちのイメージする「日本庭園」らしさが誕生するのは、この時代からになります。

平安貴族の庭園(平安時代)

平安時代にも庭園がさかんに造られました。都から離れた土地で山々の景色を生かした広い庭園を造ることが、天皇や上皇、そして貴族たちの間で流行するようになります。

この時代の庭園は外からのお客さんに見せるための役割が強く、貴族たちは儀式を行ったり、あるいは池に船を浮かべて社交の場としたりしていました。

現在でも、二条城の南にある神泉苑(しんせんえん)や、嵯峨嵐山にある大覚寺の大沢池などの庭園が京都に残っています。

これらの庭園を訪れると、入口を抜けてすぐに池を中心とした庭が周囲の風景とともに目に入ります。

平安貴族になったつもりで、優雅にほとりを歩いてみましょう。

また、平安時代の末期には、浄土思想という仏教の教えが流行しました。

美しいあの世の姿を庭園として再現しようとしたのが浄土庭園と呼ばれるものです。

10円玉に描かれている平等院鳳凰堂の庭園が最も有名で、色鮮やかな建物を映し出す静かに澄んだ池の姿は、特に晴天の日は一見の価値ありです。

禅と庭園(鎌倉・室町時代)

鎌倉・室町時代になり、貴族に代わって武士が大きな力を持つようになると、これまでとはまた違う形式の庭園が成立することになります。

武士たちの間で流行したのは、中国大陸から新たに伝わった禅の思想でした。

庭園は禅の修行の場としても用いられるので、お寺の境内の中でも奥まった場所にあり、非常にプライベートな性格を持ちます。

嵐山にある天龍寺の庭園は室町時代の名僧である夢想疎石(むそうそせき)が建てたもので、お寺の門をくぐって仏像のあるお堂を抜けると、お坊さんの生活する建物の奥に美しい庭園が広がっています。

修行するつもりで建物から眺めてもよし、岸辺を歩きながら風景を楽しんでもよしの名庭園です。

そして、これまでの水を重視した庭園とは違い、石や砂だけを用いて水の流れを表現した枯山水(かれさんすい)という形式が普及していきます。

京都市右京区にある竜安寺の庭園は世界的にも有名なもので、そのシンプルで哲学的な姿は見る人の心を映し出してくれるかのようです。

都会の騒がしさから離れて瞑想してみるのもいいかもしれません。

茶と庭園(安土桃山時代)

お茶を楽しむ喫茶の文化は古くから広まっていましたが、ほとんどは武家の手による格式ばったものでした。

一方、安土桃山時代に千利休が大成した侘茶(わびちゃ)は、町人を中心に広まったもので、庶民の住宅をまねた草庵(そうあん)でお茶がたてられます。

ここで新しく登場したのが、実際にお茶をたてる茶室への通路となる、茶庭(露地ともよぶ)とよばれる空間です。

茶庭はお茶をたてるために必要なものを備えた、とても実用的な庭園です。

人が歩く道には石を飛び飛びに置き、茶室へ入る前に手を洗えるようにつくばいを置いています。

しかしそれだけではなく、「浮世(うきよ)の外の道」として、現実世界から離れた茶の世界をつくり出すために、山里の雰囲気を演出するしかけが施されているのです。

茶人として有名な小堀遠州(こぼりえんしゅう)の造った孤篷庵(こほうあん)では、茶室の中から眺めた茶庭が、床と柱、障子によって切り取られ、まるで一枚の絵であるかのような光景を見せてくれます。

茶庭形式の庭園は、旅館やホテルの中で目にすることもあるはずですので、浮世を離れたつもりで歩いてみてはいかがでしょうか。

大名の庭園(江戸時代)

江戸時代に入ると、これまでに流行してきた庭園の形式をまとめて取り入れた、新しい庭園のかたちが登場します。

平安貴族が愛した池と景色を鑑賞する庭園、武家で流行した禅の思想を取り入れた枯山水、町人のための都会を忘れさせてくれる茶庭の特徴、それらを融合した回遊式庭園が成立します。

回遊式庭園には、通路や外の景色、池からの眺めや水の流れる音など、庭園のあらゆるものに意味が込められています。

そのため教養を持った貴族や大名たちにとても好まれていました。

江戸時代初期にできた桂離宮はその中でも最高傑作とされるもので、宴の場となる池はもちろん、通路に置かれた石、植えられた草花の一つ一つが非常に洗練されています。

しかも庭園の中を歩くにしたがって、景色がどんどん変化していくよう計算して設計されているのです。

大名の手によって造られた回遊式庭園を、とくに大名庭園と呼んでいます。

日本三名園はどれも大名庭園ですが、武家の好みを反映したこともあり、馬や弓の修練の場となるような武芸のためのスペースがあることが特徴となっています。

また、庶民の間でも庭園をめぐって観光することが流行し、一般の人々が楽しめるよう開放された庭園も造られるようになりました。


日本庭園は、時代ごとの文化や社会の変化とともに、長い時間をかけて形成されてきました。

今まで目にしてきたことのある庭園でも、誰が、何をするために造ったのかを知ることで新しい発見があるかもしれません。

これから日本庭園を訪れたときには、隅々までじっくりと鑑賞してみてはいかがでしょうか。