人々の日常をテーマにし、思わずクスっと笑ってしまうような台詞で演じられる事が多い狂言。

狂言にはさまざまな演目がありますが、なかには主人の言いつけを守らずに大騒ぎになってしまう演目がいくつかあります。

今回はその中から、「附子ぶす」をご紹介します。

ダメと言われると余計にやってみたくなるのが人の性。

附子に登場するのは、用事で外出する主人に留守番を申し渡された太郎冠者たろうかじゃ次郎冠者じろうかじゃ

さてさて、2人は大人しく留守番できるのでしょうか?

狂言の「附子」とは?ストーリーが分かりやすい!初心者にオススメの演目

狂言を観た事がない方でも、日本の昔話で「絶対にしてはいけない」と言われたことをしてしまうお話をご存じな方は多いでしょう。

例えば、開けてはいけない箱を開けてしまった浦島太郎や、決して見ないでくださいと言われたのに障子から覗いてしまう鶴の恩返し。

それらの昔話は、大抵驚くような結末を迎えます。

狂言「附子」も浦島太郎や鶴の恩返しと同じように、大変分かりやすいストーリーとなっており国語の教科書にも掲載されています。

わかりやすいストーリーの附子ですが、さらによく理解するために、まずは狂言の種類から見ていきましょう。

郎冠者が主役の「小名狂言」

狂言は、演じられる時期や誰が主役かによって大きく以下の7つに分類されます。

1.脇狂言(わききょうげん)
2.大名狂言(だいみょうきょうげん)
3.小名狂言(しょうみょうきょうげん)
4.聟・女狂言(むこ・おんなきょうげん)
5.鬼・山伏狂言(おに・やまぶしきょうげん)
6.出家・座頭狂言(しゅっけ・ざとうきょうげん)
7.集狂言(あつめきょうげん)


この分類の中で、附子は「小名狂言」に分類されます。

小名狂言とは、大名など主人に使える使用人である太郎冠者がシテ(主役)を務める狂言のこと。

お屋敷で繰り広げられる日常が、使用人目線で語られるという展開になっています。

附子の他にも、“棒縛”や“舟ふな”も太郎冠者が主役なので小名狂言ですね。

中でも狂言「附子」のポイントは、次郎冠者もほぼ主役を務めている所。

通常、次郎冠者はアド(脇役)ですが、附子では太郎冠者とバディを組んでいるかのように、二人一対となって演じるところも見どころとなっており、このような小名狂言を「二人冠者物」とも言います。

場人物

狂言では主役のことをシテ、それ以外(脇役)のことをアドと呼びます。

附子の登場人物は3人です。

太郎冠者(シテ):屋敷に使える家来の中で一番上の者
次郎冠者(アド):屋敷に使える家来で、太郎冠者より下の者
主人(アド):大名など、その屋敷の主人


さて、狂言の種類や附子の登場人物がわかったところで、狂言「附子」のあらすじを見ていきましょう。

狂言「附子」のあらすじ

ある家の主人が、用事ができたので山の向こうへ出かけることになりました。

その際、主人は太郎冠者と次郎冠者に葛桶を見せながら

「これは猛毒だ。桶を通り過ぎた風に当たっただけで死んでしまう恐ろしい附子が入っているので、十分に気を付けて留守番をするように」

と言い付けて出かけて行きました。

主人の言葉を信じ、桶の方から風が吹くたびにビクビクしていた2人ですが、太郎冠者が思い切った事を言い出します。

「附子が見たい!」

次郎冠者は驚いて止めますが、桶からの風を浴びないように扇で扇ぎ返して近づけば大丈夫だというずる賢い太郎冠者の案に納得し、好奇心旺盛な2人は見事附子に近づき蓋をあけます。

猛毒だと聞いていた附子ですが、どうにも美味しそうな物に見えた太郎冠者は一口食べ、そして叫びました。

なんと中に入っていたのは猛毒ではなく、お砂糖だったのです!

そうと分かれば次郎冠者も食べたくて仕方ありません。

奪い合うようにお砂糖を食べた結果、桶の中はあっという間に空っぽになってしまいました。

しかし、あれだけ主人に厳しく言われていたのにもかかわらずお砂糖を食べてしまった事がバレたら大変です。

主人が帰ってきたら謝ろうという次郎冠者ですが、一方の太郎冠者には妙案がありました。

なんと2人は主人が大切にしている床の間の掛け軸を破り、さらには家宝の天目台(茶碗を乗せる台)を木っ端微塵に割るのです。

さらにそれだけではなく、太郎冠者は「主人が帰ってきたら盛大に泣こう」と言うではありませんか。

用事から帰ってきた主人は、大泣きしている2人と無残な品々を見て、どうしたのかと事情を問います。

すると2人はこう答えました。

「留守番中に寝ないよう相撲をしていたら、掛け軸と天目台を破壊してしまった。死んで詫びようと附子を食べたがついに死ねなかったのです」

主人は1人で食べようと思っていたお砂糖を全部食べられたあげく、大切な物まで壊されては、2人を許せるはずもありません。

2人はカンカンに怒った主人に追い掛け回されて終わりとなります。

そもそも附子って何?

現代では「ぶす」と聞くと、容姿のことが思い浮かんでしまうかもしれませんが、狂言「附子」で登場する附子とは容姿のことではありません。

附子がどのようなものか知らないと狂言も少しわかりにくいですよね。

そこで、附子とはどのような物を指すのかご紹介します。

方薬の材料として使われる植物

附子とはトリカブトという植物の塊根の名前です。

トリカブトの塊根には、冷えた体を温めたり、鎮痛作用があったりすることから関節痛や筋肉痛を緩和する漢方薬として「ぶし」「うず」の名称で使われてきました。

一方で猛毒が含まれている植物でもあり、トリカブトの毒は神経に作用して麻痺を起こします。

その際に顔の筋肉が動かなくなり無表情になった様を「附子」と呼び、しだいに表情だけでなく顔の造形が醜い者を「ブス」と言うようになったそうです。

ぜ主人はお砂糖を附子と告げたのか?

主人が猛毒の附子と嘘をついてまで、お砂糖を隠したかった訳は何でしょうか?

それは当時のお砂糖の価値に答えがあります。

江戸時代に国内生産できるようになるまで、お砂糖は輸入で手に入れるしかありませんでした。

そのため、お砂糖はとても貴重なもので価値は金銀と同じくらい高かったのです。

奈良時代の『種々薬帳しゅじゅやくちょう』には、薬種の1つとして名があることからも、その貴重さが伺えます。

当然庶民が気軽に食べることができる物ではなかったので、太郎冠者達につまみ食いされないように「食べたら死ぬ」と嘘を吐いた主人の気持ちも分かりますね。

さらに、附子だけでなく、お砂糖も現代の私たちが想像するものとは少し違います。

現在私たちがお砂糖といって思い浮かべるのは白いさらさらしたお砂糖だと思いますが、附子で登場するのは“どんみり”とした水あめ状の黒砂糖です。

「どんみり」は色が濁ったことを表す古語なので、まさしくどろ~っとした黒糖の水あめが桶に入っていたのでしょう。

今では手軽に入手できるお砂糖ですが、当時のお砂糖がいかに高級だったかは砂糖菓子である落雁がお供え物に使われていたということからもわかります。

狂言「附子」の見どころは、2人の息の合ったドタバタ劇!

ここからは、附子を観るならぜひ押さえておきたいおもしろポイントのご紹介です!

主役の太郎冠者を絶妙に支える次郎冠者にも注目していきましょう。

吽の呼吸

「小名狂言」と冒頭で述べましたが、2人の掛け合いで進行していく所が「二人冠者物」である附子ならではのポイント!

悪事も2人でやれば怖くない……ではないですが、2人の動きが見事にピッタリとシンクロしているシーンが多く、コミカルさが倍増する点が面白い演目です。

揃いの装束

太郎冠者と次郎冠者の2人は肩衣かたぎぬ狂言袴きょうげんばかまを付けていますが、よく見ると多くの場合、同じ柄の色違いなど似た衣装が使われています。

まるでペアルックのように見えますね。

おげあおげ、あおぐぞあおぐぞ

附子に恐る恐る近づくシーンです。

扇を広げ大胆な動きで2人が一緒に屈みながら進む姿は影のよう。

太郎冠者が縦に扇いでいる時には次郎冠者は横に腕を動かし、太郎冠者が扇を横に動かせば次郎冠者は縦にといった具合に風がまんべんなく桶にあたるように協力するあたりが、次郎冠者の用心深さを感じられます。

糖じゃ!

太郎冠者が附子を口にして叫ぶシーンでは、次郎冠者が「どうした!」と心配して飛んで駆けつけてきます。

太郎冠者との仲の良さがうかがえますね。

毒で苦しみ叫んだのではなく、お砂糖の美味しさに驚いていたのは言うまでもありません。

砂糖の奪い合い

太郎冠者があーんと大口を開けて上を向いて食べている間に、次郎冠者がソっと自分のほうに桶を引いてしまうので、二口目を食べようとする太郎冠者の前に桶がない!というコントのようなやりとりが続きます。

仲が良いのかそうでないのか?と思わずクスリと笑ってしまうシーンです。

また、このシーンのもう1つの見どころは扇です。

「あおげあおげ」で使った扇を逆手で持って、スプーンのように使っている所がポイント。

小道具の少ない狂言では、このように扇の開き方や持ち方で色々な道具を表します。

泣き

主人が帰り、2人がへえーっへっへっへっへと大泣きするシーン。

顔の前に手を添え、前かがみでうつむく姿は狂言だけではなく、能でも悲しみの表現としてよく使われます。

泣きはじめも泣き止みもぴったりで、まるで双子の赤ちゃんを見ているようです。

狂言「附子」の愉快な擬音語

2人の動きに注目した後は、台詞にも注目です。

狂言が生まれた時代は、当然パソコンなどがない時代なので、効果音を後からつけるということができません。

そのため、状況を伝えたい時には演者が全て言葉で音を表します。

さらりさらりばっさり」

掛け軸を2人で引き裂くシーンで登場するのがこの擬音語です。

現代で表現するとしたら「ビリビリ」でしょうか?

大きな掛け軸が切られてばっさりと下に落とされたような状況がイメージできますね。

がらり、ちーん!」

こちらは天目台を割る音です。

ハンマーなどでごつごつと地道に割るのではなく、豪快に上から落として割っているようです。

割れて使えなくなったものは縁起が悪いので、「増えた」という表現に言い換えるのですが、主人の大切な物を割っておいて「増えたー!あははっ」と大爆笑するところがまさしく喜劇ですよね。

狂言「附子」のこぼれ話

実は一休さんのとんち話にも出てくる附子ですが、狂言とは少しストーリーが違いアレンジされているようです。

そちらでは、どんなお話なのでしょうか?

休さんでは和尚さんが?!

甘いものが好物の和尚さんはいつも水あめを食べていますが、他の人に食べられたくない和尚さんは「子供が食べたら死んでしまう毒だ」と言って独り占めをしていました。

それを知った一休さんは、他の小僧さんと一緒に水あめを食べ和尚さんの大事な茶碗を割り「償うために死のうとしたが毒を舐めても死ねなかった」と大泣きをします。

これに懲りた和尚さんは、今後はみんなで美味しいものをちゃんと分け合うようになりました。

お話の細部は諸説あるようですが、独り占めする和尚さんを一休さんが懲らしめてしまうとんち話です。

1人だけ良い思いをすることなく、皆で分け合いましょうという教訓ですね。

おわりに

一休さんでは和尚さんが悪者になりましたが、狂言「附子」では悪だくみは成功せず2人は「やるまいぞやるまいぞ」と主人に怒られて追いかけられます。

でもどうでしょう。

2人に反省の色が少し足りないように見えるのは「食べたら死ぬ」と嘘をついて脅した主人を懲らしめてやりたい気持ちがあったようにも思えますね。

嘘や悪知恵はいつの時代もダメな事です。

狂言から、現代でも通用する教訓が感じ取れたのではないでしょうか?