紅白の獅子が数匹登場し、全身を使って舞い踊るおめでたい演目であるお能「石橋」。
中国から伝わってきたお話で、読み方は「いしばし」ではなく「しゃっきょう」です。
石橋はお能のどの流派でも大変重い習いとして扱われており、師匠の許しが無ければ舞う事が許されません。
それは、獅子の動きが普通の能の型に当てはまらず、また獅子にはセリフが無いため、演者の表現力や技術、そして体力も問われる演目だからです。
そんなお能「石橋」について、詳しくご紹介していきます!
お能「石橋」とは?
「 石橋」は五番目物として演じられる
お能にはいろいろな演目があり、かつては上演する順番が決まっていました。
能楽の生みの親である世阿弥が、序破急と呼ばれる三部構成の概念に沿って順番を5種類に分けました。
序破急では、「序」は導入で誰にでも分かりやすい演目を、「破」は転換で技の見せ所、「急」は最後に驚かせるような派手なものが良いとされています。
そして後世になると、“翁”を始めとしてお能を五番、その間に狂言を演じるのが正式な流れとされ、この流れは「五番立」と呼ばれるようになりました。
しかし、現在では一日がかりとなる五番立で行われることはほとんどなく、1日に1種類だけ上演される事が多いようです。
能・狂言の歴史は古く、もとは「猿楽さるがく(申楽)」と呼ばれていた芸能から分かれて出た芸能です。南北朝時代から室町時代にかけ、当時活躍した猿楽師・観阿弥と世阿弥親子によって能・狂言として大成されました。今回は室町時代前まで遡り、どのようにして発展してきたのか、現代まで存続しているのか、詳しく解説していきます。
半 能とは?「石橋」との関係
「半能」とは、その言葉の響きからも予想できる通り、お能を短くアレンジした上演方法のことです。
後半の見せ場であるクライマックスに軸を置き、前半を省略します。
ストーリーを大幅にカットするため、祝言性の強い初番目物か五番目物の演目で多く見られます。
石橋は、その中の代表格とも言えるでしょう。
また、“猩猩”や“岩船”のように半能でしか上演されない演目もあるのだとか!
お能「石橋」のあらすじ
「石橋」はおめでたく、そして重い曲として、演じる人からも観る人からも大切にされているお能という事がわかりましたね。
さて、ここからは登場人物と合わせて、あらすじをご紹介します。
お 能「石橋」の登場人物
前シテ(主人公):童子
後シテ(主人公):獅子
ワキ(脇役):寂昭法師
お 能「石橋」のあらすじ
ある日、大江定基という男が、恋人を亡くしたショックから出家して旅に出ました。
寂昭法師として修行の旅の途中、中国にある清涼山(現在の山西省にある五台山)にやってくると、突然目の前に虹のように弓なりになった石の橋が現れました。
寂昭法師はこの橋を渡ろうとしますが、
“まずは誰かにこの不思議な橋について聞いてみよう”
と思い、人が通るのを待っていると、そこに木こりの少年がやってきました。
寂昭法師が意を決し渡る事にしたと話すと、少年はそれを引き止め、橋について説明を始めます。
『これは石橋という橋で、人が造った物ではなく自然に現れたもののため、人間がたやすく渡れる橋ではありません。
幅は一尺(約30cm)しかなくヌメヌメと滑りやすい苔が生えているのに加え、長さは三丈(約10m)もあり下は深い谷の滝つぼです。
とても恐ろしく危険なので、今まで渡れた人はいません。
この先は文殊菩薩の浄土※です。
しばらくすれば不思議な良い事が起こるので、橋を渡らずにここで待っていてください。』
と、言い残し消えていきました。
寂昭法師が言う通り待っていると、なんと牡丹の花が咲き乱れ、橋の上に獅子が現れました。
獅子はまるで牡丹の花とじゃれ遊ぶように舞を舞い、千秋万歳、永遠の長寿を祝って消えていきました。
※文殊菩薩の浄土:浄土とは、仏が住まう汚れ無き清浄な国のこと(=煩悩にまみれた人間の土地ではない)。ここでは文殊菩薩が住んでいる国を表す。
お 能「石橋」の見どころ
「石橋」の見どころは、何といっても美しい獅子の舞です。
獅子は1匹の時もありますが、ほとんどが紅白の複数匹で登場します。
紅白の場合は、白が父親の獅子で堂々とした舞、赤が子供の獅子で生き生きとした躍動感にあふれる身軽な舞です。
父子ではなく兄弟とする場合もありますが、白獅子の方が年長者の風格があり、どちらも石橋でしか登場しない大変珍しい型(動き)ばかりなので、一見の価値があります!
紅白の獅子を実の親子で演じる場合もよくあり、人生の節目を記念した大変おめでたい上演でもあります♪
お能「石橋」に出てくる特別なお面と万能な台
老人や女性など、能面の基本の種類は60種類以上ありますが、石橋では鬼神面の仲間である”獅子口”と呼ばれる石橋専用のお面を使います。
後半に登場する獅子がつけているお面です。
大きく口を開けキバを見せ、ギロリと睨んだ迫力のあるデザインは、獅子の猛々しさを表すのにぴったりですね!
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「 石橋」の台
作り物と呼ばれる小道具では、”一畳台”というものが使われます。
広さ畳1枚分×高さ約20cmの木の台を台掛という分厚い布でくるんだ移動可能なステージで、石橋では牡丹の花とたわむれる様子を再現するため、角に牡丹の花を挿します。
この一畳台の上で、獅子が華麗に飛び回るのです。
お能の小道具は、見ただけでは何を表しているのか分かりにくい物が多いのですが、石橋の一畳台はとても分かりやすいですね。
寂昭法師が渡ろうとした細長い石の橋を表しています。
平らな能舞台の上に唯一高低差を出す小道具であり、上下に跳ねる獅子は迫力満点!
石橋以外の演目では、柱を追加して宮殿にしたり、玉座にしたりその用途は万能といわれています。
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仏教とお能の繋がりから見る「石橋」
獅 子とはどんな生き物?
獅子は百獣の王ライオンの意味もありますが、お能「石橋」の獅子は仏教の世界に出てくる空想の生き物で、中国にあるとされる清涼山に住んでいる神聖な霊獣です。
獅子は文殊菩薩の乗り物で、上に乗る文殊菩薩を守る守護獣でもあります。
そんな仏様を守る獰猛な獅子にも、実は苦手な物があります。
それはなんと”虫”!
なぜならフサフサとした毛に住み着く毒虫に刺されると、獅子は命を落としてしまうからです。
しかし、毒虫は牡丹の花の朝露に濡れると死んでしまうので、獅子は牡丹の花の下では安心して休む事ができるのだとか。
(※朝露を飲んで解毒するという説もあります。)
このことから、獅子と牡丹の組み合わせは、最強でありとても良い組み合わせとされてきました。
慣用句『獅子に牡丹』とは、「大変豪華な牡丹の花と獅子で、非常に良い組み合わせ」という意味なのです。
ところで獅子は、”連獅子”の演目で歌舞伎にも登場しています。
紅白の長い毛を歌舞伎役者が手で掴み、ブンブンと頭をまわす姿を見た事がある方もいるのではないでしょうか?
歌舞伎では、子獅子は石橋から落とされて崖登りをするという試練があります。
文 殊菩薩とは何者?
霊や神様など、人外が登場することの多いお能ですが、霊獣・獅子が出てくるようにお能「石橋」では仏様との繋がりが多く見られます。
獅子の上に乗っている文殊菩薩とは、いったいどんな人なのでしょうか?
文殊菩薩は、釈迦如来の脇侍※であり知恵を司る仏様です。
古代インドで布教活動に勤しみ、般若経という経典をまとめあげた人物がモデルとも言われており、”三人寄れば文殊の知恵”という言葉にも登場します。
現代では、学力向上祈願や受験生の合格祈願のご利益があるとして有名ですが、本来は判断力や知恵の仏様です。
右手に剣、左手に経典を持っており、正しく物事を見極められるのは修行僧の憧れの存在ですね!
きっと寂昭法師も、文殊菩薩のお姿をこの目で見てみたいという思いがあったのではないでしょうか。
※脇侍:仏教での配置において、中央にいる仏に対して左右に仕える存在。明王、天、菩薩などが該当する。
おわりに
文殊菩薩を守っている獅子が、牡丹の花咲き乱れる橋の上で舞う姿はとても力強く、縁起の良い光景です。
主役の獅子にはセリフがありません。
地謡のコーラスと囃子方※に合わせ、一畳台から飛んだり跳ねたり、ひたすら激しい舞を舞います。
そして、囃子方と演者の気合が燃えるようにぶつかり合います。
観に行かれる際には、
「♪獅子団乱旋の舞楽のみぎん 牡丹の英にほひ充ち満ち 大きんりきんの獅子頭 ~」
の歌で始まる、後半の熱量を肌で感じてみてください。
もしかすると、イメージの中で牡丹の匂いを感じたり、文殊菩薩様のお姿を見ることができるかもしれませんね♪
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