普段皆さんが何気なく使っている言葉の中には、能・狂言の世界からやってきた言葉が沢山あることをご存じですか?
実は、能・狂言や古典芸能の世界でだけでなく、日常生活の中やビジネスの場でも使用されているんですよ!
今回は、その中でも特に有名ないくつかの言葉をご紹介していきます♪
能・狂言のはじまり
能・狂言は、奈良時代に中国大陸からやってきた「散楽」という芸能がルーツとなっています。
もともと散楽とは、物真似や曲芸、呪術などのさまざまな芸を総称して呼ぶ言葉です。
平安時代には、その中の滑稽な物真似芸が特に人気を集め、これが「猿楽」と呼ばれ始め、神社などの神事でも盛んに行われるまでになっていきました。
その後、鎌倉時代末期頃から、他の芸能の要素を取り込み、歌と舞を融合させた芸能へと発展します。
室町時代には観阿弥と世阿弥の親子によって大成され、今日まで続く伝統芸能となるのです。
そんな古い歴史を持つ能・狂言の世界で使われてきた言葉には、日常生活の中で当たり前のように使用されている言葉がたくさんあります。
私たちの身近な言葉の中に、能・狂言を感じ取ってみましょう。
能・狂言が由来になった言葉たち~日常編~
「 ノリがいい」
「あの人は“ノリ”が良くて面白い人だよ」
盛り上がった雰囲気に馴染んで楽しく会話をしたり、冗談を言い合ったりできる、明るくて社交的な方を思い浮かべますよね。
能・狂言の世界では、謡やお囃子のリズムの取り方を「乗」と言います。
平ノリ、中ノリ、大ノリの3種類が組み合わさって、1曲が構成されます。
なので、能・狂言を鑑賞した際に「今日はノリが良かった」と言うと、謡とお囃子のスピードや表現が上手にされていて、大変良い上演だった!という事になります。
「 埒があかない」
「このままではいつまでたっても“埒があかない”」
どうにも物事が捗らず、いつまでたっても進展しないという意味です。
さて、「埒」とは何でしょうか?
なぜ「あかない」と困るのでしょうか?
埒とは、囲いや仕切りのことを指す言葉です。
奈良県にある春日大社で祭礼が行われた際、能・狂言の流派の一つ“金春流”の大夫※が祝詞を読み終わるまで、お神輿を囲う柵が開けられなかったことがきっかけで、この言葉が誕生したと言われています。
柵(埒)があかないとお神輿が動き出せず、お祭りが進行できないので困ってしまいますよね。
神輿の柵ではなく、競べ馬の柵が外されるのを待ちわびる様子を起源とする説もあります。
どちらにしても、物事が進まない様に使われる言葉です。
※大夫:もともとは古代中国における身分の1つ。能楽ではシテ方の流派を率いる長を示すが、現在では使われない名称。
「 初心忘るべからず」
「私の座右の銘は、“初心忘るべからず”です」
物事を始めた時の謙虚な気持ちや、自分の未熟さを忘れてはいけない!という戒めの言葉です。
これは、能を発展させた第一人者として有名な世阿弥が書いた、『花鏡』という本の中に出てくる言葉の一部なのですが、基は今とは少し違う意味が込められていました。
是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。
本来はこのように、3つの言葉に分けられていたのです。
それぞれの言葉には、「未熟だった時を忘れずに自己を向上させなさい」、「その年齢に見合ったことを始める時は誰でも初心者であることを忘れずにいなさい」、「年老いてからも初めての事があるので、完成という事はないのですよ」、というように、どの文にも驕ることなく努力し続けなさいという意味が含まれています。
世阿弥が唱えた「初心忘るべからず」の本当の意味とは?“初心”とは、「はじめての物事にぶつかる未熟な状態」の事で、慣れてからも怠慢な姿勢にならずに、未熟な頃を思い出して精進するべきである、と世阿弥は言っているのです。今回は、世阿弥の名言「初心忘るべからず」について詳しく解説していきます。
「 三拍子揃う」
「攻守走の“三拍子揃った”良い野球選手」
「飲む打つ買うの“三拍子揃った”遊び人」
良くも悪くも、条件が3つ揃った時に使われる言葉です。
能・狂言で揃って欲しい3つとは、なにかわかりますか?
それは、小鼓、大鼓、太鼓の3種類の打楽器です(笛の場合も)。
この3つの演奏が揃っていると、とても調和がとれて綺麗な演奏になることから、「三拍子揃う」という言葉が使われるようになりました。
原則、良い意味として使う言葉ですが、先ほどあげた例のように、古くは悪い意味で使うこともあったようです。
能・狂言が由来になった言葉たち~テレビ・演劇編~
「 役者」
現在は女優や俳優など、演劇をする方を指す言葉として使われる「役者」という言葉。
能・狂言の世界でも、演目の中で役に扮する方を指す言葉として使われています。
昔はお寺などで特別な役割を担当する方を指す言葉としても使われていたのだとか!
「 脇役」
主役ではない役柄で物語に登場する方のことを指し、主役を引き立てたりストーリーを展開していったりと、その役目は大変重要なものです。
能楽では主役を「シテ」と呼び、シテの相手方を「ワキ」と呼びます。
能・狂言では、シテは亡霊や鬼といったこの世の物でない事が多いですが、ワキはそれと相対するこの世に生きている人間の役柄なので、シテと違い面をつける事はありません。
無残な死に方をして亡霊となり、化けて出てきたシテのいる能の舞台を、人間であるワキが、観客である私達と繋ぐという役目も担っているのです。
「名”脇役”」という言葉があるのも納得ですね!
「 芝居」
お芝居を観る際、観客はどこにいるでしょうか?
現代では、舞台の正面や横にある椅子に座って鑑賞しますよね。
その昔、能・狂言の基となった猿楽はまだ能楽堂では行われておらず、神社の境内などで演じられていました。
屋外での上演であったため、椅子など整った物は当然無く、見物人は芝生の上に座って鑑賞していました。
このことから、客席を「芝居」と呼ぶようになったといいます。
江戸時代に入る頃には、客席だけでなく劇場そのもの、そして演劇事体が「芝居」と呼ばれるようになったのです。
「 番組」
テレビやラジオで使われる、放送などの種目を指す「番組」。
これは、能・狂言の演目を一番・二番と数える事に由来します。
いくつもの番を組み合わせたプログラムを表し、「番組」と呼ぶようになったといわれています。
また、お能と狂言をセットにして演じるプログラムのことも番組と呼ぶそうです。
テレビの番組表にタイトルや出演者名が書いてあるように、お能の番組にもタイトルや能楽師の名前が決まった形に沿って書かれています。
能楽堂に行く際には、番組が書かれたチラシもぜひ見てみてくださいね♪
ビジネスシーンでも活躍!能・狂言に縁のある言葉たち
「 打ち合わせ」
「今日は”打ち合わせ”ばっかりで忙しくってさ…」
足早に歩きながら電話をかけているサラリーマンが想像できますね。
お能の世界でも、打ち合わせは大切な作業です。
もともとは、雅楽の演奏時に笙や琵琶などのリズムをお互いに調整するため、笏拍子という楽器を「打って」リズムを「合わせ」ていたことから生まれた言葉です。
打てば響き、調子の合った良い会議になると、打ち合わせもやった甲斐が有るというものです。
「 出勤」
「出勤」は、現代の会社員だけの言葉ではありません。
能楽師にとっても、勤めに出るのは出勤なのです。
能楽用語では、演者が舞台に出演することを出勤と言い、そして演者に支払われる報酬の事は、”出演料”や”ギャラ”ではなく”出勤料” と呼びます。
「 板につく」
「君もだいぶこの仕事が”板につく”ようになったな」
上司に言われたら、経験を積み重ね、態度や境遇が似合ってきた、と褒められた事になりますね。
能・狂言の役者は、舞台上を摺り足で動き回ります。
「板につく」の”つく”というのは、見事に合うという意味を持ち、上手な役者の足さばきが板張りの舞台と調和している様子を表したことから、転じて現代の意味を持つようになりました。
毎日「出勤」して、真面目に「打ち合わせ」をして早く仕事が「板につく」ようになりたいですね!
お能の演目から見る言葉たち
「 白羽の矢が立つ」演目:賀茂より
沢山いる中から何かに大抜擢されるなど、指名されて選び出される光栄な事でよく使われますが、元々は大勢の中から生贄になる犠牲者を選ぶという意味合いで使われていました。
その昔、神の怒りで自然災害が起こらぬよう、怒りを鎮めるために神に捧げられる「人身御供」に選ばれた者の家に、白羽の矢が立てられたことが由来しているのだとか。
演目『賀茂』では、川で水を汲んでいた女が桶に止まった白羽の矢を持ち帰ったところ、たちまち男児を産み、男児が三歳になった頃、父について尋ねると、この矢を父であると言います。
すると立ち所に、白羽の矢は別雷神となって天に上がっていったのです。
女は、神の息子を産むという大役を担ったのですね。
お能のこの演目がきっかけとなり、良い意味でも使われるようになったと言われています。
「 玄翁」演目:殺生石
玄翁とは、打つ部分が両方ともほぼ平らになっている金槌の名称です。
大工がみのを打ったり、石工が石を割る時に使います。
演目『殺生石』では、狐の化け物が大きな石に取り憑いており、上を飛ぶ鳥は落ちるなど、近づく生き物が命を落とすという殺生石が登場します。
その話を聞いた玄翁和尚が呪文を唱え、巨大な鎚で石を砕き狐の霊を祓いました。
この物語から、巨石を割った和尚の名にちなんで、同じ形の鎚を玄翁と呼ぶようになりました。
歌舞伎の世界が由来の言葉たち
能・狂言の親戚とも言える歌舞伎からも、現代に伝わる言葉が沢山あります。
歌舞伎は、慶長8年(1603年)に出雲大社の巫女をしていたと言われる阿国という女性が演じた、「かぶき踊り」が京都で大人気になったところから始まります。
400年以上も昔にルーツを持つ言葉が、令和になった現代でも使われているのは面白いですね!
「 二枚目・三枚目」
「あの俳優は二枚目だね~惚れ惚れするね」
「二枚目」とは、美男子や色男の事を指して使う言葉です。
それに比べ「三枚目」は、滑稽で面白いキャラクターの男性のことです。
そこには、決して二枚目のようなイケメン……といった要素はありません。
江戸時代の劇場小屋の前には、出演者の名前を書いた看板が全部で八枚掲げられていました。
一枚目は主演、二枚目は若手で女性に好かれる美男子、そして三枚目には道化役の名前が書かれたことから、看板の順番が男性の容姿やキャラクターを表す言葉になりました。
「 男前」
顔や背格好が魅力的なだけでなく、器が大きい、仕事ができる、気前がいい、誰にでも平等に優しいなど「男前」を評価する基準はさまざまですが、これは総じて男性への誉め言葉です。
時には、男気のある気っ風の良い女性への誉め言葉としても使われますね。
歌舞伎の世界では、男の役者は動いている姿の美しさが評価の基準でした。
男前の”前”とは動きの事で、美しい動きをする男に”前”をつけて「男前」と呼ぶようになったのだとか。
ちなみに、歌舞伎に女性の役者はいませんので、「女前」という言葉は生まれませんでした。
「 黒幕」
「この事件の黒幕はアイツだ!」
なんとも不穏なセリフですね。
歌舞伎での「黒幕」は、舞台に張って使われる幕のことを指しています。
その用途は、夜の場面を表す背景の他に、背後で仕掛けを操ったり場面の変わり目を示したり、死んだ役の人物を隠すためなど、舞台上で「見えないもの」という役割を持っています。
そのため、自らは表に出ずに他人を操って動かす人、という意味で使われるようになりました。
おわりに
能・狂言、歌舞伎、どちらも大変古い歴史をもつ、日本が誇る伝統芸能です。
そのセリフに使われている言葉は、初めて聞く方には馴染みが少なく、意味が難しいものが多いでしょう。
当時と現代とでは、文化も風習も違うので、耳慣れない言葉があるのは当然です。
しかし、普段私たちが何気なく使っている言葉の中に、実は能・狂言や歌舞伎の世界がある事を知ると、少し伝統芸能が身近に感じられるような気がしませんか?
ぜひこの機会に伝統芸能を鑑賞して、古い言葉の中に新しい発見を探しにいってみてはいかがでしょうか♪
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