一口に日本舞踊といっても、日本舞踊協会に加入している流派だけでも約120!
新しく創流されて未加入の流派を加えると200以上、新舞踊などの流派を加えるとその数は正確に把握できないほど多いといわれています。
今回はその中でも代表的なジャンル、
● 歌舞伎の所作事(=踊り)から派生した「日本舞踊」
● 上方(京・大阪)で独自の発展を遂げた「上方舞」
● 歌謡曲や演歌などの楽曲に日本舞踊の振り付けをした「新舞踊」
について、詳しく解説していきます。
【日本舞踊】流派一覧
日本舞踊の流派一覧です。
※五大流派については【日本舞踊の五大流派】をご覧ください。
※令和5年(2023年)時点
※流派によっては、さらに細かく分かれている場合があります。
日本舞踊の五大流派
歌舞伎の振り付けを担当していた振付師が流派を興した日本舞踊の中でも、歴史が古く、規模(門弟の数)が大きいものを特に「五大流派」と呼んでいます。
西 川流
日本舞踊の歴史は、初代市川團十郎の登場により歌舞伎の中心が上方(京・大阪)から江戸に移りつつあった元禄時代にはじまります。
その中でも歴史が古い流派が、初代西川仙蔵が興した西川流です。
初代仙蔵はもともと能の囃子方で、のちに歌舞伎の地方(音楽担当者)に転身。
さらにそこから歌舞伎の所作事の振付師となり、西川流を興しました。
二代目は初代の門弟で、師に遠慮して名前を「扇蔵」と改め、常磐津※1の名作「関の扉※2」を振り付け。
以来この扇蔵が現代まで家元の名として受け継がれています。
四代目は七代目市川團十郎とタッグを組み、歌舞伎の人気演目歌舞伎十八番の「勧進帳」を振り付けし、名人と謳われた人物です。
現在は十代目西川扇蔵が宗家家元として流派を継承しています。
※1常磐津:浄瑠璃節の一派
※2関の扉:積恋雪関扉の通名。常磐津節に合わせて演じられる歌舞伎の演目の一つ。
藤 間流
西川流についで歴史が古いのが藤間流です。
手数の少ないおおらかな振り付けが特徴で、踊り手の腹(演じる気持ち)を重視します。
流祖 藤間勘兵衛
流祖は初代藤間勘兵衛。
日本舞踊の中で最も歴史が古いといわれる志賀山流で修行した後、振付師として独立し、藤間流を興しました。
ただ、この勘兵衛の名跡は現在途絶えており、宗家である藤間勘十郎預かりとなっています。
宗家 藤間勘十郎
三代目勘兵衛の娘婿だった藤間大助が初代勘十郎を名乗ったのがはじまりです。
六代目勘十郎(二世藤間勘祖)は戦前の歌舞伎の名人、六代目尾上菊五郎とタッグを組み、『藤娘』を現在の振り付けにするなど、大活躍。
その後、現在に至るまで、歌舞伎の振り付けのほとんどは勘十郎家が担当する流れになりました。
現在は三世藤間勘祖(七代目藤間勘十郎)とその子息である八代目藤間勘十郎が歌舞伎の振付師として活躍しています。
家元 藤間勘右衛門
二代目藤間勘十郎の弟子で、元歌舞伎役者だった初代藤間勘右衛門が創流。
三代目からは現役の歌舞伎役者が家元となっています。
● 三代目藤間勘右衛門=七代目松本幸四郎(現在の十代目松本幸四郎の曽祖父)
● 四代目藤間勘右衛門=二代目尾上松緑(七代目松本幸四郎三男)
● 五代目藤間勘右衛門=初代尾上辰之助(二代目尾上松緑長男)
● 六代目(現)藤間勘右衛門=四代目尾上松緑(初代尾上辰之助長男)

藤間眞白 日本舞踊教室(日本舞踊ましろ会)のご紹介ページです。
坂 東流
文化文政時代の歌舞伎役者で、踊りの名人と呼ばれた(歌舞伎の)三代目坂東三津五郎が創流し、(舞踊の)初代坂東三津五郎となりました。
その後は基本的に歌舞伎役者の坂東三津五郎(またはその子息たち)が家元となっています。
端正で切れの良い踊りが特徴。
中でも(歌舞伎の)七代目三津五郎は「踊りの神様」と呼ばれ、自由自在な踊りを身上とする六代目尾上菊五郎とのコンビで、一世を風靡しました。
現在は先ごろ亡くなった十代目三津五郎の長男、坂東巳之助が当代家元となっています。
花 柳流
花柳流は他の流派に比べ、手(踊りの振り)が多く、いわゆる日本舞踊らしい踊りなので習い事として人気が高く、門弟数はなんと2万人!
最大規模の流派となっています。
初代は西川芳次郎と名乗り、名人といわれた四代目西川扇蔵の高弟だったのですが、西川流の宗家相続争いに巻き込まれてしまい独立。
その後、初代花柳芳次郎(後に初代花柳壽輔)を名乗り、花柳流を創流。
『連獅子』、『土蜘』、『船弁慶』、『戻橋』などの傑作舞踊を振り付けました。
現在は五代目が宗家家元花柳壽輔を襲名しています。
若 柳流
若柳流は初代花柳壽輔の高弟だった花柳芳松が若柳芳松(後の若柳壽童)を名乗り創流。
隆盛を極めた花街、柳橋を中心として花柳界に勢力を広げ、お座敷で芸者さんなどが踊るのにふさわしい、品のある手振りの多い踊りが特徴です。
現在は宗家若柳流、正派若柳流をはじめ、多くの派に分裂しています。
五大流派の分家・分派
五代流派は歴史が古く、また規模も大きいため、宗家・家元の子息、弟子たちが多くの分家・分派を創流しています。
西川流から花柳流、花柳流から若柳流が生まれた他にも、
西川流分家・分派
● 名古屋西川流・・・初代西川鯉三郎が創流
● 赤堀流・工藤流・内田流・・・名古屋西川流の高弟により創流
● 西川流鯉風派・・・現名古屋西川流家元の姉・西川左近が創流
藤間流分家・分派
● 紫派藤間流・・・六代目藤間勘十郎の妻だった藤間紫が創流
● 紋三郎派・・・六代目藤間勘十郎の内弟子だった藤間紋三郎が創流
若柳流分家・分派
● 若柳流西・・・二代目家元若柳吉蔵の娘、若柳吉世が関西で創流
● 正派若柳流・・・三代目家元二世吉蔵から別れ理事制によって運営される
● 寿慶会・・・正派若柳流から分裂し創流
日本舞踊のその他有名流派
日本舞踊には五大流派の他にも有名な流派があります。
吾 妻流
十五代目市村羽左衛門の娘、初代吾妻徳穂が再興した流派。
現家元は歌舞伎役者の中村壱太郎。
市 川流
九代目市川團十郎が市川宗家の舞踊として創流。
現在は十二代目市川團十郎の妹、二代目市川紅梅が総代をつとめる。
尾 上流
名人といわれた六代目尾上菊五郎が創流。
現在の家元は三代目尾上菊之丞が四代目となっている。
上方舞とは?
京都の四条河原で出雲阿国がはじめ、上方で発展していった歌舞伎は、元禄時代になると徐々に江戸にその中心が移っていきます。
そのため、五大流派をはじめとする日本舞踊の多くは江戸(東京)で創流されたものが多いのですが、一方で上方では独自の舞踊が発展していきます。
上方では貴族の館や大商人の屋敷で踊りを披露することが多かったことから、歌舞伎から生まれた日本舞踊よりもコンパクトな空間=座敷で踊る、シンプルで抽象化された舞踊となったのです。
それが上方舞と呼ばれる舞踊で、別名座敷舞とも、地唄舞ともいわれます。
上方舞の代表的な流派、「上方四流」
上方舞のうち代表的な流派は「上方四流」と呼ばれています。
山 村流
歌舞伎が爆発的な人気を誇り、娯楽の中心だった文化文政時代。
上方で活躍した三代目中村歌右衛門の振付師をしていた、山村友五郎によって創流されました。
上方舞の中でも最も古くからある流派で、能を元に作られた「本行物」をはじめとした格式高い舞が特徴です。
そのため、京阪神の商家の子女の行儀見習いとして習得することが心得とされています。
現在は六世宗家山村友五郎が当代です。
楳 茂都流
楳茂都流は京都の貴族と関係が深かったことから、能や歌舞伎以前から宮中に伝わる雅楽乱舞や今様風流舞といった「秘伝の奥義」を取り入れていることが特徴です。
幕末に楳茂都流を創流した初代楳茂都扇性の父親は第119代天皇・光格天皇の兄、真仁法親王に仕えていました。
そのため、そこから学んだ宮中の奥義と能、歌舞伎の要素が融合され、上方舞の中でも最も優美で美しいといわれる舞が生み出されたというわけです。
といってもただ伝統にのっとった古臭い舞というわけではありません。
二代目扇性の長男、三代目家元陸平は宝塚の教師兼振付師に就任し、古式ゆかしき宮中の奥義に西洋音楽などを取り入れたりもしているのです。
また、現在の四世家元が歌舞伎役者の片岡愛之助というのも話題の流派となっています。
井 上流
井上流も都の貴族と関係が深い流派です。
初代井上八千代が仙洞御所(上皇の住まい)や最高位の貴族である摂関家の近衛家、一条家で秘伝の風流舞を学び、「八千代」の名と「近衛菱紋」を拝領して創流。
加えて能の金剛家や観世流の片山家と親類関係にあることから、非常に格式の高い舞となっており、天皇をはじめとする皇族方の御前でも恥ずかしくないものとなっているのです。
また、女性だけの花街である祇園で御留流(外部のものに伝承したり稽古を見せたりすることを禁じること)とされていることから、祇園の芸妓・舞妓は他流派の舞踊を習うことは許されず、井上流は祇園以外の場所で教えられることもありません。
つまり、井上流は「男子禁制」の流派なのです。
吉 村流
吉村流は明治初期、山之内流の門弟だった吉村ふじが大阪の花街、宗右衛門町で創流した上方舞です。
家元は世襲制ではなく、代々実力のある女性の内弟子が継いできました。
はじめて男性が家元になったのは戦後の昭和36年(1961年)。
三世家元吉村雄光に幼い時から師事していた四世吉村雄輝からのことです。
後に人間国宝となる雄輝は、わかりやすい上方舞を目指してストーリー性を重視した新作を振り付けます。
そのおかげで、一地方の舞から全国的な伝統舞踊になるまでに発展したのです。
ちなみに、四世雄輝の長男は俳優のピーターこと池畑慎之介さんですが、実力のある内弟子が家元を継ぐという伝統を守り、池畑さんは名乗っていた「吉村雄秀」の名を返上。
吉村流からは身を引きます。
そのため、現在は雄輝の内弟子だった六世吉村輝章が当代となっています。
新舞踊とは?
新舞踊とは元々は演劇改良運動を牽引した坪内逍遥や小山内薫がおこした新舞踊運動に由来し、舞踊家が「演じながら踊る」ことをテーマにしたものでした。
しかし、近年では舞踊家が歌謡曲や演歌に振り付けをする、いわゆる歌謡舞踊のことを「新舞踊」、「創作舞踊」と呼んでいます。
新 舞踊の流派
新舞踊の流派は数多く、日本舞踊の有名な師範が振り付けをしているところから、スナックのママなどが仲間内で教えていたものが発展した流派まで、玉石混交状態です。
全日本新舞踊協会という団体もありますが、加盟していない流派が大多数ということもあり、全てが把握されていないというのが実情です。
おわりに
日本舞踊、上方舞、新舞踊の流派について解説してきました。
これらは成立時期や出自はさまざまでも日本古来の神楽舞、御殿舞、能、歌舞伎などの所作(動き)をベースとしているのは共通です。
グローバルな社会となった今、日本の伝統を世界に向けて発信するためにも、日本舞踊の流派に足を踏み入れ、学んでみてはいかがでしょうか。

2012年から中学校の体育の授業では「ダンス」が必修科目となっています。
「創作ダンス」「フォークダンス」「現代的なリズムのダンス」からひとつを選ぶのですが、生徒からの希望もあり、hip-hopを教えていることも多いのだとか。

日本舞踊だけではなく、茶道や華道、武道などの流派のトップを一般的に「家元」といいますが、よく似た呼称に「宗家」というものもあります。
どちらも「とても偉い方」ということは分かるのですが、まるでお店の総本家、本舗、元祖が並立しているようで、「どう違うのか」「どちらが偉いのか」などということは正直よく分かりません。

「難しそう」「とっつきにくい」と考えられがちな日本舞踊ですが、その基本はとてもシンプルなもの。着物を着て舞う、その姿が「美しく見えること」これが基本です。しかし、日常的に和服を身につけることがない現代の方へ「日本舞踊の基本を学ぼう!」と題して、ポイントをお伝えしていきます。どうぞ最後までお付き合いください。

日本舞踊を習っている人に共通する悩みとして、「なかなか上達しない」「上達しているのかどうか分からない」というものがあります。

派手なネイルに茶髪の巻き髪、この程度なら今や何処にでもいる「ギャルっぽい娘」という感じですが、「ピンクのロングヘアー」「肩から腰にかけて入ったド派手なタトゥー」となると、結構ぶっ飛んだギャルです。