江戸時代の初期に出雲の阿国により始まった「かぶき踊り」は女歌舞伎、若衆歌舞伎を経て現代に続く野郎歌舞伎となり、庶民に人気の演劇として確立されていきます。

ただ舞台装置などは先行する芸能である「能」のものをそのまま用いていたのです。

しかし公家や武士が楽しむ高尚な芸術であった能に比べ、歌舞伎は一般庶民の娯楽であり、現在のワイドショーとドラマを合わせたような存在でした。

そのため観客からはよりエンターテイメント性が求められ、ダイナミックで迫力のある演出を見せる必要がありました。

ただ現代のように映像のカット割りで処理したり、合成やCGなどが使えるわけもありません。

そこで舞台装置に様々な工夫をこらし、新しい演出を可能にしていったのです。

今回の記事ではそんな歌舞伎の舞台装置の数々を紹介していきます。

舞台装置の理解は歌舞伎の演出の理解につながります。

ぜひ最後までお付き合いください。

映画のようなシーンチェンジを可能にする 「廻り舞台」

天才「並木正三」の大発明

芝居上で場面が変わる場合、それまでは一旦幕を閉め、大道具などの舞台装置をすべて変えてから次の場面につないでいました。

しかしこれでは間延びしてしまいますし、シーンが移っていく様子を表現できません。

そこで舞台を丸くくり抜いてお盆状にし、2等分や3等分した上にそれぞれ異なるセットを設置して、回転させながら順番に見せていくということを考えた天才が現れました。

上方の狂言作者、並木正三です。

1758年のことでした。

世界初の発明は演出の幅を大きく拡げた

この廻り舞台の発明はただの場面転換だけにとどまりません。

例えば東海道四谷怪談では役者が隣の家との間を行ったり来たりする様子を舞台を回すことで表現。

演出の幅を大きく拡げました。

廻り舞台は歌舞伎独自のものであり、海外の演劇界がこれを取り入れるのは百年以上後の明治時代になってからのことです。

ダイナミックな舞台転換を実現する 「せり」

舞台の一部を切り取って上下させる装置を「せり」といいます。

廻り舞台のように場面を変えたり、登場人物を急に登場させたり消したりするフレームイン、フレームアウトの効果を表現することができます。

このせりを発明したのも、並木正三です。

せりにはその規模によって、「大ぜり」と「小ぜり」に分かれます。

大ぜり

大ぜりは大掛かりな舞台転換に使われます。

有名なのは『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』というお芝居で、京都南禅寺の山門の上にいる石川五右衛門が巨大な大道具のまませり上がり、階下にいる真柴久吉(羽柴秀吉)とにらみあうというダイナミックな演出となっています。

小ぜり

小ぜりは主に登場人物の登場、退場に用いられ、「急に現れる、急に消える」ことでよりその人物を印象づける効果があります。

観客と役者の距離を縮める 「花道」

役者との距離を縮める観客サービス

舞台の下手(向かって左側)の端から客席方向に伸びる廊下のような空間を「花道」と呼びます。

元々能舞台を模していた歌舞伎の舞台では、下手に「橋掛かり(はしがかり)」と呼ばれる役者の出入りする通路がありました。

しかしよりエンターテイメント性の強い歌舞伎では観客が喜ぶように橋掛かりを客席側に向けて延長。

役者と観客の距離を縮め、身近に感じられるようにしたのです。

「七三」

舞台から花道を全体の3割ほどいった場所を「七三(しちさん)」といいます。

花道にあがった役者はこの七三に止まって演技をし、そのまま本舞台に上がっていったり、揚げ幕方面に引っ込んだりします。

幽霊・妖怪・妖術使いの出入り口 「スッポン」

花道の七三には小ぜりがあり、これを他のせりと区別して「スッポン」と呼んでいます。

下から役者がせり上がってくる時、始め首だけ見える様がスッポンに似ていることからこの名が付きました。

ただこのスッポン、ほとんどの場合まともな人は出てきません。

幽霊や妖怪、忍術や妖術使いといった「この世のものではない怪しいもの」の専用出入り口とされているのです。

有名なのは仙台伊達藩のお家騒動を描いた『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の仁木弾正(にっきだんじょう)です。

彼は妖術使いなので、スッポンからせり上がってきます。

待ってましたと主役の登場 「揚幕」

花道の出入り口、舞台とは反対の端にあるのが「揚幕(あげまく)」です。

揚幕を開け閉めする時は「シャリン」という音が出るようになっており、役者が颯爽と登場するイメージを増幅させるのです。

人気役者が出てくれば、客席からは「待ってました」の声がかかります。

ちなみにあまり使われませんが、上手の舞台の端にも揚幕があります。

奈落

舞台の下の空間を「奈落(ならく)」といいます。

「奈落の底に真っ逆さま」の奈落です。

昔は人力で廻り舞台を回したり、せりやスッポンを上げ下げしていたので、この奈落に人が待機していました。

今はすべて電動になっているので人はいませんが、揚幕に引っ込んだ役者が舞台方面に戻ってくる時は花道の地下を通り、奈落を抜けて階段で上に上がります。

歌舞伎といえばこの三色 「定式幕」

歌舞伎といえば黒・萌葱(みどり)・柿色(オレンジ)の三色の幕がイメージされますが、この幕を「定式幕(じょうしきまく)」といいます。

「定式」とは「いつもつかわれている」といった意味です。

現在は黒・萌葱・柿色のものしか見ることがありませんが、これは今歌舞伎座のある木挽町(こびきちょう)に江戸時代あった森田座の定式幕の柄でした。

江戸時代は多くの芝居小屋があり、その小屋ごとに定式幕も違うものだったのです。

中村勘三郎が座元をしていた中村座では黒・白・柿色を使用しており、そのため平成中村座公演ではこの色の定式幕を使用しています。

ストーリーテラーがいる場所 「床(ゆか)」

三谷幸喜と宮藤官九郎が束になってもかなわないほどの大人気作家「近松門左衛門」の登場で、竹本節に合わせて人形を操る人形浄瑠璃(現在の文楽)は人気のピークを迎えます。

人気を奪われた歌舞伎界は危機感を覚え、人形浄瑠璃の台本を歌舞伎の舞台に移し上演し始めます。

これを「義太夫狂言」といいます。

アニメの実写化に近いことをしたわけです。

義太夫狂言では人形浄瑠璃と同じように竹本節によってストーリーが語られます。

この竹本節を語る太夫と三味線弾きがいる場所が「床」で、上手の揚幕の二階に位置します。

歌舞伎のオーケストラボックス 「黒御簾(くろみす)」

歌舞伎の舞台の下手を見ると、御簾(ブラインドのようなもの)が掛けられ黒く塗られた部分があります。

そこが黒御簾です。

この黒御簾内では「下座(げざ)」と呼ばれる長唄三味線による舞台音楽(BGM)や雨音や波の音を表現する効果音が演奏されます。

オペラのオーケストラボックスのようなものと思っていただければ結構です。

通常はこの黒御簾の中で演奏される歌舞伎の音楽ですが、踊りの時などは舞台上に「出て」演奏されます。

このような場合は黒御簾の外に出るので「出囃子(でばやし)」と呼ばれます。

おわりに

舞台というアナログの世界で、歌舞伎をより面白く、より迫力あるものとして演出するために、こんなにも多くのこだわりがあるということを理解していただけたと思います。

このようなこだわりを実際に劇場に足を運んで観ることももちろん良いですが、今は映画館で観る方法もあります。

「シネマ歌舞伎」として定期的に特定の映画館で歌舞伎の演目が上映されています。

映像を通してしか観ることができない役者の細かい表情まで楽しむことができますよ。