落語は成立から250年の歴史を持つ古典芸能です。

落語に登場する人物は立派な侍や高貴な貴族などではなく、ごくごく普通の一般人たち。

つつましいながらも力強く生きてきた江戸時代の人たちの息づかいを感じることができます。

そんな落語にはどのようなルーツがあり、どのようにして現代まで継承されてきたのでしょうか。

今回は落語の歴史についてお伝えしていきます。

落語のはじまり

落語のルーツは1500年代の室町時代末期~安土桃山時代にまで遡ります。

浄土宗の教えを伝え、文人であり茶人でもあった安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)は、大名の話し相手である御伽衆(おとぎしゅう)を務め、落語で言うところの「サゲ」である落ちのある「落とし噺」の名手として知られています。

その策伝が著した笑話集『醒睡笑(せいすいしょう)』には、短い笑い話である小咄が収載されており、それらの話を元に、現在でも演じられている『子ほめ』『牛ほめ』『唐茄子屋政談』『たらちね』などの古典落語の噺が生まれたことから、策伝は「落語の祖」と言われています。

落語家の誕生

江戸時代の元禄期、落ちのある滑稽な話「落とし噺」を京都の四条河原や北野などの大通りで行った人々がいました。彼らは「噺家」と呼ばれ、これが落語家の始まりとされています。

噺家は机のような台に座って滑稽な話をし、ゴザに座った聴衆から銭貨を得ていました。

この頃に、今の高座に近いスタイルが出来上がっていたとも考えられます。

1600年末~1700年初頭の元禄期から少し遅れて大坂に米沢彦八(よねざわひこはち)という噺家が現れ、人々の人気を博します。

彼は古典落語の定番である『寿限無(じゅげむ)』(おすすめ落語5選の記事にリンク)の原型となる話を作ったとされており、上方演芸史において重要人物であるとされています。

同じ頃の江戸では、上方の噺家たちが芝居小屋や風呂屋、あるいは酒宴などさまざまな屋敷に招かれて「座敷噺(ざしきばなし)」を演じ、これが講談※1と並び評判となりました。

※ 講談:歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる芸

落語と同じ日本の伝統芸能の1つである、「講談」について学んでみてはいかがでしょうか。

江戸落語の最盛期

18世紀から19世紀にかけて、落語が最盛期を迎えます。

まず18世紀後半には、料理屋の2階などに噺家が聴衆を集めて席料をとるような、現在の寄席の原型と見られるスタイルが確立しています。

江戸では寄席がブームとなり、初代三笑亭可楽(からく)などの噺家が人気を博します。

19世紀になると娯楽としての江戸落語が最盛期を迎え、江戸の市中には125もの寄席があったと言われています。

この頃になると、初代三遊亭圓生(えんしょう)や初代林屋正蔵(しょうぞう)など、構成に名を残す名人が現れます。

さらに、現代では「色もの」と呼ばれる漫談や奇術などの各種の演芸も、さかんに行われるようになりました。

大衆の演芸として地位を確立していった落語ですが、老中・水野忠邦(ただくに)による天保の改革が行われ、その一環として「風俗取締令」が発せられると、200軒以上に増えていた江戸の寄席は15軒に激減します。

一時期はブームが下火となった落語でしたが、水野が失脚した後は禁令がゆるみ、江戸市中の寄席が170軒に増え復活を果たしたのです。

幕末から明治にかけて活躍した名人たち

幕末から明治にかけての大激動のなか、落語界では三遊亭圓朝(えんちょう)が著名です。

彼の高座を書き記した速記本(そっきぼん)は当時の文学、特に話し言葉と書き言葉を一致させる「言文一致」の文章の成立に大きな影響を与えました。

文化や文学のみならず、演芸の世界にも近代化の波は押し寄せます。

三遊亭圓朝や3代目麗々亭柳橋(れいれいていりゅうきょう)、6代目桂文治の3人が中心となり、「落語睦連」という落語家による組織が結成されます。

明治20年代になると、江戸落語は「柳派」「三遊派」の二大派閥にほぼ大別されるようになり、二派が交互に寄席を行う興行形態が整えられ、大正時代まで続くことになります。

近代~現代の落語

1917年に、東京の二大派閥として長らく落語界を二分していた柳派と三遊派が合併。

4代目橘家圓蔵(えんぞう)、初代三遊亭圓右(えんゆう)、3代目柳家小さんら売れっ子たちが中心となり、演芸会社「東京寄席演芸株式会社」を創設し、落語家の月給制が採用されます。

一方、従来の給金制を推し進めたい5代目柳亭左楽は「落語睦会」を設立。

東京寄席演芸株式会社と対立していきます。

両者は数々の離合集散を繰り返しますが、1923年に関東大震災が起きたことをきっかけに、落語家たちは大同団結し「東京落語協会」を設立。

これが現在の一般社団法人「落語協会」のルーツです。

落語協会の詳しい情報をまとめているので、より知識を深めたい方は参考になさってください。

1925年には日本でラジオ放送がはじまり、ラジオ落語がブームとなります。

戦後の1960年代になるとテレビが一般家庭にも普及しはじめ、テレビ番組での落語家の活躍や『笑点』の放送などで、広く落語が知られるようになっていくのです。

平成に入ると落語をテーマにした映画やドラマ、アニメがヒットし、このような現象を「平成の落語ブーム」と呼ぶこともあります。

おわりに

落語は一人で二役を表現し、身振り手振りだけで演じる高度な話芸として、江戸時代から現代までブラッシュアップされてきた芸能です。

古典芸能に位置づけられながら、決して古臭くない落語の歴史を知ることで、演じられる噺や落語家について、より深く楽しむことができるでしょう。

落語家の亭号(流派)について知っておくと、流派や技術の違いなどが見て取れるため、より落語を深く味わうことができるようになります。