落語が好きな方の中には、CDやDVDなどで手軽に落語を楽しんでいる人も多いでしょう。

CDやDVDの名演集は、自宅で好きなときに落語を聴けるだけではなく、故人となった名人たちの高座をいつでも聴くことができます。

中でも伝説の落語名演集となっているのが、故六代目三遊亭圓生えんしょうが遺した「圓生百席」です。

昭和の名人による完璧な高座を収録した「圓生百席」には、名人の名を確固たるものにした人情噺の他に、今では聴くことのできない噺も数多く残されています。

今回は、落語史において貴重な資料であり、噺の教科書としても用いられる「圓生百席」を解説します。

激動の昭和を駆け抜けた名人 圓生

昭和の名人といえば、六代目三遊亭圓生の他にも、古今亭志ん生しんしょう、桂文楽、林家正蔵しょうぞう、人間国宝であった柳家小やなぎやこさんが浮かびます。

中でも、六代目三遊亭圓生と古今亭志ん生は、共に満州へ落語家として慰問いもんに行った仲間です。

終戦を迎え、死ぬ思いで過ごした満州から帰国した二人は、仲間たちと戦時中に葬った落語を再生復興。

笑いを取り戻そうとする日本に、戦後の落語ブームを巻き起こしました。

2019年放送のNHK大河ドラマ「いだてん」の語りとして登場する、ビートたけし演じる古今亭志ん生は、ドラマのとおりの飄々ひょうひょうとした芸風ですが、圓生は志ん生とは真逆の芸風で人気を博しました。

圓生の落語は、時代考証や文化、人間の感情をリアルに表現。地の底から這い上がってくる凄みのある芸は、落語を大衆芸能から伝統芸能へと昇華させ、江戸時代の初代圓生から続く「人情噺の圓生」としての地位を確立しました。

音で遺す意味「圓生百席」

そんな昭和随一の芸を持つ圓生の高座を収録したものが、「圓生百席」です。

初版は1973年11月にLPレコードとして発売され、100席全てを収録し発売するまでに6年を要しています。

この高座集の一番の特徴は、一人語り、一人高座にあります。通常、名演集といえば独演会や寄席など観客を前にしたライブ音源なのですが、圓生は観客なしの高座にこだわったといいます。

こだわった理由としてあげられているのが、「完璧な芸の記録」です。落語は、その日の客の様子で枕 ※1や演じ方が変わります。

したがって、同じ高座はふたつとしてなく、最高の出来ではあっても、完全な作品ではないかもしれません。

収録されている高座は、一字一句省略されることなく、枕からサゲまで完全な作品として仕上がっています。

圓生は、自身の完璧な芸を、音の記録として残そうとしたのです。

百席の中には、圓生が力を入れた「牡丹燈籠ぼたん どうろう」「文七元結ぶんしち もっとい」などの圓朝噺が数多く収録されています。

しかし、大根多である「芝浜」や「名人長二めいじんちょうじ」「火焔太鼓かえんだいこ」は入っていません。

これらの噺は、大根多 ※2であると同時に、志ん生や三代目桂三木助みきすけ十八番おはこ(得意ネタ)でした。

自身の芸として百席に加えなかったのは、彼らを尊重し、尊敬していたからだと言えるでしょう。

彼らは圓生にとってライバルであり、昭和の落語界を共に駆け抜けた戦友でもあったのです。


※1噺に入る前の導入部分

※2長編や人情噺の中でも特に難易度の高い作品

古典落語の集大成 新作落語も

発売当時はLPレコードとして発売されましたが、現在はLPレコードの生産は終了し、CDとして販売されています。

高座の音源の他にも、圓生のインタビュー音源や対談を収録、各巻には落語評論家や研究者の解説、圓生の覚書がつけられており、これらも大変貴重な資料です。

収録されている百席の中で、特に貴重なものが「真景累ケ淵しんけいかさねがふち」「ちきり伊勢屋」「怪談乳房榎かいだんちぶさえのき」でしょう。

現在では、独演会でも滅多にかけられることのない全段、上下が収録されています。他にも「鰍沢かじかざわ」「御神酒徳利おみきどっくり」「百年目」などがあり、圓生の芸を存分に味わうことが可能です。

さらに、古典落語として知られる圓生ですが、意外なことに新作落語も演じています。

この新作落語が、圓生百席にも収録されている宇野信夫作の「小判一両」、「大名房五郎だいみょうふさごろう」、「江戸の夢」、「うづらごろも」、「心のともしび」です。

新作と言っても、それぞれの時代設定は江戸時代となっており、古典落語を意識した創作落語というべきものかもしれません。

また、宇野信夫は「圓生百席」の監修も行っています。

景累ケ淵

真景累ケ淵しんけいかさねがふちは三遊亭圓朝1859年(安政6年)の作。

当時の「やまと新聞」に連載された。

仇討ちから因縁が続くストーリーで、非常に長い。圓朝は、寄席のトリにこの噺を分けて「続きは明日」とサゲたため、続きを聴きたい客で連日大入りだったとされる。

特に前半部分の「宗悦むねよし殺し」、「深見新五郎ふかみ しんごろう」、「豊志賀とよしがの死」、「おひさ殺し」は名作と言われ、現在でもこれらの演目が多くかけられている。

三遊亭圓生の他、林家彦六ひころくも得意とした。

談乳房榎(上・下)

怪談乳房榎かいだんちぶさえのきは、三遊亭圓朝が1888年(明治21年)創作の怪談噺。

絵師の女房に惚れてしまった浪人が、子供の命と引き換えと脅し、女房と関係を持つ。

しかし、女房を独り占めしたい浪人は、絵師を殺してしまう。

絵師の子供は、ショックで乳が出なくなった母の代わりに、乳の出る不思議な榎の元で育てられ、その子供が成長し、父を殺した浪人の仇を討つ。

上下に分かれており、主に演じられるのは前半部分。

きり伊勢屋(上・下)

当たると評判の占い師の元へ主人公が行くと、自分の父親が犯した罪の祟りでもうすぐ死んでしまうと伝えられる。

どうせ死んでしまうならと、貧しい人々に金を分け、赤坂で首をくくろうとしていた親子に百両を渡すなどして、死期を待つ。

死亡予定日に自分の葬儀の準備をしてみたが一向に死ねないので、占い師のところに行くと、徳を積んだので死なないことになったと言われる。

主に演じられるのはこの前半部分。歌舞伎にも取り上げられた人情噺。

沢(かじかざわ)

卵酒たまござけ・鉄砲・毒消しの護符」のお題を用いた三題噺。

三遊亭圓朝の創作だと言われるが、定かではない。

大雪のために山道に迷った旅人が、一軒の家にたどり着くところからストーリーが始まる。

聴きどころは、家の旦那が卵酒に仕込まれた毒で苦しむところと、鉄砲で撃たれそうになった旅人が川の急流を下り逃げるシーン。

得意としていた4代目橘家圓喬たちばなや えんきょうがかけると、雪を踏みしめる音や水音が聴こえるほどとされ、圓生にとっては腕試しの演目。

名房五郎

「圓生百席」を監修している宇野信夫が創作した新作落語。

大工の棟梁である房五郎を主人公とした、職人の人情物に仕上がっている。

もともとは戯曲として創作されたもので、圓生は宇野氏にサゲを変えてよいか聞いたという。

神酒徳利

御神酒徳利おみきどっくりは圓生が御前落語口演でかけた演目。

上方と東京のパターンがあり、さらに東京では、圓生と三代目三木助が五代目金原亭馬生きんげんてい ばしょうから教わった型と、明治時代に3代目柳家小さんが上方で教わったものを柳派に広めた型の2パターンがある。

しかも、三木助と圓生は、それぞれ自分が考えたサゲをつけているため、さらに違う。

流派によって型が明確に違う、典型的な演目。

おわりに

この圓生百席を全て収録し終えた3週間後、圓生は心筋梗塞で鬼籍きせきに入りました。

まさに、命を削りながら、人情噺圓生、三遊派の型を後世に遺したのです。

昭和の名人圓生が高座で倒れたその日、奇しくも上野動物園のジャイアントパンダ(ランラン)も死亡。

翌日の新聞(一般紙)のトップ記事はパンダに取って代わられたといいます。

人生のサゲまで落語家らしく完璧でありました。