日本人は、「三大〇〇」という表現をよく使います。
例えば日本三景(松島、天橋立、宮島)や三大祭(神田祭、祇園祭、天神祭)、三大珍味(カラスミ、このわた、ウニ)などなど、有名なものにはとにかく「三大」と銘打ってランキングをつくってきました。
もちろんそれは庭園であっても例外ではありません。
金沢の兼六園(石川県)、岡山の後楽園(岡山県)、水戸の偕楽園(茨城県)の3つが「日本三大庭園」と呼ばれ、今でも名園として愛されています。
しかしこの日本三大庭園、いつだれが呼び始めたのか明らかになっていません。
明治の終わりごろには学校の教科書に日本三大庭園として上の3つの庭園が紹介されていたようですが、なぜこの3つの庭園が選ばれたのかも、今でも明確な理由はわかってはいないのです。

日本庭園は、長い歴史の中で日本が独自に形成してきた様式です。この記事では、日本庭園の歴史について時代区分を設けながらご紹介します。
日本三大庭園の特徴
金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園、これら日本三大庭園には共通の特徴があります。
もちろん、庭園としてすばらしいということは言うまでもありませんが、この3つの庭園は、江戸時代に大名によって造られた回遊式の大名庭園だということです。
回遊式の庭園とは、言葉の通りぐるりと庭を回って楽しめるような庭園です。
日本では長い歴史を通じて、様々な形式の庭園が造られてきました。
奈良・平安時代では貴族たちが池のある庭で優雅に庭園を鑑賞したり、宴をひらいたりしていました。
鎌倉時代や室町時代になると、禅の思想を受けた武士たちが枯山水(かれさんすい)とよばれる庭園を造りました。
石と砂でできたシンプルな枯山水は見る人によって捉え方が変わるため、修行の場ともなっていました。
安土桃山時代には、今度は町人らが俗世間を離れた露地※1(茶庭)の空間を多くの人々でにぎわう町の中に造りあげました。
※1 露地(茶庭):茶室に付随する庭園の通称
江戸時代になると、これらの要素をすべて取り入れた新たなかたちの庭園が成立します。
最も代表的なものは公家である智仁親王・智忠親王の親子による桂離宮ですが、武士である大名たちの間でもこの形式の庭園が採用されました。
広大で自然豊かな敷地の中に、複雑な形の池を配置してその周りを歩けるようにします。
遠くにある名所の風景をミニチュアのように表現する縮景という手法が用いられ、庭園の中に何軒も存在する茶室をめぐりながら、変わりゆく景色を堪能できるようになっています。
さらに武家のたしなみとして、弓や馬の稽古をするスペースも庭園の中に設けられています。
金沢の兼六園

石川県金沢市にある兼六園は、17世紀の半ばに加賀藩前田家により、金沢城の外郭に造られました。
初めのころは藩主の別荘としての庭園だったようですが、次第に来客者や重臣たちをもてなす場として用いられるようになりました。
この庭園に兼六園という名を付けたのは、寛政の改革でも有名な松平定信で、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の6つを兼ね備える名園という意味が込められています。
広々とした土地は開放感がありますが(宏大)、広すぎると静かな奥深さ(幽邃)に欠けてしまいます。
美しさを追求するには人の手を加えねばなりませんが(人力)、手を入れすぎると古めかしい趣(蒼古)が失われます。
池や滝、川などの水の流れ(水泉)を重視すると、遠くの景色(眺望)が損なわれてしまいます。これら矛盾する6つの要素を両立しているのが、この名園、兼六園なのです。
岡山の後楽園

後楽園は岡山県岡山市にあり、岡山藩池田家によって造られました。
後楽園と聞くと東京ドームのある後楽園を思い出す人もいるかもしれませんが、実はこの地名も同名の庭園である「後楽園」に由来するものです。
岡山と東京に二つの「後楽園」が存在するため、混同しないように東京の庭園を「小石川後楽園」、岡山の庭園を「(岡山)後楽園」と呼び分けています。
旭川を挟んで岡山城の向かいに位置する後楽園は、1700年に14年の歳月をかけて造営されました。
沢の池を中心として、お城や周囲の山々を借景としながら、延養亭という藩主の建物から景色が一望できるようになっています。
時の藩主の好みに合わせて庭園の形が何度も変えられたようですが、梅や楓、杉といった木々、蓮や菖蒲、ツツジといった四季折々の草花で彩られた景色は見る人の心を離しません。
また、藩主が江戸へ出向していたときには「御庭拝見」として家臣や領民に庭園を公開していたこともあり、地域の人々に愛される庭園となっていました。
水戸の偕楽園

茨城県水戸市の偕楽園は、最後の将軍徳川慶喜の父、水戸斉昭によって江戸時代の末期に造られました。
偕楽園という名には、領内の民と偕に楽しむ場にしたいとの願いが込められています。
その大きさは300ヘクタールにもなり、都市公園としてはニューヨーク市のセントラルパークに次いで世界第2位の大きさを誇っています。
偕楽園の特徴は、何といってもその梅林でしょう。
多種多様の梅が見渡す限りに広がる光景は何とも華やかで目を奪われます。
しかしその一方で、偕楽園には静寂さをゆっくり味わうための竹林や杉林の道が整備されており、静かで落ち着いた「陰」の世界と、華やかで美しい「陽」の世界の両方がバランスよくデザインされています。
暗く静かな竹林から華麗な梅林へと庭園の陰陽をどちらも堪能するのが本来の楽しみ方なのですが、現在は正式な入り口である「陰」の領域の表門から入る人は、駅から遠いために少なくなってしまったようです。
日本三大庭園は、どれもが大名庭園と呼ばれる回遊式の庭園であり、その大きさやデザイン性、建物や植物へのこだわりなど、細かい仕掛けが隅々にまで施されています。
庭園を歩いて楽しめるようなつくりになっていますので、ゆっくりと歩きまわりながら、周囲の景色の変化や水の流れる音を味わい、さりげなく置かれた石の配置やほとりにぽつんとある茶室にも目をやってみてください。
写真1枚には収め切れないような一体感のある美しさがそこには広がっているはずです。

日本には有名な庭園が数多くありますが、それを造った庭師・作庭家のこととなると、ピンとくる名前は少ないのではないでしょうか。江戸時代以前は庭園を造る専門家は存在せず、僧侶や茶人として知られる人物が自分好みの庭園を造っていました。

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