句人口は、俳句結社(団体)や同人会に入っている人たちだけでも数百万人以上、個人で楽しんでいる人も含めると、数千万人とも言われています。

子どもからお年寄りまで多くの人々が楽しんでいる俳句。

今回は、これから俳句をはじめようと考えている方へ、俳句とはどんなものなのか、俳句の歴史や作り方などをご紹介します!

俳句とは?

ここでは、まず、俳句がどのようなものかを知るために、短歌や川柳との違いについて説明します。

句と短歌の違い

俳句も短歌も日本の伝統文化のひとつです。

どちらも限られた文字数で、目の前の情景やそれを見て感じた喜怒哀楽などの感情を描写する「定型詩」と呼ばれます。

この俳句と短歌の違いは文字数と季語(季節を表す語)の有無です。

俳句は、五・七・五の十七文字で詠みます。季語は必須です。
(ただし無季俳句といって、季語がなくてもよいとされているものもあります。)

‛‛荒海や 佐渡に横たふ 天の川’’

これは松尾芭蕉の詠んだ俳句です。

季語は夏を表す「天の川」です。

これに対して短歌は、五・七・五・七・七の三十一文字で詠みます。

季語は入れなくても構いません。

‛‛戯れに 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩歩まず’’

これは有名な歌人、若山牧水の詠んだ短歌です。

季語は入っていません。

句と川柳の違い

俳句と川柳は、共に五・七・五の十七文字で詠みますが、以下のような違いがあります。

季語の有無

俳句は必須、川柳はなくても構いません。

切れ字の有無

俳句では「や」、「かな」、「けり」といった切れ字を使って、句に切れを作ってリズム感を出すと同時に強い詠嘆えいたんを表す、という約束事がありますが、川柳では切れ字を使わなくても構わないとされています。

※「切れ字」切れる(終止)働きをする字や言葉。 
''古池や蛙飛び込む水の音'' → この「や」が切れ字と呼ばれます。

文体

俳句は、規範文法に従った書き言葉である文語体、川柳は、話し言葉の口語体で表現します。

内容

俳句では自然が詠まれることが多いのに対して、川柳では、人事を取り上げて社会風刺を表します。


俳句の歴史

俳句は、鎌倉時代にはじまって室町時代に大成された連歌の冒頭部分(発句)の「五・七・五」が独立したものです。

連歌とは、上の句「五・七・五」に別の詠み手が下の句「七・七」をつける遊びです。

この発句は、後に難しい決まり事を排して遊戯性を主として俗化した俳諧というものに姿を変えていきました。

それを江戸時代になって、松尾芭蕉が芸術性を追求した発句として確立しました。

それがさらに明治時代になってから、正岡子規たちが主導して起こした文学活動において、次第に発句から俳句として確立されていきます。

昭和時代に入ると、フランス文学者の桑原武夫くわばらたけおが主張する第二芸術論が起こります。

俳句は文学や演劇に劣る第二の芸術だとする理論です。

これには賛否両論、激しい論争が展開されたようですが、いずれにしても、やがて俳句は海外へも流出し、「短くて誰にでも作れる」という理由から人気を博して、国内外において今の地位を確立していくことになります。

俳句の魅力

俳句は、五・七・五の十七語で作る、世界で最も短いと言われている定型詩です。

その俳句の最大の魅力は、この短い十七語から生み出されるリズム感にあると言えます。

例えば、

"古池や 蛙飛び込む 水の音"(松尾芭蕉)

"春の海 ひねもすのたり のたりかな"(与謝野蕪村)

"雀の子 そこどけそこどけ お馬が通る"(小林一茶)

などに見られる心地よいリズム感は、この五・七・五という短い語句が生み出す独特のものです。

上達するにつれて身に付けていく切れ字やオノマトペ(擬音語・擬声語・擬態語を表す言葉)などは、すべて、このリズム感を楽しむためのテクニックだと言えます。

また、どこでも誰でも閃きさえあれば、すぐに即興で作ることができる手軽さも魅力の一つだと言えます。

俳句の作り方

俳句を作るというと、創作活動のように感じるかもしれませんが、そんなに難しく考える必要はありません。

俳句には以下の2つのルールしか存在しません。

①5・7・5で作る
②季語を入れる

このルールさえ守れば良いのです。

しかし、

・季語にはどういうものがあるのか
・どういう俳句が上手い俳句になるのか
・俳句の作り方を上達させる方法

というのはなかなか分からないと思います。

そこで以下の記事に細かくまとめてみましたので、ぜひこちらもご確認ください。

俳論

俳論とは、俳諧や俳句の理論や批評のことです。

特に、俳諧や俳句の本質を論じることを言う場合が多いようです。

松尾芭蕉以降、弟子の向井去来の「去来抄きょらいしょう」など、優れた俳論が現れるようになったと言われています。

易流行とは?

不易流行ふえきりゅうこうとは、蕉風俳諧の理念の一つを表す言葉です。

本質とはいつの世も変わらないもの(不易=不変)だが、その時々の風潮によって新しいもの(=流行)を取り入れることは大切だ、という意味です。

つまり、

「俳諧や俳句の世界における基礎的な知識は不変であって、どんな時代においてもそれをきちんと学ぶことは大切ですよ。
その上で、その時代の風潮の変化を敏感に感じ取ってそれを取り入れていくことも大切ですよ。
それがないと、いつまでたってもワンパターンで陳腐な句しか詠めませんからね」

ということを言っている言葉です。

並み俳句とは?

「月並み」は、毎月決まって開かれる句会に語源を置きます。

つまり、新鮮味も斬新さもない陳腐な俳句のことを言います。

これを言い出したのは、正岡子規です。

正岡子規は、江戸時代後期から明治時代に自分たちが起こした俳句革命までの間に、松尾芭蕉を俳句の神さまのように絶対視して詠んでいた人たちを痛烈に批判して、この月並み俳句という言葉を使いました。

明治書院の「俳諧大辞典」によると、正岡子規は、

・駄洒落
穿うがち(詮索して真相を暴き出すこと、川柳でよく使われる技法)
・謎
・理知的(知的論理を重視すること)
・教訓的
厭味いやみ
小悧巧こりこう(才気をひけらかしたり賢そうに見せること)
・風流ぶる
・小主観
・擬人法等

を取り入れた俳句を月並み俳句だと言って批判をしていたようです。

俳句の用語集

ここでは、俳句に関するいろいろな用語について説明します。

句結社とは?

「結社」という言葉を耳にすると、何か特別な秘密組織のような感じを抱いてしまう人々も多いようです。

しかし、この俳句結社というのは、俳句を楽しむ人たちが集う同好会のようなものです。

「同人会」と呼ばれることもあります。

日本全国に大小さまざまな結社があり、所属者は、大きいところだと3000人ほど、小さいところだと数十人くらいだと言われています。

いざ俳句をはじめたものの、疑問が生じた時にどこに訊けばいいのか分からずに挫折してしまうことも多々あります。

そういう時に、俳句結社や同人会に入っていると相互に教え合ったり評価し合ったりして研鑽けんさんすることができます。

会とは?

俳句結社の主な活動がこの「句会」です。

どこの結社も定期的に句会を開催しています。

句会とは、所属者が一堂に集い、それぞれに自分の詠んだ俳句を発表し、それに対する感想を述べ合ったり評価をし合う場です。

主宰(先生)の指導を受けることもできます。

行とは?

吟行ぎんこうとは俳句や短歌に詠む題材を求めて、四季折々に自然の中へ出ていったり、名所や祭事を訪れたりすることです。

敲とは?

推敲すいこうとは、より優れた俳句に仕上げるために、語句を入れ替えたり添削したりして練り直す作業のことをいいます。

例えば、松尾芭蕉の詠んだ有名な一句、"しずかさや岩にしみ入る蝉の声"も、一発ででき上ったものではなく、この句に落ち着くまでにいくつものバージョンが残されていたと言われています。

効果的な推敲の方法としては、推敲して書き直す度にすべて書き残しておくこと。

一度推敲して出来上がったものは、ある一定の時間を置いて、もう一度それを必ず声に出して詠んでみることです。

ただし、推敲でひねくり回すと、最初に何が詠みたかったのかが分からなくなってしまうことも多々あるので、ほどほどに、という心構えが必要です。

おわりに

俳句の歴史を見ると、ここに至るまでに、いろいろな文人たちの努力があり、いろいろな論争が繰り広げられていたようです。

しかし、今、俳句がどうしてこれほどまでに多くの人に愛されて親しまれているのかというと、どこでも誰でも五・七・五のリズムで、目に映る情景や、心を過ぎった感情を詠じることができるからです。

芸術のとらえ方や評価は人それぞれです。

ましてや初心者は、他人にどう思われるかとか、月並み俳句だといわれるのではないか、など、あまり難しいことを考えずに、まずは基本的な約束事を守りながら、俳句に親しむ時間をもって、たくさんの俳句を詠むことからはじめていただきたいと思います。