和紙作りの起源と日本独自の紙すきが始まるまで

和紙は古来から日本で作られてきました。

和紙の作成技術の起源には諸説ありますが、有力な説は、日本書紀に書かれている西暦610年に朝鮮から仏教の僧によってもたらされたというものです。

当時は聖徳太子が活躍していた時代でした。

聖徳太子は、仏教を布教するための写経用の紙として、いち早く紙すきの技術に注目し、和紙を使ったと伝えられています。

その後は、中央集権国家として全国を支配するため、戸籍を管理するために和紙は用いられ、紙屋院という官庁により製造されました。

平安時代に入り、文学においても日本独自の文化が花開くとともに、和紙の製造方法も、日本独自の流し漉きながしすきが生み出されます。

この独自の方法により、和紙はしなやかで強靭な、世界にもあまり類をみない和紙となっていきました。

当時の紙は貴重品で、1度使用した紙でももう1度原料に溶かし、また紙へと再利用する漉き返しすきかえしも行われています。

武士の文化であった鎌倉時代においても、武士間の贈答品として紙が使われていたぐらいです。

江戸時代から現在における和紙

江戸時代に入ると、庶民の文化が盛んとなるにしたがい、和紙は爆発的に普及していきました。

浮世絵、錦絵など庶民の生活を潤す娯楽の展開を、和紙は陰ながら支えたのです。

米や特産物の流通の要所であった大阪では、紙は米などに次ぐ流通品として商人たちによって販売されました。

需要の高まりとともに多くの藩で和紙が製造されるようになりました。

というのも、作物のとれない農閑期のうかんきである冬にも製造ができ、換金できる特産品として重宝されるようになったからです。

明治時代に入ると、ヨーロッパやアメリカからパルプを使用した洋紙が入るようになり、和紙の生産は藩などの専売から広く生産の近代化が図られていきます。

大量生産が可能で印刷機にも適している洋紙に対抗し、印刷機にも強い和紙が開発されるなど、洋紙に押されながらも、和紙作りは規模を維持していたのです。

和紙の転換となったのは、戦後、日本が高度成長期を迎えた頃です。

機械化の進展に合わせて大量生産で紙が作られるようになると、手作業で作られていた和紙は次第に廃れていってしまいます。

さらに、和紙の生産の中心であった地方産地の人口減少で後継者が不足し、大口の需要種目であった和傘が洋傘の普及により減少してしまったことで、原料の産地でも衰退と減少が加速し、安定した生産が難しい状況となってしまいました。

しかし、歴史は廻り巡っていくもの。

現代では、和紙の持つ味わい、しなやかでも強靭な特性が貴重なものとなり、再度スポットライトを浴び始めています。

和紙は世界一丈夫な紙とも言われ、バチカンのシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」の修復にも和紙が使用され、ユネスコの無形文化遺産にも登録されてきました。

和紙は、時代時代の流れに揉まれ、後継者不足という課題を抱えながらも、現在でもその価値は輝きをはなっています。

和紙の作り方、原料となる植物とは

このように日本古来から作られてきた和紙。

和紙は原料となる植物を煮て、紙漉きに必要な繊維質だけを取りだし、その繊維質をもとに紙を漉いていきます。

紙の詳細な作り方の前に、ここでは原料となる植物がどのようなものなのかを見ていきましょう。

紙の原料となっているのは、かつては麻や桑類などの植物繊維が利用されていました。

素材には多種多様なものが使われ、そして淘汰された結果、現在では主にこうぞ三椏みつまた雁皮ガンピの3つの原料から作られています。

楮の特徴と主な生産地

楮はクワ科の植物で成木は3mほどになります。

生育が容易であるうえ、和紙の原料となる靭皮じんぴ(木の外皮の下にある柔らかい内皮)の繊維が太くて長いのが特徴です。

楮の靭皮の繊維の長さは5mmから長いものになると20mmにまでなります。

さらに強度も高いために、漉くときにも繊維同士が絡みやすく、薄くとも容易には破れない丈夫な和紙となります。

そのため、障子紙や表具用紙、美術紙など幅広く使われています。

現在では、和紙の原料としてもっとも使われている原料です。

現在日本で楮の生産量が多いのは、高知県本山町、茨城県大子町などで、特に茨城県大子町産の「那須楮」は、各地の和紙産地から高い評価を得ています。

三椏の特徴と主な生産地

三椏が和紙の原料として登場するのは、他の2種類とくらべ比較的最近で、400~500年くらいと言われています。

和紙の原料として最初に文献に出てくるのは、慶長3年(1598年)のことです。

この理由としては、三椏が次に紹介する雁皮がんぴと同じジンチョウゲ科の植物で、近世に製紙技術が発達するまで識別できなかったことが大きいようです。

そのため、三椏が和紙の原料として公的に用いられたのは明治時代に印刷局で使われ始めたのがその起源と言われています。

また、三椏みつまたという呼び名も中部地方の方言でした。

三椏は、ジンチョウゲ科の植物で、その名の通り、枝の分かれている場所はほとんどが3つに分かれて伸びています。

成木は3年をかけて2mほどまで育ちます。

現在は、岡山県が日本で1番の生産量を誇っていますが、生産地の過疎化と生産者の高齢化から、年々減産傾向にあります。

三椏を原料として作られた和紙の特徴は、表面が滑らかで光沢があり、上品で繊細であることです。

これは、三椏の繊維が柔軟で細いことに由来しています。

その性質から印刷紙としての適正に秀でているので、お札などの日本銀行券として用いられています。

また、金糸銀糸用紙、書道用紙など高級和紙としても用いられます。

雁皮の特徴と主な生産地

雁皮もジンチョウゲ科の植物で、繊維が細く短くて光沢のある優れた素材です。

ただ、生育が遅く栽培が難しいのであまり計画的に生育はなされていません。

現在、原料として出回っているのは自生している雁皮の樹皮を剥いで収穫したものです。

主な収穫地は徳島県の讃岐山脈です。

雁皮を原料として作られた和紙の特徴は、楮の持つ強靭さと、三椏の持つ光沢とどちらも兼ね備えているところです。

雁皮の繊維は細く短いので、半透明で光沢があり、さらに虫もつきにくいので、文化財の補修などにも使われる高い品質が魅力です。

おわりに

和紙は日本の古来から作られてきたもので、現在においても再度その価値が評価されてきています。

その原料もさまざまな植物が使われてきましたが、現在では楮、三椏、雁皮を中心に、障子紙や書道用紙、日本銀行券から文化財の修復まで日常のさまざまな場所で活躍しています。

是非、日本古来の文化である和紙について知り、後世へと伝えていきたい文化です。

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