今や海外でも大人気の浮世絵。

海外の美術館などには「国宝級」とも称される、浮世絵の名作が所蔵されていることも珍しくありません。

さらに展覧会が開かれれば大盛況。

そんなニュースを耳にすると日本人として誇らしい気持ちになる反面、日本人でありながら浮世絵に対する知識の乏しさに後ろめたい気持ちになってしまう方もいるのでは?

そこで今回は、浮世絵の基礎知識についてご紹介していきます。

浮世絵とは?

そもそも、浮世絵とは何なのでしょうか。

パッと思いつく作品はあるけれど、実はよくわからないという方も多いのではないでしょうか。

浮世とは当世、この世という意味。戦乱続きの辛い「憂世(うきよ)」の時代が終わりを告げた江戸時代、この世を楽しもうという「浮世」の思想が登場します。

そして現実の世界を写し出した絵は浮世絵と呼ばれ、非常に多くのテーマが描かれました。

広いテーマが描かれた浮世絵

例えば、

・ 風俗画
・ 武者絵
・ 役者絵
・ 美人画
・ 名所絵
・ 幽霊画
・ 春画

など、浮世絵はジャンルを問わず現世のあらゆるものをテーマとして包括しています。

3 種類の「浮世絵」

さて、一口に「浮世絵」といっても、大きく3つの種類が存在します。

1. 版本※1の挿絵:本の挿絵として描かれたもの(版画)
2. 一枚絵:版本の挿絵から、絵のみを独立させたもの(版画)
3. 肉筆浮世絵:絵師が一枚ずつ筆で描いたもの(版画ではない)

※1 版本 : はんぽん。木版によって印刷された本のこと。「写本」に対する言葉。

「版本の挿絵」と「一枚絵」はいわゆる版画のため、量産することができました。

これに対して「肉筆浮世絵」とは絵師直筆の絵画のことで、一点ものです。

これらのうち、最も隆盛を極めたのが一枚絵です。

時代とともに技術は飛躍的に向上し(詳しくは下記2. 浮世絵の歴史 を参照)、大量生産することで、庶民でも気軽に買えるようになり、今でいう数百円ほど、当時の蕎麦一杯分程度の安い値段で販売され、庶民の間にも広がっていきました。

一方で、肉筆浮世絵は非常に高価であり、基本的には富裕層からの注文を受けて制作されるものでした。

浮世絵(錦絵)ができるまで

それでは、浮世絵はどのように描かれているのでしょうか。

「絵」と聞いて、絵師が一人で黙々と絵を描いているイメージを持つ方もいるかもしれませんが、浮世絵は分業によって作られていました。

今回は、その中でも、色鮮やかな多色摺りの浮世絵である「錦絵」の作用工程をご紹介します。


世絵の制作にかかわる人々

・ 版元
・ 絵師
・ 彫師
・ 摺師

まず、浮世絵のプロデューサー的存在である版元はんもとが、資金調達・企画を行います。

浮世絵はただ作れば売れる、というものではありませんでした。

版元は世の中の動向・流行を見極めた上で、絵師に下絵を依頼していたのです。

絵師は「版下絵」という原画を完成させると、版元にそれを渡します。

版下絵は版元のチェックだけでなく、幕府の検閲を受ける必要があるためあったからです。

そして無事に検閲の許可が下りた版下絵には、「改印あらためいん」という印が押されました。

彫師はその版下絵を受け取ると、版木に裏返して貼り、「墨版※2」を彫っていきます。

※2 墨版 : 「主版おもはん」ともいう。一番もととなる版のこと。

下絵に足りない部分があれば、それを補うのも彫り師の役目です。

彫りあがったら、その版をもとにした墨摺りが行われました。

このとき摺られたものを「校合摺きょうごうずり」と言います。

この校合摺を受け取った絵師は、一枚ごと※3に色を入れたい部分に朱色を付け、一色ずつ具体的な色を指定していきます。

この作業を「色さし」と言います。

色さしが終わった校合摺は、再び彫師のもとへ戻されます。

そして彫師は「墨版」と同じ要領で、今度は「色版」※4を彫っていきます。

※3 校合摺は、十数枚程度摺られます。
※4 色を重ねるために彫られる版のこと。

このように「墨版」と「色版」が揃うと、それらは摺師に渡されます。

そして絵師立ち合いのもと、錦絵が摺られていきます。

はじめは墨版を、そして色版を薄い順に摺り重ねていくといった具合です。

こうして出来上がった錦絵の広告・販売は、版元が行います。

「絵草子屋」と呼ばれる本屋に並べられ、売れ行きが好調な錦絵は増刷されることもありました。

世絵から生まれた言葉「見当」

浮世絵から生まれた言葉というのもあります。

例えば、見当をつける、見当違いといった「見当」もその一つ。

浮世絵を制作するにあたって「見当」とは、校合摺に彫られるしるしのことを意味します。

浮世絵は、版を摺重ねて作るということを上記で説明しました。

その際、少しでもずれてしまったら大変です。そのために彫られるのが「見当」です。

当のイメージ

彫られるのは2ヶ所。

右下部は「かぎ見当」、左下部は「引き付け見当」と呼ばれます。

紙をこの2ヶ所に合わせれば、色ずれすることなく摺ることができるのです。

浮世絵の歴史

浮世絵がどんなものか、なんとなくイメージはつかめたでしょうか。

次は、浮世絵の歴史についてご紹介していきます。

世絵の創始者は菱川師宣

浮世絵の創始者と呼ばれているのは、菱川師宣ひしかわもろのぶです。

菱川師宣は1670年頃、版本の挿絵から絵だけを独立させた「一枚絵」を誕生させました。

とはいうものの、当時の浮世絵は墨一色。

そのため「墨摺絵すみずりえ」と呼ばれていました。

丹絵」「紅絵」などカラーの浮世絵が登場

浮世絵に色が付くようになったのは、1688年頃のこと。

墨摺絵に筆で色を塗る「丹絵たんえ」、紅花から作った染料の紅を使用した「紅絵べにえ」、墨の部分に光沢を出した「漆絵」などが登場しました。

とはいえ、これらの絵はあくまでも墨摺絵に1枚ずつ彩色していくもので、量産を可能にするような、色を摺り重ねていく技術はまだ確立されていませんでした。

というわけで、量産が可能だった墨摺絵に対し、カラーの浮世絵は、まだまだ量産することができなかったのです。

紅摺絵」の登場

墨摺絵のように、カラーの浮世絵も量産できたらいいですよね。

そこで色ごとに版を作り、墨摺絵に色を摺り重ねていく技術が1744年頃から登場しました。

これを「紅摺絵(べにずりえ)」と呼びます。

このため1枚1枚色を付けていく必要はなくなりましたが、使える色は2~3色と、まだまだ少ないものでした。

この理由としては、多くの色を使えるような技術が確立されておらず、また複数回の摺りに耐えうるような紙が使われていなかったことなどが挙げられます。

数を増やした「錦絵」の登場

1765年頃、ついに多くの色が使われた「錦絵」が登場しました。

きっかけは鈴木春信すずきはるのぶの作品です。

旗本の大久保甚四郎忠舒じんしろうただのぶからの依頼により制作したもので、当時の最高技術を結集させた、多色摺りの一枚絵でした。

それまでの「紅摺絵」とは違い、華やかな「錦絵」は当時の人々の心をとらえました。

それに目を付けた版元が「あずまにしきゑ」として売り出してブームとなったことから、
多色摺りの技法は「錦絵」という名前で定着します。

こうして錦絵の時代が到来し、現代の私たちも知っているような傑作が次々と生み出されていったのです。

ャポニズムブーム

今や海外でも人気の浮世絵ですが、ひょんなことがきっかけで注目を浴びることになりました。

1856年、葛飾北斎の絵が陶器の緩衝材としてフランス・パリへ渡っていたのです。

これを偶然見つけたのが、版画家のフェリックス・ブラックモンでした。

北斎の絵に衝撃を受けた彼が、友人のマネ※5やドガ※6らにこれを伝えたと言われています。

また、1867年開催のパリ万博にも浮世絵は出品され、空前のジャポニズムブームが起こりました。

※5 フランスの画家。「印象派の父」とも呼ばれる。
※6 フランスの印象派の画家。

世界的にも有名な4人の浮世絵師

それでは、当時活躍した浮世絵師についても知っておきましょう。

傑作を残した有名な浮世絵師はたくさんいますが、その中でも、日本に限らず世界的にも著名な4人の浮世絵師をご紹介します。

多川歌麿(きたがわうたまろ)

まず、「美人画の巨匠」と呼ばれるのが喜多川歌麿(1753~1806年)です。

歌麿は、「美人大首絵※7」という新しい形式を生み出し、女性の表情や仕草を繊細に描きました。代表作は「寛政三美人」「ビードロを吹く娘」「婦人相学十躰」など。

歌麿の作品は当時から人気が高く、後世の美人画にも影響を与えています。

※7 人物の上半身や顔を大きく描く「大首絵」は、すでに役者絵で多用されていた手法です。これを美人画に持ち込んだのは、喜多川歌麿が初めてと言われています。

今日では世界的評価も高い「ウタマロ」。

2016年にパリで行われたオークションでは、歌麿の作品が74万5800ユーロ(約8800万円)で落札されたことも話題となりました。

晩年の歌麿は、豊臣秀吉の花見の様子を描いた「太閤五妻洛東遊観之図」を発表。これが幕府の禁令に触れてしまい、咎められることに。

こうして歌麿は入牢・手鎖の刑を受け、失意のうちに亡くなったと言われています。

洲斎写楽

両手の指を広げ、鋭い形相で右を向く男の浮世絵。日本人ならば、一度は見たことがあると思います。

東洲斎写楽の『三世大谷鬼次の奴江戸兵衛』です。

あまりに有名な作品ですが、作者の東洲斎写楽とうしゅうさいしゃらくは謎に満ちた浮世絵師だったことをご存知でしょうか。

活動時期はわずか10ヶ月ほど。

阿波徳島藩の蜂須賀家に仕えていた能役者とする説が有力ですが、その正体はいまだにはっきりとしていません。

当時、写楽作品の売れ行きはあまり良くありませんでしたが、のちに海外での評価が高まります。

次第に日本国内でも人気を博し、今や不動の地位を築きました。

飾北斎

『冨嶽三十六景』を描いた葛飾北斎(1760~1849)は、世界で最も有名な浮世絵師です。

北斎は、アメリカのライフ誌が1999年に発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の中に、日本人で唯一ランクインしています。

北斎は19歳で絵の世界に入ると、以後画業一筋の人生を送りました。

有名な『冨嶽三十六景』は、なんと70歳を過ぎて出版されたシリーズです。

年を重ねても常に高みを目指し、90歳で亡くなるまで生涯現役を貫きました。

なお、『冨嶽三十六景』の中でも特に人気の高い、葛飾北斎の代表作『神奈川沖浪裏』を、ゴッホが弟充ての手紙の中で絶賛したという有名な逸話もあるように、北斎はヨーロッパ印象派にも多大な影響を与えたと言われています。

川広重(初代)

最後にご紹介するのは、歌川広重(1797~1858年)です。

広重は役者絵や美人画なども描きましたが、特に有名なのが名所絵(風景画の当時の呼び名)。

教科書にも載っている『東海道五十三次』が大ヒットし、名所絵の大御所となりました。

もともと風景画は、美人画などの背景として描かれる程度でした。

しかし広重や北斎がヒット作を生み出したことにより、風景画は浮世絵の中でも主要なジャンルになっていきました。

浮世絵を見たくなったら、買いたくなったら

実際に浮世絵を見たい、買いたいという方がいらっしゃったら、下記を参考にしてみてください。

世絵が鑑賞できる美術館

まずは、浮世絵を所蔵する美術館をいくつかご紹介します。

①東京都内

②関東

③他地域

世絵を購入できるオンラインストア

浮世絵は、オンラインでも購入することができます。

下記では、数千円~1万円台で購入できるショップをピックアップしました。

おわりに

今回は、浮世絵の基礎知識についてご紹介しました。

この世を謳歌しようという風潮から生まれた浮世絵。

技術の向上とともに人気も高まり、多くの人気浮世絵師が生まれました。

彼らの作品は当時の人々のみならず、現代の日本人も、世界中の人々までも魅了しています。

海外の人々に負けないよう、日本人である私たちも浮世絵に対する知識・理解を深めていきたいものですね。