はじめに

みなさんは盆踊りと聞いてどのような情景が思い浮かびますか。

夏祭りのすっかり日が暮れたころ、広場の中央に建てたやぐらの上で太鼓が打ち鳴らされ、それを中心に老若男女が円をつくり、明るい歌に合わせてみんなで楽しく踊るという情景ではないでしょうか。

しかし実は、やぐらを立てず、円にもならず、老若男女入り混じることもできない盆踊りが全国各地に点在しています。

都会でも地方でもいまだ日本人の夏に結びつく盆踊りですが、どのような歴史があり、全国にはどのような特色をもつ盆踊りがあるのか紹介していきます。

盆踊りとは

今でこそ盆踊りというと夏祭りのプログラムのようなイメージですが、本来の盆踊りとは、お盆に子孫の様子を見るため帰ってきた祖霊それいに対しての歓待と送りの儀式です。

現世で生活している人々にとって、祖霊であっても霊という存在にいつまでもこの世にいられるのは困ることでしたから、必ず送り帰さなければなりません。

そこでお盆という数日の期限を設け、送り帰すまではできるだけ楽しい思いをしてもらい、最後に一緒に楽しく盆踊りをして帰ってもらおうという考えでした。

さらにこの盆踊りをして送り帰すというのは、祖霊以外にも悪霊や無縁仏、送り火で帰り遅れた霊を帰すためという地域もあります。

さて、盆踊りの歴史を紐といていきましょう。

まず「お盆の行事」は正式には「盂蘭盆会うらぼんえ 」といいます。盂蘭盆会とは、サンスクリット語の「ウランバナ(ullambana)」からきています。

「盂蘭盆経」の伝説によると、お釈迦様の弟子である目連はある日亡くなった母親が餓鬼の世界で苦しんでいることを知りました。

どうしたら母親を助けることができるかお釈迦様にたずねると「雨期の修行が終わる7月15日に、僧侶へごちそうを振る舞い供養しなさい。」といわれました。

教えの通りに行うと、目連の母親は苦しみから救われることとなりました。

先祖を救うためには、他の大勢の人たちを救わなければならないという教えが盂蘭盆会の由来になります。

この盂蘭盆会が日本の書物で確認できるのが『日本書紀』の推古天皇14年(606)です。

「7月15日に設斎おがみす」とあることから盂蘭盆会のことではないかと考えられています。

一方盆踊りは、室町時代中期には奈良で「盆ノオドリ」という言葉が『春日権神主師淳記かすがごんかんぬししじんき』という書物に登場します。

昼は新薬師寺で行い、夜には不空院の辻で行うと書かれています。

そこには踊り手は日常の姿ではなく異類異形だったとありますが、異類異形というのは仮装をしているということです。

今日でも仮装して踊る土地というのは各地にあり、古くからの形態を残しているといえます。

この盆踊りというのは平安時代に空也上人によって始められ、その後一遍上人によって普及されたといわれています。

一遍上人は念仏を唱えかねや太鼓を叩きながら全国を遊行し、「踊り念仏」を広めていきます。

やがて民衆に広まると祖霊信仰や盂蘭盆会の行事と結びつき、祖霊を迎え歓待するためや死者の供養のための盆踊りが形づくられていきました。

各地の特色ある盆踊り

盆踊りといえば、全国的に有名な阿波踊りや郡上おどりなどを思い浮かべる人も多いかもしれません。

この他にも日本では特徴的で不思議な盆踊りが各地で踊られています。

その中でもとくに知ってほしい盆踊りを3つご紹介いたします。

西馬音内の盆踊り

秋田県羽後町西馬音内の盆踊りは3日間にわたって行われます。

踊り手が路上に並んだかがり火を囲むように細長い輪をつくり、彦三頭巾ひこさずきんや編笠で顔を隠して踊ります。

この彦三頭巾という頭巾ですが、目の部分だけあいた真っ黒な布を頭の上からかぶるものです。

顔を隠すのは亡者と生者の区別をあいまいにさせるためという考えがあります。

衣装には藍染めと端縫はしぬいいの着物があります。

端縫いの着物は古布の端切れを接ぎ合わせて作られた華やかな着物です。

裾や袖には同じ柄を使い、布の配置は左右対称という決まりがあります。

前述したように本来の盆踊りには、帰ってきた祖霊のためのものという意味があります。

西馬音内の盆踊りには盆踊り本来の意識をとくに感じ取ることができます。

下記の記事では、西馬音内の盆踊りについて、その特徴的な衣装や音頭、会場などについて詳しくまとめています。

ぜひ、ご覧ください。

エイサー

沖縄県にはエイサーという舞踊ぶようがあります。

今日では、全島各地のエイサーが集まり技を競い合う全島エイサー大会がおこなわれるなど、全国的にも有名なものになっています。

しかし本来のエイサーは祖霊を無事にあの世へ送り帰すためのものとされ、厄祓いと健康願いも含めた舞踊です。

全島の中でもこの意識を残しているのがうるま市勝連平屋敷かつれんへしきやのエイサーです。

ここでは中学を卒業後から25歳までの青年男女に決まっており、西イリアガリの2組で組織されています。

それぞれにジユーテーという歌い手、男女の踊り手、ハントゥーという酒がめを持つ者、太鼓打ち、中ワチという世話役で構成されています。

裸足で踊る太鼓打ちは古いエイサーの形式を彷彿するものとされています。

対馬の盆踊り

九州と韓国の間にある国境の島・長崎県対馬つしま市には各地に古い形式を残した盆踊りが現存しています。

地区ごとに唄や踊り方がちがい、地区それぞれの特色がうかがえます。

しかし共通した決まりごともいくつか存在します。

踊り手は16歳以上の男性に限定され、さらに地区によっては各家の長男に限られているところもあります。

これは盆に帰ってきた祖霊に対し、家を守っていくという意識のあらわれと考えられています。

対馬盆踊りには、揃いの着物を着て粛々と踊る演目と、小物や衣装を身につけ唄の物語を再現する演目があります。

後者の演目が生まれた背景には、盆踊りと同じ時期に行われた地芝居じしばい(素人歌舞伎)の影響があると考えられます。

テレビなどの娯楽がなかった時代、あまり手間をかけずに芝居を楽しめることは当時の若者にとってたいへん魅力的なものだったのでしょう。

おわりに

盆踊りの歴史や全国の特色をもつ盆踊りを紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

紹介したような特殊な盆踊りに限らず、あなたの近所の盆踊りも準備や踊りの練習、地方の過疎化などの影響から継続できなくなることがあります。

伝統というのはふと気づいたときにはなくなってしまうもので、継承し続けたいという人たちの努力でなんとか繋ぎとめている時代になっています。

この記事を読んだ機会に、ぜひ地元で行われている盆踊りやお祭りに目を向けてみてください。

近年都市部では“新しい盆踊り”のあり方が注目されています。

こちらの記事では、一風変わった最近の盆踊りについて紹介しています。
今年の夏は、ぜひ盆踊りを楽しんでみてはいかがですか?