日本舞踊が義務教育で必修科目にならない不思議

2012年から中学校の体育の授業では「ダンス」が必修科目となっています。

「創作ダンス」「フォークダンス」「現代的なリズムのダンス」からひとつを選ぶのですが、生徒からの希望もあり、hip-hopを教えていることも多いのだとか。

ところが日本固有の踊り=ダンスである「日本舞踊」が義務教育で必修科目になるという話はとんと聞かず、また部活動以外では学校で教えていることもほとんどありません。

では海外に向けて「JAPAN」というコンテンツを発信する時、日本人ダンサーと日本舞踊家、どちらが注目を浴びるでしょうか?

そこで今回は「日本」舞踊という日本固有の踊りでありながら、ほとんどの日本人が「ぼんやり」としか知らない日本舞踊について、基礎の基礎をお伝えしてまいります。

海外の方と会話をする時の必修科目、「日本舞踊」。

ぜひ最後までお付き合いください。

日本舞踊の始まりと歴史

まりは神話の時代 アメノウズメ

日本最古の踊り子は、芸能の女神である「アメノウズメ」であると言われています。

天照大神が天岩戸にお隠れになり世界が暗闇に包まれて皆々が困っていた時、天岩戸の前でアメノウズメがセクシーなダンスを踊り、「うるさいわねぇ、何事?」と顔を出された天照大神を力自慢のアメノタヂカラオが引っ張り出し世界は無事元に戻ったという神話。

この神々を魅了したセクシーダンスが日本舞踊の始まりです。

楽・雅楽から神楽・田楽を経て猿楽へ

中国や朝鮮半島から伝わった当時最先端の音楽や踊りは、宮廷での祭祀に使用され、「雅楽ががく」や「舞楽ぶがく」に発展します。

天皇は我が国トップの神官でもありますから、宮中の雅楽や舞楽は一般の神社で「神楽かぐら」となり普及します。

また民間では田植えなどの農作業中に「ノリの良い」若者たちが歌い踊る「田楽でんがく」が発生し、神楽などとMIXしてプロ集団に。

この流れは後に猿楽さるがく、(現在の能楽)として集大成されていきます。

雲阿国のかぶき踊り

安土桃山時代が終わりを告げ江戸時代が始まる頃、京の街にスーパーアイドルが登場します。

出雲阿国いずものおくに」です。

阿国は元々出雲大社の巫女みこだったという説もあるので、神楽舞の素養があったのでしょう。

そんな阿国は男性の格好をして、若者たちが遊郭ゆうかくへ通い遊女たちと戯れる様子をミュージカル風に踊り、演じました。これが「かぶき踊り」です。

阿国のかぶき踊りは絶大な人気を誇り、多くのフォロワーをゲット。

阿国のフォロワーの女性たちが踊り、演じる「女歌舞伎」、今のジャニーズのような美少年が踊り、演じる「若衆歌舞伎わかしゅうかぶき」を経て、現在に続く「野郎歌舞伎やろうかぶき、(成年男子が演じる)」へと発展していきます。

出雲阿国の再来と言われている、五月流の五月千和加さんは、女子高生の頃から「ギャル道」を歩んでいます。

下記の記事では日本舞踊界の革命児である、五月千和加さんについてまとめているので、
ぜひご覧ください。

舞伎の所作事

当初の歌舞伎はその名の如く「歌」「舞い」「伎(技・技芸)」が渾然一体となった芸能でした。

しかし江戸時代も中期になると、美しい女形が舞い踊る所作事しょさごとが1ジャンルとして独立。

初代瀬川菊之丞せがわきくのじょうや初代中村富十郎なかむらとみじゅうろうによって完成されました。

この所作事が日本舞踊の元となっています。

舞台上の所作事の振り付けをする振付師が踊りを教えるようになり、ここから流派が発生してくるわけです。

歌舞伎舞踊と上方舞の関係

江戸時代の初期、出雲阿国の頃は文化の中心は京・大阪でした。

しかし元禄時代を過ぎ江戸中期になると、文化の中心が江戸に移ります。

すると歌舞伎から発生した所作事=歌舞伎舞踊も江戸中心に発達していくことになります。

一方京・大阪といった上方では貴族の屋敷や料亭などの座敷といった「限定された狭い空間」で舞を楽しむことが流行りました。

これらは上方舞や座敷舞、また地唄を伴奏にすることから地唄舞と呼ばれ、発展します。

こうして江戸では歌舞伎の振り付けを元にした歌舞伎舞踊の流派が生まれ、京・大阪では座敷舞の伝統が続いていくのです。

日本舞踊の五大流派

いわゆる日本舞踊には現在200以上の流派がありますが、その中でも代表的なものを「五大流派」と呼んでいます。

西 川流

初代西川仙蔵にしかわせんぞうが元禄時代に興した最も古い日本舞踊の流派。

仙蔵は歌舞伎の鳴物(音楽担当者)から振付師となりました。

二代目からは「扇蔵せんぞう」と名前を改め、名作「関の扉せきのと」を振り付け。

四代目は現代でも最も多く上演される歌舞伎十八番「勧進帳かんじんちょう」を振りつけて名人と称されました。

現在の家元は十世西川扇藏せんぞう

名古屋には西川鯉三郎こいさぶろう率いる分派「名古屋西川流」があります。

柳流

花柳流はなやぎりゅうは門弟数が2万人を超える日本舞踊最大の流派です。

名人と称された四代目西川扇蔵の高弟だった西川芳次郎よしじろうが、西川流宗家相続争いに巻き込まれて独立、初代花柳芳次郎(後の初代花柳壽輔じゅすけ)として幕末に花柳流を起こしました。

他の流派に比べ手(踊りの振り)が多く、間が細かいのが特徴。

舞いというより踊りらしい踊りなので、習い事としても向いています。

現在の家元は五代目花柳壽輔。

間流

1700年前後に振付師として活躍していた藤間勘兵衛が創流。

現在は勘兵衛の名は絶えており、宗家藤間流(勘十郎派)と勘右衛門派に分かれています。

宗家藤間流は現在の歌舞伎の振り付けをほとんど手がける流派。

三代勘兵衛の養子である藤間大助を初代藤間勘十郎とし、昭和初期歌舞伎の神様と言われた六代目尾上菊五郎の振り付けを担当した名人、六代目藤間勘十郎の代で現在の地位を確立しました。

現在は七代目藤間勘十郎(三世藤間勘祖)とその子八代目藤間勘十郎が歌舞伎界全体の振付師として活躍しています。

一方の勘右衛門かんえもん派は、元歌舞伎役者であり、二代目藤間勘十郎の弟子だった初代藤間勘右衛門が創流。

三代目藤間勘右衛門(七代目松本幸四郎)からは全て現役の歌舞伎役者が家元に就いており、四代目藤間勘右衛門は二代目尾上松緑おのえしょうろく、五代目勘右衛門は初代尾上辰之助(三代目尾上松緑を追贈)、そして現在は四代目尾上松緑が六代目勘右衛門を名乗っています。

藤間流の特徴は手の多い花柳流の正反対で、手数、振りは少なく、心理描写、内から溢れ出る表現を大切にします。

東流

坂東流ばんどうりゅうは文化文政年間の歌舞伎舞踊の名人(歌舞伎役者の)三代目坂東三津五郎が立てた流派です。

代々歌舞伎役者の坂東三津五郎が家元を継いでおり、家元の名前も坂東三津五郎なので、ちょっとややこしいのですが、「歌舞伎役者の三代目坂東三津五郎が踊りの初代坂東三津五郎」となっています。

歌舞伎役者の七代目三津五郎(踊りの三代目三津五郎)は六代目尾上菊五郎と共に「踊りの名人・神様」と称され、一時代を築きました。

その後も代々の歌舞伎役者坂東三津五郎が家元を継ぎ、現在は若き坂東巳之助みのすけが家元となっています。

柳流

若柳流は初代花柳壽輔門下だった花柳芳松が1895年に興した流派です。

花街である柳橋が地盤だったため花柳界に勢力を広げ、お座敷に相応しい、手振りの多い、品のある踊りが特徴。

その後若柳流西、寿慶じゅけい協会、寿慶会、直派分家若柳流など細かく分裂し、現在に至っています。

日本舞踊における上方舞とは?

山村流、楳茂都うめもと流、井上流、吉本流の四流派を、「上四流」といいます。

村流

歌舞伎が爆発的な人気を誇った文化文政時代、上方で活躍した三代目中村歌右衛門の振付師をしていた山村友五郎ともごろうが創流。

畳一畳の空間で優雅に舞うために工夫されたその所作は、能の流れをくむ行儀の良い舞として、良家の子女の行儀見習いの心得とされてきました。

現在は六世宗家山村友五郎が当代となっています。

茂都流

楳茂都流は幕末に初代楳茂都扇性せんしょうが興した流派です。

初代扇性の父が光格天皇の兄、真仁法親王しんにんほうしんのうに仕えていたことから、雅楽乱舞や今様風流舞と行った宮中に伝わる舞の奥義を伝授され、そこに能や歌舞伎の要素が加わって発展してきました。

二代目扇性の長男 三代目家元陸平おかだいらは宝塚の教師兼振付師に就任。

宮中の奥義に西洋の音楽などを取り入れたその舞は、上方舞の中で最も優美で美しいと言われています。

陸平の死後家元の座が空いていましたが、現在は歌舞伎役者片岡愛之助が四世家元、三代目楳茂都扇性を襲名しています。

上流

初代井上八千代が近衛家、一条家といった最高位の摂家で風流舞を学び、「八千代」の名と「井菱いびし」の紋をいただいて立てたのが井上流です。

天皇、上皇、皇族の前で披露しても恥ずかしくない高貴な踊りが特徴。

祇園の芸妓・舞妓が学ぶ唯一の流派で、祇園以外で教えることは禁じられているため、男子禁制となっています。

また能の野村金剛家や観世流の片山家と親類関係にあり、そのことがまた独特の優雅さとなっているのです。

村流

吉村流は幕末に京都の御所に出入りしていた狂言師が始めた御殿舞が元となった流派です。

家元は世襲制ではなく、代々実力のある女性の内弟子が継いできました。

初めて男性が家元になったのは戦後の昭和36年(1961年)。

三世家元吉村雄光ゆうこうに幼い時から師事していた四世吉村雄輝からのことです。

後に人間国宝となる雄輝はわかりやすい上方舞を目指してストーリー性を重視。

そのおかげで一地方の舞から全国的な伝統舞踊になるまでに発展します。

ちなみに四世雄輝の長男は俳優のピーターこと池畑慎之介さんですが、実力のある内弟子が家元を継ぐという伝統を守り、現在は雄輝の内弟子だった六世吉村輝章きしょうが当代となっています。

おわりに

本舞踊のお稽古を始めるには

格式高く、習うのにもお金がかかると思われている日本舞踊ですが、茶道や華道が名取、師範の他に細かいグレードに分かれ、一つ昇進するごとにお金がかかるシステムになっているのに対し、日本舞踊の場合は殆どが「名取」「師範」の2段階のみ。

そのため他の習い事ほどお金がかかりません(舞踊会などで大きな舞台で衣装を着けて踊るなどすれば別ですが)。

「師範」、「名取」と聞いても違いは分からないですよね。

下記の記事では、「師範」、「名取」についてまとめているので、ご参考にしてみてはいかがでしょうか。

また浴衣と扇子、手拭いがあればお稽古に参加できるという手軽さも魅力です。

ちょっと気を配ってみると、街の中には意外と「○○流日本舞踊教室」といった町のお師匠さんがいるもの。

気軽に始められる日本舞踊。

ダンスだけではなく、世界に誇れる趣味としてチャレンジしてみてはいかがでしょうか。