令和元年(2019年)5月1日に行われた、「剣璽等承継けんじとうしょうけいの儀」を含む即位礼は、現在の明仁あきひと上皇陛下が天皇陛下の位をご退位(譲位)し、今上きんじょう天皇が”天皇”の地位を受け継いだ形となったため、江戸時代の光格こうかく天皇以来、202年ぶりのとても珍しいケースとなりました。

※今上天皇:その時々における在位中の天皇を指す言葉。

明治以降では"天皇一代につき一元号"と皇室典範こうしつてんぱんで定められていたことから、今までは先代の天皇陛下が崩御ほうぎょされたタイミングで天皇という位を践祚せんそ(位を譲ること)されていたのですが、今回は天皇陛下がご存命にもかかわらずご退位(天皇の位につくこと)することによって徳仁なるひと新天皇陛下がご即位する(その地位を手放すこと)という形で即位礼が行われました。

※ 崩御:天皇・皇后・皇太后・太皇太后がお亡くなりになることの最高尊敬。

今回は、その中で最も重要な儀式とも言える「剣璽等承継の儀」について、儀式の詳細や三種の神器にまつわるお話をしたいと思います。

剣璽等承継の儀とは?

剣璽等承継の儀とは、明仁上皇陛下から徳仁新天皇陛下が天皇の皇位を継承した証として、三種の神器と国璽こくじ御璽ぎょじを継承する儀式です。

戦前までは「剣璽渡御けんじとぎょの儀」と呼ばれていましたが、現在の明仁上皇陛下が天皇としてご即位された平成の時代から「剣璽等承継の儀」と呼ばれるようになりました。

徳仁新天皇陛下になられて、儀式として初めて行う"最初の国事行為"

徳仁新天皇陛下は、令和元年(2019年)5月1日の午前0時を以って天皇陛下という皇位に即位しましたが、天皇陛下として最初の国事行為は「"おことば"の決定」と「剣璽等承継の儀を行うことの閣議決定」です。

そして、儀式として一般国民からも見える形での最初の国事行為となったのが、令和における「剣璽等承継の儀」でした。

明仁上皇陛下から三種の神器を引き継ぐための儀式

なかなかお目にかかることのできない「剣璽等承継の儀」という儀式をテレビ中継で視聴した人も多いと思います。

この儀式の際に、侍従じじゅうたちが持っていた"風呂敷包み"の中身が気になった方も多いのではないでしょうか?

形や大きさも違う風呂敷、出てくる順番も違ったことにはどのような意味があったのでしょうか?

そもそも三種の神器とは?

天皇が天皇であるための神様からの"授かり物"

そもそも、三種の神器とは、

・「八咫鏡やたのかがみ
・「八尺瓊勾玉やさかにのまがたま
・「草薙剣くさなぎのつるぎ

とよばれる「鏡」と「剣」と「勾玉まがたま」のことを指し、呼び方も“じんぎ”とは読まずに「“しんき”」と読むのが正式名称です。

この三種の神器は、天皇陛下のご先祖様にあたる天照大神あまてらすおおかみから継承されたと言い伝えられている宝物で、「三種の神器がなければ天皇が成立しない」と考えた日本神話(古事記)の考えのもと、代替わりの際には先天皇から新天皇に代々受け継がれた歴史があります。


また、歴史上においても

・ 三種の神器は"天照大神のご神体"であること

・ 天皇陛下と三種の神器は常に一緒にいなければいけない

・ 天皇陛下ですら三種の神器のご神体を見てはいけない

という決まり事(伝統)があります。

そのため、普段は菊花紋きくかもんの包みに入れて「八咫鏡」は宮中三殿さんでんの「賢所かしこどころ」、「八尺瓊勾玉」と「草薙剣」は皇居の「剣璽けんじの間」と呼ばれる場所に奉納されているため、天皇陛下ですら三種の神器のご神体を見たことがないのです。

近代では陛下がご公務の際は"お留守番"をしている状態ですが、明治時代よりも前の歴代の天皇陛下は、どこかへお出かけされるときは常に神輿みこしに三種の神器を乗せて一緒に移動する、「剣璽ご動座どうざ」を行っていたという歴史があります。

過去には小説家である三島由紀夫も「日本人が最後に守るべきものは三種の神器だ」と話したという逸話も残されているほど、三種の神器は日本における大切な存在なのです。

三種の神器は日本の神話で”神様の国”にあたる「高天原たかまのはら(たかまがはら)」にいらっしゃる天照大神からの授かり物として”本体”が歴代天皇に継承されてきました。

天照大神の霊力が宿ると言われている「八咫鏡」と、八岐大蛇やまたのおろちの尻尾から出てきたと言われる「草薙剣」の”本体”は霊力が強すぎると恐れられ、天皇の近くに置くことで「本体の強い霊力によって災いが起こる」と言い伝えられた歴史があります。

そのため、第10代崇神すじん天皇(3世紀~4世紀、諸説あり)の時代に本体の霊力を移した「形代かたしろ」と呼ばれる”分身”を作り、”本体”は宮中から離れた場所に保管をすることとなりました。

八咫鏡草薙剣八尺瓊勾玉
高天原
葦原中国
高天原
高千穂
(宮崎県)
高天原

高千穂
(宮崎県)
橿原
(奈良県)
高千穂
(宮崎県)
橿原
(奈良県)
本体形代本体形代本体
笠縫邑
(場所は諸説あり)
宮中
(京都御所)

伊勢
(三重県)


宮中
(京都御所)↓
壇ノ浦
(山口県)

焼失


宮中
(京都御所)

伊勢神宮
(三重県)
宮中
(皇居内の
賢所の間)
尾張

熱田神宮
(愛知県)
伊勢からの
新たな形代

宮中
(皇居内の
剣璽の間)


宮中
(皇居内の剣璽の間)

よく、高天原から授かった”本体”を「本物」、”形代”として作られたものを「レプリカ」や「コピー」という表現がされるのですが、どちらかというと意味合いは「クローン」や「分身」に近く、「御霊写みたまうつし」された形代にも霊力が宿ると考えられています。

身近な「御霊写し」の例を挙げると、私たちにも身近な「お守り」や「御札おふだ」と同じことと言われると分かりやすいのではないでしょうか。

「お守り」というと物質的にはただの”物”や”形”ですが、神社で御霊写しがされることによって「神様が宿っている」と考え、大切に扱いすることと同じ意味合いが形代にはあります。

剣璽等承継の儀では3つが揃っていない?!

「剣璽等承継の儀」では、三種の神器のうちの「剣」と「勾玉」を拝見することができました。

映像を見た人なら印象に残っているかもしれませんが、儀式の会場となった宮中松の間にお出ましになった徳仁新天皇陛下、その次にお出ましになったのは細長い包みに入っていた「草薙剣」、次いでお出ましになったのが玉手箱のようなサイズの包みに入った「八尺瓊勾玉」。

三種の神器のうち「剣」と「(まがたま)」はお出ましになりましたが、「鏡」がなかったことに気付いた方はいたでしょうか?

これにはきちんとした理由があり、そもそも「八咫鏡」は天照大神の生き写しと考えられているため天皇陛下や「剣」「璽」よりも位が高く、三種の神器の中でも最も尊い物とされているからなのです。

つまり、尊い「鏡」がお出ましになるのは恐れ多いこととされ、本来であれば天皇陛下や「剣」と「璽」が「鏡」の所へ参拝しなければいけない立場なので、松の間ではお目にかかることができなかったというのが理由です。

では、「"三種"の神器の継承にはならないのではないか?」というと、そうでもありません。

この「剣璽等承継の儀」が松の間で行われていた同じ時間に、八咫鏡の形代が奉納されている宮中三殿の賢所では「賢所の儀」が執り行われていました。

この「賢所の儀」で八咫鏡の形代に天照大神に三種の神器を継承したことをご報告することによって、天皇陛下は無事に三種の神器を継承することができるのです。

「剣璽等承継の儀」のトリビア

小さな包みには天皇陛下と日本国の"印鑑"が入っていた

「剣」と「璽(じまがたま)」がお出ましになった後に運ばれてきたのが、紫色の小さな包みに入れられた「国璽こくじ」と「御璽ぎょじ」です。

「国璽」というのは分かりやすくいうと"日本国の印鑑"で、「御璽」は"天皇陛下の印鑑"のことです。

国事行為などでは、国家の重要文書や外交文書などの書面に印を押すことがありますが、その時に国の印章の「国璽」と陛下の印章の「御璽」を押します。

簡単に言えば"陛下のお仕事道具"も「剣璽等承継の儀」によって引き継がれています!

剣璽等承継の儀の舞台には"上座"と"下座"がある!?

映像で確認して観てみると面白いのが、三種の神器と「国璽」と「御璽」、そして天皇陛下の位置関係です。

松の間に設置された舞台には、舞台の上座でもある一番高い位置に天皇陛下がお座りになる椅子、それと同じ高さで三種の神器である「剣」と「璽」が置かれたのに対し、「国璽」と「御璽」は少し位置が低くなった台に置かれています。

この位置関係は上座と下座のようになっているので、一番重要である陛下・剣・璽が高い位置になるようにセッティングされているのです。

ちなみに、松の間にお出ましになる際の順番では、「剣」に次いで「璽」がお出ましになりましたが、これにも理由があり、「剣」は「璽」よりも格が高いとの説から、この順番になっています。

"令和ならでは"の剣璽等承継の儀だった!?当日の様子に注目

東宮御所から名前が変わった「赤坂御所」からご出発

法律的には2019年5月1日に日付が変わった瞬間から新天皇陛下としてご即位されていたことから、皇太子殿下時代には東宮御所と呼ばれていたお住まいから「赤坂御所」という名称にさっそく変わり、天皇陛下のお住まいになられる御所からご出発されました。

使われたのは"菊花紋付き"の御料車「トヨタセンチュリーロイヤル」

皇太子殿下の時には一般的なナンパ―プレートが付いていたお車も、ご即位に伴って御所をご出発された時から天皇陛下だけがお乗りになる特別な”御料車”でのお出ましになっていました。

御料車の証とも言われるトヨタセンチュリーロイヤルにはナンバープレートがなく、皇室の家紋でもある菊花紋が付いていて、強化防弾ガラスの窓は天皇皇后両陛下のお顔がよく見えるようにと通常のタイプよりも大きな窓が特徴的です。

また、車内高を高くすることで両陛下には1段高いところにお座りになってもらい、「神威かむい」と呼ばれる漆塗りをイメージした特殊塗装は「和」を連想させてくれます。

天皇陛下の洋装の最上級礼装での儀式は異例だった?!

通常の「剣璽等承継の儀」が行われる場合、先代の明仁天皇陛下の崩御に伴って執り行われるため、本来であれば喪服をお召しになって儀式に挑まれるのが恒例でした。

しかし、今回のご即位は譲位によるご即位だったため、お召しになっていたのはホワイト・タイ(燕尾服)と呼ばれる洋装の最上級礼装。

おめでたいご即位となった、令和ならではの装いだったと言えますね!

「大勲位菊花章頸飾」などの皇太子殿下時代とは違った勲章の数々

お召し物が最上級礼装だっただけでなく、それに伴い様々な勲章をお付けになっていたのが印象的でした。

特に注目したいのは、首元から大きなネックレスのように下げられた「大勲位菊花章頸飾だいくんいきっかしょうけいしょく」と呼ばれる特別な勲章です。

皇太子殿下の時にはお持ちでなかったこの頸飾は、現在の明仁上皇陛下が天皇であられた時にもお付けになっていました。

ただし、こちらはご即位後に国から贈呈されたものなので、真新しい「大勲位菊花章頸飾」ということになり、明仁上皇陛下は現在でも同じものをお持ちになっています。

松の間には皇位継承者第三位までの殿下方のお姿も

「剣璽等承継の儀」では、皇室典範に定められた皇位継承者第三位までの皇族方もご同席していました。

天皇陛下を正面に見た時に、向かって左側にいらっしゃったのがみなさんもよくご存知の「秋篠宮文仁親王あきしののみやふみひとしんのう殿下」です。

「愛子内親王殿下と秋篠宮悠仁ひさひと親王殿下は?」と思った方もいると思いますが、国事行為には成人皇族しか出席することができないという決まりがあるため、ご退位やご即位に関する儀式にお二人のお姿がなかったのですね!

入場と退場で決定的に違った「三種の神器」との位置関係

皇位の証を継承するという「剣璽等承継の儀」では、天皇陛下のお出ましの時には継承される前でしたので、陛下と「三種の神器」は別々にご入室されたのですが、ご退出時には「三種の神器」や「国璽」「御璽」とご一緒にお帰りになられています。

おわりに

「剣璽等承継の儀」は、儀式そのものの時間は短かったものの、工程の一つひとつには深い意味があったのです。

このことを踏まえてもう一度儀式の映像を観てみると、最初は分からなかった意味合いを知ることができ、新しい発見をすることで理解が深まりますよ!