日本の怪談や昔ばなしとして語られる「耳なし芳一」。

耳なし芳一は、日本民俗学者兼作家である小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が書いた作品『怪談』にも取り上げられている有名な物語です。

この記事では、耳なし芳一のストーリーや縁の神社などをご紹介します。

「耳なし芳一」とは

耳なし芳一とは、盲目の琵琶法師・芳一が、怨霊から逃れるために経文を全身に書き難を逃れようとしますが、耳だけ経文を書き忘れられたために耳を千切り取られるという怪談話です。

耳なし芳一の物語は“耳きれ芳一”や“耳きり団一”、“一つ目小僧その他”など、複数の書物で紹介されてきましたが、小泉八雲が書いた『怪談』の中の1話として紹介されたことにより、その知名度を一気に上げることとなりました。

小泉八雲が耳なし芳一を執筆したのは、妻・セツが、天明2年(1782年)に一夕散人いっせきさんじんが出版した『臥遊奇談』の第二巻『琵琶秘曲泣幽霊びわのひきょくゆうれいをなかしむ』を八雲に紹介したことが発端であるとされています。

実は、小泉八雲は16歳の頃に学校の回転ブランコで遊んでいた時の事故で左目を失明しています。

盲目の琵琶法師である芳一と同じく目が不自由だった八雲は、芳一と自分を重ね合わせたのかもしれませんね。

さて、ここからは物語を詳しく紹介していきましょう。

怪談「耳なし芳一」の物語

平家滅亡に至った壇ノ浦の戦い

その昔、壇ノ浦(山口県下関市)にて、源氏と平家の長い争いの最後の戦いが行われました。

栄華を極めた平家でしたが、この戦いで源氏に敗北。

敗れた平家一門の男はもちろんのこと、女や子供、さらにはわずか6歳の幼帝・安徳天皇までもが海に沈められました。

盲目の青年、琵琶法師・芳一

この壇ノ浦の戦いから何百年か経った頃。

壇ノ浦の近く、阿弥陀寺という寺に、盲目の青年で芳一という貧しい琵琶法師がいました。

身寄りのなかった芳一は、阿弥陀寺の和尚おしょうに琵琶の才能を見込まれ、寺に住んでいました。

芳一の琵琶の弾き語りは素晴らしく、とりわけ壇ノ浦の悲劇を歌った“壇ノ浦合戦”を語ると右に出る者はおらず、鬼さえも涙を流すと言われていました。

芳一を訪ねてきた鎧武者

ある夏の蒸し暑い夜、和尚は小僧たちを連れて法事に出かけました。

一人寺に残った芳一が琵琶を弾いていると、ガシャン…ガシャン……とよろいの音が近づき、芳一の名を呼びました。

芳一が震える声で返事をすると、鎧の主は話しかけます。

『私はこの寺の近くに足を止めておられる身分の高い、尊いお方に仕える者だ。殿はお前の合戦語りの噂をお耳にし、ぜひ聞いてみたいと待ちわびている。館に案内するので、私について参れ。』

芳一は草履をはいて琵琶を持ち、鎧武者が歩く音に付いて行くのでした。

惚れこまれた芳一の琵琶語り

鎧武者についてしばらく歩くと、大きな門が開く音がしました。

『お待ちしておりました』

入口で待っていた侍女が、芳一を屋敷の中へ案内します。

屋敷はとても広いらしく、長い廊下を何度も曲がると、やがて貴族のような上品な話し声や、着物が床に擦れる音、鎧の音が聞こえる大広間の真ん中に通されました。

『よく来た芳一、そなたの琵琶で平家の物語、壇ノ浦合戦を聞かせよ』

「かしこまりました」

芳一は、琵琶を鳴らして語り始めました。

その音色は船が波間を進む音、矢が風を切って飛び交う音、船がぶつかり砕ける音、雄叫びや武者が海へ飛び込む音を見事に表現し、大広間は合戦場そのものになったようでした。

やがて、壇ノ浦合戦も平家の最も悲しいくだりである、二位の尼に抱かれた幼い安徳天皇が海に沈む場面にさしかかると、その場にいるものが皆、涙を流して聞き入りました。

武者たちにすっかり気に入られた芳一は、これから七日七晩、琵琶語りをしに来るよう約束をさせられ、寺に戻っていきました。

日ごとに衰弱する芳一

あの日から毎夜、寺の者に内緒で出かけ琵琶を語り続ける芳一は、日に日に衰弱していきます。

和尚は弱っていく芳一が毎晩どこかへ出かけていくことを知り、心配して寺の小僧たちに後をつけさせました。

夜中に寺を出ていく芳一を追った小僧が見たものは、阿弥陀寺の墓地の真ん中で、鬼火が揺らぐ中琵琶を鳴らす芳一の姿でした。

小僧たちは慌てて芳一の琵琶をやめさせ、引きずるように寺の中へと連れて帰りました。

和尚は芳一が怨霊に魅入られていることをすぐに感じ取りました。

「芳一よ、このままではお前は霊に取り殺されてしまう。今夜も法事で私は出かけなければならないが、お前の体に経文を書いて霊から護ろう。」

和尚は小僧達と一緒に芳一を裸にすると、体中に経文を書き、こう言いました。

「経文の力でお前の姿は霊からは見えない。しかし、迎えが来ても決して声を出してはいけないよ。声を出すと経文の力はなくなり、お前は霊に連れていかれるだろう。霊が諦めて帰れば因縁は断ち切られる。それまでは決して声を出してはいけないよ。」

迎えに来た鎧武者と芳一の耳

日が暮れ、芳一が座禅を組んでいると、鎧の音が聞こえていきました。

『芳一、迎えに来たぞ。 出て参れ。』

いつもは座禅を組み待っているはずの芳一の姿が見えず、鎧武者の怨霊は芳一を探します。

芳一は自分を探す怨霊の鎧の音がすぐ側から聞こえると、体が震えて今にも心臓が止まりそうでした。

すると、怨霊は部屋の中に芳一の耳だけがあるのを見つけます。

『ここにあるのは琵琶と耳だけか。仕方あるまい、この耳を迎えに来た証に持ち帰ろう。』

その瞬間、芳一の耳に激しい痛みと熱さが稲妻のように襲い掛かりました。

芳一の耳は、武者により両方とも千切りとられてしまったのです。

あまりの痛みと衝撃に声を上げそうになった芳一ですが、歯を食いしばり、ギュっと目を閉じて鎧の音が遠ざかるのを待ちました。

耳なし芳一

夜明け前、和尚は大急ぎで寺へ帰ります。

芳一が待つ部屋へ行くと、足裏に何かぬめり気を感じました。

明かりで部屋を照らしてみると、そこには耳から血を流しながら目を閉じ、静かに座禅を組んで耐える芳一の姿がありました。

芳一を見て、和尚は何が起きたのかすぐにわかりました。

「芳一よ、すまなかった。私が耳に経文を書き忘れたせいで、怨霊に耳を持っていかれてしまったか。もう亡霊が現れることはない、よく耐えた。」

和尚が帰ってきたとわかると、芳一は倒れ込みました。

和尚は芳一を抱きかかえ涙を流し、すぐに小僧たちと看病にあたりました。

耳を取られてしまいましたが、その日から芳一の元へ武者の怨霊が現れることはなくなり、ほどなくして傷もよくなりました。

この一件から、芳一は“耳なし芳一”と呼ばれるようになり、各地から芳一の琵琶を聞きたいという貴族らが集まり、好きな琵琶を弾きながら余生を過ごしました。

耳なし芳一の疑問「なぜ耳に経文を書かれなかった?」

小泉八雲の『怪談』で紹介される耳なし芳一では、顔から足の裏まで体の隅々に経文を書きこんだように記されています。

では、なぜ身体の隅々まで書かれたはずの経文が、耳だけ何も書かれていなかったのでしょうか?

その場にいた坊主や和尚の誰も気が付かなかったことに、疑問を感じませんか?

ここでは、耳に経文が書かれなかった理由を考察していきたいと思います。

小僧の手抜かりや嫉妬の可能性

芳一に経文を書きこむ際、和尚一人だけではなく、阿弥陀寺にいた小僧も手伝っています。

和尚が芳一を引き取った背景には、芳一の琵琶の音に心を動かされ、その腕前を見込んだことがあります。

そのため、他の坊主らは、和尚に評価される芳一に嫉妬心を抱いていた可能性が考えられます。

また、耳という細かい部分は書かなくても問題ないという、小僧ならではのツメが甘い未熟な考えがあったのかもしれませんね。

“戦利品”がないと怨霊が諦めてくれないと考えた

もし全身の経文の書き損じがなく、怨霊からは全く姿が見えない状況であれば「迎えに行った証拠」として持ち帰る物がなく、怨霊は諦めてくれなかったかもしれません。

それなら、琵琶を証拠にすればよかったのでは?と思う節もありますが、戦では打ち取った首を持ち運べない場合、耳切りや鼻切りと呼ばれる顔の一部を主君の元に持ち帰る風習がありました。

和尚はこの風習を知っていたため、やむなく書かなかったということも考えられます。

いずれにせよ、迷いなく体の一部を持ち帰ろうとするのは、やはり恐ろしい怨霊です。

耳なし芳一や平家と縁の神社

平家を慰めるために建てられた赤間神宮(山口県)

耳なし芳一物語の舞台である阿弥陀寺は、現在の山口県下関市にある赤間神宮にあたります。

赤間神宮では安徳天皇を祀っており、平家一門の墓が存在します。

壇ノ浦合戦の際、当時6歳であった安徳天皇は、祖母である二位にいあま(平清盛の妻)に抱かれ海に身を投げました。

身を投げる前、安徳天皇はこれからどこに行くのかと二位の尼に尋ね、二位の尼は涙をこらえて伝えました。

「あなた様は天子としてお生まれになりましたが、命運が尽きました。私たちはこれから極楽浄土という海の底の都に行くのです。まず東に向かい伊勢神宮にお別れを申し、次に西に向かい極楽浄土の主である阿弥陀仏に念仏を唱えるのです。」

こうして平家一門は滅亡してしまいましたが、後鳥羽上皇の勅令により、浄土宗の寺であった阿弥陀寺に安徳天皇の鎮魂のための「御影堂(天皇陵)」が建立されました。

明治維新の際に行われた神仏分離により、阿弥陀寺は廃され御影堂は天皇社と名称を改めました。

その後、赤間宮そして赤間神宮と、時代とともに改称を重ね現在に至ります。

赤間神宮は関門海峡を見下ろし、安徳天皇を祀る水天門はまさに海の都と呼ぶにふさわしい竜宮造りの佇まいです。


赤間神宮内の「芳一まつり」


宮内に建てられた芳一堂には、琵琶を持つ芳一像が祀られています。

毎年7月15日には「芳一まつり」が行われ、神事や琵琶演奏を見ることができます。

詳しい年間行事スケジュールは、赤間神宮のホームページからご確認ください。

琵琶の弾き語り“耳なし芳一”が聞ける阿弥陀寺(神奈川県)

神奈川県の箱根にある阿弥陀寺は、仁孝天皇の第8皇女である和宮親子内親王のお位牌をお祀りしているお寺で、別名“アジサイと琵琶の寺”と言われ、琵琶の演奏を聴くことができます。

阿弥陀寺の琵琶演奏は約40分間で「平家物語」や「耳なし芳一」などを聴くことができ、滅多にお目にかかれない琵琶の生演奏を拝聴する貴重な経験ができます。

芳一の琵琶演奏を聴いた平家の亡霊の気分が味わえるかもしれませんね!

阿弥陀寺の住職・水野賢世みずのけんせい上人は琵琶のプロ演奏者で、他にも舞踊、歌、書道の指導も行い、日本文化の担い手となっている方です。

演奏会は予約制ですので、事前に電話での連絡が必要となります。

まとめ

さて、この記事では怪談・耳なし芳一や平家物語の壇ノ浦の合戦、赤間神宮について紹介しました。

日本文化の一つである「怪談」は、歴史と深い関わりがある場合が多いです。

歴史的背景を知ることで、怪談のみならず、訪れる場所にもグッと深みやロマンを感じることができますよ。

有名な伝承も、調べたり、実際に足を運んで見てみたりすることでこれまでと違う観点に立ち、新たな気付きを得ることができます。

これから訪れる旅先などでぜひ体感してみてください。