粘土を成形し、高温の窯などで焼成し器や造形物を作ることを陶芸といいます。
火山の噴火によってできる岩石が長い年月をかけ砕かれ、有機物と混ざりあったものが粘土。
世界中に存在しています。
陶芸によって作られる陶磁器と呼ばれるものにはおおまかに2種類あり、土が主な原料で叩いた時ににぶい音がするのが「陶器」。
岩石が主な原料で叩いたときに金属的な高い音がするのが「磁器」です。
世界各地で作られてきた陶磁器ですが日本における陶芸文化が独自の進化をしているのをご存知でしょうか?
粘土を成形し、高温の窯などで焼成し器や造形物を作ることを陶芸と言います。
火山の噴火によってできる岩石が長い年月をかけ砕かれ、有機物と混ざりあったものが粘土。
世界中に存在しています。
陶芸によって作られる陶磁器と呼ばれるものにはおおまかに2種類あり、土が主な原料で叩いた時ににぶい音がするのが「陶器」。
ミステリアスな国宝「曜変天目茶碗」再現に人生をかける陶芸家
日本に3つしかないと言われる国宝の陶器があります。
それは器の中にまるで宇宙のような模様が広がる「曜変天目茶碗」。
今から800~900年前に中国で作られたといわれているのですが、作者不明、製造工程不明というミステリアスな陶器です。
数年前に鑑定番組で4つ目の「曜変天目茶碗」ではないかという器が登場。
しかし、その鑑定に対し異を唱える陶芸家が現れたことでその名前を目にした方もいるのではないでしょうか。
その陶芸家というのが、愛知県瀬戸市で江戸時代から続く窯元の九代目、長江惣吉氏。
先代の父親が製造工程の研究と再現に取り組み始め、平成7年(1995年)に亡くなった後を現在の九代目、長江惣吉氏が引き継ぎました。
その情熱はすさまじく、器が作られたとされる中国福建省の建窯を何度も訪問。
当時と同じ構造の登り窯を作り燃焼実験をしたり、建窯の土を80トン輸入したりと20年以上に渡り徹底的な研究を続けています。
「曜変天目茶碗」に対する並々ならぬ想いがある陶芸家だったのです。
再現研究の結果「蛍石」という鉱石を使うことで宇宙のような光彩が生まれるということを突き止めます。
しかし、未だ納得のいく完全再現には至っておらず、完璧を求める長江惣吉氏の挑戦は今なお続いています。
ちなみに4つ目の「曜変天目茶碗」ではないかと言われた器はその後、長江惣吉氏の指摘通りレプリカだったことが分かりました。
日本の陶磁器の歴史
日本では1万2000年前の縄文土器がみつかっており、陶磁器の歴史が世界で最も長いといわれています。
最初は生活道具を作るために加工したと考えられますが、複雑な形成や縄で模様を付けるなどデザインにも拘っていた形跡を見ると、芸術作品としての一面も持っていたといえるでしょう。
飛鳥時代には朝鮮からろくろの技術、窯、釉薬が伝わります。
中国や朝鮮の技術と、日本ならではの表現が融合し陶磁器文化が育っていく中、鎌倉時代に現代にも続く「六古窯」と呼ばれる特色がある窯元が作られます。
愛知県の常滑窯、瀬戸窯、福井県の越前窯、滋賀県の信楽窯、兵庫県の丹波窯、岡山県の備前窯です。
美術的側面が花開くのは安土桃山時代。
千利休が京都の陶芸家、長次郎にわび茶の茶碗を作らせたことから「茶の湯」文化が盛んになり、同時にそのデザイン性も発展を遂げます。
江戸時代に入るとカラフルで絵画的な作品が生まれます。
初めて作られた磁器は佐賀県有田町で朝鮮人陶工によって作られたと言われている「伊万里焼」。
緻密な絵付けや彩色が行われヨーロッパへ輸出されるようになります。
海外を意識することでよりいっそう絢爛豪華な絵付けがほどこされ、高級美術品としての要素が強くなります。
明治時代には陶磁器の輸出に力を入れ、日本の主力産業の一つにまでなりますが徐々にジャポニズムブームが下火に。
陶磁器の発展が、工業化による量産を目指す実用品としてのものと、観賞用の美術品としてのものという二分化が進みます。
昭和元年(1926年)には思想家、柳宗悦らが衰退していく日本各地の手仕事文化を案じ「民芸運動」を提唱。
無名の職人が作った生活道具を「民芸」と名付け、美術品に負けない美しさがあると言いました。
同時期には現在も続く世界的陶磁器ブランド、ノリタケの前身の日本陶器、便器で有名なTOTOの前身の東洋陶器などのメーカーも現れます。
紆余曲折ありながらも陶磁器は1万2000年前から現代まで、脈々と息づいてきた文化なのです。
この記事では、陶磁器の歴史や種類について解説していきます。
読むだけで陶磁器の知識が身につくので器選びが楽しくなるはずです。
器にこだわるようになると食卓が豊かになって食事が楽しくなります。
料理にもこだわるようになるでしょう。奥深い陶磁器の世界。入口までみなさまをご案内します。
渋いイメージを覆す陶磁器作品
歴史に残る陶磁器を見ると渋くて一般的に分かりにくい世界というイメージがあるかもしれません。
しかし、有名な作品の中にはひと目で引きつけられるような美しい作品や、自然をモチーフにしたかわいい作品もあります。
佐賀県で江戸時代から続く陶芸家、柿右衛門は、「濁手」と呼ばれる独特の乳白色の磁器に、たっぷり余白をとって花鳥図を描く柿右衛門様式を確立。
海外にも大きな影響を及ぼしました。
乳白色の背景が細やかに描かれる花の図柄を鮮明に浮き上がらせた絵画的な作品が数多く残っています。
明治後期から昭和中期にかけて活動した陶芸家、板谷波山は、絵付けをした後に全体的にマットになる釉薬をかけることにより、シルクのベールを纏ったような幻想的効果を得られる手法を編み出しました。
「葆光彩磁」と呼ばれ代表的な作風となっています。
中国の古陶磁、西洋のアール・ヌーヴォー様式、静かで繊細な日本画を融合させた淡い色合いが印象的です。
可塑性のある粘土の性質に加え、絵付けができるようになったことが自由で多彩な表現を可能にしました。
現代アートとしての陶磁器
衰退の一途を辿っているイメージがある陶磁器の世界ですが、実は若手陶芸家も育っています。
昭和52年(1977年)生まれの新里明士氏が作った「光器」シリーズは、なんと光が透けて見えるという幻想的な作品。国内外から注目を集めています。
昭和56年(1981年)生まれの上出惠悟氏が作った「甘蕉 房 色絵梅文」は、バナナのしっとりマットな質感を九谷焼で表現した作品。
金沢21世紀美術館に収蔵されています。
これまで窯元ブランドによって作品のカラーが生まれていきましたが、個人の陶芸家への注目が集まっています。
伝統的な技術を大切にしつつ革新的な新しいセンスが加わった自由な作品が続々と生まれています。
日本は、およそ1万年以上もの「焼き物」の歴史を持つ国です。
現在も北海道から沖縄まで全国各地に陶磁器の産地が存在し、国内外から多くの焼き物ファンが訪れています。
自分の手で作る、好みのものを収集する、日常の暮らしの中で使う…陶磁器には様々な楽しみ方があります。
なぜ日本の陶磁器は多くの人を引き付けるのか。
その魅力のワケを探っていきたいと思います。
気軽に楽しめる陶芸体験
陶芸教室を探すと各地で見つける事ができるので門戸は広いといえるでしょう。
工芸の中でいちばんといっていいほど普及度が高いのではないでしょうか。
実際やってみるとその奥深さに驚きます。
自分の技術が上がっても土の成分や釉薬の調合、焼き上げる工程を経ることによる偶然性も加味され思ったような仕上がりにならないからです。
陶芸をする人はそれこそが魅力だといいます。
器なら100円ショップでも簡単に手に入るようにはなりましたが、自分が作ったものには愛着が湧くもの。
自分の自由な発想を形にすることができ、実用性も兼ね備えている陶芸を一度体験してみてはいかがでしょうか?
また、陶磁器の産地では毎年、陶器市が開催されていますので立ち寄ってみるのもオススメ。
お気に入りをみつけて実際に使うことで、その魅力を再発見することができるはずです。
大 陶器市
・岐阜県土岐市「土岐美濃焼まつり」
毎年5月3日~5日開催
・愛知県瀬戸市「せともの祭」
毎年9月第2土曜・日曜開催
・佐賀県「有田陶器市」
毎年4月29日~5月5日開催
各地で陶器市の催しが行われていたり、ふとした時に陶芸教室を見かけたときに「陶芸をやってみたい!」と思ったことはありませんか?
陶芸には作品の完成までにいくつかの工程がありますが、こちらの記事では、陶芸で使われる道具、初心者向きの粘土、「やはり最初は、陶芸教室に通った方がいい?」といった疑問にお答えしていきます。
陶芸には、ものを作り出す楽しさと喜びがあります。元はただの土の塊から、食器や花器、果ては芸術作品など多彩な工芸品を生み出すことができます。しかし、実際に土を練ったり、成形したりした経験がないと、不安なのも事実。
陶芸の道を、一度でも志したことがある方ならお解りかと思いますが、ロクロをはじめとする成形や釉がけの方法をいかに確実に習得し、上達するかは何よりの重大テーマです。
しかし、「土練り3年、ロクロ6年」という諺(ことわざ)がある通り、その技能を習得することは容易くはありません。