三味線というと20年前に一世風靡し、その後も世界的に活躍している吉田兄弟の舞台を思い浮かべる方も多いでしょう。

また最近は、若者を中心に人気を集めている「和楽器バンド」(尺八・箏・三味線・和太鼓等を演奏する8人組のロックバンド、ヒット曲は千本桜)の美人三味線演奏者、蜷川べに(にながわ べに)も注目されています。

豪快で繊細。

聞いている人々を引きこむ魅力がそこにはあるのです。

ただし、この三味線は数ある三味線の種類の一つで「津軽三味線」と呼ばれるものなのです。

人々を魅了して止まない津軽三味線について、ご紹介致しましょう。

津軽三味線のはじまり

三味線は、13~14世紀の中国の元の時代に生まれた「三弦(さんげん)」がルーツと言われています。

その三弦が琉球(今の沖縄)に渡り「三線(さんしん)」となりました。

さらに織田信長の時代に三線が大阪の堺に伝わって、江戸時代には現代の三味線の形へと変化していったのです。

江戸時代から明治時代にかけて、三味線は庶民の楽器として大流行したと言われています。

歌舞伎や文楽(人形浄瑠璃)といった芝居の伴奏に使われるものもあれば、長唄や小唄、地歌や民謡など歌物と一緒に発展していったものもありますが、人々の娯楽にはなくてはならないものとしての地位を確立したと言って良いでしょう。

津軽三味線の起源ははっきりしてはいません。

ただ他の三味線が舞台や花柳界で演奏された華やかなものに対して、津軽三味線は北の国の厳しい風土が産んだ民族芸能と言えるのです。

津軽三味線の基礎を築いたのは仁太坊(にたぼう)と言われています。

時は幕末。

津軽半島で生まれた仁太坊は、幼い頃に失明しました。

元々音楽に才能のあった仁太坊ですが、失明したことで聴覚が際立って発達していったようです。

そんな仁太坊に三味線を教えたのが、越後から流れてきた瞽女(ごぜ・女性の盲人芸能者)と言われています。

習ったのはほんの数日でしたが、短い間に仁太坊は数々の曲を習得し、自分の芸にしていきました。

やがて仁太坊は、門付け芸を生業として人気を高ていったのです。

仁太坊は少しでも大きな音が出るように、三味線も義太夫の太棹に代えました。

普通三味線は撥(ばち)を三味線の胴(どう)と呼ばれる太鼓に打ちつけて音を出します。

これは「打つ」という奏法ですが、仁太坊は、「打つ」よりも更に激しく強く打つ、つまり叩きつけるような奏法を使ったのです。

強く叩くことで撥も先が割れて壊れやすくなったことから、津軽三味線の撥は「べっ甲」(海亀の甲羅を加工したもの)を使うのが主流となりました。

べっ甲はしなやかなので、力を吸収してくれますから、割れにくいのです。

また棹に張られた糸を左手の指で押さえて音程を作っていきます。

これはギターと同じですが、三味線の場合は更に押さえた指をそのままスライドさせることがあるのです。

これは「スリ」又は「コキ」という手法で、音程もじょじょに高くなったり低くなったりします。

仁太坊はこのスリを速く連続して行い、うなるような音を作り出していったのです。

津軽三味線の魅力

三味線は大きく分けて「細棹(ほそざお)」「中棹(ちゅうざお)」「太棹(ふとざお)」の3種類となります。

その名の通り棹の太さが違い、棹の太さに合わせて「胴」の大きさも変わるのです。

細い棹には小さな胴で小さな音、太い棹には大きな胴で大きな音が出るようになります。

津軽三味線は「太棹」を使うので、腹の底にドーンと響くような大きな低い音を出して演奏します。

また仁太坊の作りだした「叩く撥さばき」は弦楽器としてだけではなく打楽器の要素も含み、「うなり」も加えて他の三味線にはない津軽三味線独特の、躍動感のある迫力を生み出すのです。

そして津軽三味線は、即興で演奏することが元となっています。

その場の雰囲気に合わせての即興は演奏者の個性によっても大きく変化するので、一期一会、二度と聞くことの出来ない儚さ(はかなさ)が津軽三味線の大きな魅力と言えるでしょう。

津軽三味線のスター

仁太坊の流れをくみ、初代高橋竹山・白川軍八郎・木田林松栄らが生まれます。

ただし、それまでは「津軽三味線」とは言わず、「津軽もの」と呼ばれていたようです。

「津軽三味線」と称したのは、昭和30年代の歌謡界を支えた「三橋美智也」と言われています。

民謡で鍛えた声が魅力の三橋美智也は、数多くのヒット曲を出し昭和の人々に愛されました。

自らが家元となった「民謡三橋流」では、門下生に千昌夫や細川たかし、石川さゆりなどがいたことでも有名です。

民謡がスタートの三橋美智也でしたが、白川軍八郎に三味線を習い「津軽じょんがら節」などを数々の舞台で披露して、津軽三味線を広く世間に知らしめることに成功しました。

その後も様々なスターが生まれましたが、2000年代には音楽もグローバル時代となりました。

世界中の多くのミュージシャンとコラボして、新しい津軽三味線の世界を作り出しファンは全世界に広がっています。

代表的な演奏家は、何と言っても吉田兄弟、そして津軽三味線全国大会歴代A級チャンピオンの木乃下真市(きのした しんいち)、津軽三味線全国大会で2連覇した上妻宏光(あがつま ひろみつ)と言えるでしょう。

津軽三味線を習いたいなら

もし津軽三味線を習いたいと思ったのなら、まずは先生を探しましょう。津軽三味線は、長唄や箏曲と比べてお稽古事としての歴史は浅いですから、先生を探すのは難しいかも知れません。

先生が少ないことで「三味線なら何でも同じ。取りあえず、何かの三味線を習おう」と思う方は、慎重に考えては如何でしょうか?

津軽三味線は撥のあて方や構え方も他の三味線とは違うのです。

また「やっぱり津軽三味線を習いたい」と思った場合は、三味線も撥も購入し直さなくてはいけません。時間とお金が無駄になることもありますから、注意して下さい。

今は町のお稽古場だけでなく、様々なカルチャーセンターでも津軽三味線教室を見つけられる時代となりました。

気になる教室があれば、一度見学や体験に行っても良いでしょう。

また、お稽古場の発表会を聞きに行くのも一つの方法です。指導者の演奏や他の生徒さんの雰囲気も分かるのでおすすめします。

自分の心に響く教室に巡りあえたら素敵ですよね。

和楽器のお稽古は細く長く続けるのがポイントですから、「これっ!」という出会いがあったら是非チャレンジしてみましょう。