自宅の戸棚にひっそりと佇む、こけし。
従来のそんなイメージを超え、今「こけし」が30代女性を中心に新たなブームとなっています!
戦前から戦後にかけ、何度かブームを巻き起こしてきたこけしですが、2010年頃から「第三次ブーム」が来ているといいます。
その熱は10年経った今でも冷めることなく、むしろ年々加熱しているのだそう。
実は、海外からも「クールジャパン」を体現する商品として、こけしが人気急上昇中なんです!
そこで、今回はこれまでのこけしの歴史について、その成り立ちや由来、特徴にフォーカスしてみました。
こけし文化の成り立ち
こけしは江戸中期より後、東北地方の山深い温泉地で誕生しました。
手足はなく、円筒形の胴体に球体の頭が乗っている木の人形は、木工用のロクロを回して木工製品を作る、木地師たちの手によって作られました。
諸説ありますが、この木人形「こけし」は温泉地へ湯治に来る人たちのお土産、特に子どもたち向けのおもちゃとして広く製作されるようになったといわれています。
例えば、東北地方固有の信仰に関係して制作されたという説や、この地域で作られてきたおしゃぶりなどの玩具が変化したという説などなど…。
その誕生にはまだ分からないことが多いのですが、東北地方の風習や文化が深く関わっていることだけは確かだといえます。
一 時衰退したこけしが再び復活
江戸時代末から明治時代の終わり頃までは、おもちゃとしてその存在が認められていたこけし。
しかし、大正時代に現れたキューピー人形などの新しいおもちゃにその座を奪われてしまいます。
一方で、こけしは子供のおもちゃとしてだけでなく、鑑賞したりコレクションしたり、大人が楽しむ美術品としての価値も高まり始めます。
東京や大阪、名古屋などでは、コレクターの間で骨董品として取引されていたという話も。
昭 和初期:天江富弥著作による第一次こけしブームの到来
そして、昭和3年(1928年)、日本初のこけし関連書籍「こけし這子の話」(天江富弥)が出版されます。
この出版を契機に、こけしの民芸品、美術品としての価値が一気に高まることとなり、第一次こけしブームが到来します。
高 度成長期の影響からの第二次こけしブーム
その後、第二次世界大戦で敗戦した日本は、国を挙げて復興をめざし、高度成長期を迎えます。
すると、人々の生活に潤いが生まれ、旅行を楽しむ余裕も出てきたのでしょう。
東北地方を旅したお土産として、こけしを買い求める人が増え始めます。
この頃が第二次こけしブームと位置づけられています。
平 成に入り、女性を中心とした第三次こけしブームが始まる
さらに平成22年(2010年)頃から「こけし女子」が現れ、女性を中心とした第三次こけしブームが始まり、現在に至ります。
こけしの名前の由来
ところで、「こけし」という愛くるしい名前はどこから来ているのでしょう。
実はこちらもさまざまな説があり、これ!と決め手になる語源はありません。
さまざまな産地で作られていたため、場所により呼び名も異なっていました。
木で作った人形を意味する「木地人形こふけし(こうけし)」という呼び方は、江戸時代から宮城県の鳴子周辺であったという記述が残っています。
他にも、木で作った人形を意味する、木偶から来ている「きでこ」、ハイハイ人形を連想させる這子が語源の「きぼこ」という呼び名も。
また、頭部の形が芥子の実の形に似ているから、ともいわれています。
現在の呼び名である「こけし」は、昭和15年(1940年)に、こけし研究家や工人たちによって統一名称を決められたものだそうです。
部屋の中にひっそりとたたずみ、独特な表情をたたえるこけし。
そのなんともいえない魅力にひかれ、こけしをコレクションする「こけ女(こけし女子)」も増えているといいます。
また、古くからつくられてきた伝統的なこけしだけでなく、モダンで新しい創作こけしや近代こけしも人気を集めています。
こけしの作者、木地師とは?
ロクロを使ってお椀やお盆などの木工品を作ってきた木地師たち。
奈良時代には、ロクロを使って木製の小さな塔を作っていたそうです。
これは称徳天皇が経典(陀羅尼経)を納める入れ物(塔婆)として作られ、百万塔と呼ばれました。
その後も国からの依頼で祭具などを中心に作っていた木地師たちですが、奈良時代から平安時代へと時は移り、仕事も減少していきます。
そこで彼らは、新たな仕事先を探し、全国各地へと移動します。
木地師たちはより良好な材料、木材を求めて日本全国に散らばります。
関東から東北地方、さらに四国、九州まで。
しかし、山奥で職人たちだけが百万塔のような祭具や神具を作っていても、商売にはつながりませんでした。
そのかわりに、人が多く訪れる湯治場は、お土産品としてのこけしを売る場所としては最適だったのでしょう。
山深く木々が多い湯治場周辺にも、集落を作っていくのです。
伝 統こけしを製作する職人「こけし工人」
現在、伝統こけしを製作する職人たちは、「こけし工人」と呼ばれています。
木地師の流れを汲む工人もいれば、そうでない工人もたくさんいます。
こけし愛好家の中でも熱烈なファンが多く、絶大な人気を誇る伝説のこけし工人「今晃」をご存知ですか!?
今晃は洞窟で暮らしていた(?)ともいわれていますが、その経歴は謎に包まれています。
そこで、伝説のこけし工人・今晃が歩んできた道をたどりながら、謎に包まれている経歴を紐解いてみましょう!
東北の温泉地を中心に発展し、古くから日本人に親しまれてきたこけし。
こけしの起源には諸説あり、原型ともいわれる最古のものは、今から1300年以上前の奈良時代に作られていたという説もあります。
江戸時代後期には、子どもの顔や、さまざまな模様をほどこした木の人形が作られるようになります。
代表的な伝統こけしの歴史
東北地方で生まれ、温泉のお土産として親しまれてきたこけし。
昔から伝わるこけしは伝統こけしといわれ、東北地方だけでも11系統のグループに分けられます。
すぐ近くのエリアのこけしでも、グループによって形状や描彩も異なります。
次は、代表的な伝統こけしの歴史と特徴についてご紹介します。
土 湯こけしの歴史
まずは福島県福島市にある土湯温泉を故郷に持つ「土湯こけし」から。
土湯こけしは、遠刈田、鳴子と合わせて「三大こけし」として知られるこけしです。
キイキイとかわいい音がするはめこみ式のこけしで、頭は小さめ。
スリムな胴体に縞模様のロクロ線が特徴的です。
土湯温泉観光協会によると、土湯に木地師たちが集まってきた歴史には、次の三つの説があるということです。
1. 戦国時代の武将・蒲生氏郷が、天正19年(1591年)に会津に配置換えされた際、近江木地挽きの職人を伴っていたという説
2. 寛永8年(1634年)に江戸時代初期の大名であるが、やはり木地の職人を連れてきた説
3. 前の二つの説以前から、会津の木地屋が高森の集落に伝えていたという説
諸説ありますが、いずれにせよ土湯こけしは非常に古くからあることが分かります。
そんな土湯こけしをさらに詳しく知りたいという方のために、土湯こけしを知ることのできる場所をご紹介します。
土湯こけしを知ることのできるスポット
・土湯温泉 観光交流センター 湯夢舞台(ゆめぶたい)
令和元年(2019年)にオープンし土湯温泉の玄関口ともいわれる「土湯温泉 観光交流センター 湯夢舞台」には、土湯こけしはもちろん、東北各地のこけし約3,000体以上が展示されています。
土湯こけしの“絵付け体験”では、『王道!本格は土湯こけし』(970円)、『マスコットこけし♪』(600円)の2種類から選択できますよ。
福島県福島市土湯温泉町字坂ノ上27-3
(024)572-5503
・西田記念館
「西田記念館」では、こけしコレクター西田峯吉氏のコレクションを見ることができます。
土湯系以外のこけしもあります。
福島県福島市荒井横塚3-183
JR福島駅下車→福島交通バス(土湯温泉行き)→自治研修センター下車→徒歩15分
福島西IC 10分 駐車場有り(無料)
(024)593-0639
遠 刈田こけしの歴史
頭はさしこみ式、スリムな胴体が特徴の「遠刈田こけし」。
木目模様が美しく、手で描かれた菊花や梅が豪華なデザインです。
華やかさは、こけしの中でも群を抜いています。
頭のてっぺんから耳の横にかけ、赤い放射線状の模様があり、髪はおかっぱ。
三日月で切れ長の目がうっすら笑っているような、なんともいえない優しいお顔。
これも遠刈田こけしならではの特徴です。
遠刈田こけしが発展したのは、遠刈田温泉、青根
こけしを作る木地師が東北に入ったのは、天正18年(1590年)と伝えられています。
宮城県の伝統こけしにおいて、最も発生年代が早いと推測されており、こけし発祥の地ともいわれています。
遠刈田こけし知ることのできるスポット
・みやぎ蔵王こけし館
「みやぎ蔵王こけし館」は、こけしロクロまつり、蔵王高原アート&クラフトなどのイベントを主催しています。
もちろん、絵付け体験もできます。
宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉字新地西裏山36-135
仙台駅前33番乗り場より高速バス70分
宮城交通バス「遠刈田湯の町バス停」より徒歩10分
(0224)34-2385
弥 治郎こけしの歴史
胴体よりも頭が大きく、ロクロによる太い幅の色帯が特徴的な「弥治郎こけし」。
頭部はさし込み式や、はめ込み式で胴と繋がっています。
上からこけしを見下ろすと、ロクロで描彩された二重、三重の輪がまるでベレー帽のよう。
モダンな味わいを持ったものが多いのが、弥治郎こけしの特徴となっています。
制作の中心地は宮城県白石市、鎌先
新山家の祖先で弥治郎という人が現在の山形県からやってきて、集落が作られたと言われています。
弥治郎で木地挽きが始まったのは木地が挽業が 行われ始めたのは、村が作られてから後の18世紀以降とされています。
遠刈田こけしから分かれて作られるようになったといわれています。
弥治郎こけしを知ることのできるスポット
・弥治郎こけし村
「弥治郎こけし村」には絵付け体験の他、村の歴史やこけしが展示されています。
平成30年(2018年)5月にリニューアルされ、より見やすくなったと評判です。
宮城県白石市福岡八宮字弥治郎北72-1
東北自動車道白石I.Cから車で15分
(0224)26-3993
津 軽こけしの歴史
「津軽こけし」は、作りつけという製法で一本の木から作られているのが特徴。
胴に描かれた模様は、ねぶた絵からモチーフを得ているといわれています。
おかっぱ頭で、くびれた胴体と足元が裾広がりになっているこけしが多くみられます。
青森県黒石市にある温湯
大鰐
東北各地にあったこけしの原型である子どものおしゃぶり、民間信仰の対象となる人形が津軽へと伝わり発展していきました。
とはいえ、こけしとして発展するまでには時間を要することになります。
こけしに息吹を与えたのは、名工・盛秀太郎
大正3年(1914年)頃から、温湯こけしの存在を広めていきます。
従来の徒弟制度に縛れることなく、自由なこけしづくりを行うことでも知られました。
そのスタイルが、東北でも他に類を見ない個性的な津軽こけしを生んだのだと伝えられます。
津軽藩の家紋である牡丹の花があしらわれたこけしもあり、津軽という土地への愛が感じられるこけしが多数制作されています。
津軽こけしを知ることのできるスポット
・津軽こけし館
日本一のジャンボこけしがシンボルの「津軽こけし館」では、絵付け体験の予約ができます。
全国に発送できる通販も行っているので、現地を訪れなくてもお気に入りのこけしが手に入ります!
隣接する津軽伝承工芸館のレストランではお食事も可能。
こけし以外の津軽名物も堪能できるので、ぜひこけし館と合わせて行ってみてください。
青森県黒石市大字袋字富山72-1
東北自動車道の黒石インターチェンジより十和田湖方面へ車で10分。
弘南鉄道黒石駅から弘南バスに乗車 30分
JR弘前駅から弘南バスに乗車 60分
(0172)54-8181
なおタクシーの場合津軽こけし館定額タクシープランがあるとのこと。
津軽こけし館ブログに詳細があります。
・道の駅虹の湖「虹の湖公園」
初めて見るとびっくりするような、大きなこけしのローラーすべり台がある、とっても楽しい公園が、道の駅虹の湖「虹の湖公園」です!
道の駅も併設しており、地域の特産品を買うこともできます。
青森県黒石市大字沖裏字山神1-5
黒石駅より弘南バス大川原・温川線(板留経由)に乗車し、「虹の湖」で下車 40分
車の場合、黒石ICより15分
(0172)54-2348
そのほか、ワゴコロでは以下の伝統こけしの特徴や歴史についてご紹介しています♪
東北を中心に作られてきた伝統こけしですが、中でも最も生産が盛んな県はどこかご存知ですか?
答えは「宮城県」。
宮城県には伝統こけし11系統のうち、鳴子系・遠刈田系・弥治郎系・作並系の4系統があります。
この記事では、宮城県内のそれぞれのこけし産地の特徴と、こけしを見たり購入できたりするスポットをご紹介します!
宮城県に続き、2番目にこけしの産地が多い山形県には、蔵王系・山形系・肘折系の3系統の伝統こけしが存在します。この記事では、山形県内の産地ごとの伝統こけしの特徴をご紹介すると共に、こけしを買えるお店やこけしに出会える温泉宿をご紹介します♪
皆さんは、「こけし女子」略して「こけ女」をご存知ですか?
こけしの第一次ブームは昭和の初め頃、第二次ブームは戦後の高度成長期に起こりました。
そして第三次が「こけし女子」を生み出した2010年からのブームです。
創作こけしの歴史
東北地方で生まれ、主に師弟の間で受け継がれてきた伝統を持つ伝統こけし。
「こけし」といえば伝統こけしのことを指しましたが、第二次世界大戦以降から別のこけしが生まれ、広まっていきます。
それが「創作こけし」と呼ばれる、観光地のおみやげとして作られたこけし(新型こけし)たちのことです。
創作こけしは旧来の伝統の枠に囚われず、職人の自由な発想、現代的な感覚をもとに作られた作品が数多く存在します。
群 馬の創作こけしの歴史
中でも群馬県は、創作こけしの一大産地となっています。
「群馬のこけし」は、木のおもちゃ作りから始まったといわれています。
その歴史は遡ること、明治43年(1910年)、現在の前橋市総社
総社町は材料が豊富なうえ、ロクロの技術も進化し続け、戦後は量産できるお土産こけしの生産が盛んになりました。
そして、その技術を生かし、当地ならではのこけし作りも始まっていくのです。
従来のこけしとは異なり、男女一組になっているこけしやカッパこけし、子守こけし等など、ユニークなこけしが作られるようになります。
昭和20年頃(1940年代)には、「創作こけし」として人気を集めていくことに。
そのため、前橋市総社町エリアこの一帯は「創作こけし発祥の地」と呼ばれています。
昭和32年(1957年)には群馬県こけし協同組合が設立され、創作こけしは群馬県の名産品の一つとなっていきます。
その後、創作こけし作りの中心は、前橋市から渋川市周辺に移りつつあります。
日本の民芸品として愛されてきたこけし。
そのこけしは、大きく2つのタイプに分けられることをご存知しょうか?
こけしといえば、江戸時代後期の文化文政時代(1804-1830年)あたりから、東北の土産物として作り続けられている「伝統こけし」が有名です。
創作こけしを知ることのできるスポット
・卯三郎こけし
創作こけしで知られる「卯三郎こけし」。
自由な作風で多くのこけしファンを魅力していますが、ミッキーやミニーなどディズニーの人気キャラクターこけしや、ディックブルーナのミッフィー(うさこちゃん)こけしなどが特に人気です。
群馬県北群馬郡榛東村長岡1591
JR八木原駅からタクシーで10分
(0279)54-6766
卯三郎(うさぶろう)こけしとは、スヌーピーなどの人気キャラクターとのコラボこけしで、若い人たちや海外の方からも大人気の、群馬県の創作こけしの工房です。この記事では、そんな卯三郎こけしの歴史や魅力を詳しく解説していきます。
ワゴコロでは、卯三郎氏のお孫さんが手掛ける“kokechi(こけち)”の記事もご紹介しています。
近年、第三次こけしブームが加速する中、注目を集めているのが【kokechi】のこけしです。
この記事では、kokechi(こけち) の特徴や魅力、どのようなこけしがあるのか、卯三郎こけしとはどのような繋がりがあるのかなど、kokechiについて詳しく解説していきます。
・渋川市
「全国創作こけし美術展in渋川」を毎年開催しています。
令和元年(2019年)8月には渋川市とこけし人形会が連携し、渋川駅前プラザ二階にこけしを常設展示するギャラリーをオープン。
「全国創作こけし美術展in渋川」、「渋川駅前プラザ」の情報は渋川市役所HPで最新情報を見ることができます。
渋川市役所
群馬県渋川市石原80
(0279)22-2111
おわりに
日本人の心に響き、どこか琴線をくすぐるこけしたち。
地域によってさまざまな歴史を持ち、それぞれ別の個性があるのが興味深いですね。
産地を訪れ、ぜひ手にとってその魅力を堪能してみてはいかがでしょうか。
部屋の中にひっそりとたたずみ、独特な表情をたたえるこけし。
そのなんともいえない魅力にひかれ、こけしをコレクションする「こけ女(こけし女子)」も増えているといいます。
また、古くからつくられてきた伝統的なこけしだけでなく、モダンで新しい創作こけしや近代こけしも人気を集めています。
ふっくらした胴体に慎ましやかな表情…。日本の伝統工芸品の一つであるこけしは、私たちをどこかホッコリとさせてくれる郷土人形です。今回は、伝統こけしの中から遠刈田こけしの雑貨を、また創作こけしからは、楽しく可愛い卯三郎こけしをご紹介します!
江戸時代中期以降から東北地方の温泉地を中心に、湯治客への土産物として製作されるようになったロクロ挽きの木製人形である「こけし」。
昔はどのご家庭にも1体はあったのではないでしょうか?
最近のご家庭では見る機会が減っているものの、さまざまなデザインのものが製作されるようになったことから、近年注目を集めています。