日本には多くの種類の織物があります。
どの織物も素晴らしい技術を使って織られますが、その中でもこの記事では国によって伝統的工芸品に指定されている38種類の織物を紹介します。
材料や織り方、染め方など、地域の特性を生かして織り出される布は、どれも独特な個性があるので比べてみると楽しいかも知れません。
織物とは、経糸と緯糸を交差させて作る布地のことをいいます。日本の織物は、古くから受け継がれる伝統的な手法によって職人の手で一つずつ丁寧に作り上げられる、非常に奥深い工芸品です。この記事では、織物の種類や歴史など、日本各地の織物についてご紹介します。
北海道・東北地方
二風谷アットゥシ織(北海道)
二風谷アットゥシ織は、アイヌ文化を継承し続ける北海道二風谷地区で織られている樹皮布です。
「アットゥシ」とはアイヌの代表的な衣服のことで、オヒョウや科の木の繊維から織られます。
原料となる木の樹皮を剥いだあとは、内側にある靱皮を似て柔らかくしたり、細かく裂いたりしながら一ヶ月ほどの長い時間をかけ糸を作ります。
その後はアットゥシカラぺと呼ばれる原始的な手織機で糸が切れないように水で湿り気を与えるなどしながら織っていきます。
日本列島の最北端に位置し、都道府県の中では最も広い面積を持つ北海道。周囲を太平洋・日本海・オホーツク海の三海に囲まれた、世界有数の漁場です。この記事では、経済産業大臣によって北海道の「伝統的工芸品」として指定されている、二風谷イタ、二風谷アットゥㇱをご紹介します。
奥会津昭和からむし織(福島県)
奥会津昭和からむし織は、福島県大沼郡昭和村で生産される織物です。
この地域では非常に質の良いからむし(苧麻)が採れ、製品に合わせて太さを変えて糸が紡がれていきます。
麻織物のようにも見えますが、麻よりもハリがあるのが特徴です。
置賜紬(山形県)
置賜紬は、山形県米沢市・長井市・白鷹市で作られる織物の総称です。
江戸時代中期、財政確保と農民の自立を目的として、米沢藩主・上杉鷹山によって紬織が推奨されたことから本格的に織物が生産されるようになりました。
作られる地域によって技術が異なりますが、いずれも平織で素朴な風合いが魅力となっています。
どの織物にもそれぞれ特色があり、どれも緻密な作業を重ねて作られます。
羽越しな布(山形県・新潟県)
羽越しな布は、山形県・新潟県で生産される樹皮布で、文字通り科の木から織られます。
しな織は古代から織られてきた布の一つで、延喜式※にもその存在が確認できるほど古い歴史があります。
時代とともにしな布の需要が低下していく中、その伝統を受け継いでいるのが羽越しな布なのです。
羽越しな布は樹皮布の素朴な手触りや丈夫さ、耐水性などが特徴で、20以上の工程から作られます。
※延喜式:延喜5年(905年)、藤原時平など11名によって編纂を開始された古代法典。
関東地方
結城紬(茨城県・栃木県)
結城紬は、茨城県・栃木県を主な産地として生み出される絹織物です。
真綿から手紡ぎして作られる糸を使った結城紬は、軽くて暖かいことが魅力であり、現在「最高級の紬」といわれています。
そう言わしめるほどの繊細な柄は、居座機で丹念に織ることによって実現するのです。
細やかな模様を織り出すためには糸の染色作業も重要で、手括りという技法を使い、手作業によって染められていきます。
また、結城紬は他の産地とは異なり、経糸が太く、緯糸が細いという特徴があるため独特の風合いを持っています。
【豆知識】
「結城紬は真綿から作られる絹織物」と聞いて、“え?綿なのに絹織物?”と思った方もいるのではないでしょうか?
もともと“綿”とは繭からできた真綿(絹の一種)のことを指していたのですが、江戸時代以降にアオイ科の植物・ワタから採取できる木綿が流通し一般化する中で、木綿に対して本当の(真の)綿であるという意味で真綿と呼ばれるようになったそうです。
結城紬とは、茨城県結城市周辺と、隣接する栃木県小山市、下野市などで生産される絹織物です。特に名前にも冠される結城地方は、主要な生産地の一つである集落を「蚕守」、鬼怒川を「絹川」と表記した時代があるほど、養蚕産業が盛んな土地柄でした。この記事では、結城紬の特徴や歴史、種類、制作工程などをご紹介します!
筑波山や霞ケ浦など、自然豊かな茨城県。そんな茨城県では、何百年も前から受け継がれてきた技術で作り上げた、40品目以上の伝統工芸品が存在します。この記事では、経済産業大臣によって茨城県の「伝統的工芸品」として指定されている結城紬、笠間焼、真壁石燈籠をご紹介します。
ユネスコ世界文化遺産に登録された日光東照宮や、歴史的な寺社を多く持つ栃木県。関東地方の北部に位置し、鬼怒川温泉や那須塩原は観光地としても人気があります。この記事では、経済産業大臣によって栃木県の「伝統的工芸品」として指定されている益子焼、結城紬をご紹介します。
伊勢崎絣(群馬県)
伊勢崎絣は、群馬県伊勢崎地方で作られる絹織物です。
伊勢崎地方では古くから農家の自家用として布が織られてきましたが、それが江戸時代に人々の間で人気となり広まっていきました。
伊勢崎絣の特徴は、なんといっても多様な絣技法で生み出される絣柄。
技法には、括り絣、板締絣、併用絣、緯総絣 …などさまざまなものが存在し、それにより複雑な模様も表すことができます。
桐生織(群馬県)
桐生織は、群馬県桐生地方の絹織物の総称です。
この地域での織物の歴史は古く、奈良時代初期にはすでに絹織物が作られていたことがわかっていて、江戸時代には幕府の直轄地ともなり、技術が非常に発達しました。
そんな桐生織の特徴の一つには、多様な技法があります。
技法は、お召織り・緯錦織り・経錦織り・風通織り・浮経織り・経絣紋織り・綟り織りの7つ。
桐生は大織物産地であった京都西陣と並んで、「西の京都、東の桐生」と呼ばれるようにもなりました。
関東地方の北西部に位置する群馬県は、草津温泉を代表に、100か所以上の温泉地を有する温泉大国です。平成26年(2014年)には、“富岡製糸場と絹産業遺産群”が世界遺産に登録されました。この記事では、その中でも経済産業大臣によって群馬県の「伝統的工芸品」として指定されている伊勢崎絣、桐生織をご紹介します。
秩父銘仙(埼玉県)
秩父銘仙は埼玉県秩父地域で織り出される絹織物で、丈夫で着やすいことが魅力。
また、経糸が「ほぐし捺染」という技法で染められるのが特徴の一つです。
ほぐし捺染とは、仮織りした経糸に型紙を当てながら捺染する技法で、一度仮に織ったものをほぐしてから織るので、「ほぐし」の名が生まれました。
村山大島紬(東京都)
村山大島紬は、東京都武蔵村山市とその付近で織り出される絹織物です。
村山大島紬は、地厚の絹織物である「砂川太織」と錦織物の「村山紺絣」が融合して生まれました。
「大島紬」は奄美大島の織物ですが、「村山大島紬」は似た雰囲気を持っていながら染め方などに違いがあります。
村山大島紬は“板締め”と“摺込捺染”という技術を併用して糸を染めることから、大島紬よりも安価に生産でき、広く庶民に愛用されてきました。
柄としては草花や幾何学模様が中心でありながら、常に時代に合わせた感覚を取り入れる工夫がなされています。
本場黄八丈(東京都)
本場黄八丈は、東京都八丈島で織られてきた絹織物です。
黄八丈は、八丈島の草木で染色された糸で織られ、その色は黄・黒・樺色の三色しかなく、シンプルな柄が多いです。
また染色技術の高さから「孫の代まで色褪せない」ともいわれています。
多摩織(東京都)
多摩織は、東京都八王子市を中心とした多摩地方で生産される絹織物の総称で、渋めの色使いと、軽くてシワになりにくいのが特徴です。
実用性があるので生産量も多く、小物やネクタイなど時代に合わせてその用途は広がっています。
この地は、万葉集に
“多摩川に さらす手作り さらさらに 何ぞこの児の ここだ悲しき”
訳)多摩川にさらしている手作りの布のように、ますます、なんでこの子はこんなにも愛おしいのだろう
という歌があることからもわかるように、もともと奈良時代から織物の生産地でした。
それが明治時代以降、文明開化の影響により技術が急速に発展し、さまざまな織物が織り出されるようになりました。
中部地方
塩沢紬(新潟県)
塩沢紬は、新潟県南魚沼市周辺で織られる絹織物で、麻織物である越後上布の技術をもとに織られています。
その魅力は、十字絣など細かな絣柄と渋めの色で、着物として身に付ければ上品な印象を与えます。
また、継承者が減り生産数が極めて少ないことから、“幻の紬”ともいわれています。
本塩沢(新潟県)
本塩沢は、新潟県南魚沼市周辺で生み出される絹織物で、「塩沢お召し」とも呼ばれ、しぼと細かな絣模様が特徴です。
緯糸に強い撚りをかけることにより、サラリとした”しぼ”※の感触を実現します。
※しぼ:生地表面の細かい凸凹のこと。
【豆知識】
「本塩沢」と「塩沢紬」。
名前が似ているので同じ織物だと間違われやすいのですが、全くの別物です。
本塩沢は緯糸に強い撚りをかけた平織でサラリとした手触りであるのに対して、塩沢紬は経糸に生糸を緯糸に真綿の紬糸を使った織物なのでザラリとした手触りになります。
小千谷縮(新潟県)
小千谷縮は新潟小千谷市周辺で生産される麻織物です。
豪雪地帯生まれた小千谷縮は、冬場耕作ができない際の副業として発展しました。
冬場の大切な収入源ですから、なるべく高く売れるように技術が向上していき、上質な麻織物になったとか…。
その特徴として挙げられるのは、「湯もみ」と「雪さらし」 。
お湯の中で布をもみ込む「湯もみ」によって特有の”しぼ”が生まれ、雪国という地域性を生かした「雪さらし」によって布の不純物が落ち、布はより白く、色も鮮やかに染まるようになります。
ユネスコ無形文化遺産「小千谷縮・越後上布」とは、新潟県の塩沢・小千谷地区で、古来より伝わる手織機の「いざり機」で、地面や床に座って織る麻織物のことです。今回は、小千谷縮・越後上布の貴重な技法が、ユネスコ無形文化遺産に登録された理由やその後の変化、魅力などを余すところなくお伝えしていきます。
ユネスコは、国際連合教育科学文化機関(United Nations Educational Scientific and Cultural Organization)のことです。本記事では、日本で登録されているユネスコ無形文化遺産を一覧でご紹介します。
小千谷紬(新潟県)
小千谷紬は、新潟県小千谷市周辺で織られる絹織物です。
小千谷縮の技法を使って織られていて、素朴な雰囲気があるため、いまでも比較的気軽に用いられることが多いです。
また、緯糸のみで紋様が織られることも特徴の一つとされています。
十日町絣(新潟県)
十日町絣は、新潟県十日町市周辺で織られる絹織物で、越後縮 (小千谷縮)の技法が絹織物に応用されたことにより生まれました。
繊細な絣模様が絹の光沢と合わさって、上品さを醸し出します。
十日町明石ちぢみ(新潟県)
十日町明石ちぢみは、新潟県十日町市周辺で作られる絹織物です。
十日町明石ちぢみは繊細な薄手の織物のため高度な技術が求められ、その繊細さから“幻の蝉の翅”ともいわれています。
緯糸には強い撚りをかけるため、不純物のない繭の真ん中部分のみを使用して織りあげられます。
牛首紬(石川県)
牛首紬は石川県白山市白峰で織られている絹織物です。
牛首紬の名は、白峰が明治時代初期までは「牛首村」という名だったことに由来します。
牛首紬の特徴は何といっても「玉繭」を使って織られるということ。
玉繭とは二頭の蚕が作った繭であり、生糸を作ることができないため屑繭(使えない繭)とされていましたが、玉繭で織った布は非常に丈夫で、釘に引っかかっても破れないと人気を博しました。
また、通常は真綿にしてから糸を紡ぐところ、牛首紬は玉繭から直に糸が作られることも特徴です。
玉繭から作られる玉糸の太い繊維と、特有の節が生み出す独特な手触りは、牛首紬の大きな魅力です。
霊峰白山の麓、石川県白山市で800年以上に渡って伝え継がれている「牛首紬」をご存知でしょうか?牛首紬は、特殊な繭を使い、昔ながらの手仕事で織られており、日本の三大紬の一つにも数えられています。この記事では、牛首紬の歴史や伝統的な製法、独特の風合いや魅力をご紹介します。
信州紬(長野県)
信州紬は、長野県全域で作られている絹織物です。
生産される地域により独自性があり、呼び名もその地域に沿ったものに変わります。
二度と同じ色は作り出せないといわれる草木染めの技法で染め上げられた手紬糸を、手機を使い一反一反織っていくため、一点物の反物が生まれます。
渋い、深みのある光沢が特徴です。
近畿地方
近江上布(滋賀県)
近江上布は、滋賀県東近江市、愛知郡愛荘町、犬上郡多賀町で織られる麻織物です。
この地方は高温多湿であるため、乾燥に弱い麻織物を織るのには最適です。
また、江戸時代には蚊帳として多く用いられたことなどから、庶民に馴染みの深い織物でした。
近江上布には「生平」と「絣上布」の2種類があります。
絣は櫛押し捺染という近江独特の技法で先染めされた糸を使い、生平は手績糸(手作業で作られた麻糸)を地機で織るという、どちらも特徴的な製作方法がとられます。
西陣織(京都府)
西陣織は、京都府京都市の北西部で織り出される絹織物です。
金糸などを織り込んだものなど、豪奢な織物がイメージされやすい西陣織ですが、西陣織には絣や縞などさまざまな種類があります。
京都市北西部の一帯を指す「西陣」は、日本だけでなく世界でも織物の産地として知られています。
「染の着物に織りの帯」という言葉がありますが、織りの帯でも品格が高いといわれているのが西陣織の帯です。
そんな日本を代表する織物である西陣織とはどんなものなのか、その魅力や特徴をご紹介します!
中国・四国地方
弓浜絣(鳥取県)
弓浜絣は、鳥取県米子市から境港市までの地域で織られる木綿の絵絣です。
もともと、この地域は「伯州綿」という良質な木綿の産地でした。
そこに江戸時代後期、絵絣の技法が四国から伝えられてきて弓浜絣は誕生しました。
弓浜絣は、種糸(絣糸を作るときに目印になる糸)を用い、染色を施すことによって季節や生活の中で見えるさまざまな図柄を表現します。
染色のもう一つの方法として、型紙から糸に絵柄を写すという方法もあり、これらの方法によって細かな模様でも表すことが可能になっています。
また、経糸紺一色のものを使用し、緯糸のみで図柄を織り込んでいく為、曲線の絣模様も織り出すことができるのです。
阿波正藍しじら織(徳島県)
阿波正藍しじら織は、阿波で生み出された清涼感のある木綿織物です。
まず、しじら織とは、糸の張り伸びる力が均一でないことを利用して生み出される独特な細かな波状のシワのある織物のことを言います。
このシワのことを「しぼ」と呼び、阿波正藍しじら織は経糸の本数を変えることによってその模様が作られます。
阿波特産の藍で染められた爽やかな藍色と、しぼによって体に触れる面積が減り着心地が良いことなどから、夏用衣服として重宝されてきました。
日本における藍染とは蓼科の藍という植物“蓼藍(たであい)”を使った染め物のことです。この記事では、藍染とはどのようなものか、藍染の歴史や作り方、藍染の作品のほか体験できる場所などをご紹介します!
九州・沖縄地方
博多織(福岡県)
博多織は、福岡県博多地域で生み出される絹織物で、帯地として知られます。
博多織は大きく分けて仏具の一種である独鈷柄の「献上博多」と、多彩な模様を織り出す「紋織博多」の2種類があります。
特に「献上博多」では密度の高い経糸と、太めの緯糸を強くかたく織り込むことにより、帯を締めると"キュッキュッ"と絹鳴りがすることが魅力とされています。
また、柄は経糸を使い浮かして織り出すため、緯糸と比較して経糸を多く使用することも特徴の一つです。
久留米絣(福岡県)
久留米絣は福岡県久留米市を中心とした周辺地域で織られる綿織物です。
絣は江戸時代に庶民の衣服としてよく着られ、特に久留米絣は藍染なので丈夫で防虫効果もあり、その機能性の高さから愛好されました。
久留米絣は明治時代政府が奨励したことから急速に発展しましたが、粗悪品が出回ったため三つの条件を満たしたもののみが重要無形文化財に指定されました。
その条件は
①手括りによる絣糸を使うこと。
②純正の藍を使って染めること。
③投杼の手織り機で織ること
です。
これらの条件で織られた久留米絣は、木綿絣の最高級品といえます。
本場大島紬(鹿児島県)
本場大島紬は、鹿児島県奄美大島が発祥の地である絹織物です。
本場大島紬は泥染めという、奄美大島で行われている天然の染色方法が有名です。
この方法で染めると生地がしなやかになり色あせしにくく、またシワが付きにくくなるという特徴があります。
久米島紬(沖縄県)
久米島紬は、沖縄久米島で生み出される紬です。
柄は絣柄と講師柄で、染色により味わい深い色調と、手織りによる素朴な風合いを兼ね備えています。
江戸時代には江戸っ子に好まれ、「琉球紬」という名称で珍重されました。
基本の色は焦げ茶色・赤茶色・黄色・灰色・鶯色の5色で、植物の他、泥染によって染色されます。
織りあがった布は、砧打ち※をすることによって艶としなやかさを持つ布になります。
※砧打ち:織物をたたんで綿布を作り、石にのせ大きな杵で叩くこと
宮古上布(沖縄県)
宮古上布は沖縄県宮古島で織られる麻織物です。
原料である苧麻を毛髪より細くしてから繊細な絣柄に織られます。
糸は琉球藍(泥藍)で染められるのですが、沖縄本島の染め方とは異なるため宮古島ならではの味が出ます。
また、この染の作業は染色→乾燥という工程を40回ほど繰り返して深い藍の色を表します。
そして染め上げた細い糸で織られる宮古上布は織る際にも慎重になるため、今日でも高級な夏の着物として市場に出回ります。
読谷山花織(沖縄県)
読谷山花織は、沖縄県読谷村で織られる紋織物です。
読谷山花織は、絹や木綿を使用した織物で、染料はフクギや車輪梅などの読谷山周辺で採取できる植物が用いられます。
刺繍などによって表される模様は、願いの込められた三つの幾何学模様
① ジンバナ(銭花)…お金をかたどった柄。裕福。
② オージバナ(扇花)…末広がりの扇柄。子孫繁栄。
③ カジマヤー(風車)…風車柄。沖縄地方で行われる数え年97歳の長寿の祝い。長寿。
を基本にして、それらの組み合わせによって多様な紋様を表します。
また、浮織の技法が用いられ立体的になった模様は、独特な風合いを生み出します。
読谷山ミンサー(沖縄県)
読谷山ミンサーは、沖縄県読谷村で生産される紋織物です。
ミンサーの「ミン」は“綿”、「サー」は“狭”を意味し、つまりミンサーとは「木綿の小幅な帯」を表しています。
元々ミンサーは通い婚が一般的だった時代に、「足しげく通ってくれますように」という願いを込めて女性から男性に贈るものだったようです。
ミンサーは地域によって少しずつ特徴が異なっていますが、読谷山ミンサーは幅8cm、長さ280cmの花柄の細帯で、浮かしたい経糸を竹串ですくい上げて緯糸を通して模様を表現します。
琉球絣(沖縄県)
琉球絣は、沖縄県で織られる絣柄の織物です。
材質は、現在では絹が主流となっているものの、かつては木綿が主流でした。
この琉球絣は、日本の絣の元になったといわれています。
絣柄は、鳥や矢、風車など身近なものを図案化していき、それだけで約80種類もあります。
さらにそれらを組み合わせるため、何百種類もの絣柄が生み出されました。
首里織(沖縄県)
首里織は、琉球王国の首都であった首里(現在の那覇市北東部)で織り継がれてきた織物の総称です。
王家や貴族などの装いなどにも使用され、当時は首里の人にしか作ることが許されていないほど格調高い織物でした。
首里織とは、琉球王国の城下町として栄えた首里の地で織り継がれてきた織物の総称です。
紋から絣まで、さまざまな織があることも首里織の特徴の一つで、その制作方法もさまざまです。
王家や貴族などの装いや、位の高い人の官位としても用いられ、当時は首里の人にしか作ることが許されていない格調高い織物でした。
与那国織(沖縄県)
与那国織とは、沖縄県与那国島の織物の総称です。
日本最西端にある与那国島で織られる与那国織は材質も芭蕉・苧麻・木綿・絹などさまざま。
しかし、どれも南国らしい素朴な味わいのある布地です。
そんな与那国織の中でもよく知られるのが「与那国花織」。
与那国花織は、緯浮花織や両面浮花織という方法を使って裏表に文様が織り出されることもあり、裏地が付かない着物としても向いています。
また、同じ沖縄の花織である読谷山花織では刺繍で花模様を表すのに対し、与那国花織では、花または星と呼ばれる四角い点で花柄が織られることも特徴の一つです。
喜如嘉の芭蕉布(沖縄県)
喜如嘉の芭蕉布は、沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉で作られる、糸芭蕉の繊維を使用した織物です。
芭蕉布の特徴である、さらりとして肌につきにくい性質が沖縄の風土に合っており、沖縄の人々から愛されました。
王族の間ではさまざまに染めた芭蕉布が用いられましたが、糸を染めず繊維の色を生かした縞柄を作ることもあったそうです。
柄としては絣柄、縞柄、それらを組み合わせた柄等で、糸染には琉球藍とテカチ(車輪梅)が主に用いられます。
芭蕉糸自身の色と染料が調和した、素朴な風合いが魅力です。
八重山ミンサー(沖縄県)
八重山ミンサーは、沖縄県石垣市・竹富町で織り出される綿織物です。
八重山ミンサーの大きな特徴は柄。
五つ の四角と四つの四角の組み合わせによる絣柄には「いつ(五つ)の世(四つ)までも末永く」という想いが込められているのです。
八重山上布(沖縄県)
八重山上布は、八重山諸島で織られる麻織物です。
隣の宮古島で織られる宮古上布は「紺上布」と呼ばれる一方、八重山上布は白地の部分が多いことから「白上布」などと呼ばれてきました。
柄としては、白地に鳥や雲などを赤褐色や藍色の絣柄で表現します。
また、絣糸は摺込捺染で染められたものを使います。
織られた布は「海晒し」という伝統的な方法で漂白・絣の色素の固着が行われるなど、八重山ならではの手法がとられます。
知花花織(沖縄県)
知花花織は、沖縄県沖縄市知花で作られる織物です。
一度は戦争によって大きな被害を受け途絶えたものの、平成元年(1989年)に復元されました。
この知花花織は、かつて琉球王国だった時、税として納めるものではなかったため意匠が自由なことが特徴の一つとして挙げられます。
南風原花織(沖縄県)
南風原花織は沖縄県島尻郡南風原町を中心とした地域で織られている織物です。
南風原花織は、職人により複雑に織りあげられた立体感のある柄が特徴の一つです。
また、クワンクワン花織、ヤシラミ花織、タッチリー、チップガサーなど南風原花織にしか見られない独特な華やかさを持つ織りもあります。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
今日に伝わる織物の織り方や模様は、長い歴史の中、さまざまな背景で作られてきました。
また、伝統的工芸品に指定されている織物は、伝統を受け継いでいるため、機械の発達した今も手作業の部分も多く、織るのに時間がかかるものも多々あります。
一枚の布から、反物や帯、小物などさまざまな製品になり、私たちの手元に届くまでにたくさんの人の手がかかる織物。
手に入れたらずっと大切に使いたいですね。
日本には何十年、何百年も前から受け継がれてきた技術を用いた、伝統工芸品が数多く存在します。技術の革新により機械化が進み、安価で使いやすい商品がどんどん市場に出回っている昨今、手作業で作られる伝統工芸品は需要が少なくなり、追い詰められているのが現状です。
伝統工芸士とは、経済産業大臣指定の伝統的工芸品の製造に従事する技術者かつ高度な技術・技法を保持する職人のことであり、国家資格です。この記事では、なるにはどうしたらよいのか、伝統的工芸品の種類や伝統工芸士の資格・認定について、女性工芸士の活躍のほか、もっと伝統的工芸品に触れるために活用したい施設などをご紹介します。