人形浄瑠璃と聞くと、「お上品でお堅いもの」と敷居が高いように思う方も多いのではないでしょうか。

しかし、もともと庶民の娯楽だった人形浄瑠璃が、面白くないはずがありません。

現代を生きる私たちにも十分共感できる思いが人形に託されて、より熱く激しく、華麗に演じられます。

そこで、文楽を10倍楽しむために、代表的な作品のストーリーや見どころをご紹介します。

はじめに

浄瑠璃作品には歴史的事件や名高い武将を題材にした時代物と、庶民の事件や恋が描かれる世話物の2つのジャンルがあります。

豪華絢爛な衣装や舞台装置、虎が出てくる演出など派手な立ち回りがあり、煌びやかな世界が繰り広げられる時代物に対し、より写実的で細やかな情感が描かれるのが世話物です。

ここでは、時代物の中でもとりわけ有名で上演機会も多い『国性爺合戦こくせんやかっせん』、『菅原伝授手習鑑すがわらでんじゅてならいかがみ』、世話物からは人形浄瑠璃の中でも一番人気のある『曽根崎心中』、八百屋お七が主人公の『伊達娘恋緋鹿子だてむすめこいのひがのこ』を取り上げます。

『国性爺合戦』(「千里ケ竹虎狩りの段」~「楼門」)

近松門左衛門の代表作として名高い『国性爺合戦こくせんやかっせん』は、唐土(中国)を舞台に、中国人の父、鄭芝龍ていしりゅうと日本人女性の間に生まれた和藤内わとうないが、みん王朝を復興させようと大活躍する壮大な物語です。

五段の大作で、通しで上演すると、半日ほどかかってしまうため、近年では名場面の多い、二段目の「千里ケ竹虎狩りの段」から三段目の「楼門」という構成で上演されるのが通常です。

中国を舞台にした場面では、城主もお姫様も大きなえりが付いた異国風の衣装と、きらびやかな冠をつけて登場します。

主人公の和藤内も、紫地に太縄の格子模様の着物を大きなボタンで留めて着ています。

中国の王位継承という物語に対する興味と、異国情緒、派手な荒事(立ち回り)や大きな虎の人形の登場に、江戸時代の人々は拍手喝采。

大坂竹本座での初演時には、3年越し17ヶ月のロングランを記録しました。

らすじ

明国皇帝の思宗烈しそうれつは、臣下の李蹈天りとうてんに妹の栴檀せんだんを与えようとします。

ところが李蹈天は隣国の韃靼国だったんこくに通じた裏切り者でした。皇帝・皇后は殺され、なんとか逃れた栴檀は、小舟に乗り込み、日本の平戸に漂着します。

そこには李蹈天に地位を剥奪され追いやられた明国家臣、鄭芝龍とその子和藤内がいました。

鄭芝龍とその妻、さらに和藤内の3人は、皇女栴檀を和藤内の妻に託して中国に渡ります。

実は鄭芝龍には中国に残してきた娘がいました。

その娘は韃靼国の将軍である甘輝かんきの妻になっていました。

3人は明国再興のために甘輝の助けを得ようとするのですが…。

どころ・聞きどころ

甘輝の館に和藤内達3人は二手に分かれて急ぎます。

竹藪にさしかかった和藤内と母の前に現れたのは、恐ろしい虎。

和藤内は虎と戦いますが、その虎に母が伊勢神宮の札を見せると、虎はすっかりおとなしくなります。

この虎と和藤内の荒事は、人形遣いにとっても大きな見せ場のひとつであり、人形浄瑠璃入門者にもわかりやすく楽しい場面です。

『菅原伝授手習鑑』から「寺子屋の段」

今の私たちにとって、江戸時代が舞台の作品は「時代物」ですが、人形浄瑠璃でいうところの「時代物」、つまり江戸時代の人にとっての「時代物」とは、江戸期より前の時代のこと。

『仮名手本忠臣蔵』のように、同時代的に起こった事件を扱ったものでも、政治的な内容を上演することを幕府が禁じたので、室町時代に置き換えて、「時代物」として上演されました。

菅原伝授手習鑑すがわらでんじゅてならいかがみ』の時代設定は平安朝初期。

主人公は菅原道真です。

今では学問の神様として祀られている道真ですが、生前は政権の奪い合いに敗れて九州に左遷され、そこで憤死するという悲劇の人でした。

彼の九州配流を描くのが『菅原伝授手習鑑』。

これも『国性爺合戦』同様に五段から成り、通しで上演すると長時間になるため、名作と名高い「寺子屋の段」単独で上演されることがほとんどです。

「寺子屋の段」は人形浄瑠璃だけでなく、歌舞伎でも上演機会の多い人気作品です。

ところでこの段の舞台は、江戸時代の寺子屋。

平安時代なのに江戸時代の寺子屋?と思われるかもしれませんが、江戸時代の人からすれば、元は名のある武家だったのが、事情から寺子屋の師匠になっている登場人物や、寺子屋で学ぶ利発な子供は、身近な存在で心情もわかりやすかったのでしょう。

時代考証的には問題であっても、このようなおおらかさが文楽の楽しさでもあります。

らすじ

寺子屋を経営する武部源蔵・戸波夫婦は、師である道真の子、菅秀才かんしゅうさいをかくまっています。

ところがそれが敵方に見つかり、菅秀才の首を差し出せという命令が。

困った夫婦は、その日、寺子屋に入ったばかりの男の子が賢そうで上品な顔立ちをしているのに目を付けて、「せまじきものは宮仕へ」と苦しみながら、その子の首を身代わりに切ってしまったのです。

源蔵夫妻の計画は首尾よく進むのでしょうか。

また、首を切られた子供はいったい誰の子だったのでしょうか。

ハラハラドキドキのあとは、親子の情愛と忠義の思いに引き裂かれる悲劇が待っています。

どころ・聞きどころ

源蔵夫妻は命がけで男の子の首を首桶に入れて差し出します。

検分役の松王丸は両腕を広げ、桶のふた=地獄のふたに手をかけます。

驚いたことに菅秀才の顔を良く知っているはずの松王丸が「間違いなく菅秀才」と認めます。

実は殺されたのは松王丸の子、小太郎だったのです。

松王丸と母の千代は、菅秀才の身代わりにするために、あえて寺子屋に大切なわが子を送り込んだのです。

立派に身代わりを務めた首のない小太郎の亡骸を、白装束に身を包んだ父と母が野辺送りをします。

「いろは書く子をあえなくも 散りぬる命 是非もなや…(略)
あさき夢見し心地して 跡は門火にえひもせず」

「いろはにほへと」という「いろはうた」の中に、子供を失った父母の心の悲しみを織り込んだこの義太夫の語りは、「いろは送り」の歌として、浄瑠璃や歌舞伎の演目の中でも屈指の名場面となっています。

観客は、人形であることを忘れ、けなげに身代わりになった小太郎と、子を忠義の犠牲にせざるを得なかった父母の悲劇を思って涙を流します。

『曽根崎心中』

元禄十六年四月、大坂の街を、ある事件がにぎわせました。

醤油屋平野屋の手代徳兵衛と、北の新地の遊女お初が、曽根崎天神の森で心中したというのです。

その興奮もさめやらぬ、事件からわずか1ヶ月後に、近松門左衛門の手によってその事件が『曽根崎心中』と題して人形浄瑠璃で上演されます。

今の私たちからすれば実録ドラマを見るような感覚でしょうか。

娯楽の少なかった当時、人々がどれだけ熱狂したか、言うまでもありません。

以降「心中もの」は大流行となります。

らすじ

主人公の徳兵衛は醤油屋の手代(使用人)。

江戸時代の商家は住み込みが基本で、手代ではまだまだ自分の家に住むことも、まして結婚することもできません。

ですから遊女お初と恋仲といっても、自堕落な遊び人とはちがいます。

近いうちになんとかお初を身請けして、結婚しようと考えていたのです。

ところがそんなふたりに、次から次へと難題がふりかかります。

お初は「逢うに逢われぬその時は この世ばかりの約束か」(あの世なら誰にも邪魔されませんよね)と、自分の覚悟のほどを伝えるのです。

どころ・聞きどころ

徳兵衛は騙され、お金を奪われた挙句、袋叩きにされて、それでもお初のところへ忍んできます。

そこへ徳兵衛を騙した悪い奴がやってきます。

お初は徳兵衛を縁の下に隠して、「ハテ 死ぬる覚悟が聞きたい」と、着物の裾から真っ白な左足を徳兵衛に差し出し迫ります。

徳兵衛はそれを聞き、足を自分の首にすりつけ、一緒に死のうと伝えるのです。

足のない文楽の人形の着物の裾から、白い足が出る。

体を動かす主遣いと、足を動かす足遣いの呼吸がぴったりと合う至芸。

それと同時に、表情の見えないお初と徳兵衛が足を出し、その足をかき抱くことによって心を確かめ合うさまが、観客にも伝わります。

人形であることを忘れ、そうすることでいよいよ悲劇性も高まるのです。

『伊達娘恋緋鹿子』

恋人に会いたいがあまりに火をつけて、江戸じゅうを大火事にした八百屋お七の話は、井原西鶴の『好色五人女』によって、広く世に知られるものとなりました。

歌舞伎や浄瑠璃でもお七を主人公にした作品が数多く作られています。

江戸中期に登場した『伊達娘恋緋鹿子だてむすめこいのひがのこ』のお七は放火をしません。

当時の人にとって、火事は今以上に恐ろしい大災害であり、幕府も神経をとがらせており、芝居の演目に取り上げることに良い顔をしなかったのです。

では、放火をしないお七は、いったいどんなドラマを繰り広げたのでしょうか。

らすじ

大火で寺に避難した八百屋久兵衛の娘お七は、寺の小姓吉三郎に恋をします。

ところが吉三郎はとんでもないピンチを迎えていたのです。

吉三郎と主人は、盗まれてしまった名刀天国あまくにを、必死で探していました。

その期限である今夜、明け六つの鐘が鳴るまでに見つからなければ、ふたりは切腹しなければなりません。

一方、お七もまた、親の意向で望まぬ結婚を強いられようとしていました。

八百屋再建の費用を出してやるからお七を嫁によこせ、という釜屋武兵衛の申し出に、父親が従ってしまったからです。

結婚を拒むお七でしたが、下女のお杉の言葉から武兵衛が天国の剣を持っていることを知ります。

お七は何とかしてそのことを吉三郎に知らせようとするのですが、夜になって町の木戸が閉まり、伝えることもできません。

恋人の命を助けるために、思い余ったお七は、火事でもないのに火の見やぐらに上って半鐘を鳴らすのです。

そんなことをすれば火刑になると知りつつ…。

どころ・聞きどころ

タイトルにもなっている「鹿子」というのは「鹿子絞り」の模様のこと。

その中でも形が麻の葉に似ているものを「麻の葉鹿子」と呼び、浄瑠璃や歌舞伎では可憐さを表す町娘の着物の柄として、よく使われます。

中でも紅色と浅葱色のボーダーが斜めになったものを麻の葉段鹿の子と呼び、この文様の振袖は、浄瑠璃や歌舞伎に登場するお七のトレードマークとなっています。

特に『伊達娘恋緋鹿子』では段鹿の子の振袖を片肌脱ぎにして、火の見やぐらのはしごを上っていくところに、お七の一途な思いが表現されています。

この場面のもうひとつの見どころは、人形の動きです。

人形遣いがやぐらの中に入って、裏側から操っているため、まるで人形がはしごを上っているように見えるのです。

この方法を編み出したのは、大正時代の名人吉田文五郎。

お七がやぐらをのぼる姿が大変な評判になり、以降そのやり方が定着しました。

また、放火をしないでやぐらに上るお七の演出も、以降の「八百屋お七」をテーマにした歌舞伎や浄瑠璃の定番となっていきます。

おわりに

人形劇は世界中にあるものですが、日本の人形浄瑠璃は、他に類を見ないものです。

300年以上の歴史があるだけでなく、大人を対象にした、人間の愛情や苦悩、忠義の心や苦しみを深く描いたものだからです。

ここで紹介した作品は、有名であるだけでなく、作品としても非常に優れたものであり、観客にもわかりやすく親しみやすいものです。

みなさんもぜひ人形浄瑠璃の舞台に足を運んでみてください。