歌舞伎の創始者が出雲阿国いずものおくにという女性であるのは有名な話です。

また、創成期の歌舞伎が、「女歌舞伎」であったことも比較的よく知られています。

しかし、この女歌舞伎が禁止されてから、現在のような成人男性だけで演じる「野郎歌舞伎」が現れるまでの間に、「若衆歌舞伎」と呼ばれる未成年の男の子たちが舞い踊る形態があったことは意外と知られていません。

それは、この若衆歌舞伎が女歌舞伎の禁止からわずか23年で禁止されてしまったことに原因があります。

いったい若衆歌舞伎とはどんなもので、なぜ禁止されてしまったのでしょうか?

そこで今回は「若衆歌舞伎」にスポットをあて、その成立の歴史から禁止に至った経緯、そして、現代の歌舞伎に通じる芸の中身について詳しく解説していきます。

どうぞ最後までお付き合いください。

「若衆」とは

「若衆」は「わかしゅ」または「わかしゅう」と読みます。

道のパートナー

江戸時代、武家社会における男色つまりホモセクシャルのことを「衆道しゅうどう」といいました。

衆道しゅうどうとは「若衆道しゅうどう」の略で、年長の主人や先輩が若くて可愛い後輩=若衆をかわいがることを指します。

元々は女性を連れて行くことができなかった戦場において、武将が性処理をするために行われたものですが、「主人のためなら身も心も、さらには命さえ捧げる!」というように、現在私たちが考えるよりもずっとピュアな面もあったようです。

若衆歌舞伎のはじまり

歌舞伎の禁止

阿国が始めた歌舞伎踊りは、女性が男性の格好をして遊郭ゆうかくに遊びに行く様子を芝居仕立てにしてみたり、歌いながら舞い踊るといった形式でした。

そして、大人気となった阿国の真似をして続々と「女歌舞伎」劇団が誕生するわけですが、そうなってくると「芸」だけでは食べていけない劇団も出てきます。

そのような劇団は芸だけではなく「色」を売り出します。

つまり、売春をするわけです。

どんどんエスカレートしてしまうわけですね。

しかし、時の政府である幕府がそんな状況を見過ごすはずはありません。

寛永かんえい6年(1629年)に風紀・風俗を乱すという理由で禁止されてしまいます。

女歌舞伎の代替として若衆歌舞伎が大人気となる江戸時代、男性は元服げんぷく(成人すること)すると月代さかやきといって前頭部をそり上げました。

元服げんぷく前の若者は前髪があるので、未成年の男の子のことを「前髪」と呼びます。

この前髪の美少年に女装をさせて舞い踊らせたのが「若衆歌舞伎」です。

若衆歌舞伎自体は女歌舞伎と同時代に成立していましたが、女歌舞伎が禁止されたことによりそのファンが若衆歌舞伎になだれ込み、大人気となります。

女歌舞伎と同じ理由で禁止される

大人気となった若衆歌舞伎ですが、女歌舞伎と同じ理由で幕府から禁止されてしまいます。

紀・風俗・治安を乱す若衆歌舞伎

武家社会の衆道しゅうどうの影響もあり、江戸時代は男色について現在のようなアンダーグラウンドでマイノリティなイメージはありません。

好色一代男こうしょくいちだいおとこ」の主人公世之介は「たはふれし女三千七百四十二人。小人(少年)のもてあそび七百二十五人」と交わったとされており、当時男性同士の恋愛がそれほど特殊なものではなかったことがうかがい知れます。

そのような社会状況もあり、若衆歌舞伎でも「色を売る」ことが当然のように行われます。

昼は芝居仕立てのレビューや踊りを見て「押しメン」を決め、夜はその役者を指名して楽しむわけです。

そうなってくると同じ役者を好きになったことによる嫉妬、そしてそれがエスカレートして刃傷にんじょう沙汰にまで発展してしまいます。

はたして幕府から「色を売って、更に刃傷にんじょう沙汰まで起こすとは何事か!」とおとがめを受け、承応じょうおう元年(1652年)全面的に禁止されてしまうのです。

女歌舞伎禁止からわずか23年後のことでした。

その後歌舞伎は月代さかやきをそった成人男性のみで演じる「野郎歌舞伎」となり、現在の歌舞伎の形式となります。

女歌舞伎を発展させた若衆歌舞伎の芸

若衆歌舞伎は宝塚歌劇団のように歌と踊りを組み合わせたショーなど、女歌舞伎と似た内容のものが多かったのですが、若衆歌舞伎独特の芸も加わり、それは野郎歌舞伎を経て現在の歌舞伎にも伝わっています。

若芸

現在でいうコントのような滑稽こっけいな寸劇やものまね芸のことを総称して「猿若芸さるわかげい」と呼びます。

女歌舞伎にも取り入れられ人気を博していたのですが、前髪の男の子たちが演じることで更に話題となります。

現在のお笑い芸人のような感じです。

雑技ざつぎとは軽業や曲芸の総称で、とんぼ返りや綱渡り、組み体操のようなことを行う現在のサーカスや中国雑技ざつぎ団のようなイメージです。

若衆歌舞伎では若い男の子の身体能力を活かし、この雑技ざつぎを積極的に取り入れました。

この雑技雑技ざつぎの要素は後の歌舞伎で「ケレン」と呼ばれ、現在でも宙乗りやとんぼ返りといった形でその影響が伝わっています。

おわりに

若衆とは12歳~18歳くらいまでの男の子で、最も輝く盛りは16歳。

青春の輝きのようにピークは非常に短いものでした。

その若衆のピークと同じように、若衆歌舞伎がたった23年で禁止されてしまったのは皮肉なものです。

ピークが短いが故に焦り、無理のある営業をしてしまったのかもしれません。

歌舞伎の創始者「出雲阿国」の流れをくむ「女歌舞伎」と、現代にまで通ずる「野郎歌舞伎」の間に位置するため、一般的にあまり知られていない若衆歌舞伎。

しかし光り輝く若者たちが歌い踊る姿は、現代のジャニーズアイドルたちに引き継がれているのかもしれません。

歌舞伎座に行くのはハードルが高いという方でも、今は映画館で歌舞伎を観ることができます。

舞台での鑑賞ですと指定の座席から舞台までの定点鑑賞になりますが、映画館で見る映像はあらゆる角度から撮影した映像が映し出されます。

歌舞伎俳優のアップなど、舞台とは違ったアングルでダイナミックな映像が楽しめますよ!