歌舞伎を見に行くと、役者が登場した時や見得みえをして決まった時などに「成田屋!」「音羽屋おとわや!」といった掛け声がかかります。

また役者を名前で呼ばずに「成田屋さんは…」「中村屋さんの芝居は…」などと言ったりします。

この呼名を「屋号やごう」といいます。

「井村屋の肉まん」や「中村屋のカレー」といったお店の名前と同じものですが、歌舞伎以外のお芝居では役者にこのような屋号はついていません。

いったいなぜ歌舞伎の役者にだけ屋号がつけられるようになったのでしょうか?

そこで今回の記事では、

・なぜ屋号をつけるようになったのか
・代表的な屋号とその由来
・掛け声=大向うおおむこうのルール

などについて詳しく解説していきます。

これを読めば貴方も「●●屋!」と声をかけられるようになります。

ぜひ最後までお付き合いください。

どうして屋号が生まれたの?一般人として認められていなかった歌舞伎役者

人は「河原者」と呼ばれた時代 士農工商の外に置かれた歌舞伎役者

日本史の時間に勉強したように、江戸時代は現代とは異なり、厳しい身分制度が定められていました。

一般的に「士農工商」と言われるものです。

ただこの士農工商に含まれるのは一般人とされる「良民りょうみん」だけでした。

歌舞伎役者を始めとする芸人はもともと「河原者かわらもの」と呼ばれ、一般人としては認められていませんでした。士農工商という身分区別に含まれない「非人」、つまり人間扱いされない存在だったのです。

しかし1708年、町奉行の裁きにより良民として認められ、身分制度の中に組み込まれていくことになります。

人としての身分を得るための屋号

ただいきなり「今日から良民ですよ」「表にでてもOK(それ以前は裏路地などにひっそりと住まいを構えていた)」と言われても、どう振る舞ってよいのか分かりません。

そこで元々実家が商売をやっていた役者がお店を出して「●●屋」と屋号を名乗ります。

すると他の役者も「あ、それいいアイデアだね」ということで真似をします。

商売をすることで副収入も得られますし、商人としての実態があれば身分上「商人」と名乗りやすいといった事情もあり、またたく間に広がっていきました。

それが今日まで続く役者の屋号です。

代表的な屋号の成り立ちと役者名

ここからは代表的な屋号の成り立ちと、役者名を紹介していきます。

田屋

子宝に恵まれず悩んでいた初代市川團十郎が、自分の父親の出身地に近い成田山新勝寺なりたさんしんしょうじに祈願すると二代目市川團十郎が生まれました。

喜んだ團十郎は「成田不動明王山なりたふどうみょうおうさん」という芝居を上演。

するとこれが大当たり。

観客から「成田屋」の声がかかり、それがそのまま定着したというのが由来です。

市川團十郎・市川海老蔵

羽屋(おとわや)

初代尾上菊五郎の父親が清水寺の近くの生まれだったため、境内にある「音羽の滝」にちなんで音羽屋半平はんぺいと名乗っていたのが由来です。

尾上菊五郎・尾上菊之助・尾上松緑おのえしょうろく

麗屋

初代松本幸四郎が芝居に入る前、「高麗屋こうれいや」という店で丁稚奉公をしていたことから屋号が付きました。

松本幸四郎・松本白鸚はくおう・市川染五郎

磨屋

初代中村歌六が播磨屋作兵衛さくべえに養子に出されていたことからこの屋号が付きました。

中村吉右衛門・中村歌六・中村又五郎

三代目中村歌六の妻、小川かめの実家が市村座の芝居茶屋「萬屋よろずや」だったことが由来です。

中村時蔵ときぞう・中村錦之助きんのすけ・中村隼人・中村獅童

駒屋

四代目中村歌右衛門が四代目市川團十郎だんじゅうろうから「成駒柄(将棋の成駒の柄)」の着物を送られたことに感謝して、成田屋の「成」と「成駒柄」をかけて成駒屋としたのが始まりです。

それ以前は加賀屋という屋号を使っていました。

中村歌右衛門うたえもん・中村芝翫しかん・中村福助

和屋

初代坂東三津五郎みつごろうが養子に入った初代坂東三八さんぱちの実家が商売を営んでいて、その屋号が「大和屋」だったことに由来します。

坂東三津五郎・坂東八十助やそすけ・坂東玉三郎

嶋屋

残念ながら由来が良く分かっていません。

片岡仁左衛門にざえもん・片岡我當がとう・片岡秀太郎・片岡愛之助

村屋

江戸三座で一番古い芝居小屋「中村座」の座元(経営者)猿若勘三郎さるわかかんざぶろうが初代中村勘三郎を名乗ったのが始まり。

猿若勘三郎の出身地が現在の名古屋市中村区だったからという説もあります。

中村勘三郎・中村勘九郎・中村七之助

瀉屋

初代市川猿之助の実家が薬屋を営んでおり、薬草の澤瀉おもだかを扱って商売に成功したことからこの屋号が付いたと言われています。

市川猿之助・市川段四郎・市川猿翁えんおう

歌舞伎を活気づける「掛け声・大向う」

人気役者が登場すると「●●屋」と掛け声がかかります。

あの掛け声を「大向おおむこう」といい、声をかけることを「大向うをかける」といいます。

ただこの大向うには様々な決め事が存在します。

ここではそんな大向うのルールについて解説します。

でも声をかけていいの?

基本的に観客の方であれば誰が大向うをかけても問題ありません。

「女性は大向うをかけてはいけない」としている記事も見られますが、そんなことはありません。

大成駒おおなりこまと呼ばれた六代目中村歌右衛門のファンの女性で「役者の神様!」と大向うをかける有名な方もいらっしゃいました。

をかけるタイミング

大向うを掛けるのにはタイミングが重要です。

まず芝居の邪魔をしてはいけません。

つまり役者がセリフを言っている時、動いている時は基本的にかけません。

一番多いのは役者が見得みえをした時です。一瞬動きが止まるので、タイミング良く声をかけます。

また幕切れの柝頭きがしら(幕切れの「チョーン」という拍子木ひょうしぎの音)に合わせるのも定番です。

号以外の掛け声

成田屋、音羽屋といった屋号の他にも様々な掛け声があります。

・役者の自宅の場所
二代目尾上松緑おのうえしょうろくはホテルニューオータニの近くに住んでいたので「紀尾井町きおいちょう」、六代目中村歌右衛門は世田谷区岡本町に住んでいたので「岡本町」、七代目中村芝翫しかんは東京タワー近くの神谷町に住んでいたので「神谷町」と声がかかりました。

・襲名の時は●代目
襲名の時や、その家のお家芸(歌舞伎十八番など)の時は、十二代目!七代目!といった声がかかります。

・「よ!大統領!」の始まり
二代目市川左團次はその演技がずば抜けてスケールの大きなものだったこと、また翻訳劇に積極的に取り組んでいたことから「大統領」の異名があり、舞台でも「大統領」の声がかかりました。

勇気を出して大向うをかけてみましょう

はじめはどんなタイミングで声をかけたらいいのかわからないと思いますが、何回も芝居を見るうちに、「あ、このでかけるんだ」ということが分かってきます。

コンサートなどでアーティストの名前を叫ぶのと何ら変わりはありません。

役者も声がかかると乗ってきて、更に演技に熱が入るものです。

屋号がちょっと恥ずかしい場合は、ちょっと大きな声で「待ってました!」と言ってみてください。
自分が芝居に参加することで、歌舞伎がもっと面白くなるはずです。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

大向うをかけることはできませんが、映画館で歌舞伎の演目を観ることができる「シネマ歌舞伎」も最近では認知されてきています。

大向こうなどの掛け声も映像の中に収録されており、どのように大向こうをかけるのかも分かりやすいですよ。

興味がある方はぜひ上映されている映画館をチェックしてみてください。