「日本で有名な焼き物は?」と聞かれれば、日本人ならすぐに思い浮かべる有田焼。

日本の歴史の教科書にも出てくるくらいですから、有田焼の名前を知らない日本人はいないのではないでしょうか。

しかし、有田焼ってどんな焼き物?と聞かれると、詳しく答えられる方は多くないはず…。

今回は知っていそうでよく知らない、「有田焼」について詳しく解説していきたいと思います!

有田焼とは?佐賀県有田町近辺で焼かれる陶磁器

日本の多くの焼き物が、産地名が由来であるのと同様に、有田焼も産地の有田町の名前を冠しています。

現在は有田町以外に、お隣の武雄たけお市にも同系の窯元が点在するため、これらの地域で生産される陶磁器を総称して有田焼と呼びます。

有田焼の基本は「磁器」である

焼き物は「陶磁器」と呼ばれますが、陶器と磁器は根本的に違います。

磁器の製作には「カオリン」と呼ばれる陶石が必要です。

そのため、磁器は別名「石もの」と呼ばれます。

このカオリンを砕いて粉状にし、水にさらして不純物を取り除き、さらに光沢を出すため長石や石英を砕いて混ぜ合わせて成形します。

また、焼成には1300℃もの高温が必要で、高度な技術を要する大規模な登り窯がないと焼けません。

焼成後の磁器は陶器に比べはるかに堅くて丈夫で、叩くと金属のような音がし、水漏れしません。

しかし、日本の多くの焼き物は俗に「土もの」と呼ばれる陶器です。

陶器は土から採れる粘土をこねて形を作り、低い温度でも焼成できます。

粘土と簡単な窯さえあれば作れるので、全国各地で陶器は焼かれています。

俗に六古窯と呼ばれる瀬戸焼、常滑焼、越前焼、信楽焼、丹波立杭焼、備前焼も全て陶器です。

ただ、陶器は焼き上がっても隙間から水を吸ってしまうので、古くは水漏れ防止に米のとぎ汁などで膜を張ってから使っていました。

日本の伝統工芸として磁器を製作しているのは有田焼と隣接する伊万里焼、三河内焼、波佐見焼、天草陶磁器、そして石川県の九谷焼、愛媛県の砥部焼、兵庫県の出石いずし焼ぐらいです。

現在は有田の地でも「土もの」を制作している作家もいるので、これらの焼き物も含め有田焼と呼びます。

有田焼の魅力と特徴

磁器は陶器に比べ表面の凹凸が少なく、ガラス質の釉薬を表面に施すことでピカピカと輝きます。

有田焼は磁器の特性を活かし多くの表現技法が存在し、特に有田焼の魅力となっているのがさまざまな色彩の釉薬や絵付です。

また、雪のように白い素地は、貿易の品として海外へ輸出していた際に、海外の厳しい要求に応えるため有田焼の陶工たちが研究を重ねた末に完成した白さなのです。

有田焼の表現方法

では、有田焼にはどのような表現方法があるのか、詳しく見てみましょう。

白磁はくじとは素焼きした白い素地に、透明なガラス釉薬を施して焼かれる磁器です。

簡素な表現ですが素地に曇りがあったり、形が少しでも歪んでいたりすると見た目が悪くなってしまうので、実は技術的に一番難しい焼き物です。

有田焼では絵付けなどを施す素地にも使われます。

陽刻ようこくとは、素焼きする前の素地を生乾きの状態でヘラなどを使って模様をき落とし、立体的な彫刻を施す技法です。

上から釉薬を塗ることで陰影が生まれ、絵付けとは違った雰囲気が出ます。

染付そめつけとはコバルトを含んだ釉薬で素地に絵付けをする技法です。

焼成すると鮮やかな青色に発色します。

色絵いろえは染付で輪郭を描いた素地に、さまざまな色の釉薬で色付けする技法です。

釉薬の色によって焼成温度が異なるので、絵によっては何度も焼き直しが必要となります。

青磁せいじは鉄分を発色材とする釉薬を塗って焼いた焼き物で、焼成後は青緑色に発色します。

釉薬の鉄の分量と焼成温度で発色が異なるので、同じ色で焼き上げるには細心の注意が必要です。

青磁は茶道で好まれるので、有田焼でも盛んに焼かれます。

璃釉

瑠璃釉るりゆうとは仏教用語でラピスラズリのこと。

染付でも使うコバルトを発色材とし、色付けすることでラピスラズリのような鮮やかな青色に発色します。

銹釉さびゆうも青磁と同じく鉄を発色材として使いますが、釉薬にガラス光沢を出す石英や長石を使いません。

焼成すると土もののようなマットな茶色に仕上がります。

他の陶磁器産地ではその発色から「柿釉」とも呼ばれます。

辰砂しんしゃとは硫化水銀からなる赤色の鉱物のことですが、水銀を使うわけではなく「辰砂のように赤い焼き物」を意味します。

銅を発色材とした釉薬を塗り、還元焼成かんげんしょうせいすることで血のように赤い磁器が生まれます。

※還元焼成:焼物の焼成時に窯の中の酸素を少なくして酸欠状態にすることで、釉薬や土に含まれる成分を化学反応させる焼成法のこと。

有田焼と伊万里焼の関係

古美術の世界では「古伊万里」というと、状態の良いものでは数千万円の根が付くほどの高級品。

実はこの伊万里焼と有田焼は親類関係にあります。

日本ではじめて中国第一の陶磁器生産地である景徳鎮けいとくちんと同じ磁器の生産に成功した鍋島藩(肥前藩と同じ)では、これを貿易商品と位置づけ大規模な生産に乗り出します。

寛永17年(1640年)代には中国人の職人を招き景徳鎮の模倣品製作に成功。

当時のヨーロッパでは磁器が作れなかったため景徳鎮の磁器が人気で、イギリスやオランダの商社を通じ伊万里港から次々に景徳鎮の模倣品をヨーロッパや東南アジアに輸出しました。

この中には鍋島焼だけでなく、有田焼や波佐見焼など近隣の焼き物も含まれていました。

そのため、ヨーロッパでは出向された港にちなみ、この時期の有田焼を「Imari」と称するようになりました。

鍋島藩では、将軍や朝廷向けの献上品として高級磁器の製作にも着手します。

高度な技術を持つ職人を厳選して伊万里の大川内山地区に集約し、技術が他の藩に漏れないように外界との接触を遮断。

ひたすら高品質な献上品を作り続けました。

当時はこの献上品を鍋島藩にちなみ、鍋島焼と呼んでいました。

これが現在の伊万里焼の前身で、有田焼と伊万里焼は親戚関係にあります。

強いていうなら有田焼が大衆品で、伊万里焼は高級品といったところでしょうか。

伝統的な有田焼の絵付け

有田焼は中国の景徳鎮けいとくちんの模倣により、ヨーロッパなど海外への貿易品として発達した焼き物です。

そのため、日本人相手の他の産地の焼き物とは違い、有田焼の伝統的な絵付けはエキゾチックで豪華な雰囲気に溢れています。

全体的には中国の龍や鳳凰などの伝説上の生き物や、唐子からこ(中国の子供のこと)、吉祥紋などが描かれます。

また、赤絵や金襴手きんらんでなど非常に派手な色彩が多いのも特徴です。

かといって完全に景徳鎮の模倣というわけではなく、貿易相手が主にヨーロッパだったため、オランダ商館の要望に応じた絵柄も描いています。

もちろん当時の日本人がヨーロッパの文化に直接触れる機会はほとんど無く、絵柄は日本人の想像力にまかせて描いたもの。

そのため、どことなく不自然ですが、それが自然と作品に溶け込み有田焼の絵付けの魅力を引き立ています。

有田焼ができるまでは分業制

陶磁器の多くの産地では、一つの窯が陶磁器に使う土づくりから絵付け、窯焼きまで行います。

一方、古くから産業化が進んだ有田の地ではこれらの作業は基本的に分業制で、土を作る「生地屋」、ロクロや鋳型いがたから磁器の形を成型する「型屋」、素焼きに絵付けを行う「絵付師」に細分化されています。

そのため、それぞれの分野で技術が高度化し、産地全体の品質を押し上げています。

それでは、それぞれどのような作業を経て有田焼ができるのか、詳しく見てみましょう。

き・洗い

磁器は土ではなく、カオリンと呼ばれる陶石を用います。

鉱山から採掘した陶石を磨き、洗って表面のゴミを取り除きます。

土にするため陶石を細かく粉砕します。

砕いた陶石を攪拌かくはんしてさらに細かく均一にし、水に沈めて粗さの違う石を振り分けます。

鉄・不純物除去

陶石の中に含まれる鉄分を取り除き、ふるいにかけさらに不要な不純物を取り除きます。

鉄や不純物が入ったまま焼成すると、黒い斑点となって表れるので細心の注意を払い取り除かれます。

ィルタープレス(脱水)

フィルターにかけ、余分な水分を取り除きます。

空土練

真空土練機を使って土もみをし、土を空気のない適度な堅さに調整します。

その後、既定の大きさに成型して出荷します。

ここまでが生地屋さんの作業です。

ここからは型屋の作業です。

生地屋が作った土から、窯元の要望に応じて器の形を作ります。

大量生産の場合は石膏でできた鋳型いがたを使います。

少量生産の場合はロクロが用いられます。

上げ

成型した器を乾かした後、ヤスリなどの道具を使って加工の際にできた表面の凹凸を取り除きます。

焼き

仕上げた器を乾燥させた後、約800℃の温度で焼成していきます。

ここまでが型屋の作業です。

絵付け

ここからは絵付師の作業です。

模様付けを行うための下絵を付けます。

下絵付けも分業制で、線を描く人と、広い面積を模様付けする人に分けて行われます。

下絵付けが終わった器に、石英や長石などガラス質の成分となる釉薬を上からかけます。

焼き

施釉したものを約1300℃の高温で、なんと14~15時間もかけて本焼きします。

この温度でようやく釉薬の中の石英や長石が溶け、ガラス質の磁器が出来上がります。

染付けのみの器は、本焼きが終わったら厳しいチェックを受けて出荷されます。

チェックに引っかかった器は、2級品として陶器市などで安く販売されるんですよ!

絵付け

本焼きした磁器の上に、さらに釉薬を用いて色付けをしていきます。

上絵付けした器を電気窯で焼成し、上絵を焼き付けます。

色によって釉薬の焼成温度が異なるので、作品によっては色絵付け毎に何度も焼成します。

こうして、完成した器は厳しいチェックを受け、出荷されていきます。

私たちはどうしても有田焼の色鮮やかな絵付けに目を奪われがちですが、その陰に「生地屋」と「型屋」という縁の下の力持ちがいることを忘れてはいけません。

有田焼の人間国宝を4人も輩出

人間国宝とは伝統的な芸能や技術を高度に体現できる人物に贈られる称号で、正式には「国の重要無形文化財保持者」です。

文化財保護法で昭和50年(1975年)に人間国宝の称号が用いられるようになってから、現在までに有田焼で4名もの人間国宝が誕生しています。

陶芸界では備前焼の5名に次ぐ多さです。

ここでは有田焼が輩出した4名の人間国宝について簡単にご紹介しましょう。

三代今泉今右衛門

十三代今泉今右衛門いまいずみいまえもんは家伝の色鍋島の「染付吹墨ふきずみ」、「薄吹墨」の技法が認められ、「色絵磁器」で人間国宝に認定されました。

吹墨とは、墨を含んだ筆に息を強く吹き付けることで、スプレーで吹き付けたようなグラデーションを生み出す技法です。

この吹墨に着物の更紗に使われる意匠を駆使し、現代的な有田焼を展開しました。

四代今泉今右衛門

十三代今泉今右衛門の子息で、現在今右衛門窯の当主です。

十三代の父とは違い、家伝の「墨はじき」という技法を駆使し、父と同じ「色絵磁器」で人間国宝に認定されています。

「墨はじき」は絵付けをする前に素地に墨を塗り、焼成すると墨の中のにわかがはげ落ちるので幻想的なぼかしが生まれます。

十四代はさらにこの墨はじきの技法を発展させ、「雪花墨はじき」という技法を生み出しました。

※膠:動物の皮革や骨髄から採られる強力な糊

四代酒井田柿右衛門

十四代柿右衛門かきえもんは歴代の柿右衛門が受け継いだ「濁手にごしで」と「赤絵」に日本画的な要素を取り入れ、余白を活かした作品で人気を博しました。

野山に咲く草花を模様に取り入れ、その繊細で美しい模様も人気の一つです。

前述の両今右衛門と同じく「色絵磁器」で人間国宝に認定されています。

上萬二

井上萬二いのうえまんじは一点の曇りやゆがみも許されない「白磁」で人間国宝に認定されています。

正確無比のロクロ技術で緊張感ある作品を作る傍ら、ヘラで素地の表面に彫刻をする「掻き落とし」に青磁釉を施す柔らかな印象の青白磁も定評があります。

また、ロクロ技術は有田焼を作るために必要不可欠な技術なので、今後の有田焼を担う後進の指導にも積極的です。

おわりに

有田焼のことを深くご理解いただけましたでしょか。

有田焼は世界的にも有名で、日本の磁器の発祥の地です。

長い間、肥前藩の庇護を受けて分業制で発展したため、どの作品をとっても高度な技術が集結しています。

有田町では毎年ゴールデンウイークにお得な価格で有田焼が手に入る陶器市が開かれるので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。