現在では歌舞伎や文楽と並ぶ伝統芸能のひとつとして知られる能・狂言。
実は、その歴史は歌舞伎よりも古く、能・狂言の源流をたどると平安時代、奈良時代にまで遡ることができます。
今回は室町時代前まで遡り、能・狂言がどのようにして発展してきたのか、現代まで存続しているのか、詳しく解説していきます。
写真撮影 : 石田裕
能・狂言の歴史
能と狂言はもともと「猿楽(申楽)」と呼ばれていた芸能から分かれて出た芸能です。
猿楽の源流は奈良時代に大陸からわたってきた「散楽」にあるとされ、平安時代には滑稽な物真似芸としての猿楽として発展していきます。
時代が下るにつれ、猿楽は神社などの神事でも行われるようになっていきました。
その後、南北朝時代から室町時代にかけて、当時活躍した申楽師・観阿弥とその息子・世阿弥によって大成されます。
室町時代から安土桃山時代にかけては、江戸幕府が能楽を「式楽」として採用、パトロンとなったことにより能楽は一気に花開きました。
武将の多くが自身で能を舞い、囃子をたしなむようになったと言われており、能の現行曲の9割以上はこの時代に成立したとされています。
一方の狂言は、猿楽の物真似芸の部分を色濃く受け継ぎ、能と共に成長していった芸能ですが、室町時代にはまだ台本がなく、大まかな筋立てだけをもとにした即興芸として演じられていました。
当時のアドリブのコントだったわけです。
安土桃山時代に式楽として武家勢力に愛好されるようになってからは、能と同じように台本が作られ、やがて3つの流派が確立されていきます。
しかし、明治維新によって幕府が滅亡、武家勢力による後ろ盾を失った能と狂言は、消滅の危機を迎えます。
多くの能楽師が舞台を去る中で、狂言の流派の一つであった鷺派は継承者が現れず、ついに断絶してしまいます。
残った能楽師は大正、昭和と激動の時代の中にあっても努力を続け、今でも日本を代表する芸能として現代のわたしたちを楽しませてくれています。
能の大成者「観阿弥」と「世阿弥」とは
能の歴史を語る上で重要な人物が、先ほども触れた観阿弥と世阿弥です。
観阿弥は芸名を観世といい、出家後に観阿弥と称するようになりました。
奈良を拠点に京都などで活躍、現代も続く能の礎を築き、息子の世阿弥と共に能の大成者と言われています。
室町時代、京都にて能を演じた観阿弥が三代将軍・足利義満の目に止まり、それまでは神社に奉納するために演じられていた能が武家勢力の庇護を受けるようになります。
つまり、庶民の芸能であった能が、将軍家にも愛されるような「天下の能」へと登り詰めていくことになります。
観阿弥の後を継いだ世阿弥は貴族や武家の好みに合わせ、能をより奥深いものにする「幽玄」の世界観を作り上げ、大成していったとされています。
世阿弥の作品には『実盛』や『高砂』など、現在の能舞台でも上演されているものが多くあります。
観阿弥・世阿弥の系譜は「観世流」と呼ばれ、能のシテ方五流※の筆頭として、現在も能楽師の最多数が所属する一大勢力となっています。
※シテ方五流:能のシテ、ツレ、地謡、後見などの各役を演じる役者や謡方の流派のこと。観世流の他に「宝生流」「金春流」「金剛流」「喜多流」がある。
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狂言の三流派~ 鷺流、大蔵流、和泉流~
能とともに発展してきた狂言は江戸時代に隆盛を極め、「大蔵流」「和泉流」「鷺流」の三派が確立されます。
それまでの狂言は能に比べて即興芸としての一面があったため、台本の登場は能から遅れて150年後、天正6年(1576年)に『天正本』という台本らしきものが現れるまでは簡単な筋立てをベースにして、多くはアドリブで演じられていました。
狂言三派の中でもっとも勢力を誇ったのは「鷺流」です。
能のシテ方五流の筆頭「観世流」に就いた鷺流は、徳川家など有力な武家の厚い庇護を受け、栄華を極めます。
しかし、明治維新後、幕府の滅亡とともに能楽は庇護者を失い、見る見るうちに衰微していきます。
武家からもっとも厚い庇護を受けていた鷺流は没落してしまいました。
大蔵流と和泉流は家元から流儀を受け継いだ弟子たちにより、現在まで存続しています。
鷺流は流派自体が途絶えてしまったものの、鷺流狂言それ自体は山口県山口市や新潟県佐渡市、佐賀県などで素人の狂言師によって伝承されています。
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おわりに
今回は、長くて奥深い能・狂言の歴史の、いわゆる「さわり」の部分を解説しました。
能と狂言はセットで演じられるのか、現在も多くの能楽師によって伝承されているのか、少しでもお伝えできたのではないでしょうか?
能・狂言は、400年以上前の人々の暮らしや考え方を現代のわたしたちに伝えるものです。
ぜひその歴史を知り、より深く能・狂言をお楽しみくださいね。
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