今から600年以上も昔の室町時代に、「初心忘るべからず」と唱えた人がいます。

お能を大成した世阿弥ぜあみです。

世阿弥はどんな人生を過ごし、何を伝えたくてこの言葉を残したのでしょう?

“初心”の本当の意味とは何でしょうか?

今回は、世阿弥の名言「初心忘るべからず」について解説していきます。

能の大成者“世阿弥”ってどんな人?

利義満に発掘された世阿弥

「初心忘るべからず」を論じた“世阿弥”とは、どのような人物なのでしょうか?

室町時代に父・観阿弥の一座が京都の新熊野神社いまくまのじんじゃでお能を演じた時に、童子として出演したのがまだ幼い世阿弥でした。

それを見ていた室町幕府第3代将軍・足利義満は、世阿弥の舞にたいそう惚れ込み、これを機に側近として手元に置くようになりました。

現代では魅力のあるアーティストに人気が出るのは普通の事ですが、この時代の芸役者の身分はとても低く、芸人が将軍に寵愛ちょうあい※1され手厚くされているのを快く思わない者もいました。

義満の寵愛を受けている子供役者が、義満に同席して同じ器を使っている。
猿楽さるがく※2演者の乞食こじき※3がこんな事をしてたいそう可愛がられている世の中はおかしい。


と、陰口をたたく貴族もいたようです。

世阿弥が“乞食”呼ばわりされていたとは、衝撃ですね。

絶大な勢力を持つ3代将軍・足利義満に守られた世阿弥は、そんな陰口にも負けませんでした。

義満から二条良基にじょうよしもとという関白を紹介され、古典や連歌などの教育を施されたおかげで、世阿弥は一流の文化人になる事ができたのです。

良基よしもとが東大寺尊勝院へ宛てた手紙によると、世阿弥はとんでもない美少年だったのだとか。


※1 寵愛:特別愛し、可愛がること。特に身分の高い者が自分よりも身分の低い者を可愛がる時に使われる。

※2 猿楽:中国大陸から伝わった散楽を元にした、手品、物真似、曲芸などのさまざまな芸。現在の能楽の元になるもの。

※3 乞食:路上などで物乞いをする者。

動の時代を生きた世阿弥

義満という後援者のおかげで、乞食とも呼ばれる低い身分からのし上がった世阿弥ですが、いつまでも将軍の寵愛が続いたわけではありません。

義満の死後、将軍が4代目・足利義持よしもちになった時のことです。

義持は、猿楽よりも舞を主にした抽象的な舞である田楽でんがく増阿弥ぞうあみを好み、6代将軍・義教よしのりの頃には世阿弥は重用されず、世阿弥の甥である音阿弥おんあみが脚光を浴びるようになりました。

音阿弥は世阿弥とは違い、お能の作品を残していません。

しかし、自身のスポンサーをみつける事など、経営において世阿弥よりも才能があったと言われています。

そして永享6年(1434年)、世阿弥は京都から追放され、佐渡島に流されてしまいます。

この時、世阿弥はゆうに70歳を超えていました。

しかしその後、世阿弥を目の敵にしていた6代将軍・義教が暗殺され、世阿弥は京都に戻ります。

翌年の嘉吉3年(1443年)、80歳にして世阿弥は一生を終えました。

「初心忘るべからず」とは?

初心忘るべからず」の意味

「初心忘るべからず」とは、世阿弥が40代の頃から20年ほどかけて書いた『花鏡かきょう』という本に出てくるフレーズです。

大変有名な言葉なので、皆さんも一度は聞いた事があるのではないでしょうか?

原文はこうです。

しかれば、当流に、万能一徳の一句あり。初心忘るべからず。

訳してみるとこうなります。

さて、私達の流派にはすべてのことに通ずる一句がある。それは、「初心忘るべからず」である。

ここで注意したいのが、世阿弥の言う“初心”とは「物事をはじめたばかりの謙虚な気持ちや初々しい志」のことではないという点です。

「初心忘るべからず」という言葉を「新鮮さや純粋な気持ちを忘れずにいる事」と思っている方も多いようですが、それは違います。

ここでいう“初心”とは、「はじめての物事にぶつかる未熟な状態」の事で、簡単に言えば初心者を表します。

初心者の時は、上手に物事ができないので失敗をしますよね。

未熟な自分を打破するため、努力や訓練を積み重ねる必要があります。

つまり、慣れてからも怠慢な姿勢にならずに、未熟な頃を思い出して精進するべきである、と世阿弥は言っているのです。

3 つの「初心」

もう少し『花鏡』を読み進めていくと、こう書いてあります。

この句、三箇条の口伝あり。
 是非の初心忘るべからず。
 時々の初心忘るべからず。
 老後の初心忘るべからず


世阿弥は、“初心”をこのように3つに分けています。

世阿弥の論ずる人生の中では、初心は何度もあるもの。

「是非の初心忘るべからず」は、判断基準になる初心者時代の未熟さを忘れるべきでない

「時々の初心」は、初心者から老年まで修行する中で、それぞれの時期における初心の段階を忘れるべきではない

そして「老後の初心」とは、年を取ったからと言って終わりではない、老年になってからも初めての事があるのでやはり初心を持って芸を極めるべきである

という事です。

お能の世界で演者たちは、幼い子供時代や声変わりをする青年期など、各年齢にふさわしい芸を習得する必要があります。

一度できたからと言って習得した芸を忘れてしまう事は、過去に習った事が全て身についていない事になります。

獲得した芸を自分の物にするためには、復習を怠ってはいけません。

いつまでも成長し続ける姿勢をもって、老後に至ってからも自分の未熟さを忘れないことが大事だということなのですね。

人生における7つのステージ

ここまで、3つの“初心”に触れてきましたが、実は世阿弥は人生をもっと細かく分けて考えています。

彼が記した『風姿花伝』という本の中では、能役者の人生を7歳から50歳以降で7段階に分け、稽古の方法や困難の乗り越え方を説いています。

こちらは主にお能を学ぶ男性役者に向けたアドバイスですが、男女問わず、私達の日常において役に立つ考え方として、現在でも有名です。

ここからは、そんな『風姿花伝』での考え方を一つひとつご紹介しましょう。

年期(7歳頃)

お能は、おおむね7歳頃から稽古をはじめます。

世阿弥はこの段階において、子供がもともと持っている風情を大切に、あまり厳しく指導せずに好きに練習させた方が良いと説いています。

子供のやる気を削ぐようなことはせず、自発性を尊重するのが良いとのこと。

子供が得意とする芸を思う存分にやることで、自己肯定感を上げていくことが大切だということですね。

幼児教育の方法として、現代でも参考となる考え方なのではないでしょうか。

年前期(12〜13歳)

この年齢の少年は、姿、声、共に非常に幽玄ゆうげんであり、無条件に美しいもの。

しかし、この美しさは本人の実力ではなく年齢における一時的なものなので、生涯がそこで決まることはありません。

そのため、年齢の美しさに頼って思い上がる事なく、念入りに練習を続けましょう、と世阿弥は説いています。


※幽玄:趣があり、味わい深い気品がある様。

年後期(17〜18歳)

この頃は、最初の関門である声変わりと体の成長にぶつかります。

幼児の頃の高く美しい声は出なくなり、体格も大きくなって愛らしさが減ることで、役者としての人気が下がるかもしれません。

しかし、たとえ他人から指をさして笑われても、そんな事は全く気にする必要はない、と世阿弥は言います。

めげることなく、自分の限界の中で無理をせずにお能の稽古を続ける強い意志が大事であり、ここで努力できるかどうかが人生の境目になります。

努力している人を馬鹿にする事は、今も昔も格好の悪い事なのです。

年期(24〜25歳)

青年期には、声も体も成熟し一人前になり、やっと思うように芸を披露できるようになります。

“新人”という肩書きのおかげで稀に名人に勝ったりする事もありますが、ここで怠慢になってはいけません。

その時の優秀さを本物だと思い込んでしまうと、ますます本当の「花」から遠ざかります。

今まで優しかった世阿弥が、ここにきて自分を過信する事は「あさましきこと」だと、厳しい事を言います。

先に述べた3つの初心のうちの「是非の初心」は、この年代の事です。


※花:芸における面白さや珍しさなど、観客を惹き付ける魅力の事。世阿弥の芸術論では欠かせない言葉。

年前期(34〜35歳)

『風姿花伝』は、世阿弥がちょうどこの辺りの年齢だった頃に執筆しました。

この年齢までに天下の評判を得られなければ、本当の「花」とは言えず、40歳を過ぎる頃には能役者として下がるばかりになると世阿弥は言いました。

40歳からは落ちる一方とはなかなか厳しい事のように思いますが、現在よりも平均寿命の短い時代だったので仕方ないのかもしれませんね。

しかし、ここでターニングポイントが来る事を知っていれば、34~35歳までに頂点を取れるように準備ができます。

また、世阿弥はこの年頃のことをこう言っています。

この頃は、過ぎし方をも覚え、行く先の手立てをもさとる時分なり。
この頃極めずは、この後天下の許されを得ん事、かへすがへす難かるべし。


訳すと以下のようになります。

この頃は、これまでの自分を振り返り、今後の自分の芸をどのようにするか考える時期でもある。
ここできちんと考えておかないと、その後優れた役者として認められることは難しい。


何事においても、頂点を取れる人はほんの一部ですが、世阿弥マインドで行けば、トップを取れなかったからと言って落ち込んではいられないという事です!

年後期(44〜45歳)

能は下がらねども、力なく、やうやう年がけ行けば、身の花も、よそ目の花も失するなり。

世阿弥はこの時期を、芸の神髄を極めた素晴らしい役者で能力は下がらなくても、年を重ねて身体の華やかさも観客から見た魅力も失っていくのは避けられないことだ、と述べています。

あまり難しい事をしてボロを出すよりも、自分の得意な事を控えめに行い、若手の指導者として後継者の育成に励みましょう。

自分の衰えを受け入れ、今の自分がすべきことを自覚できる人こそ、奥義に達した心を持った人であると。

変声期や絶頂期を経験して、困難の乗り越え方が分かってくる年齢だからこそ、若手にお手本を見せ良いアドバイスができるという事ですね。

年期(50歳以上)

老年期は、7段階の最後のステージです。

年老いて「花」も失せているため、何もしない以外に方法は無いと辛辣な事を言いながらも、父・観阿弥の紹介をする事で、本物の能役者であれば老いても花があるものだと語っています。

観阿弥は52歳で亡くなるのですが、その15日前に静岡県の浅間神社で奉納のお能を舞った時の事を、「動きが少なくて控えめであるのに花が残っているように見え、観客は絶賛していた」と世阿弥は残しています。

世阿弥が説いた「老いの美学」

には終りあり、能には果てあるべからず

当たり前ですが、人間の命には限りがあります。

しかし、お能には終わる所が無いと世阿弥は言います。

父・観阿弥のエピソードからも伺えますが、世阿弥はお能の絶頂期を30代としつつも、老いてからも初心を忘れず、肉体の老いにふさわしい芸に挑むべきだと言っています。

老いてこそ、芸事は完成に近づくのです。

老いた体でも、無理をして若い頃と同じ動きをしなければ花が無くなる、と思っていた人はいませんか?

何歳になっても、人生ではじめて直面する出来事はいろいろとあります。

初心を忘れないというのは、自らの未熟さを忘れず努力をし続け、新しい発見をしましょうという事なのですね。

おわりに

今回は、能を大成した世阿弥の残した言葉、「初心忘るべからず」についてご紹介しました。

世阿弥は大変な勤勉家・努力家だったのです。

現代人の寿命は伸びており、人生100年時代とも言われます。

「年を取ったから新しい事にチャレンジしても意味がない」「若い頃より体力が落ちているからあんな事はできない」なんて、諦めていませんか?

人はいつだって初心者なのですから、今頑張れることをやればいいのです。

生き生きと、日々充実した人生をおくりましょう!