2018年の紅白歌合戦に、「刀剣男士」が出場することで話題になりました。

ここ数年、日本刀に夢中になる刀剣女子と呼ばれる若い女性たちが急増し話題になっています。

このきっかけとなったのが刀剣乱舞とうけんらんぶというブラウザゲーム。

刀剣男士とは、このゲームに登場する擬人化キャラクターの総称です。

このゲームで日本刀に魅せられた女性たちが、今度は本物の日本刀に興味を抱くようになりました。

ここでは、刀剣乱舞とそれに登場する刀についてご紹介します。

刀剣乱舞とミュージカルについて

刀剣乱舞は、DMMゲームズとニトロプラスが共同で製作した、2015年公開のブラウザゲームです。

正式名称は「刀剣乱舞-ONLINE」。

略称はとうらぶ。

プレイヤーは「審神者さにわ」となり、歴史上の名刀を擬人化した刀剣男士を収集、強化育成していくゲームです。

ゲームの物語は西暦2205年、歴史を変えようと歴史修正主義者が過去に攻撃を始めたことに始まります。

時の政府は歴史を守るため、物に眠る想いや心を目覚めさせ戦う力を引き出す技を持つ「審神者」を過去へと送り込みました。

この審神者によって生み出された刀剣に宿る付喪神つくもがみ=「刀剣男士」が、「歴史修正主義者」との戦いに身を投じて奮戦していくというストーリーです。

刀剣男士たちは昔の刀の時代の史実の記憶も背負っており、それがキャラクターの人格形成や性格に大きな影響を与え、個性となっています。

審神者たちは初期刀のほか、鍛刀で資源を組み合わせて刀剣男子を生み出してそれぞれ刀装をつけ、6人の刀剣男士で白刃隊はくじんたいを編成します。

「出陣」すると、索敵して隊の陣形などを選び、戦いが始まります。

勝利してレベルを上げられることもある一方、時には刀剣男士が重傷を負ったり、破壊されたりしてしまうこともあります。

戦いや演練(練習試合のようなもの)、遠征などを重ねてレベルを強化し、新たな刀剣男士も集めて次の戦いに挑んでいきます。

公開当初から高い人気を呼び、平成27年(2015年)には初のメディアミックスとしてミュージカル「刀剣乱舞」、通称刀ミュ(とうみゅ)が誕生しました。

公演は2部構成。

1部は歴史ドラマミュージカル、2部がオリジナルの衣装をまとったライブパフォーマンスで、いまやチケットをとるのが難しい大人気の舞台となっています。

刀剣男士とそれにまつわる名刀を紹介

名刀と呼ばれる刀にはそれぞれ歴史があり、刀剣男士たちはその名刀の来歴と結びついたキャラクターとなっています。

ゲームに登場するなかで、比較的ポピュラーな刀剣男士と、その刀のたどってきた歴史や逸話について紹介します。

っかり青江(所有:香川・丸亀市立資料館)

にっかり青江はロングヘアの美青年。

隠れている右目は赤目のオッドアイで、真剣必殺時に見ることができる。

肩に白装束をかけている。

っかり青江の歴史

備中の刀集団、青江派の作。備中国青江(岡山県)で作られました。

ある時とある武士がにっかり笑う女の幽霊を一刀両断したところ、翌朝、切り倒された石塔が残されていた伝承から「にっかり青江」と呼ばれました。

刀はこの武士から柴田勝家、丹羽氏を経て豊臣秀吉、秀頼の手に渡り京極家に。

丸亀城主になった京極氏が守護刀として祀り、妖怪が出没しなくなったとの伝承もあります。

元は2尺5寸(約75cm)の太刀。何度かすり上げられ、1尺9寸9分(約60.3cm)の脇差として登録されています。

この刀を丸亀市が購入し、丸亀市では平成30年4月より、ふるさと納税の返礼品にこの刀の摸造刀を用意しています。

日月宗近(みかづきむねちか 所有:東京・東京国立博物館)

長身で平安貴族のような優雅な言動が多く、究極のマイペース。

天下五剣の中でも最も美しいと評される。

日月宗近の歴史

天下五剣の1つで、平安時代の刀工三条宗近作の長さ約80cmの名刀です。

三日月の名は三日月形の美しい刃文が見られるため。

室町幕府13代将軍で剣豪の足利義輝が松永久秀や三好三人衆に襲撃された際、応戦した刀の1つと伝えられます。

一方で刀身の重心がバランスを崩しているともいわれ、試し切りをしたこともない不殺の剣とも言い伝えられています。

豊臣家から徳川家に伝来しました。

狐丸(こぎつねまる 所有:大阪・石切剱箭神社)

妖狐のような雰囲気を漂わせていますが、紳士的かつ優雅な物腰の青年。

能の「小鍛冶」に登場する。名前は小狐だが、図体は大きい。

狐丸の歴史

平安時代の刀工三条宗近が、稲荷明神の化身である小狐の相槌あいづちに助けられて勅命(天皇の命令)の刀を完成させます。

そのため裏には「小狐」の銘が刻まれました。

これは能の中の話で、この刀は伝説刀ともいわれています。

ただし、小狐丸の伝承やゆかりを持つ刀は各地に存在します。

石切剱箭神社いしきりつるぎやじんじゃの刀も銘は宗近。能の印象に近い刃長53.8cmです。

小狐丸にまつわる逸話は複数ありますが、刀剣乱舞では上記がモチーフになっているようです。

切丸(いしきりまる 所有:大阪・石切剱箭神社)

大太刀の男士。超武闘派。

長く神社に納められていた為か争いより神事の方が得意で、出陣の際も祈祷をするほど。

切丸の歴史

石切丸という名の刀は複数ありますが、石切劒箭神社の石切丸と目されることが多いのが有近作の源義平(源頼朝の長兄)の刀です。

義平は、若くして叔父を討つなど悪源太と名を馳せた猛将ですが、平治の乱で斬首されました。

彼の石切丸は4尺との伝承もありますが、神社所蔵の刀は2尺5分1寸(76.1cm)です。

ただし、義平は河内源氏の流れをくみ、有近も河内国在住の経歴があるため何らかの縁はあったのかもしれません。

台切光忠(しょくだいぎりみつただ 所有:茨城・徳川ミュージアム)

燕尾服を着こなし、右目の眼帯がトレードマーク。

伊達者でカッコよさにこだわるイケメン。

ファンの間では「みんなのオカン」と呼ばれている。

台切光忠の歴史

鎌倉時代の備前長船派おさふねはの祖、備前光忠の鍛えた刀です。

織田信長から豊臣秀吉に渡り、御座船を献上した伊達政宗に与えられました。

政宗が家臣を燭台もろとも斬り殺したのが燭台切の名の由来です。

水戸初代藩主の徳川頼房に献上され(頼房が強引に持ち帰ったとも)、以降水戸藩徳川家に伝来しました。

関東大震災で焼失したとされていましたが、刀剣乱舞ファンの後押しもあり、焼刀としての現存が判明しました。

2018年には徳川ミュージアムがその写しの刀を完成させています。

刀剣乱舞のファンから本当に焼失したのかとの質問が博物館に殺到したため、博物館が調査したところ焼刀として残されていたことが分かり公開。

刀の保護を求める人々がその調査や保護のため寄付を行い、写しの完成に至りました。

泉守兼定(いずみのかみかねさだ 所有:東京・土方歳三資料館)

新撰組をイメージするだんだら模様のマントをまとった長い黒髪の美青年。

気が短いのは元の持ち主のせいでは、といわれている。

泉守兼定の歴史

新撰組副長の土方歳三の愛用刀。

会津藩お抱えの11代(12代とも)兼定作の刀です。

会津藩主松平容保から歳三が拝領したと伝えられます。

歳三はこの刀と共に各地を転戦しました。

最後の決戦を前に、愛刀を実家に送りました。

歳三の兼定は刃長2尺8寸(約85cm)と伝わりますが、現存刀は2尺3寸1分(約70.3cm)。

歳三は和泉守兼定作の刀を複数所有していたのかもしれません。

州清光(かしゅうきよみつ 所有:行方不明)

表が黒、裏地が赤のロングコートとブーツをはいて、赤い襟巻きを前に流した刀剣男士。

貧しい環境で生まれた成果、綺麗にしていれば可愛がってもらえると思っている。

州清光の歴史

新撰組随一の剣の使い手、沖田総司の打刀。

池田屋襲撃事件でもこの清光で参戦したそうです。切っ先が折れて、多数の刃こぼれがあったと伝えられます。

加州清光は加賀の刀工で、室町末期から江戸末期まで12代続きました。

沖田が所有していたのは江戸初期に「乞食清光」(窮民収容所に住んでいたため)と呼ばれた有名な6代清光でないかといわれています。

丸国永(つるまるくになが 所有:東京・宮内庁)

白銀の髪に金の瞳、鶴のような真っ白な戦装束。

性格は軽妙で酔狂。

退屈なことが嫌いなようで審神者を驚かせることもあり、おちゃめな一面も。

丸国永の歴史

平安時代の三条宗近の子、または孫と伝わる五条国永によって作られた刀。

細身で切っ先が小さく、反りの高い優美な刀身です。

所有者の鎌倉御家人安達氏が滅亡後、時の執権北条貞時が安達氏の墓を掘り返してこの刀を入手したという説もあります。

のちに織田信長からその家臣を経て伏見の藤森神社に寄進されたといわれます。

江戸時代に本阿弥家が発見し伊達家に伝わり、明治天皇に献上されました。

し切長谷部(所有:福岡・福岡博物館)

執事のような性格と見た目で、主君に忠実でクール。

戦闘では苛烈な姿になり、敵対者に対しては容赦しない。

し切長谷部の歴史

南北朝時代の刀工長谷部国重の作。

元は三尺(約90cm)ありましたが、現在は二尺一寸四分(約64.8cm)。

信長の愛刀の1つでした。

信長は成敗しようとした茶坊主が膳棚の下に逃げ込むと、この刀で棚の上から茶坊主ともども圧し切ったとか。

切れ味の鋭さからへし切長谷部と名付けられました。

この刀はその後、中国攻めに際し黒田官兵衛に下賜され、黒田家の家宝になります。

刀身全体に網目の焼き目のある皆焼ひたつら※1で、地沸じにえ※2が美しく浮き出ています。

※1 皆焼 : 波打つような刃紋が刃の部分にだけでなく刀身全体にみられること。通常の焼き入れと異なり、地の部分全体にも焼き入れしているため。

※2 地沸 : 刃紋を構成している細かな粒子のこと。これが地の部分に働くと地沸と呼ばれます。

研藤四郎(やげんとうしろう 所有:現存せず)

短刀男士で見た目はかわいらしい美少年。

しかしひとたび出陣すると敵陣に突っ込む勇猛振り。

戦場育ちである為か、台詞がやたらと男らしい。

研藤四郎の歴史

天下三作といわれた栗田口吉光、通称藤四郎作の短刀。

室町時代、畠山政長がこの刀で切腹を試みるも刃が刺さらず、「役立たず」と投げると、刀は厚さ1寸の薬研(薬をつぶす道具)に突き刺さりました。

以降、「薬研藤四郎」と呼ばれ、切れ味は鋭くも主君を守ろうとした刀と称えられました。

この刀は松永久秀、織田信長、豊臣秀吉を経て息子秀頼の大坂城落城と運命を共にしますが、のちに発見されて徳川家に献上されるも現在は不明です。

2018年、残されている絵図をもとにこの刀が再現され、信長をまつる建勲神社(京都市)に奉納されました。

おわりに

以上、キャラクターとその名刀の来歴を紹介しました。

刀剣男士たちは様々な過去や想いを背負っていたようです。

刀剣男士たちの刀時代の歴史に思いを馳せれば、キャラクターへの理解も深まり、より親しみを持てそうです。