「大典太光世」は、平安時代に作られた天下五剣(てんかごけん)※の一振で、現在は国宝に指定されています。
鋭い斬れ味とともに不思議な力を持つ霊剣として知られ、戦国武将の前田利家を祖とする旧加賀藩前田家に伝えられてきました。
今回は大典太光世の特徴と作者、その来歴と不思議な霊力、さらに刀剣乱舞との関係も合わせてご紹介します。
※天下五剣:日本刀の中でも特に傑作として名高い五振の刀のこと。
大典太光世とは
<大典太光世>国宝指定。平安時代後期~永保年間、三池典太光世初代の作。刃長66.1、反り2.7、元幅3.5、先幅2.4(cm)。病魔を祓う霊刀として保管され、納められた蔵には鳥が寄り付かない、止まった鳥が死んでしまう等と噂された。 pic.twitter.com/8Qc2AKa5dh
— 日本刀♥LOVE (@nihonnoto2) May 9, 2017
まずは、大典太光世の基本データをご紹介します。
大 典太光世の特徴と魅力
【刀剣】俗に天下五剣と尊称される名物があります。
— 斑鳩 (@ikarugashion) December 25, 2014
・御物「粟田口国綱」(別名「鬼丸」)
・国宝「大典太光世」
・国宝「三日月宗近」
・国宝「童子切安綱」
・重文「数珠丸恒次」
各口何れも、惚れ惚れする美しさ。 pic.twitter.com/gWe6KXUQXb
天下五剣の一振でもある「大典太光世」は、平安時代末期の刀工である三池典太光世が作刀した太刀で、国宝に指定されています。
大典太光世という銘は、前田家が所有する三池典太光世作の二振を刀身の長さの違いで「大伝太」、「小伝太」と呼び分けていたことに因み、国宝に指定する際に文化庁が大典太としました。
平安時代、刀といえば、細めで優美な造りがほとんどでした。
しかし大典太光世は、それらとは隔絶した身幅が広くて短い、重量感のある個性的な造りが特徴です。
この堂々とした佇まいは、鋭い斬れ味を伝える逸話を彷彿とさせてくれます。
重量を軽くするために手元に近い部分には「樋」と呼ばれる溝が彫られ、刃と反対の棟(峰)は丸棟です。
刀身の模様も見どころの一つで、地鉄の白い部分が木目のような板目肌と複雑に絡み合った模様が、星空に雲が流れているかのような美しさを見せます。
作 者の三池典太光世について
大典太光世の作者は、平安時代末期に筑後国(現在の福岡県)で活躍した刀工・三池典太光世です。
三池典太光世は三池(現在の福岡県大牟田市)の地で、刀工集団「三池派」をつくりました。
三池典太光世が鍛えた刀は、「大典太光世」と同じように、身幅が広く豪壮な造り、まっすぐな刃文や丸棟が特徴です。
三池典太光世のその高い作刀技術は、刀に魂が乗り移るほどともいわれ、大典太光世もその魂が宿ったかのように不思議な霊力を持つという逸話で知られています。
大典太光世の経歴
では、大典太光世の経歴についてご紹介しましょう。
大典太光世は、室町幕府初代将軍・足利尊氏の愛刀の一つとしても知られています。
そのまま足利家の重宝として代々伝えられ、13代将軍・足利義輝が、この大典太光世を実戦で使ったという説があります。
永禄の変で襲撃を受けた剣豪の足利義輝は、刀をいくつも変えながら敵と戦い、最後は討ち取られました。
その時に使った一振がこの大典太光世だったとされるものの、真相は不明です。
その後、15代将軍・足利義昭が大典太光世を豊臣秀吉に献上しました。
怪 奇現象を解決して前田家へ
大典太光世・前田家重宝の霊刀https://t.co/HMRJ4gH20F
— 刀剣・日本刀 鋼月堂 (@kougetsudo) June 12, 2019
刀剣ブログに画像を追加しました
前田藤四郎も一緒にツイートしておきます。
出典:前田育徳会国宝・重要文化財特別展図録より pic.twitter.com/KrWoiGs1yR
大典太光世は、豊臣秀吉から家臣の前田利家へと渡りますが、その経緯については“怪異”あるいは“病魔を祓う”という2つの不思議な説があります。
前田利家とは、織田信長に仕えたのちに豊臣秀吉の重臣となった、武勇優れた武将です。
豊臣秀吉の盟友にしてその信頼も厚く、加賀百万石の当主になるとともに五大老として豊臣家を支えました。
そんな前田利家に大典太光世が渡った理由の一つが、「肝試し」です。
あるとき、京都の伏見城で、豊臣秀吉の家臣である加藤清正と黒田長政が、「城内の大広間を深夜に一人で歩いていると幽霊に鞘をつかまれ、先に行けなくなる」という話をしていました。
それを聞いた前田利家が一笑に付し、自分が肝試しに行って確かめると言いました。
これを豊臣秀吉が心配して、前田利家に魔除けとして大典太光世を貸し出します。
前田利家がこの大典太光世を携えて深夜に大広間へと入ったところ、何事も起きずに無事戻ってきたそうです。
以来、怪談もなくなりました。
豊臣秀吉はその勇気を称え、また怪談を払拭してくれた感謝として、前田利家に大典太光世を与えたといわれています。
前 田家豪姫の病を治した不思議な力
大典太光世の不思議な説のもう一つは、前田利家の娘・豪姫の病気を回復させた逸話です。
あるとき、豪姫が原因不明の病にかかってしまいます。
豪姫をかわいがっていた豊臣秀吉は大変心配して、霊力があるという大典太光世を前田利家に貸し出しました。
そこで大典太光世を豪姫の枕元に置いたところ、なんと病が治ったのです!
ところが、大典太光世を豊臣秀吉に返すと豪姫の病がぶり返していまいました。
また大典太光世を枕元に置くと治り、返すと再発……ということが何度か繰り返されたため、豊臣秀吉が「もう返さなくても良い」と、大典太光世を前田利家に与えたということです。
なお、この話は豪姫ではなく前田利家の息子の妻である珠姫の話という説もあります。
鳥 とまらずの蔵と斬れ味
このように、大典太光世は怪異や病魔を祓うといった魔除けの霊力を発揮して前田家へと移りました。
その後の大典太光世は、前田家の三種の神器の一つとして蔵に大切に保管されましたが、ここでも不思議なことが起こります。
この蔵の屋根にとまった鳥が、なぜか落ちて死んでしまうのです。
大典太光世の霊力のなせる業とされ、触れずに斬るその威力から「鳥とまらずの蔵」と呼ばれるようになりました。
また、大典太光世は怪異だけでなく、天下五剣随一の斬れ味を誇る名刀です。
江戸時代に試し切りをしたところ、大典太光世は積み重ねた2体の遺体を切断し、3体目の背骨まで斬りこんだとか。
試し切りが行われた時は、作刀してから既に約700年が経っていたと思われますが、それでもこれほどの斬れ味を見せたことに一同驚嘆したとされています。
こうしてその霊威、斬れ味の逸話とともに伝えられた大典太光世は、明治時代ののちも前田家が所蔵し、昭和31年(1956年)に重要文化財に指定され、翌年の昭和32年(1957年)には国宝に指定されました。
現在は、東京都目黒区にある前田家の文化財を保存管理する公益財団法人前田育徳会が所蔵し、石川県立美術館(その中の前田育徳会尊経閣文庫分館)の企画展に合わせて展示されることがあります。
大典太光世と刀剣乱舞
【情報解禁】ミュージカル『刀剣乱舞』 ―東京心覚―
— ミュージカル『刀剣乱舞』公式 (@musical_touken) February 10, 2021
メインビジュアルとキャラクターページを公開、出演者情報を更新しました!https://t.co/v9GTx45n0l#刀ミュ pic.twitter.com/Moy9YjoaYJ
日本刀を擬人化した付喪神である刀剣男士が活躍する刀剣乱舞。
平成27年(2015年)年にリリースされて以降、舞台、アニメなど幅広いメディアミックスを展開しています。
大典太光世は長身で強面の刀剣男士。
アニメや舞台でも活躍しています。
強い霊力を持つため封印されていた歴史を持ち、「俺を封印しなくてよいのか」と、自分のことを蔵にいるべき存在と考えるなど卑屈な言動が目立つネガティブ系の刀剣男士です。
真剣必殺の際には霊剣らしく、霊力を発揮します。
おわりに
天下五剣の一振にして国宝でもある大典太光世は、鋭い斬れ味と魔を祓う霊剣としての逸話で知られ、前田家の重宝として伝えられてきました。
その重厚な佇まいはずしりとした存在感を放っており、刀に刀工の魂が吹き込まれているのではないかと思わせる迫力を感じます。
実物が展示される機会はそう多くないのですが、ときには石川県立美術館を出て公開展示されることもあります。
機会があれば、ぜひ見ていただきたい霊剣です。
住所:〒153-0041
東京都目黒区駒場4-3-55
妖しい煌めきを放つ日本刀は、刀工たちが神に祈りを捧げ、精魂込めて作り上げたものです。神の魂が宿ったのか、現代からみれば信じられないような伝説を持つ刀も多く伝えられてきました。今回は「村正」をはじめとした、妖刀や魔剣など不思議な伝説を持つ日本刀についてご紹介していきます!
国宝にも指定されている「三日月宗近」。その最大の見どころといえば、なんといっても刃の縁に沿って浮かぶ三日月形の模様です。名工・三条宗近の手で作られ、千年もの間、その美麗さゆえに多くの武将に愛されてきた三日月宗近について、歴史やエピソード、刀身の特徴、さらに刀剣乱舞との関係などをご紹介いたします。
南北朝時代に福岡の刀工一派・左文字派によって作られた刀剣「宗三左文字」。
今川義元や織田信長、徳川家康など名だたる武将が所有し、「天下取りの刀」とも呼ばれてきたという華々しい来歴がある刀です。
今回はそんな宗三左文字について、制作者や特徴、エピソード、話題のゲームである刀剣乱舞との関わりなどをご紹介します。
「和泉守兼定」は、江戸時代末期に会津の刀匠・11代和泉守兼定が作った刀で、土方歳三にも愛されたことで知られています。今回はそんな「和泉守兼定」の特徴や作者、土方歳三との関わりのほか、今話題のゲームである刀剣乱舞との関連についてもあわせてご紹介します。
「蜻蛉切」は、室町時代に作られた大笹穂槍で、天下三名槍の一つです。蜻蛉を真っ二つに切り裂く鋭い切れ味から、「蜻蛉切」と命名されました。またこの槍は、徳川四天王ともうたわれた豪傑・本多忠勝が愛用したことでも知られています。今回は、そんな本多忠勝の活躍も踏まえて蜻蛉切の特徴や魅力、作者などをご紹介します!
大包平は、平安時代に活躍した古備前派の刀工である包平によって作られた太刀で、国宝に指定されている日本刀です。包平の作った刀のなかでも、最も優れた作品として「大包平」と名付けられました。今回はこの大包平の特徴と魅力、来歴とともにこの刀を守り通した逸話、刀剣乱舞との関係についてもご紹介します。
同田貫正国は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、肥後で活躍した同田貫派の刀工・正国が作った刀の総称です。正国は安土桃山時代に肥後を支配した武将・加藤清正の保護を受け、「折れず曲がらず」と称えられる、実戦に強い質実剛健の刀を作りました。今回は、そんな同田貫正国についてご紹介します。
正宗は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に相模国(現在の神奈川県)を活動拠点とした刀工です。正宗は日本刀中興の祖とも呼ばれ、刀剣としての機能、刀剣美をともに飛躍させた名工として知られています。今回は刀工の正宗についてその作風と魅力、そして正宗が作った主な刀や刀剣乱舞との関わりについてご紹介します。
童子切安綱は、天下五剣の中でも筆頭格とされる名刀で、現在は国宝に指定されています。大包平とともに、「日本刀の東西の横綱」とも称されてきました。今回はそんな、最上級の「武器としての力強さ」と「神秘の歴史」を兼ね備えた童子切安綱についてご紹介します。
「祢々切丸(ねねきりまる)」とは、栃木県日光市にある日光二荒山神社が所蔵する日本最大級の大きさを誇る大太刀で、国の重要文化財に指定されています。今回は、祢々切丸の特徴や妖怪を退治した伝説、神事、展示場所についてご紹介します。
鬼丸国綱は鎌倉時代に作られた刀で、日本刀の最高傑作と呼ばれる天下五剣の一つに数えられる名刀です。現在は、皇室の私有財産である御物となっている鬼丸国綱の特徴や作者、そして華々しい来歴や刀剣乱舞について紹介します。
刀鍛冶は、日本刀を作る職人で、刀工、刀匠ともいいます。日本刀とは折り返し鍛錬など日本特有の製造方法で作られた反りのある刀で、平安末期の11~12世紀頃に成立したとされています。以降、これが日本刀の主流になり、時代の変化に応じて様々な形状、種類の刀が作られました。
本記事では、日本刀の中でも最強・最高傑作の刀を紹介します。童子切安綱や三日月宗近などの天下五剣など、日本刀には傑作と呼ばれる刀がいくつもありますが、伝説やエピソードをもとに7本を厳選。その中からワゴコロ編集部が選んだベスト1はどの刀なのでしょうか!?
2018年の紅白歌合戦に、「刀剣男士」が出場することで話題になりました。
ここ数年、日本刀に夢中になる刀剣女子と呼ばれる若い女性たちが急増し話題になっています。
このきっかけとなったのが刀剣乱舞(とうけんらんぶ)というブラウザゲーム。
刀剣男士とは、このゲームに登場する擬人化キャラクターの総称です。
2018年の紅白歌合戦に、ミュージカル刀剣乱舞(とうけんらんぶ)の刀剣男士が出演することが決まり話題になりました。刀剣乱舞はブラウザゲームで、歴史的な名刀を擬人化した刀剣男士を集めて育成、強化して戦っていく人気のゲームです。
石川県は日本の中部に位置し、カニやノドグロなど日本海の美味しい海鮮が有名で、何百年も前から受け継がれてきた技術で作り上げた20品目以上の伝統工芸品が存在します。経済産業大臣によって石川県の「伝統的工芸品」として指定されている加賀友禅、九谷焼、輪島塗、山中漆器、金沢漆器、牛首紬、加賀繍、金沢箔など10品目をご紹介します。