「三日月宗近」は、日本刀の中でも特に傑作として名高い刀を指す「天下五剣(てんかごけん)」の一振りにも数えられる刀で、現在は国宝に指定され、東京国立博物館に所蔵されています。
三日月宗近の最大の見どころといえば、なんといっても刃の縁に沿って浮かぶ三日月形の模様です。
大きな反りを持つ優美な刀身に表れている特徴的な三日月の模様は、得も言われぬ美しさを感じさせます。
三日月宗近は、平安時代の名工・三条宗近の手で作られ、千年もの間、その美麗さゆえに多くの武将に愛され、いくつもの逸話を生み出してきました。
そんな三日月宗近について、歴史やエピソード、刀身の特徴、さらに刀剣乱舞との関係などをご紹介いたします。
三日月宗近の歴史とエピソード
三日月宗近が打たれてから現在まで、誰の手に渡ってきたかというのは、実は不明なことも多く、三日月宗近の持ち主については、さまざまな伝説が伝えられています。
【 室町時代】公卿・日野内光と剣豪将軍・足利義輝
まず、三日月宗近の最初の持ち主とされるのは、日野家26代目当主である公卿・日野内光です。
大永7年(1527年)にあった恵勝寺合戦で日野内光が佩いて※いたのが、三日月宗近であったとされています。
日野内光は奮戦するも残念ながら討ち死にしてしまいますが、その後は高野山に納められたという一方、足利将軍家の秘蔵刀となったとも伝えられます。
また、永禄8年(1565年)の永禄の変で松永久秀や三好三人衆に襲撃された13代将軍・足利義輝は、名刀を何振りも畳に突き立て、刃こぼれするたびに刀を次々と取り替えながら応戦したという逸話があります。
この伝説は、それを裏付ける史料がないことから創作だともいわれていますが、そのときの一振りが三日月宗近だったそうです。
あくまで伝説の域をでませんが、本当だとしたら凄いですよね。
※佩く:腰に刀を下げる(吊るように付ける)こと。
【 安土桃山時代】三日月がトレードマークの山中鹿之助
やがて、三日月宗近は豊臣家へと献上されるのですが、その中で一時、出雲の尼子家の家臣・山中鹿之助の手に渡ったという伝承があります。
鹿之助は尼子家が毛利家に滅ぼされたのち、主家再興に奮闘した武将です。
彼は三日月に向かって「我に艱難辛苦を与えたまえ」と祈り、武具にも三日月を配するなど三日月を信仰していたと伝えられています。
まさに、三日月宗近はそんな鹿之助にふさわしい刀ともいえますよね。
ただ、彼は恐れ多いとこの刀を返上したと伝えられ、まもなく討ち死にしました。
(この刀を与えられたのは別人の山中鹿之助という説もあり)
【 江戸時代~現代】豊臣家から徳川家そして東京国立博物館へ
上記でお話した2つのエピソードはあくまで伝説とされており、三日月宗近について確実に言えることは、豊臣秀吉の妻・寧々(北政所)が所有 していた江戸時代以降のことになります。
三日月宗近は豊臣秀吉の妻・寧々(北政所)の死後、その遺品として2代将軍徳川秀忠に贈られ、代々徳川家が所蔵しました。
徳川吉宗が編纂させた将軍家所蔵刀の格付けカタログ「享保名物帳」にも、三日月宗近は名物として紹介されています。
明治維新後も三日月宗近は徳川家が所有していました。
さらに、明治時代の政治家・犬養毅らが三日月宗近を目にして、思わず頭を垂れたという逸話もあるんですよ。
三日月宗近の崇高な美しさは、人々の心を動かす底知れぬ力を秘めているのでしょう。
その後、時期は不明ですが、三日月宗近は徳川家の手を離れ、個人の所有を経て現在では東京国立博物館の所蔵となっています。
その過程で昭和8年(1933年)には重要文化財に、さらに昭和26年(1951年)には太刀銘三条(名物三日月宗近)の名称で国宝に指定されました。
そんな数々の伝説を持つ三日月宗近ですが、実は長い年月の間に研ぎ減りしてしまっています。
刀剣としての歴史が長いため、研ぐのは避けられないことですが、そんな中、オンラインゲーム・刀剣乱舞の原作を担当するニトロプラスが、作った当初の姿を蘇らせたいと「三日月宗近 生ぶ復元プロジェクト」を発足させました。
続き>「三日月宗近 生ぶ復元プロジェクト」その最初の成果報告として、2017年1月6日から池袋サンシャインシティで開催される「刀剣乱舞-本丸博-」にて、地鉄と波紋の確認のため試作された影打「復元 三日月宗近 影」を展示します。今後とも本プロジェクトにぜひご注目ください! pic.twitter.com/m1Qg0CH4X3
— でじたろう@ニトロプラス (@digitarou) December 24, 2016
試作品である影、影改の完成を経て平成30年(2018年)に真打が完成し、三日月宗近の往時の姿を復活させています。
三日月宗近の特徴と魅力
三日月宗近は、平安時代の刀工「三条宗近」が作った日本刀で、現在は「太刀銘三条(名物 三日月宗近)」として、国宝にも指定されています。
刃 の縁で光る三日月形の打除け

三日月宗近の最大の特徴は、刃の縁に沿っていくつも見られる三日月形の打除けです。
打除けとは、焼き入れの際に刃に現われる弧状の模様のことです。
三日月宗近を光にかざすと、木目のような「小板目肌」の地鉄(刀身の地紋)の中に弧状の打除けがいくつも浮かびます。
それはまるで、雲の合間にたなびく三日月のようで、とても幻想的です。
「三日月宗近」という名前はこの打除けに由来し、室町時代にはすでに宗近作の「三日月」として知られていました。
天 下五剣の一つに数えられる美しさ
三日月宗近の刀身は、放物線を描く大きな反りと、先端がぐっと細くなった姿が特徴です。
反りは中央よりも手元の柄側に反りの中心がくる「腰反り」で、柄側の強い反りが先端に行くほど緩くなり、反りの美しさがより際立っています。
また、身幅は手元側が広く、先に行くほど細くなった“踏ん張りの強い姿”をしており、この幅の差が太刀の優雅さをより引き立てています。
このような鷹揚さと優雅な美しさを感じられるムダのない太刀姿から、三日月宗近が天下五剣の中でも最も美しい刀といわれています。
反 りを持つ刀剣としての機能美
三日月宗近は、日本刀の特徴である「反り」が誕生した時期に打たれた日本刀であり、古い姿を留めた刀剣といえます。
そもそも、日本刀の姿は平安時代中期から末期にかけて大きく変わりました。
戦闘様式が歩兵戦から馬上戦へと変化したのに伴い、刀も従来の直刀とは違う、反りのある太刀が生み出されたのです。
反りのある刀は片手で抜刀しやすいうえに、馬上からでも敵を斬り、突くことができます。
まさに、反りは騎乗の武士に必要とされた機能でした。
また、当時の刀剣は斬った時の衝撃を減らすため、手元の反りが大きく(腰反り)、鎧のすき間を付けるように先は細く直線になっています。
あわせて、刀の刃渡りは76~82cmが一般的なのですが、これは当時の小型の馬の上から斬りつける時に適した長さでした。
三日月宗近を作った三条宗近とは
三日月宗近は、三条宗近という刀工によって打たれました。
三条宗近とは、山城国(現在の京都府南部)の刀工集団・三条派の開祖であり、平安時代末期に活躍した伝説の刀工です。
三条の名は京都の三条に住んでいたことに由来し、三条宗近は自分が作った刀に「宗近」または「三条」と銘を切りました(名前を入れること)。
稲荷明神の協力を得て刀を打ったという話などもある、半ば伝説化された人物で、そんな三条宗近の代表作の一つが三日月宗近です。
現存はしていませんが、源義経や武蔵坊弁慶が持っていた刀剣も三条宗近が打ったという話もあるほか、現存しているものでは皇室の御物である山城国宗近御太刀をはじめとして、岐阜県の南宮大社、福井県の若狭彦神社など、さまざまな場所に三条宗近作とされる刀剣が伝えられています。
三日月宗近と刀剣乱舞
刀 剣男士の三日月宗近とは
日本刀を擬人化した付喪神である刀剣男士が活躍するオンラインゲーム、刀剣乱舞。
平成27年(2015年)にリリースされて以降、幅広くメディアミックス展開され、絶えず人気があります。
その刀剣男士のなかでも、三日月宗近は初期から登場しているキャラクターです。
彼は平安貴族のような出で立ちの、優雅で穏やかな言動をする正統派の美青年。
瞳にはトレードマークの三日月が描かれています。
「究極のマイペース」とも称されるように、時には「じじい」と自称し、おとぼけ発言も出てつかみどころのない存在ですが、それでいてしっかり頼りになる刀剣男士です。
ア ニメや舞台、映画でも大活躍
刀剣乱舞はアニメ化、舞台化、映画化など、幅広いメディアミックス展開をしていることも特徴的です。
アニメでは『刀剣乱舞 花丸』と『活撃 刀剣乱舞』の2つが放映され、そのどちらでも彼の度量の大きさや圧倒的な戦闘能力を見せる姿が描かれます。
また、実写版の映画「映画 刀剣乱舞 継承」にも登場し、その圧倒的な美しさで存在感を放ちました。
それだけではなく、三日月宗近はミュージカル『刀剣乱舞』や舞台『刀剣乱舞』でも登場しており、キーパーソンとしての役割を果たしています。
また、令和3年(2021年)に上演予定の舞台『刀剣乱舞』大坂夏の陣にも、三日月宗近は出演予定です。

2018年の紅白歌合戦に、「刀剣男士」が出場することで話題になりました。
ここ数年、日本刀に夢中になる刀剣女子と呼ばれる若い女性たちが急増し話題になっています。
このきっかけとなったのが刀剣乱舞(とうけんらんぶ)というブラウザゲーム。
刀剣男士とは、このゲームに登場する擬人化キャラクターの総称です。
おわりに
天下五剣の名刀と謳われた三日月宗近の魅力や歴史、刀剣男士としての姿をご紹介しました。
三日月宗近は千年もの歴史の中で、研ぎ減りして姿が変わったともいわれています。
しかし、今なお風雅さと刀剣としての力強さを持つ三日月宗近は多くの人を魅了してやみません。
東京国立博物館では、三日月宗近を不定期に公開していますので、機会があればぜひ、その三日月型の打除けや優雅な刀身を目にしてみてください。
住所:〒110-8712
東京都台東区上野公園13-9

刀鍛冶は、日本刀を作る職人で、刀工、刀匠ともいいます。日本刀とは折り返し鍛錬など日本特有の製造方法で作られた反りのある刀で、平安末期の11~12世紀頃に成立したとされています。以降、これが日本刀の主流になり、時代の変化に応じて様々な形状、種類の刀が作られました。

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日本刀の材料になる良質な鋼、玉鋼。玉鋼は純度の高い鉄で、鍛接しやすく、熱することで硬く粘り強くなり、錆びにくく研磨しやすいという特性があります。硬さや靱性が日本刀にぴったりの奇跡の鉄ともいえます。純度の高い脆さが少ない玉鋼を使うことで薄く打ち延ばし、折り返し鍛錬することが可能になりました。

造りこみした鉄の塊を加熱して四角い棒状に叩いて伸ばす作業です。ここでだいたいの刀の寸法や姿形の原型が決まります。刀鍛冶は出来上がりの寸法を考えながら幅、長さ、厚みなどを念入りに調整します。

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