三社祭の歴史
東京の初夏の風物詩、「三社祭」は、浅草神社の盛大なお祭りです。
そして、浅草神社の隣にあるのが、雷門で有名な浅草寺で、浅草神社のはじまりも浅草寺と深い関係があります。
浅草寺は古くからあるお寺で、その由緒は、1400年前、推古天皇の時代までさかのぼります。
西暦628年、地元の漁師である檜前浜成と竹成兄弟が、隅田川で金色の観音様を引き揚げ、それを土地のあるじである主人の土師直中知に見せたところ、中知はこの観音様を祀ることに決め、出家して自宅をお寺にしたのが浅草寺のはじまりでした。
やがて、浅草寺は人々の信仰を集めて大寺になり、寺を中心に地域も発展していったので、浅草寺創建のきっかけとなったこの3人を神様として神社を創ったのが、浅草神社のはじまりでした。
そして、明治政府より発令された神仏分離令によって明治元年に社名を「三社明神社」に一時期変えたので、「三社様」とも呼ばれるようになりました。これが、祭りの名称である「三社祭」の由来です。
明治6年には現在の「浅草神社」へと改称しました。
また、「三社祭」は3日間にわたり約180万人の見物客が来る、日本を代表する祭礼の1つですが、ここまで盛大になった理由は浅草の発展の歴史と無縁ではありません。
もともと浅草寺は、境内に数多くの神仏の祠があり、一度に多くの神仏に参拝できるので、庶民の信仰があついお寺でした。
それに加え、江戸時代の明暦の大火※で、現在の人形町にあった吉原遊郭が、浅草寺の北へ移転してきたため、遊郭の客や見物客が浅草寺に立ち寄ることも多くなり、さらに賑やかになりました。
※明暦の大火:江戸三大大火の1つに数えられる大きな火事
そして、江戸三座といわれる芝居小屋も江戸末期に近くに移転してきたことから、浅草は大都市・江戸の歓楽街へと変化していきました。
この発展のなかで、「三社祭」も、地域の祭りから江戸を代表する祭りへと成長していったのです。
神輿のルート
三社祭の御神輿は、もともとは神輿を船に乗せて隅田川を巡る「舟渡御」を行っていましたが、明治時代に、現在の浅草の町を巡る形式に変化しました。
祭りの最終日に、「一之宮」、「二之宮」、「三之宮」と呼ばれる3基の神輿が「ソイヤ、ソイヤ」の掛け声とともに浅草の町を巡行します。
そのときに激しく神輿を揺さぶって進めるため、神輿が壊れないように胴体に紅白の布が巻かれています。
早朝に境内を出た3基の神輿は、三方面に分かれて巡行します。
「一之宮」は、いったん隅田川の方へ出て吉原方面へ向かい、Uターンをしてから、大根のお供えで有名な待乳山聖天を通って境内へ帰ってくる浅草の町の東側を巡るコースを取ります。
「二之宮」は、花やしき遊園地の方へ出て、道具街で有名な合羽橋商店街の方へ向かいます。
そして酉の市発祥の鷲神社へ向かってから帰ってくるという西側を巡るコースを取ります。
「三ノ宮」は仲見世を通って浅草公会堂、浅草演芸ホール、東本願寺を通って、蔵前駅の方へ進み、また雷門へ帰ってくる南側を巡るコースを取ります。
そして、それぞれが各町を持ち時間40分でまわり、ようやく境内に帰ってくる午後8時頃に、3日間の熱い祭りも終わりを迎えます。
祭りのみどころ
「三社祭」は毎年5月17日、18日に近い金曜日から日曜日の3日間で行われます。
祭りの初日に浅草神社では、「神事びんさざら舞」が奉納されます。
豊作を祈って演じられる田楽の一種で、東京都無形文化財にも指定されています。
「びんさざら」とは“柏板”と書き、108の薄く細いヒノキの板を重ねて上を紐で止めたアコーディオン状の楽器です。
鮮やかな衣装を着た氏子が「サッ、サッ」と打ち鳴らしながら踊る姿は、室町時代の古い形式を伝える民俗芸能というだけでなく、浅草がかつては田園地帯であったことがしのばれます。
また、浅草寺では白鷺の舞、芸者さんたちによる手古舞も披露されます。
そして芸能だけでなく、白鷺の舞、びんさざら舞、手古舞をする人たちで編成された「大行列」が浅草の街を練り歩くので、東京の下町文化を感じることができる見どころの1つです。
そして、「三社祭」といえば、威勢のいい掛け声の御神輿が何と言っても見どころです。
神社の3基の神輿は最終日の3日目に巡行しますが、2日目には付近の44の町から約100基の神輿が浅草神社でお祓いを受けてから巡行します。
町ごとに揃いの半纏を着た担ぎ手たちが神輿を担ぎ、担ぎ手は大人や子ども、女性や外国人もおり、大変賑やかな雰囲気を感じることができます。
ネット上では、刺青をした方が多く担ぎ手として参加していることで話題になっているようですが、2015年に担ぎ手の刺青禁止規制が設けられました。
「三社祭」は神輿で有名ですが、神輿への神霊入みたまいれに始まり、神霊返しに終わる祭りとも言われています。
それは、祭りの前夜には3基の神輿に浅草神社の3柱の神様をお移しする神霊入れの神事が午後8時頃に行われ、これではじめて神が乗る乗り物、「神輿」になるからです。
夜に行うのは神様が夜に来るからで、照明を消した暗闇の中での儀式は荘厳でもあります。
そして、祭りが終わり神霊返しが終わると、祭りが終わったという一抹の寂しさ包まれるそうです。
神輿の担ぎ手への注意点に「神輿に乗ってはいけない」という表現が頻繁に出てくるのも、神輿には神様がおられ、神様あってのお祭りであること、そして担ぎ手として神様をおもてなしする“祀り”を続けていることを分かち合っているからにほかなりません。
実際に三社祭を見てみたい方はこちらからどうぞ!↓
三社祭に関する情報の詳細は、公式サイトをご覧ください。
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