「ねぶた」の由来
「ねぶた祭」は青森県の有名なお祭りです。
歌舞伎のような顔をした大きな人形灯籠が街を進む、あのお祭りです。
なぜ巨大な人形灯籠が練り歩くことを「ねぶた祭」というのかについては、あまり知られていませんが、いくつかの説があります。
1つは平安時代の征夷大将軍、坂上田村麻呂にまつわる伝説がもとになったというものです。
東北征伐の際に敵をおびきだす作戦として大灯籠を造ったことを、逆に敵がまねて地元で祭りにしていった、というものです。

もう1つは、青森にもともとあった習慣が変化した、とも言われています。
青森では、旧暦の七夕の日に、「ねむたさ(睡魔)を水に流してしまおう」と、「睡魔ながし」という行事が行われていました。
これは、暑さが厳しく、農作業の激しい夏に睡魔を追い払う民間の習慣で、藁で作った人形や灯籠を「ねむた流れろ」と唱えながら川や海に流していました。
そして、睡魔のことを青森では「ねぶたい」と言います。
また、江戸時代の七夕祭りでは、ねぶたを中心に「ねぶた流れろ」と囃しながら踊り子衆がついて町を練り歩き、最終日にはねぶたを川に流したので、それを「ねぶた流し」と呼んだといいます。
ねぶたの起源に関しては他にも諸説ありますが、眠たさを追い払う民俗習慣をもとに、様々な要素が絡み合って今のねぶた祭りの形に発展していきました。
神様のいない“祭り”の発展
「ねぶた祭」は、民俗習慣がもとになったため、神社仏閣が主催ではない神様のいない祭りです。
もともと宗教色がなく、参加資格も緩やかだったせいか、多くの団体が参加するようになりました。
そして、表彰制度もあることから参加団体が熱中し、約350万人が集まる日本最大級の熱い祭りに発展していったのです。
その経済効果は日本銀行青森支店が試算したところによれば、直接効果154億円、波及効果84億円、合わせて238億円。
非常に大きな金額ですが、実際はそれ以上あるとも言われています。
例えば、祭りの期間は全国から集まる観光客が宿泊するために、市内と周辺の宿泊施設はほとんど埋まり、宿泊費に加え、食費、お土産代、タクシーやバスの移動費だけで大きな金額が動きます。

そして、観光客だけでなく、地元青森市民も祭りに向けて消費活動が活発になり、衣装代やクリーニング代を使ったりします。
もちろん各団体も同様に費用を費やすので、祭り期間中の商店の売り上げは大きく伸びています。
少し見ただけでも、確実に地域振興にも貢献している「ねぶた祭」ですが、経済効果のために行ってきたわけでなく、地域の人たちのねぶたへの情熱が、結果的にこうなった、というのが自然なように思います。
というのも、地域の人たちのねぶたへの強い情熱は、江戸時代からすでに見られるからです。
江戸末期、ねぶた禁止令が出ていたにも関わらず、出して処罰された記録がたくさん残されていたり、明治初期には、大型のものや手の込んだもの、一人持ちのねぶた以外は禁止されていたものの、数台で運行する合同運行が行われていたらしい記録があったりします。
「ねぶた」がすでに盛んであり、禁止令が出たくらいではやめられないほど地元に根付いていたことがわかります。
大英博物館が認める芸術性
ねぶたは針金で形を作り、表面に紙を貼り、色をつけるという構造的にはシンプルなものですが、中には照明を仕込んだり、光を有効に活かすために彩色を工夫したりと、1つ1つの工程には熟練の技が必要です。
そして、各団体が美を競い合ううちに、ねぶたは手の込んだ芸術性の高いものになり、それに伴って「ねぶた師」といわれる専門の制作者が登場してきました。
「ねぶた師」には、簡単になれるものでもなく、まずは師匠のもとに通って手伝っていくうちに見よう見まねで技術を覚え、ねぶたの作り方だけでなく、美術を見る目も鍛えていきます。
まさに伝統工芸の世界です。

こうして、芸術性を高めていったねぶたは、1991年にロンドンへ遠征した際に、大英博物館の学芸員の目にとまります。
これまでもハワイやロサンゼルスなど、23回の海外遠征を行い、出演依頼が引きも切らない人気者だったねぶたですが、芸術的に評価されたことはありませんでした。
しかし、ペーパークラフト技術の高さがロンドンでは評価され、2001年には大英博物館でねぶたが公開制作され、ロンドンの人々をも魅了したのでした。
ねぶた祭を楽しむ
青森ねぶた祭りは、毎年8月2日から7日まで、6日間行われますが、すでに8月1日から前夜祭としてイベントが行われ、祭りムード一色になります。
そして、ねぶたをゆっくり見物するためには、場所取りが欠かせません。
観覧席の3分の1は有料ですが、残り3分の2は早いもの勝ちになります。
無料のエリアでは、午前中から座り込みをしたり、パイプ椅子を並べたりして場所の確保をしている人が多いので、ゆっくり座って見るには、有料の観覧席を手配することが確実かもしれません。

また、場所取りをして見るだけではつまらないという人は、「ハネト」といって、ねぶたと一緒に動くメンバーになることもできます。
「ハネト」へは衣裳さえ身に着ければ、誰でも参加できます。
左右交互にケンケンしながら「ラッセラー、ラッセラー」と掛け声をかけながら進んでいけばよいので、近年では海外から参加される方もいらっしゃるようです。
そして、8月5日の夜に審査が行われ、ねぶた本体、囃子、運行とハネトの出来栄え、この3点が総合的に審査され、順位を競います。
4位までの団体が、7日の海上運行に参加でき、海上花火でフィナーレを迎えます。
ねぶたは祭りが終わると解体される運命にあります。
かつて「睡魔ながし」で灯籠を海や川に流したことの名残なのかもしれません。
そして、秋を迎え、青森の厳しい冬に縮こまることなく、次の夏のねぶたの準備をします。
この繰り返しのなかで、ねぶたが冬を乗り切る情熱となり、生活の一部となって、強く根付いていったのかもしれません。
「ねぶた祭」は、現在では全国に広がり、その数は20を超えています。
南は九州から北海道まで展開されているので、青森以外でも見物できるようになってきています。
各地に上陸したねぶたが、独自に発展をしていく日も近いかもれません。
実際に青森ねぶた祭を見てみてみたい方はこちらからどうぞ!↓

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