「だんじり」とは何か

岸和田だんじり祭は大阪府岸和田市で行われている祭りです。

岸和田の枕詞のようになっている「だんじり祭」ですが、その歴史は江戸時代にさかのぼります。

時は元禄の頃、岸和田藩主、岡部長泰おかべながやすが京都の伏見稲荷の分霊を岸和田城内三の丸に勧請かんじょう1し、五穀豊穣ごこくほうじょうを祈願するために稲荷祭りを行いました。

そこでだんじりを曳いてきた町人が、藩主の前で狂言などの芸能を演じ、岸和田城内の三の丸神社へ参拝したことが、岸和田だんじり祭のはじまりだと言われています。

当時のだんじりは、さまざまな芸能が行われる移動式の芸能舞台で、現在のような形ではありませんでした。

※1 勧請:神仏の来臨や信託を祈り願うこと。また、高僧などを懇情して迎えること。

そして、「地車だんじり」自体の起源をさがのぼると、九州や瀬戸内の諸大名が参勤交代や琉球使節のために使った「御座船ござぶね※2」にたどり着きます。

御座船のうち、大阪から伏見に向かって淀川を航行するものを「川御座船かわござぶね」といい、この船の部分が取れたものが陸上型の地車だんじりになり、大阪の中心部の祭り(天神祭など)に取り入れられていきました。

やがてこれが大阪の周辺地域に奉納芸能の舞台として伝播して、その伝わった先で独特の形に発展していったのが現在のだんじりです。

岸和田のだんじりも、そのなかのひとつで、いつしか芸能の要素が取れ、町人が「曳くこと」に楽しみを見出して発展させていきました。

そして、現在も曳くことを目的に進化を続けています。

※2御座船:天皇、貴人の乗る船

また、各地の山車や屋台は刺繍や飾り金具で装飾されているものが多いのですが、岸和田のだんじりは、木目を生かした彫刻になっていることも特徴です。

命がけの祭り

「岸和田だんじり祭」の、一番の見どころは、曲がり角にさしかかったとき、全速力でスピードをあげてだんじりを方向転換させる「まわし」と言われるシーンです。

1つのだんじりを曳く人は約500人。

だんじりに乗って太鼓や笛を鳴らす「鳴り物」、だんじりの綱を曳く「綱先、綱中、綱元つなさき(つななか、つなもと)」、だんじりを前梃子まえてこで操作する危険な役割の「前梃子」、後ろから方向を変える「後梃子うしろてこ」などに分かれます。

そして、屋根の上には「大工方だいくかた」と呼ばれる人が乗り、両手にうちわを持って進行を伝える役割をします。

疾走するだんじりの上でうちわを手に「飛行機乗り」や「二変にへんとび」といったパフォーマンスをして見物客を魅了したりもします。

まさに度胸と華が求められ、岸和田だんじり祭の花形ともいえます。

そして、これだけ多くの人で4トン以上もある巨大なだんじりを一気に方向転換させるので、全員が息をあわせて一気に動く必要があります。

自動車がカーブを曲がる時と違い、城下町特有の直角の辻(十字路)に猛スピードで突っ込んでいって(遣って)、曲がる(回す)ので一歩間違えると大事故にもつながります。

そんな緊迫した瞬間でもあるため、うっかりだんじりのコースに入って待っている見物客には、関係者が厳しく注意することもあるそうです。

そのせいか、見物客に優しくない祭だと言われることもあるそうですが、まさに命がけの祭だからこそなのです。

そして、きれいに曲がることが、岸和田のだんじりの最高の美意識であり、最も美しいシーンでもあります。

祭りを行う人の生活

岸和田を離れて、盆と正月には帰ってこないが、祭りには帰ってくる、普段は周辺都市に住んでいても、祭りには参加する。

このような人が岸和田では珍しくないのだそうです。

もちろん、住んでいる人全員がだんじりに参加するわけでなく、参加するかどうかは任意だそうです。

しかし、参加するとなると、高校生で青年団に加入し、毎年「寄り合い」や「鳴り物の稽古」などで一年中忙しい日々を送ります。

特に盆を過ぎてから9月の祭りまでは、毎日が段取りという繁忙期を迎えるので、祭りの前後1週間は、仕事を休むこともあるそうです。

こういった状況なので、サラリーマンで会社勤めしている人のなかには、「祭り当日に仕事を休めないので、仕事自体を辞める」、ということも実際にあるのだそうです。

「祭りで会社を休むとはどのような了見なのか?」と思う人もいらっしゃるかもしれませんが、岸和田では逆で「会社ごときでどうして祭りに出られないのか?」なのです。

祭りという地域の儀礼が重要な土地柄であり、1年の中に祭りがあるのではなく、祭りの日のために1年があるのです。

共同体の儀礼を行うことは、かつての日本では、当たり前にみられたことですが、生活様式や価値観の変化とともにだんだんと難しくなりました。

岸和田は、祭りという形で、現在も共同体の儀礼を大切に継続している地域なのです。

ほんものの“祭り”

「岸和田だんじり祭」が、“日本一危険な祭”などと、その勇壮さだけが強調されて伝わっていますが、そういった面は、祭りのほんの一部分です。

一言では語ることのできない奥深い魅力が「岸和田だんじり祭」にはあります。

例えば、現在、多くの有名な祭りが、広告費を投入し、観光誘致目的のイベントとして見せることに注力していくなか、一線を画すように、祭りを「共同体の儀礼」として自分たちのために行い続けています。

そして、だんじりを曳くことだけでなく、1年を通して、だんじりに関する神事を大切に行っている「ほんものの祭り」でもあります。

また、だんじりは、神事に伴う楽しみの行事、神賑行事しんしんぎょうじの1つですが、町人が算盤勘定そろばんかんじょうを無視して、「楽しみのかたち」を追求し続けた産物でもあります。

特に、「岸和田だんじり祭」は、曳くことに対して、数百年間、追求し続けてきた神賑行事です。

その伝統を引き継ぎながら、今もなお現在進行形で曳くことを進化させているそうなので、今後も発展し続けていく、魅力あるお祭りです。

宵宮と本宮の夜には、「灯入ひい曳行えいこう」と言って、たくさんの提灯で飾られただんじりがゆっくりと街を巡ります。

このような祭りの灯は、神様を迎えるために焚かれた庭火にわびの名残だそうです。

日中の緊迫感のある勇ましさとは違った、優美な祭り情緒があり、祭りの静の部分を感じることができます。

「岸和田だんじり祭」には、このようなイメージとは異なる美しさや、他の祭りにはなくなってしまった日本の祭りの本質があるのです。

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