代表的な金工品

金工品として世に出ている製品はその製造工程のほとんどが人の手によるもので、熟練の職人により1つ1つ丁寧に作られており、細部にまで手仕事の跡を感じることができます。

伝統工芸でもある様々な金工品の魅力は、その手仕事の跡を細部にまで見ることで、人の手の温かみが感じられることはないでしょうか。

南部鉄器

岩手県盛岡市、奥州市周辺で生産されている鉄器です。

17世紀中頃、南部藩主が京都から釜師を招き、茶の湯の釜を作らせたのがはじまりとされています。

南部鉄器は1975年に、国の伝統的工芸品第1号に指定されました。

伝統的工芸品とは「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づき、経済産業大臣によって指定された工芸品です。

職人達の手で伝統的な技術を用いて作られていること、地元の豊富な鉄資源を利用した、人々の暮らしに密着した製品づくりを長い間行ってきたことが伝統的工芸品と認められた所以です。

現在は鉄瓶、鍋、花器、風鈴、燭台などさまざまな製品が作られています。

近年では表面にカラフルな着色を施した鉄瓶や急須も製造され、欧米や中国などでも人気を誇っています。

南部鉄器の紋様押し

南部鉄器の表面にびっしりと施された、細かな突起の紋様もんよう

これはアラレ紋様といい、南部鉄器独自の紋様として知られています。

南部鉄器と聞けば、まずこの紋様の鉄瓶を思い浮かべる方も少なくないでしょう。

これは表面に凹凸を作ることで鉄器の表面積が増し、それにより鉄器の保温効果が増すという先人の知恵が生み出した紋様です。

伝統的工芸品である南部鉄器。もちろんこの紋様を付ける作業も、すべて手作業で行われています。

南部鉄器の鋳型いがた(鋳物を造るための型)は、川砂に埴汁はじる(粘土を水で溶いたもの)を混ぜた鋳型砂で作られます。

デザインした形の木型と実型さねがた(素焼きのレンガのような型)を用い、荒い鋳型砂から目の細かな真土まつちまで、段階を踏んで表面の肌理が細かくなるように挽き上げていきます。

挽き上げた鋳型が乾く前に、絵杖えづえ絵引えびき、霰押あられおしなどで紋様を1つ1つ押していきます。

これらは紋様を付けるヘラのような道具で、真鍮の棒の先端を加工して作られています。

紋様押しの道具は職人自ら作ります。自分で使いやすいよう工夫を凝らして作られるもので、貸し借りすることはありません。

紋様押しの作業は、最も熟練を要する作業です。アラレ紋様では、その数は数千個に及ぶこともあり、とてつもない集中力を要します。

紋様の良し悪しでその鉄器の風格や気品が決まってしまうので、紋様の重なり具合や陰影の表現には細心の注意が必要です。

紋様をすべて押し終えたら、次に肌打ちを行います。

これは鉄器の表面を、味わいのある独特な肌合いにするために行う作業です。

川砂に少量の埴汁を加えたものを団子状に丸め、それを鋳型に軽く押して肌を表現する方法や、布を丸めたタンポや筆で砂を置いていく方法があります。

こうして細かな手作業で作られた紋様が鉄の表面に転写され、南部鉄器独特の、味のある鋳肌いはだが作られるのです。

燕鎚起銅器

燕鎚起銅器つばめついきどうきは新潟県燕市・三条市で主に生産されている金工品です。

1枚の銅板を鎚で打ち延ばしたり、絞ったりすることで形を作ります。

そのため継ぎ目がないのが特徴です。1981年に国の伝統的工芸品に指定されました。

燕三条の銅器業は、江戸時代中期に仙台から来た渡り職人が、鎚起銅器の技術を伝えたところからはじまったとされています。

地元の弥彦山からは良質な銅資源が採れたため、それを利用して鍋ややかん、酒器などの日用品が作られていました。

1枚の銅板から、全く継ぎ目なく細いそそぎ口の先まで作るのは高度な技術を要するため、1人でやかんを一通り作れるようになるまでに10年はかかるといわれています。

燕鎚起銅器の打ち絞り

一枚の銅板を木槌と金槌で叩き絞ることによって、燕鎚起銅器は作られます。

「鎚起」とは、「つち」で打ち「起」こすという意味です。

その名の通り鳥口からすぐちと金槌を用いて、心地よい一定のリズムで叩いて作られる銅器の表面には、職人の正確な手仕事による規則正しい槌目模様が施されます。

はじめに木槌を用い皿状に打ち起こしていきます。

この工程ですでに銅板には大きな皺ができており、この皺を慣らしてうち絞りの準備に入ります。

打ち絞りの工程は、出来上がる製品の形によって多少異なりますが、基本は製品の側面にあたる部分から徐々に絞って行きます。

絞った分だけ、形が立体になっていきます。様々な形の鳥口を用い、銅板を少しずつずらしながら金槌で何回も何回も叩きます。

叩いて伸ばすのではなく、叩いて縮めることによって形作っていくのです。

銅は1度叩くと硬くなり絞りにくくなるため、焼きなましをして柔らかくします。

叩いて硬くなった銅板を火でおよそ650度くらいまで熱し、水につけて冷やすと、手で曲げられるほど柔らかくなります。

製品の形になるまで、叩いてはなましを繰り返します。

成形の工程では、表面に艶を出した小さめの金槌で、打ち絞りにより荒れた金肌を整えていきます。

また、全体的にできる叩きムラやひずみを整えて、バランスのとれた形状にしていきます。

叩けば叩くほどに銅の金肌には光沢が生まれ、手仕事の跡が刻み込まれてゆくのです。

秋田銀線細工

県指定の伝統工芸品であり、秋田市の無形文化財にも認定されている秋田銀線細工。

白く輝く銀の線で紡がれる緻密で繊細な表情は、見ていると吸い込まれてしまいそうなほどの美しさです。

銀線細工はポルトガルから長崎県平戸市に伝えられたことが始まりといわれています。

慶弔7年(1602)に佐竹義宣が徳川家康の命により、上陸から秋田へと国替えとなった際に、金銀細工の職人を連れてきたことから秋田へと銀線細工の技法が伝わりました。

秋田銀線細工の繊細な表情

県指定の伝統工芸品であり、秋田市の無形文化財にも認定されている秋田銀線細工。

白く輝く銀の線で紡がれる緻密で繊細な表情は、見ていると吸い込まれてしまいそうなほどの美しさです。

秋田銀線細工は、すべて熟練の職人による手作業で作られています。

まず0.2〜0.3mmほどの極細い銀線を数本撚り(ひねり)あわせて縄状のり線を作り、それを平たくなるように潰します。

こうすると線の両側が波打ち、光をさまざまな方向に反射して独特の光沢が生まれます。

次に銀線を指先とピンセットで渦巻状に巻いていきます。この渦巻状のものを平戸ひらとといい、これが銀線細工の土台となるものです。

0.5〜1.0mmの銀線で外枠を作り、枠に合わせて作った平戸をはめ込んでいき、ろう付けをして1つ1つのパーツを作っていきます。

鑞付けとは、銀と真鍮を一定の割合で混ぜ合わせたロウ材を接合部に置き、ガスバーナーで熱して溶かし接合する溶接の一種です。

枠の形状にぴったり合わせて平戸を巻いていかないと、鑞付けの際にうまく接合されなかったり、平戸線の波状の側面が生み出す表情の美しさが損なわれてしまいます。

熟練の職人が手作業で作るからこそ、心を奪われるような繊細な美しさが表現されるのです。

こうして作られたパーツを組み合わせて立体的に形作ることにより、ようやく1つの作品が完成します。

この技術を習得するのには10年かかるといわれており、大変技術的価値の高いものとなっています。