日本の金工の歴史について

金工とは金属に細工をする工芸、あるいはその職人のことを指し、金属を加工して作られる工芸品のことを金工品といいます。

日本に金属とその加工技術がもたらされたのは、弥生時代初期、紀元前200年頃のこと。

中国大陸・朝鮮半島から伝わった金工技術によって剣や銅鐸、装身具などが作られ、材料として青銅や鉄が使われていました。

古墳時代には馬具や甲冑を製作するようになり、青銅器の剣や鏡などへの装飾も見られました。

この頃の遺跡からは、鋳金によって作られた鉄製の刀や斧なども出土しています。

奈良〜平安時代には、仏教の伝来に伴い、仏像の鋳造技術が発達していきました。

仏教美術が盛んになると、寺院の飾り金具などに彫金技術が施されるようになり、優れた金属工芸品や美術品に製作が広がっていきます。

一方で、鍋や釜などの日用品や農耕具などに鉄が使われるようになっていきました。

鎌倉〜安土桃山時代になると、金属工芸の産業化や量産化が進み、金工技術もさらに進歩していきました。

それにより、それまでは一部の特権階級だけのものであった金属製品が、一般階級にまで広がっていきます。

武家社会においては武器や刀剣類への装飾が好まれるようになり、技巧的に優れた装飾が、刀の鍔や目貫等の金具にも施されました。

また、茶の湯文化の発展により茶釜が作られるようになり、芸術的な価値を持つ名作も数多く残されています。

江戸時代以降もそれぞれの技法が独自の発展を続け、そうして作られた金工品は人々の生活に深く関わり、暮らしを豊かなものにしていきました。

金工の主な技法

金工品の主な技法には、以下の3つがあります。

鋳金ちゅうきん作品の原型となるものを加工しやすい材料で作り、その原型から取った型に溶かした金属を流し込んで成形する技法です。

鋳金に使う型を鋳型いがたといい、この技法で作られたものを鋳物いものといいます。

鋳型には耐火性のある砂や石膏が用いられます。

先ほど金工の歴史でも少し触れましたが、仏像はこの鋳金技法で各パーツを作り、それをつなげることで製造されました。

また、街中にある銅像や寺社の梵鐘なども鋳金によって成形し、表面に着色するなどの仕上げをして作られています。

一つの原型から型を複数取り量産することも可能なので、工業製品のパーツやジュエリーの製作にも使われます。

鍛金たんきんは、金槌や木槌を用い、金属を叩いて加工する技法です。

金属の板材を当て金と呼ばれる鉄の棒に当て、叩いて絞ることにより成形していきます。

これは金属の展延性を利用した技法で鎚起ついきといいます。

板材を叩いて立体的に成形していくので、器ものの制作に向いており、お皿や酒器、急須などが作られています。

均等につけられた槌目つちめ(金槌で叩いてできる跡のこと)は大変美しく、槌目の大小を駆使することによりデザインを施すことも可能です。

赤く熱した鉄を叩いて加工する鍛造・鍛治の技法も鍛金技法のうちの一つです。

日本には打刃物と名のつく伝統的工芸品の産地が各地にあります。

叩いて鍛えられた鉄を丁寧に研いで作られた刃物は高い硬度を持ち、鋭い切れ味が長く続きます。


彫金ちょうきんは、たがねと呼ばれる鋼鉄製の工具を用いて金属を成形したり、模様を彫る技法です。

鏨にはさまざまな種類があり、棒状の鋼鉄材の先端を加工して必要な形に成形します。

彫金技法はこの鏨の使い分けで、彫りや透かし、打ち出しなど、さらに細かい技法に分類されます。

また、鏨で金属の表面に溝を彫り、その溝に別の金属を埋め込む象嵌ぞうがんという技法もあります。

彫金は装飾的な要素が強い技法で、鋳金や鍛金で成形した作品の表面に施されることもあります。

ジュエリーや家具の飾り金具、仏具などの製作に使用される技法です。


おわりに

全国には約1200の伝統工芸品があり、そのうち金工品の数は100近くを占めます。

伝統工芸品と伝統的工芸品は異なり、伝統的工芸品は伝統的工芸品産業の振興に関する法律(昭和49年5月25日、法律第57号)に基づいて経済産業大臣により指定された伝統工芸品のことです。

伝統的工芸品は全国に約230あり、そのうち金工品の数は16です。

いずれもその地域の特徴を活かし、伝統的な技法を受け継いで長い間製造を続けられてきました。