画像提供:高岡市
富山県高岡市の伝統的工芸品である「高岡漆器」は、多彩な作風を楽しむことができる漆器です。
漆に浮かび上がる文様や貝の輝きなど、さまざまな技法を用いた美しさが特徴で、古くから多くの人々を魅了してきました。
高岡の代表的な祭りに登場する「御車山」という山車にもその技術が使われています。
今回は、そんな高岡漆器の歴史や特徴、作り方や主な工房などをご紹介します。
富山県は、美しい山々から流れる綺麗な水に恵まれた自然豊かな県です。そんな富山県では、何百年も前から受け継がれてきた技術で作り上げた、20品目以上の伝統工芸品が存在します。経済産業大臣によって富山県の「伝統的工芸品」として指定されている、高岡銅器、井波彫刻、高岡漆器、越中和紙、越中福岡の菅笠、庄川挽物木地をご紹介します。
高岡漆器とは?
高岡漆器とは、富山県高岡市で作られている漆器のことで、テーブルウェアからインテリアまで幅広い製品が作られています。
高岡漆器は中国風なデザインで、青貝や玉石などを施した勇助塗や漆と花鳥風月などの彫りを組み合わせた彫刻塗をはじめとした、多様な加飾技法を用いてつくられていることが特徴です。
つるりとした質感と深みのある色味、立体感のあるデザインで多彩な表情を見せてくれます。
その技術と文化で、昭和50年(1975年)に経済産業大臣により、国の「伝統的工芸品」に指定されました。
近年では、スマートフォンケースを作ったり、ガラス素材に加飾したりと、伝統と革新の融合により、新たな高岡漆器の可能性の広がりを見せています。
経済産業大臣が指定した「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて認められた伝統工芸品のことを指す。
要件は、
・技術や技法、原材料がおよそ100年以上継承されていること
・日常生活で使用されていること
・主要部分が手作業で作られていること
・一定の地域で産業が成り立っていること
高岡漆器の歴史
高岡漆器の歴史は、慶長14年(1609年)に加賀藩2代目藩主であった前田利長が、高岡城を築き高岡の町を開くと同時にはじまりました。
時代とともに多くの技法が開発されたことで、今日の工芸品へと繋がっている高岡漆器。
ここからは、その歴史をくわしく見ていきましょう。
“ 赤物”から発展した高岡漆器
高岡の町を開いた前田利長は、城下町繁栄のため、全国各地から職人を集めました。
武具や箪笥、膳などの日用品を作らせ、城下の礎を築きます。
現在の富山市大場に住んでいた大工職人の庄左衛門は、指物屋町(のちの桧物屋町)に移り、箪笥や仏壇などの家具を作りはじめます。
仕上げに赤茶色の漆を塗ることから、庄左衛門が作る家具は「赤物」と呼ばれるようになりました。
庄左衛門の元には多くの職人が集まり、「赤物」は越後や北海道にまで普及していきます。
この赤物により高岡の漆器が知られるようになり、のちにさまざまな技法を生むことになりました。
独 特の技法が誕生
その後、元和元年(1615年)に江戸幕府が制定した一国一城令により、大名が住む城以外はすべて取り壊さなければいけなくなり、高岡城は廃城。
高岡の町は商業都市へと転換します。
江戸時代の中頃になると、名工が次々と現れ、高岡での漆器作りにおいて独自の技法が磨かれて発展を遂げていきました。
とくに彫刻塗の祖ともいわれる辻丹甫が、高岡漆器に大きな飛躍をもたらします。
彫刻と漆の塗りを合わせた堆朱や堆黒など、中国伝来の漆塗りの技法を伝え、雷文様や亀甲の上に植物などの文様を彫り出す彫刻塗を考案しました。
この技法は、江戸時代後期に活躍した砺波屋桃造、桃紅色など色漆を巧みに使う板屋小右衛門などの名工たちに受け継がれていきました。
江戸時代末期には、中国明時代の漆器に憧れた石井勇助が研究を重ねて勇助塗を考案し、三村卯右衛門が錆絵※を確立しました。
また、立野太平治が貝を使った螺鈿の一種・青貝塗の技法を創出しました。
※錆絵:漆に砥石から取れる砥の粉を混ぜて水分を加えた、錆漆で絵を描く技法。
大正時代以降は、高岡漆器同業組合の創設に合わせて漆器業の近代化が図られ、高岡市は漆器の産地としてさらに定着していきました。
戦後は、漆の輸入が途絶え生産も落ち込みましたが、分業化や共同事業によって再び勢いを取り戻し、昭和50年(1975年)には国の「伝統的工芸品」に指定されました。
漆器は日本だけでなく、アジアの広い地域でみられます。中国の浙江省河姆渡遺跡から発見された、約7500~7400年前に作られた木製の弓矢に漆が塗られていたことから、これが最古の漆器とされています。
高岡漆器の特徴や魅力
ここからは、高岡漆器の特徴や魅力をさらにくわしくご紹介します。
江 戸時代に花開いた町人文化
画像提供:高岡市
江戸時代初期、商業都市へと変換した高岡の町では、職人・商人などの町民が中心となり町を発展させていきました。
高岡漆器も町人文化のもと、自由でのびやかな発想によりさまざまな技術が生み出されました。
町人文化の技術のすばらしさは、高岡の祭りに使われる御車山を観れば一目瞭然です。
御車山は、豊臣秀吉から拝領した天皇使用の御所車を、前田利長が高岡の町民に授けたことにはじまります。
高岡の人々は、御所車に鉾を立てたり技の限りを尽くした装飾を付けたりして、華やかな祭りの山車へと改装。
町内ごとに豪華な装飾を施した御所車を作り、その高度な技を競い合いました。
現在も、御車山には辻丹甫の製作した装飾が残されています。
この山車が町を練り歩く「高岡御車山祭」は、毎年5月1日に行われ、国の重要有形・無形民俗文化財にも指定されています。
さらにその歴史と文化が高く評価され、ユネスコ無形文化財にも登録されました。
迫力のある御車山を、ぜひ一度生で見てみたいものですね!
多 彩な技法
高岡漆器は、加飾の技法が幅広いため、多彩な表現が魅力の一つです。
中でも、主な技法として「彫刻塗」「勇助塗」「青貝塗」の三つが知られています。
彫刻塗
「彫刻塗」は、その名の通り彫刻と塗りを合わせた技法です。
雷紋や亀甲の地紋の上に、草花や鳥獣など縁起の良い文様を彫り、朱色や黒色の漆を塗り重ねます。
彫った凹みの部分に墨を入れて陰影をつける、“古味付け”という技法もあり、陰影のある立体感と独特の艶が美しく、使い込むほどに味わいが出てきます。
勇助塗
石井勇助が考案した「勇助塗」は、古代朱や栗色に近いうるみ色の木地の上に唐風(中国風)のデザインを加え、錆絵で花や鳥、人物などを描く技法です。
要所には、青貝や玉石などを施します。
格調高く優美な仕上がりで茶器や盆などに用いられ、幅広い人気を得ています。
青貝塗
「青貝塗」とは螺鈿の一種で、あわびや夜光貝、蝶貝、孔雀貝など虹のように光る青貝を使う装飾技法です。
貝を薄く削り、モザイクのように組み合わせて文様を表現します。
螺鈿は通常、厚さ0.3mmの貝を使いますが、高岡漆器では0.1mmと極めて薄い貝も使うのが特徴です。
薄く削った貝は下地の漆が透けて映り、貝が青く輝いて見えます。
貝の裏側に着色するケースもあり、モダンなインテリアにも用いられています。
高岡漆器の作り方
ここからは、高岡漆器の青貝塗(螺鈿)の作り方をご紹介します。
木 地造り
高岡漆器では、ケヤキ・トチノキ・カツラなどの木材を、次の4種類の技法で削り出した木地を使用します。
木地ができたら、いよいよ下地塗り、中塗り、仕上げ塗りと加飾が施されます。
布 着せ~中塗り
布着せ
木地に布をはりつけて補強する”布着せ”を行い、布の目を埋めるため目止めの粉、続いて漆を塗り、乾いた後に表面を研いでいきます。
地付け・切粉地付け・切粉地研ぎ
火山灰などを使った地の粉で漆の下地を作り、木べらで地付けをします。
その後、地の粉と砥の粉と気漆を練り合わせた切粉地付けを行います。
まっすぐな部分は粗砥石、曲面などはサンドペーパーを使って、水を使わない空研ぎを行います。
錆地付け・錆地研ぎ
砥の粉に水と生漆を混ぜた錆地漆をヘラ付けし、乾燥後、同じ作業を繰り返します。
砥石または耐水ペーパーで錆付けした面を水研ぎし、平面を砥石で研いで平たく滑らかにします。
中塗り・中塗り研ぎ
下地の面を調整するため、刷毛で中塗り漆を塗り、乾燥させてもう1度塗ります。
樹木を焼いて作った研ぎ炭の「油桐」で水研ぎして、次の上塗りの付きを良くします。
文 様描き~毛彫り
貝切り
漆器の形や大きさに合わせて青貝文様の図案を作成し、図案に合わせて貝を切り抜きます。
直線は刃物で切る「裁ち切り」、小さなものは彫刻刀やノミを用いて切る「突き切り」、曲線は針を用いて切り抜いていく「針抜き」で切り抜いていきます。
青貝付け
デザインを木地に写し、漆を接着材代わりに塗って青貝を貼り付けていきます。
毛彫り
漆が乾いたら、人物の顔など細かい部分を細い針で描き入れます。
塗 り~仕上げ
小中塗り
貝を固めるため木地全体に漆を塗り、乾燥後、青貝の上の漆を削り取ります。
上塗り
全体に上塗りを施し、乾燥後に静岡炭、目の細かい呂色炭、砥の粉を菜種油で練った油砥の粉の順で磨いていきます。
すり漆
生漆をすりこみ、菜種油に角粉※を混ぜたもので磨き、これを3~4回繰り返したら完成です。
※角粉:鹿の角を焼いて粉にした磨き粉。光沢を出すために使う。
漆器は大きく分けると「木地」、「下地塗り」、「中塗り・上塗り」、「加飾」の4つの工程で作られます。その工程の中でも、素材や品質によってさらに種類があり、高価なものから安価なものまで分かれています。
高岡漆器の有名な工房・会社
ここまで、高岡漆器の概要についてお伝えしました。
「高岡漆器が気になる!実際に手に取りたい!」という方のために、ここからは高岡漆器を取り扱う工房や会社をご紹介していきます。
天 野漆器
天野漆器は、明治25年(1892)年に創業した漆器専門の会社です。
近年では、さまざまな素材との組み合わせにも挑戦し、”螺鈿ガラス”シリーズを考案。
グラスの底部分に螺鈿を施したもので、水や酒を注ぐと螺鈿の美しい色柄が浮かび上がる人気商品です。
武 蔵川工房
明治43年(1910年)に創業した青貝塗の工房・武蔵川工房は、4代の螺鈿師が青貝塗の技を受け継いでいます。
家具、金属製品などの螺鈿装飾のほか、ガラスの器に螺鈿を施すなど、現代のライフスタイルに合う青貝塗を提案しています。
柴 田漆器店
昭和元年(1925年)に彫刻塗工房として創業した柴田漆器店。
以降、彫刻塗や青貝塗などの伝統技法を基本に、ライフスタイルに合う漆器製品を手掛けてきました。
近年では、合同会社monovaとのコラボにより、螺鈿技術を用いたヘアアクセサリーブランド「Urie」を展開するなど、ファッションとして楽しむ螺鈿にも力を入れています。
おわりに
高岡漆器の歴史や特徴、作り方などについて紹介してきました。
高岡漆器は、さまざまな加飾で使う人を飽きさせない美しさを持っています。
一方で、使うほどに趣や深みが出る温かみもあり、毎日の生活にもよく馴染みます。
盆や椀をはじめ、最近はスマートフォンケースなど日用品も多く作られているので、日々の暮らしの中にぜひ取り入れてみてはいかがでしょうか?
漆器というと、「手入れが大変そう…」や「敷居が高そう…」といったイメージを持ってはいませんか!?
しかし、実は漆器のお手入れはそれほど難しくなく、いくつかのポイントを押さえておけば、他の食器同様に使えるんですよ♪
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